目を閉じ、風で髭が煽られる感覚を楽しむ。
鼻の奥をくすぐる、潮の匂い。
「うーん、気持ちいい!」
手すりを握る手に力を込めながら、虎鉄は大きく伸びをした。
繰り返し響く波の音が心地良く。
目を開けば、どこまでも広がる水平線。
「乗って正解だったなあ…。」
にこにこと笑顔を浮かべながら手すりにもたれかかる。
揺れる足元も思ったよりも苦にならない。
幸志朗と町に戻ってからすぐのこと。
新郷を自警団に突き出すから手続きの間に観光でも、と遊覧船を進めてくれたのだ。
確かにこの手のものなら所用時間も決まっている。
戻る場所も桟橋が決まっているから待ち合わせに困ることもないし。
だが何よりも、今後の冒険に幸志朗が付いて来てくれると言い出してくれたのが嬉しかったのだ。
今までに出会った愁哉も源司も、システムの都合なのかシナリオの都合なのか付いて来ることはできないと語っていた。
恐らく本来は幸志朗もそういう設定なのだろう。
だが本来設定されていた装備も戦闘スタイルも無視した幸志朗。
そういった制限も超えて付いて来てくれるつもりなのだろう。
この場での体感時間は実時間とは違う、と源司は言っていた。
だが虎鉄の体感時間では既に三日目である。
出会って別れて、を繰り返しているとやはり寂しいのだ。
もちろん日常において会わない日なんてのはいくらでもあるのだが。
会わないと、会えないはやはり違うのだろう。
「今日は天気もいいし!」
そのまま視線を巡らせる。
虎鉄が住む星見町は海に面していない。
むしろ山を中心に広がっていると言っていいだろう。
だからこうして海を眺めるのはずいぶんと気持ちが良かった。
「青い空に白い雲…透き通る波に、大きな海賊船!」
気分よく、目に映るものを口にして。
「…海賊船!?」
思わず二度見した。
まさかただの遊覧船にのって、海賊船に出会うなんて思わなかったのだ。
「ええええ、ど、どうしよ!?」
あたふたと周りを見回すが、困ったことに誰の姿も見えない。
たまたまなのか、乗客がすくないのかはわからないが。
そんなことを考えている間に海賊船はどんどんこちらに近寄ってきている。
「と、とりあえず誰かに連絡しなきゃ!」
ひとしきり慌ててから、ようやくその発想に至る。
問題はどこに誰がいて、誰に知らせるべきかである。
間違いなく人がいるのは、操舵室だろう。
この船がどこまで機械を用いているかはわからないが、少なくともそれを操作する人間はいるはずで――。
「…っ!」
そこまで考えたときに、後ろから硬い物がつきつけられた。
映画などでよく見るパターン。
つまり「動けば撃つ」である。
せめて正面からなら動きようもあるだろう。
だが流石に見えてない状態ではタイミングをはかることもできない。
せめて相手の顔が見えれば。
「おっと、動くなよ。」
だがこちらの動きを察して相手はそう言って。
「え、その声、ナギさん!?」
言葉の内容を理解する前に思わず振りかえった。
「おめえ…今動くなって言った所だろうが。」
苦々しげな表情で、ナギが呆れた様に呟く。
いつも通り、彼のトレードマークの眼帯はそのままだけれど。
大きな羽のついた海賊帽、胸元を大きく開いたシャツに丈の長いコートを重ね。
太いベルトを袈裟懸けにしている。
一言で言ってしまえば。
「海賊だー!」
虎鉄は思わず叫んだ。
もちろん恐怖の悲鳴などではなく、テンションがあがってつい、である。
「すごい、ナギさん似合いますねー!」
嬉しくて思わず目を輝かせながらまじまじとナギを見つめる。
それが恥ずかしくて、ナギは思わず視線をそらした。
「そ、そうか?」
だがやはり褒められれば悪い気はしない。
手にしていた銃を下ろし、空いている手で頬を掻く。
ついでとばかりに、もうふざける必要もないので銃を腰に戻した。
ちなみに腰には細身の剣を下げていたりもする。
「眼帯してるからですかね、いかにも海賊って感じですよ!」
先ほどまでその海賊で大慌てしていたはずである。
だが相手が知り合いとわかればもはや慌てる必要もないのだ。
「っと。
いつまでもいる訳にはいかねえな。
お前ら、引き上げるぞ!」
ナギの言葉に、いつのまにかこちらの船にうつっていた海賊たちが返事を返す。
どうやら海賊としての仕事はしっかりしているらしい。
「ほれ、キバトラ。
俺達もいくぞ。」
「え、い、行くって?」
慌てながらも、歩くナギに続き。
すぐ目の前に、海賊船があることに気がついた。
「え、で、でも幸志朗さんと約束が…。」
「オメエ、この船もうすぐ沈むぞ?」
「えええええええ!」
ナギの一言に、慌てて海賊船へと飛び移る。
流石にここから町まで泳いで戻るわけにもいかない。
「だいたい、あのオッサンの担当はあの町だけだろ?」
飛び移る虎鉄を見ながら、ナギがぼやく様に言う。
確かに、ナギの言うとおりである。
双子たちが作った設定ならばそれが正しいのだ。
「まあ…そうなんですけど…。」
ならばこれが正しいルートということだろうか。
たまたま自分が乗った船が海賊に襲われる。
まあ確かに、言われて見ればよくある展開には違いない。
それに、自分が離れれば時間の流れはまた遅くなるのだろう。
ならばそう待たせることもない、はずだ。
心の中でごめんなさい、と小さく呟いて。
ひとまず、ナギと共に船にゆられることにした。
「それで、どこに向かうんです?」
船長室と思しき場所。
広い船室に大きな机、広げられた海図。
その机に腰掛け、海図を指差した。
「まだ非公式だけどな。
モンスターがどこから来るのかわかったんだよ。」
海図の上においた指をすっとずらし、沖にある小さな島を指差す。
「え、非公式って…どういうことですか?」
普通に考えるなら、ある程度周知の事実ではあるがそれを公表できない、ということだろう。
だがナギはどうみても海賊である。
ナギの立場からすれば公式も非公式もないのでは、と思うが。
「周知の事実、つうべきか。
国からの発表がないだけで、大抵のやつらは気づいてんだよ。」
モンスターが、来る場所に?
ならばもっと対策でも打っていそうなものである。
だがそう尋ねると、ナギは首を振った。
「ポイントがわかっただけで、ルートがわかったわけじゃねえんだよ。
言っちまえば、そもそも陸生のモンスターなんかはどうやって島から移動してるかもわからねえんだ。
それでも、最初にその島のモンスターが影響を受ける時点で、ほぼそこから来てるって結論づけられてんのさ。」
つまり、その島のモンスターが一番レベルが高いということだ。
どのようにして強さが決まるかは知らないが、その島を中心にモンスターのレベルが変わっているのだろう。
ならば最もレベルの高い中心地点が、モンスターの発生箇所と考えるのは自然といえるかもしれない。
「それで、そこを調べようと?」
だが疑問なのは、ナギがそこで何をしたいか、である。
正直世界平和のために、というのは考えにくい。
イメージではないのだ。
ならばキャラ設定が何かあるのだろうか?
「なんでも昔の海賊がお宝を隠したって話でよ。
俺のキャラ設定とやらで、そいつを探しにいかにゃならんらしい。」
なるほど、幸志朗でいう格闘大会のような義務がそこにはあるのだろう。
虎鉄としては一応(忘れかけているものの)勇者候補なので、そこに行ってみたいという思いはある。
以前小耳に挟んだ行方不明の勇者、というのも気になるし。
何より、ナギの手伝いをしないという選択肢は虎鉄の中に存在しないのだ。
「じゃあ、宝探しですね!
楽しみだなあ、なんか遊園地みたいですね。」
もっとも、虎鉄にしろナギにしろ遊園地で楽しく遊ぶといった経験はない。
いい年した男がそうそう経験があるものでもないだろうけれど。
そもそも遊びに行こうにも、近場に遊園地がないのだから仕方がない。
だから虎鉄の発言は、完全にイメージだけのものだ。
もちろんそんな楽しいものではないだろうと、ナギは思っているけれど。
楽しみにしているならあえて水をさすこともない、と口を挟まなかった。
サバイバルイメージならそう外れたものでもないだろう、という考えもある。
遊園地とサバイバルは相容れないものではあるが、アトラクションという意味では近しい…かもしれない。
まあなんにせよ行くことには変わりないのだ。
楽しんでいけるならそれが一番だろう。
船が目的の島に着くまでにもしばらく時間はある。
遊覧船を楽しんでいたのも知っているから、もうしばらくは楽しませてやろうと。
ナギは小さく微笑んだ。
「ここ…ですか?」
虎鉄が呆然と呟いた。
ナギからしてみれば当然なのだが、遊園地を想像していた虎鉄には厳しい現実だろう。
そこはこの上もないほどに木々が密集するジャングルだった。
海賊船から小さなボートを漕ぎ出して、なんとか降りたった砂浜。
そこから少し陸にあがれば、数メートル先もみえないような密林である。
なるほど、ここなら人もいないだろうし宝を隠せば見つからないだろう、という場所だ。
もちろん、無事に隠せればの話ではあるが。
「おお、まあここから入るのは無理だろうがな。」
ナギは砂浜を歩き出す。
この島に人は居なくても、モンスターや動物の類はいるだろう。
ならば獣道のような物はあるだろうし、それでなくとも川沿いならもう少し入りやすいはず。
ナギはそう考えて、島に入りやすい場所を探しているのだ。
「なるほど!
ナギさん頭いいですねえ。」
妙に感心した様子で虎鉄が手を打った。
本を読んでの知識は多いとはいえ、サバイバル経験は少ない虎鉄である。
ひとまずナギに任せようと後を歩くことにした。
「そういえば、部下の方たちは来ないんですか?」
振り返り、海賊船の甲板に目を凝らす。
小さな人影が動いているのが見えるが、こちらについてくる気配はない。
「まあ、大勢でごちゃごちゃとしてもな。
モンスターやら…宝隠してるなら、トラップもあるんじゃねえのか。」
「なるほど。
いちいちごもっともですねえ…。」
なんだか言えば言うほど、自分の考えのなさを露呈するようで、虎鉄は思わず黙ってしまった。
だがそれで困るのはナギである。
表面上表情は変えていないが、彼は内心とても焦っていた。
自分の言葉で虎鉄の表情が曇ったのだから当然である。
しかし気の利いた言葉など出てくるはずもなく。
彼らは無言で歩くハメになったのである。
それから数分。
感覚的には数十分の時間がすぎた頃。
「あ、アレ川じゃないですか?」
虎鉄が正面を指差して言う。
ナギも背伸びしてみてみれば、確かに川のようなものが見えた。
虎鉄の方が背が高いから先に気づけたのだろう。
「よし、とりあえず行くか!」
小走りで走るナギに、虎鉄も続く。
いざ見えてくればモチベーションも空気も変わる。
二人はあっさりと川のほとりにたどり着いた。
「川幅、思ったよりもありませんね。」
実際、せいぜい数mといった所だろう。
「川が狭いってことは…どういうことだ?」
「えっと…。」
深く考えての発言だったわけではない。
ただ見たままの感想ではあった。
それでも、そこから何か判るのではと考えを巡らせる。
「自分もそんな詳しくはないですけど…。
水の量が少ないとか、この島自体に高い山が少ない、ってことですかね?
この木で雨量がすくないってこともないでしょうから、島自体そんなに大きくないんじゃないですか?」
少々不安になりながらも考えを述べる。
実際に歩いていて、漠然とではあるがそれほどの大きさを感じなかったというのもある。
こうなれば、船の上から大きさを確認しなかったのが悔やまれた。
「まあ確かに、大きな島なら人が住んでてもおかしくねえもんな。」
川に歩み寄り、ナギはそのまま上流を見る。
だが流石に川もうねっているからだろう。
先を見通すことは出来そうになかった。
「とりあえず行ってみるか。」
「そうですね、川沿いならそう道に迷うこともないでしょうし。」
そう言いながら二人は歩き始める。
川から離れなければ、道には迷わない。
それは確かにその通りだろう。
道から、離れなければ。
思い出したのは、節分である。
そういえばあの時も、ナギはこうやって彼と向かい合ったのだ。
「なるほど、このステージで虎鉄と組むのはナギ君か。」
そう言ってこちらを不敵に見つめているのは。
「に、にろさん?」
虎鉄は思わずその名を呼んだ。
彼の目の前に立つのは、希少種と言われる鬼種。
虎鉄の叔父、二口隼人である。
その手にはやたらと大きな金棒を握っており、服装は節分の時のように虎縞のパンツ一枚である。
「この雰囲気で、味方ってわけじゃあねえんだろ?」
ナギはゆっくりと腰に下げた銃に手を伸ばす。
普段ナギが扱う長銃とは形が違う。
扱いなれないもの故に自信はないが、威嚇にはなるだろう。
「ナギさん、ダメですよ!
当たったら怪我を…」
虎鉄が止める暇もなく。
ナギは銃を引き抜き、目も留まらぬ速さで引き金を引いた。
見事なクイックドロウである。
あまりの鮮やかさに、虎鉄は何も言えない。
だが。
「まさか、当たるとは思ってないよな?」
どすん、と棍棒を地面に下ろしながら隼人はにやりと笑って見せた。
おそらくあの棍棒で、銃弾を防いだのだ。
「ちっ!」
銃ではダメだと早々に見切りをつけ、ナギは腰から剣を抜く。
そのまま一気に駆け抜け、突くようにして細身の剣を突き出した。
矢のように飛び来るその突きを、隼人は軽く身を捻ってかわす。
そのまま一気にナギの懐に飛び込み、その腹を蹴り飛ばした。
「ぐううっ!」
小さく呻きながらも、ナギはそのまま後ろに下がり必死で体勢を立て直す。
隼人はといえば、追撃する様子もなく相変わらず笑いながら見ているだけだ。
「虎鉄、お前はこないのか?」
挑発するように言うが、正面からいって勝てるとは思えない。
ならば、小回りだろう。
大きな得物を持っている相手を撹乱するために、相手の周りを動き回って――。
「キバトラ。」
虎鉄がいざ動かんとしたときに、ナギが小さく声をかけてくる。
隼人に聞こえないように、注意しながら。
「オジキに、弱点とかねえのか。」
言われて考える。
だが軽いケンカはしても、本気で戦った事があるわけではない。
一般のRPGの様に「火に弱い」などがあるわけではないだろうし。
「うーん、父さんになら弱いと思いますけど…。」
だがここに居ないものはどうしようもない。
さてどうすべきか。
「しゃーねえ、いったん撤退だ。」
一瞬戸惑い、虎鉄は横目でナギを見る。
だがその目に迷いはない。
ナギはプライドよりも、確実な結果を優先する。
それは虎鉄の知らない一面、つまりプロ意識である。
「相談は終わりかな?」
こちらが話しているのを見てか、隼人はずっと待っていたようだ。
虎鉄としては、隼人には負けたくはないが、ここでやりあっても勝てるかどうかは怪しいと考えている。
それにナギが逃げるべきだと判断しているのだ。
長い話をしている暇はない現状、根拠を聞いている暇はない。
一言で言えば、信じるか否かだ。
そしてその選択を迫られれば。
虎鉄には信じるしか、答えはない。
「行くぞ!」
ナギに手を引かれ、二人は森の中へと飛び込んだ。
流石にいきなり逃げるのは意外だったのか、隼人は一瞬反応が遅れる。
その隙に、ナギは銃を構えて上空へと発砲した。
どさどさと、蔦が絡まった枝が落ちる。
ナギは判断したのだ。
現状では、隼人を無力化するのは困難である、と。
勝つか負けるかの実力勝負だけならば、まだ勝機はあるだろう。
だが今回のミッションは「致命傷を与えずに無力化する」である。
流石にこれは分が悪い、と踏んだのだ。
「ひとまず、このまま逃げるぞ。」
森の中に分け入りながら、二人は走る。
しばらくは追跡しているような声が遠くから聞こえたが、枝を落としたのが効いたのだろうか。
すっかり声もきこえなくなった。
もっとも、当初の予定だった川沿いからは随分と外れてしまったが。
「でも、逃げてどうするんですか?」
「アテなんざねえよ、とりあえず逃げながら考える!」
真っ先に思いつくのはトラップだろうか。
落とし穴でも掘れれば無力化は簡単だが、流石にこの密林の中それは難しい。
そもそも道具らしい道具もないし、距離がどれだけ稼げているかも怪しい。
そして隼人がどのように追ってくるかもわからない。
ルートがわからない以上、逃げる側としてはトラップの仕掛けようはない。
「いったん船に戻りますか?」
「それができりゃあ、一番だろうけどなあ…。」
虎鉄に言われる前に、ナギは既に海と思っていた方向へと走っている。
だが困ったことに、小さいとはいえ崖があったり木が生い茂っていて真っ直ぐすすめなかったり…。
もはや方向感覚を完全に見失っているのだ。
「とにかく動くっきゃねえな。
ここでじっとしてても埒があかねえ。」
歩みを止めぬままにナギは言う。
虎鉄も、頷いて後に続くしかなかった。
そんな、姿の見えない追いかけっこをどれだけ続けただろうか。
二人の前に、何かの入り口のようなものが姿を現した。
石造りの階段が地下へと続いていて、それを覆うように申し訳程度の屋根もついている。
「これ…なんだ?」
ナギが不審そうに呟いた。
「地下遺跡の入り口じゃないですかね…。」
虎鉄は近寄り、屋根を支える壁にそっと触れてみる。
古くはなっているが、触った途端崩れるほど風化しているわけでもなさそうだ。
「近い席?」
「…地下の遺跡ですよ?」
なんとなく、字が違う気がした。
「このタイミングで見つかりましたし、ここに何かあるんでしょうね。
たぶんさっきのにろさんは負けイベントでしょうし。」
虎鉄の言葉に、ナギは首を捻る。
正直ゲームのことは全くといっていいほどわからない。
今回のバーチャルゲームも、虎鉄が関わっていなければ決して誘いに乗ったりはしなかっただろう。
「とりあえず、この中に行けばいいんだな?」
よくわからないが、虎鉄の態度や口ぶりからナギはそう判断した。
ゲームのことなら虎鉄に任せた方が正確に把握できるだろうと考えたのだ。
「そういうことだと思います。」
顔を見合わせ頷きあい。
二人はゆっくりと、階段を降り始めた。
中に降りると、外とは違いひんやりとした空気が漂う。
「毒ガスとかは…ねえよな?」
ナギが慎重におりてくる。
確認はしていないが、まさかそんな即死トラップなどはないだろう。
全体のつくりとしては「虎鉄を楽しませる」というのが主眼にあるらしい。
それがゆえにだろう、いわゆる死にゲー、覚えゲーにと言われるようなゲームにありがちな、
知らなければ引っかかる…初見殺し的なものは今までにも見当たっていない。
「大丈夫ですよ、明かりも…あるみたいです。」
階段を降り、周囲を見渡す。
広々とした空間――とまでは言わないが、そこそこの広さの部屋である。
よく飲み会の会場に使わせてもらっている幸四郎の道場くらいはあるだろうか。
高さは思ったよりも深かったようで、軽く飛び上がっても天井に手が届かない程度にはある。
そして何より不思議なのは、虎鉄が降りてくると同時に、壁の松明に火が灯ったことである。
RPGの演出としては多いかもしれないが、いざ目の前で起こるとやはり怖い。
「…怪しいヤツとかいねえな?」
言いながら、銃を構えてナギが階段を下りてくる。
だが怪しいヤツどころか、自分たち意外に人影すらない。
「大丈夫ですよ、誰もいません。」
その言葉にもまだ安心はせず、銃を片手にナギは歩み寄ってくる。
その間にも、虎鉄は再び周囲を見回す。
石造りの床に壁、なんの意匠も細工もないただの石である。
目を引くのは、唯一。
部屋の隅にある、下の階へと続く階段。
「ひょっとして、ここが財宝の隠し場所ってヤツか?」
ナギが聞くでもなく、呟いた。
だがそれはさすがに虎鉄にもわからない。
RPGのお約束としてならそうかもしれないが。
ひょっとしたら違う可能性もあるからだ。
「どうしましょう、奥に進んでみます?」
虎鉄の言葉にナギは少しだけ考える。
「いや、ここはいったん戻るべきじゃねえか。
船に戻って態勢を整えてから…ッ!」
ナギは、発言を飲み込んだ。
理由は聞かなくてもわかる。
足音が聞こえたのだ。
虎鉄たちが入ってきた入り口から、ゆっくりと警戒するような足音が。
思わずナギと視線を合わせる。
彼も無言で目だけをこちらに向ける。
ここで足音がする相手と言えば。
「虎鉄、ここにいるのか?」
隼人の声が聞こえてきた。
おそらく、間違いないだろう。
まさか声だけ同じそっくりさんということもあるまいし。
虎鉄とナギは頷きあい。
一気に下の階への階段へと身を躍らせた。
もはや上に戻って船へ、とう選択肢はなかった。
階段で隼人とすれ違って一気に上へなど、現実的ではないからだ。
ごとん、と大きい音が響いた。
おそらくあの大きな金棒を下ろしたのだろう。
どうやら向こうも警戒しながら進んでいるようだ。
もっとも一階には捜索するような場所もないから、すぐに向こうも降りてくるだろう。
ならば急がなくてはいけない。
二人は必死で足音を殺しながら、二階へと駆け下りた。
二階に下りても、二人は口を開かなかった。
これだけ閉鎖的な空間である、どこまで声が響くかわからないからだ。
だが、声をこらえるのは難しかった。
一階とはあまりにも違う。
非常にせまっくるしい印象を受けた。
おそらく、迷路なのだろう。
壁が複雑に入り組んで並んでいる。
ナギが目で問いかけてくる。
どうするか、ということだろう。
だが迷っている暇はない。
ナギの手を引き、虎鉄は駆け出した。
迷っている暇はないのだ。
だが正しいルートはわからない。
幸いどこからか風が吹き込んでいるので埃で足跡が残ったりはしそうにない。
ならばよっぽど運が悪くなければまっすぐ追跡されることもないだろう。
「おい、キバトラ。」
ナギが小声でささやいてきた。
足を止めぬまま耳を傾ける。
「確かに距離とりたいのもわかるが、お前道わかってるのか?」
思わず走る速度を落とす。
言われるまでもない。
「…どうしましょうか。」
こちらも小声で答える。
実際考えがあっての動きではないからだ。
「攻略法とかねえのか?」
もっともな疑問だ。
こういうことに疎いナギからすれば、何らかの定石があると考えてもおかしくはないだろう。
だが虎鉄が知る限りは、ない。
壁に片手をついて歩く…というものもあるが、アレは基本的に入り口から初めてこそ意味があり、
かつ時間を無制限にかけられる場合に有効な方法だ。
言ってしまえば、すべての道を踏破するくらいの覚悟が必要である。
かといってここには人が通ったような形跡もなければ、そもそも埃のような跡が残るものもない。
捜索したところで時間がかけられない以上、やはりそれは変わらないだろう。
「風はどこから吹いてんだ?」
ナギの言葉にはっとする。
そういえば先ほど風を感じた。
ただの地下迷宮であればそもそも風など通り抜けないはずである。
もちろん呼吸ができるようにただ通風孔があるだけなのかもしれないが。
「ま、賭けるっきゃねえだろ。」
そういってナギは楽しそうに笑った。
「風は…あっちだな。」
今度はナギが前を進んだ。
もはや賭けると決めたのである。
分岐点があっても、迷うことはない。
幸い落とし穴などの罠はないから下手を打たない限りは痕跡も残らない。
後ろからかすかに響いていた足音も聞こえなくなっていた。
もっともこれは、隼人が足音を消した可能性もある。
距離が開いたかどうかは微妙なところだろう。
「あ、ナギさん!」
一応小声での会話は続けながら。
虎鉄は前方を指差した。
階段に続く道が見えたのである。
「…。」
ナギはそれを見て、足を止めた。
後ろについていた虎鉄もそれに続く。
「ど、どうしました?」
虎鉄の問いに、ナギは渋い表情をしてみせる。
しばらく迷ったような様子で階段をにらみ。
「…こんな素直か?」
「え?」
ナギの言葉に、虎鉄は首をひねった。
何を言われているかわからなかったからだ。
「このゲーム、あの双子がつくったんだろ?」
言われて虎鉄も理解した。
あの双子が、そんなに簡単に出口までたどり着かせてくれるか、ということだ。
確かにそれは疑問である。
素直なところは素直だが、そうでない時はそうでない。
虎鉄と初対面の時など、かなりひどかった印象が残っている。
それを考えると…。
ナギはゆっくりと、周囲を探りながら歩き。
「…こっちだろ。」
死角になっていた場所に、もうひとつの階段を見つけたのだった。
地下三階。
今のところ、隼人の足音は近づいていない。
「おい、なんだこりゃ?」
ナギが呆れたような声を出す。
もちろんその声もかなり小さく抑えられてはいたが。
ナギの言葉の真意を探ろうと、虎鉄も部屋の中を見た。
なるほどナギが言わんとすることもわからなくもない。
これはどう見ても、自分たちだからだ。
「石像…ですよね?」
思わず歩み寄る。
等身大の石像。
特に継ぎ目などもないのでおそらく石から削りだしたものだろうとは思うが。
わざわざこのために造ったのだろうか。
「俺たち…だよな?」
石像のひとつに手を伸ばしナギも呟く。
実際、その石像は虎鉄たちそっくりだった。
虎鉄やナギ、だけではない。
幸四郎や源司、愁哉のものまであった。
多少荒削りではあるものの、誰が見ても特定できる程度には似ている。
「なんなんだこりゃ。」
困ったようにナギがこちらを見る。
虎鉄にもこれが何であるかはわからない。
が。
「…階段、見当たりませんね。」
もちろん扉の類も見当たらない。
石像のことを除けば、完全に行き止まりである。
だがこの意味ありげな石像。
おそらくこれはなんらかの謎かけなのだろう。
だがこれだけでは何のことか、虎鉄にもわからない。
「うーん、パズルかなにかだと思うんですけど…。
他に何かヒントないですかね?」
言いながら虎鉄も周囲を探る。
石像そのものだけではなく、周囲の床から広がって壁まで。
あまりゆっくりはしていられないが、かといってヒントを見過ごしては元も子もない。
とにかく迅速に丁寧に、である。
「なんもねえな…。」
一通り部屋の中を探して。
それでも、他に何も見当たらない。
先ほどの発言は、それに疲れたナギの言葉である。
ナギはナギの石像にもたれかかって休憩していた。
「あれ。」
ふと気づく。
「石像、本物のナギさんより大きいんですね。」
言われて気づいたように、ナギは振り返った。
横に並んで立てばよくわかる。
なるほど確かに、ナギの目線よりも石像の目線は少し高い。
というか、正確にいえば。
どの石像もすべて同じ大きさ、と言うことらしい。
「ナギさんと同じ目線は新鮮ですねえ。」
石像と向かい合う位置で虎鉄が笑う。
正直それどころではないのだが、ヒントが見つからない以上しょうがない。
「そういや、お前意外とでかいんだな。」
「ええ、185cmありますよ。」
今度は本物のナギと並んでみる。
並んでみれば、ナギの目線がちょうど虎鉄の口元くらいである。
意外と低い…というか、いつも一緒にいる面子の中では双子に次いで低い。
ナギは気づかれないように、小さく舌打ちした。
虎鉄の兄を気取りたいナギとしては、背が低いことは普通にコンプレックスである。
「…こんだけ精巧に作ってんのに、大きさは違うんだな。」
話をそらすように、ナギは石像に手を伸ばした。
耳や毛並みなど、近くで見れば見るほど細かい部分の精巧さが目に付いた。
「あ、それじゃないですか!」
話題をそらしたくて、苦し紛れに口にした言葉。
それに、虎鉄が食いついてきたことにナギは驚きを隠せなかった。
「それ」といわれてもどれのことかわからないのだ。
虎鉄もそのことにはすぐに気づいたらしく。
「これだけ精巧なのに、大きさが再現されてないってことは…。
つまりその大きさがカギなんですよ。」
言われてナギは改めて他の石造をみる。
若干間隔があいているので断言はできないが、どれも同じ大きさに見えた。
「たとえば…背の順に並べてみるとか?」
虎鉄が首をひねりながら言う。
確かに身長を用いての謎解きであれば、それが真っ先に思い浮かぶ。
「じゃあ前は…あっちか。」
階段側から見れば、石造はすべて左を向いている。
つまり、縦一列ということだ。
今は先頭から虎鉄、源司、愁哉、幸四郎、ナギの順である。
「えっと…一番低いのって誰だ?」
「ナギさんじゃないですか?」
ナギの言葉に、虎鉄が答えた。
「…。」
聞くんじゃなかった、とナギは少し後悔する。
一番高いのは虎鉄だから、ナギの位置と虎鉄の位置を入れ替える必要があるだろう。
そう思ってナギが自分の石造を押すと、思ったよりも簡単に動いた。
そのまま虎鉄の石造と入れ替えて、虎鉄の石造を運んでくる。
「2番目って…どっちでしょ?」
どっち、の言葉の意味がナギにはわからなかった。
残っているのは三人だからだ。
「源司さんが、ツノ入れるかどうかで変わるんですよね。
ツノありなら自分よりも大きくなるんですよ。
ツノなしなら二番目ですかね?」
「両方ためしゃいいだろ。
今お前のを一番後ろにしちまったし、とりあえずツノなしでだな。」
ナギの言葉に虎鉄は頷く。
とりあえず、考えているよりは動いていたほうがいいだろう。
「じゃあ二番目が源司さん…なのでそのまま。
それから幸四郎さん、愁哉君の順番ですね。」
つまり、あとひとつ入れ替えるだけである。
とりあえず手軽な方から、だ。
ナギが愁哉を、虎鉄が幸四郎を押し場所を入れ替える。
背の順に並び替え、しばらく待ってみたが反応はない。
「とりあえず、これじゃなさそうですね。」
言いながら虎鉄は源司の石造へと歩み寄った。
もちろん、順番を並べ替えるというその行動そのものが違っている可能性もある。
もっとも今は他に手が思いつかないのだからしょうがないといえばしょうがない。
「えっと…源司さんが一番高くて…。」
「あとはそのまま前倒しだろ。」
ナギが言いながら一つずつ場所をずらしていった。
虎鉄の位置を動かし、近くにおいていた源司を一番後ろに並べる。
と、同時に。
がらがらと音を立てながら、奥の壁がぽっかりと口を開いた。
「やったあ!」
思わずナギに飛びつく虎鉄。
ナギはといえば、何も言わずに顔を赤くしてはしゃぐ虎鉄を支えるだけである。
「やってみるもんですね!」
言いながら虎鉄はナギの顔を覗き込み。
その近さで、ようやく自分がしている行動に気が付いた。
「あ、す、すいません!」
あわてて離れる虎鉄。
ナギは視線をそらしながら「いや。」と返すので精一杯だった。
「と、とにかく先に進みましょうか。
にろさんが追いついてきても困りますし。」
虎鉄も顔を赤くしながら、壁に開いた穴へと歩み寄る。
その奥は、やはり階段が続いていた。
気配がないので忘れがちだが、一応今は隼人に追われているのだ。
この先に進んだところで打開策があると決まったわけではないが、
イベントとして発生している可能性を考えるときっとこの奥でなんとかなるだろう。
ゲームの感覚がつかめていないナギにそのあたりを説明しながら。
二人は足音を殺しながら、階段を降り始めた。
降りた先は、再び同じような石造りの部屋。
だが今までと明らかに違う点が一つ。
部屋の床の中央に、大きな亀裂があるのだ。
階段を下りた位置からではよく見えないが、亀裂は深いようだ。
中央に橋のようなもの…というか、床が残ったように伸びてはいるもののかろうじて一人が通れるくらいの幅しかない。
「おい、アレなんだ?」
部屋の中央を見ている虎鉄に、ナギが壁を指差して見せた。
指差した方を向く虎鉄。
その壁には、巨大な目が付いていた。
「うわ、気持ち悪い!」
思わず後ずさる虎鉄。
位置的にはちょうど亀裂の上。
床のない部分の壁に、大きな目が付いていた。
なんとなく視線を感じて振り返れば、反対側の壁にもやはり目が付いていた。
「うわー、すごくこっち見てますよ…。」
思わず虎鉄は呟く。
彼が言うとおり、壁についている向かい合った目は、明らかに虎鉄やナギを見ていた。
少し歩いて、橋の方向へ歩み寄ってみる。
予想通り、壁の目は虎鉄を追ってぎょろりと動いた。
それを見て虎鉄は思わず動きを止める。
目の動きは思っていた以上に生々しくて、気持ち悪かった。
「うう…。」
「さっさと渡っちまおうぜ。」
ナギが言いながら、立ち止まっていた虎鉄の横を抜ける。
そのまま橋まで歩み寄り渡ろうとした瞬間に。
「あ、危ない!」
虎鉄は思わずナギを腰をつかみ、後ろに引いた。
ナギと虎鉄はそのまま後ろに倒れこみ、しりもちをつく。
二人の前にあったはずの橋は、綺麗に姿を消していた。
「なんだこりゃ?」
尻を打った痛みにも気づかないように。
ナギは呆然とした様子で橋のあった場所を見つめていた。
「たぶん、アレですよ。」
後ろからナギに抱きついた形のまま、虎鉄は視線を走らせる。
ナギもその方向に視線を向けて。
壁にある目と、ばっちり目が合った。
「アイツがなにしたってんだ?
目、だけだぞ?」
ナギの言葉に、虎鉄は戸惑う。
具体的に何がどうなったとは説明しづらいのだ。
ただ、ゲームならきっとあそこだろうと。
虎鉄のカンが告げていた。
「わかんないですけど…いったん戻ってみます?」
立ち上がり、二人は階段まで戻る。
振り返れば。
虎鉄の予想通り、亀裂の真ん中に細い橋が出現していた。
「やっぱり、あの目がきっと見張ってるんですよ。
で、どうやってるかわかんないですけど近寄ると消してるんです。」
「めんどくせえな…。
跳ぶか?」
忌々しそうに言い捨てるナギ。
確かにそれが上手くいくのであれば、一番手っ取り早い。
「でも…見えない壁とかあるかもしれませんよ?」
基本的には正攻法でクリアできるようになっているはずなのだ。
そんな力技が想定されているとも思えないし。
「じゃああの目つぶすか?」
言ってナギは腰の銃を抜く。
物騒な話ではあるが。
「それですよ!」
虎鉄にはピンときた。
ゲームの基本である。
見られているなら、見えなくしてしまえばいいのだ。
「あの目、銃で撃っちゃえばいいんですよ。
つぶれるかどうかは別として、一時的にでも見えなくなれば…。」
ふん、とナギは小さく鼻を鳴らした。
よくわからないが、とりあえず撃ってしまえばいいという事だと理解した。
ややこしい部分は虎鉄に任せ、ナギはただ信頼して動くのみである。
今回は完全に門外漢なのだから、それでいいのだ。
そう考え、ナギは右側の壁にあった目を狙い、引き金を引く。
ぱん、と軽い音が響いた。
まるでおもちゃのようだ、と虎鉄は思う。
もっともそれにしては十分以上に音が大きかったのだが。
「あ、目閉じましたよ!」
だがそれどころではない。
狙ったとおり、目が閉じていたからだ。
思わずナギの手をとり、ぶんぶんと手を振る。
「お、おお…。」
ナギからしてみれば当然の反応だと思っていた。
目を撃たれてリアクションがないほうがおかしいだろう。
もっとも相手は生物かどうかも怪しいが。
「さあ、もう一個いっちゃいましょう!」
とりあえず喜んではいる様なので、ナギはその言葉に従う。
振り向き、こちらを見つめていた目に狙いをつけて再び引き金を引いた。
動かないもの相手に外すわけもなく、もう一つの目も簡単に閉じる。
「これで渡れるはずですね!」
嬉しそうに虎鉄は橋へと歩み寄り。
「あ…。」
目の前で、再び橋が消えた。
不思議に思い振り返れば、最初につぶした目がすでに開いている。
さらに振り返り左側の目を見ると、ゆっくりと開くところであった。
「ダメみてえだな。」
ナギが肩をすくめて見せる。
だが虎鉄は首を振り。
「なら二つ同時につぶしちゃいましょう!」
さも当然といったように、そう言ってのけた。
時間で回復するのなら、同時につぶせば見えない時間が生まれるはずということだ。
もちろんナギにもその理屈はわかる。
だがそもそもの方法が問題なのである。
銃は一丁しかないし、虎鉄はそもそも飛び道具を持っていないのだ。
「石でも投げるか?」
「そうですねえ…。」
とは言ったものの、周囲に投げられそうな大きさの石は見つからない。
ほとんどが石というよりは砂に近いもので、手ごろなサイズとは言いがたい。
道具袋をあさってみるが、投げられそうなものもない。
強いてあげるなら虎鉄の武器のナックルダスターくらいのものだ。
もちろんそれを投げるのは最終手段である。
「だったらよ。」
ナギがコートのポケットに手を突っ込み、何かをつかみ出す。
「コイツ、なげられねえか。」
そう言って手を広げて見せたのは、銃弾である。
なるほど確かに投げるには手ごろなサイズが必要な気がした。
若干小さく持ちづらいが、重さは十分ありあたったときには目をつぶすくらいのダメージになるだろう。
「たぶん、いけますね。」
受け取り、重さを確認して虎鉄が答えた。
もちろん虎鉄に銃を撃った経験はないので、投げる側は虎鉄が担当である。
「タイミングどうやって合わせます?」
「適当に投げろよ、合わせてやる。」
再び拳銃を構えるナギ。
彼が言うからにはそれだけの自信があるのだろう。
虎鉄は彼を信じて、握った銃弾を振りかぶる。
「行きます!」
せめてこれくらいは、と口にしてから腕を振り下ろした。
ひゅん、と空を切る音が響き。
目にぶつかるだろうというそのとき、虎鉄の後ろで銃声が響いた。
ナギが引き金を引いたのだ。
まさにタイミングは完璧。
虎鉄が投げた銃弾が左側の目に当たるとほぼ同時に。
ナギの銃は、右の目をつぶしたのだ。
そのままどうなるかと様子を伺う二人。
二つの目が閉じて、目蓋がぶるぶるとふるえ。
ぽん、と軽い音を立てて目が消えた。
「やった、息ぴったり!」
嬉しくなって虎鉄は思わずナギの背中に抱きついた。
「お、おう。
当たり前じゃねえか。」
平静を保ちつつ答えるも、ナギの尻尾はぱたぱたと嬉しそうに揺れている。
もちろん虎鉄の位置からは視界に入らないので気づいてはいないが。
「じゃあ、行きましょう!」
そのまま虎鉄は体を少し離し、ナギの背中を押す。
予想通り、歩み寄っても橋が消えることはない。
「これでこの部屋もクリアですね。
向こうの…」
言いかけたそのとき。
「クリアにはちょっと早いんじゃないか?」
後ろから声がした。
足音は、しなかった。
虎鉄たち同様、きっと足音を殺していたのだろう。
だから近づいていることに気づかなかったのだ。
「にろさん…。」
振り向いて、虎鉄は思わず呟いた。
てっきり、迷路にでも手間取っているのだと思っていた。
だからいつの間にか、ナギとの会話も小声ではなくなっていて。
それは逆に、隼人からすれば距離を図るいい目安になったことだろう。
果たしてこのタイミングを待っていたのか、それとも今追いつかれたのか。
だがいつ追いつかれたかはどうでもいい。
この状況をどう乗り切るか、である。
正直なところ、走り出したところで逃げ切れるとも思えない。
先ほどのように利用する地形もない。
だとすればせいぜい足止めだろう。
幸いこの橋は狭いから、一人が残ればきっと足止めくらいにはなる。
問題はどちらが残るか。
「キバトラ、先に行け。」
ナギがささやく。
でも、と言いかけて。
「この細い橋は直線だ。
足止めなら、俺の銃の方が向いてる。」
なるほど、確かにそうかもしれない。
単純に犠牲になろうというのなら意地でも止めるところである。
だが、虎鉄のカンはこの先に打開策があると告げている。
普通のRPGとして考えるなら、おそらくこの奥にあるアイテムで形勢を逆転できるはずなのだ。
お約束どおりであれば、だが。
「…すぐに戻りますから!」
それだけ言って虎鉄は駆け出した。
部屋を飛び出し、奥の通路へ。
後ろから隼人とナギの会話が聞こえたが、内容までは把握できない。
だが今はそれを気にしているときではなかった。
とにかく一刻も早く奥に進み、何らかの打開策を得て戻るのだ。
通路はまっすぐ奥に続いている。
今までのパターンからてっきり下に続くものと思っていたのだが。
どうやら、ゴールは近いようだ。
走る足に力を込め、更にスピードを上げる。
通路が終わり、広がる部屋。
その部屋には小さな高台があり、その中央に大きな宝箱が置かれていた。
「これだっ!」
きっとナギが最初に言っていた海賊の宝もこれなのだろう。
宝箱に入っているものなど、それくらいしか虎鉄には思いつかなかった。
もっともそれもどうでもいいことである。
今は中に何が入っているか、だ。
宝箱に飛びつき、その蓋を持ち上げる。
幸い鍵のようなものはかかっておらず。
「うおおおおお!」
重いものの、なんとか開けることができた。
その中には。
「え、これ…!?」
一瞬の隙を突いて、懐に隼人が潜り込んでくる。
ナギは剣を握っているが、さらにその内側。
至近距離まで迫られては。
間合いの内側まで入られては、剣を振るうことはできない。
「くそっ!」
何度目だろうか。
低い姿勢のまま、にやりと笑いながらこちらを見上げてくる隼人。
その顔に向かって、剣の柄の部分を叩きつけた。
既に予測されていたのだろう、それは簡単に受け止められる。
だがこちらももちろん予測済みで。
もう片方の手で、額に狙いをつけて銃の引き金を引く。
隼人は素早く手を離し、後ろに大きく跳んだ。
なんとか距離を離し、小さく安堵のため息をつく。
既にそんなやり取りを何度繰り返したかわからない。
橋を渡られてからこっち、間合いに飛び込まれては何とか追い返す、という繰り返しだ。
橋を渡るために金棒を投げ捨てているので、向こうが素手になっていることは幸いというべきだろう。
だがそれでも焦るナギに対して余裕を見せる隼人。
どちらが劣勢かは言うまでもない。
「ボヤボヤしている場合か?」
隼人のからかうような声。
と同時にこちらに駆け出す赤い影。
先ほどまでは左右に振りながら走ってきていたが、今度は正面である。
これ幸いにと打ち落としにかかるナギ。
だが引き金を引くと同時に、隼人の姿が掻き消えた。
見失ったのは一瞬である。
だが隼人にとってはその一瞬で十分で。
彼を追って視線を上に上げたときには、隼人がその両足で天井を捉えるところだった。
無茶にも、程がある。
数メートル飛び上がったばかりか、そのまま天井に足をつけてそこを蹴ろうというのだ。
「この…!」
だがナギも負けるわけにはいかない。
たとえ相手が希少種で、身体能力が優れていようとも。
こちらはプロなのだ。
視線を向けると同時に、もちろん銃も構えている。
そのまま相手が天井を蹴るのと同時に発砲し。
相手の手足を撃ち抜く、はずだった。
てっきりそのまま天井を蹴ってまっすぐにこちらに来ると思ったのだ。
だが隼人の動きは違った。
そのまま天井を蹴り、横っ飛びに飛んだのだ。
完全に重力を無視している。
いや、僅かにではあるが下方向にもベクトルは向いているようだから完全無視ではないだろう。
そのまま一気に壁へと跳び、更に隼人は壁を蹴った。
ようやくそこで意図がわかった。
先ほどまで左右に振りながら走り、銃弾をかわしていた隼人。
それを今度は壁と天井を使って。
三角跳びどころではなく。
前後左右に高さまで使って。
こちらの照準を振ろうというのだ。
それに対応する自信があるかと言えば――。
「ナギさあああああん!」
そこに飛び込んでくる、虎鉄の叫び声。
「キバトラッ!」
もちろん隙を見せたりはしない。
隼人から視線をそらさないまま、地面を蹴り後ろに飛ぶ。
視線だけをそらせば、すぐそばに虎鉄が立っていた。
「早かったじゃねえか。」
本当のところは、来てくれて助かった気分である。
もちろんそんなことは口に出さない。
ナギは余裕綽々、という顔をして見せた。
「ええ、すぐに宝箱があって…でも…。」
虎鉄は困惑した顔をしてみせる。
その中身に、どうにも納得がいっていないのだ。
「なんでこんなものが宝箱に…。」
言いながら、それをナギに手渡した。
ただ数枚の、紙。
ナギはそれを受け取って、瞬時にその意味を理解した。
一瞬何故知っているか、と思ったが。
「オジキ、受け取れ!」
バっと、手にしていた紙――数枚の写真を投げ捨てた。
それははらはらと宙を舞い。
隼人の視線が一瞬泳いだのを確認して、ナギは虎鉄の手を引き彼が飛び出してきた通路へと下がる。
「受け取れって、これ…?」
例によって作戦会議を見守っていた隼人。
警戒しながらも宙を待っていた一枚を掴み、視線を落とす。
そして数秒後。
隼人がぶっと、音を立てて鼻血を噴出した。
「えええええええ、に、にろさん?!」
その事態を予測していなかった虎鉄が思わず叫び声をあげる。
その声に押されるように、ゆっくりと倒れこむ隼人。
ナギはあわてて駆け寄り、倒れる前に隼人を抱き寄せた。
「な、なんで…そもそも、この写真なんですか?
自分こんな写真覚えにないんですけど…。」
事情がわからない虎鉄がナギに疑問をぶつける。
落ちていた写真を一枚拾い、ナギは微笑みながらそれをみた。
そこには赤ん坊の虎と、それを抱き上げるナギの姿が映っていた。
口元に見える特徴的な、下あごの牙。
それは間違いなく、虎鉄の赤ん坊時代の写真であった。
だが普通に考えれば、今一緒にいるナギが赤ん坊の虎鉄を抱くはずもなく。
「まあ…あれだ、合成じゃねえか?」
もちろん嘘だ。
少し前にあった、ちょっとしたトラブル。
虎鉄が赤ん坊まで若返ると言うそれは、源司と双子の協力でなんとか事なきを得たのだ。
もちろんそのときに写真を撮ったりしたわけではないが、双子はその時の事を知っている。
ならばなんらかの手段で写真を用意するくらい、あの双子には造作もないだろう。
ちなみに、隼人はその時も今と同じリアクションを取っていた。
それを覚えていたから、ナギはこの写真が切り札になると直感したのである。
「み、見事だ…。」
隼人が半ば白目をむいたまま呟いた。
かなり怖い絵であるが、こればかりは仕方ない。
「虎鉄に…これを…。」
そういって、隼人が手を差し出す。
どこから取り出したのか、その手の中には青いオーブがあった。
四つ目、である。
「四つ目ゲットー!」
虎鉄は思わずそれを高々と掲げた。
「で、四つ集めてどうしたらいいんですか?」
「お前、わからないまま集めてたのかよ…。」
思わずナギが突っ込んだ。
だがまともに会話できる…というか設定を把握しているボスキャラが少なかったのだ。
情報がなかったのだからこれはしょうがない。
「この遺跡から出たところ…地上に、オーブをはめる台座がある。
そこに行けば、魔界への道が開かれるはずだ。」
なんとも都合がいい…とは思ったが口には出さなかった。
もともとここが魔物が湧く島だという話はあったし、なによりその方が手っ取り早いのは事実である。
どうせゲームなのだ、それくらいのご都合主義はいいだろう。
「もっとも、それで通れるのは一人分だがな。」
「あ、やっぱりそうなんですね。」
おおよそ予想していたことではある。
今までの流れから、担当エリアが終了すれば仲間は外れるものだと予測できていたのだ。
「キバトラ、どうすんだ。
一度戻るか?」
ナギに聞かれて虎鉄は考える。
一度戻って態勢を整えるというのは鉄板実際のところ、ここまでまともに戦闘もなければアイテムを使うこともなかった。
ならばこのまま飛び込んでも変わらないだろう。
今までに出会ったみんなも、きっとクリアを待っていることだろう。
「いえ、このまま行っちゃいますよ。」
「そうか。
気をつけていけよ。」
少しだけ寂しそうな顔でナギは微笑んで。
ちくり、と虎鉄の胸が痛んだ。
だがそうも言っていられない。
ここで暮らすわけにもいかないのだから。
二人はまだふらつく隼人を抱え、三人で地上への道を歩き始めた。
「ここでいいんですか?」
隼人の案内で三人は魔界につながると言う台座へとやってきていた。
確かに周囲とは違い、円形にぽっかりと木がない広場が広がっている。
その中に立つ、1メートル程の高さの台座が四本。
おそらくこの台座に集めたオーブを設置するのだろう。
「ああ、台座に色指定があるだろ?」
隼人が台座の側面を指差す。
ナギが屈みこんで石の台座を確認する。
基本は薄い土の色だが、確かにうっすらと赤いラインが入っている。
ここには赤のオーブを、ということだろう。
「こいつは赤みたいだぜ。」
言われて虎鉄は手の中のオーブを見る。
先ほど手に入れた青に、愁哉と手に入れた黄、源司と手に入れた緑、そして幸四郎と手に入れた赤。
その中から赤を手に取り、虎鉄は石の台座へと歩み寄る。
台座の中央にはいかにもここに嵌め込め、というような小さな窪みがあった。
オーブをもう一度確認するも、向きなどは特にない球状のようだ。
ならば気にする必要もないだろうと、割れないようにだけ注意してそっと窪みへと落とし込む。
しばらく待ってみたが特に反応はない。
すべて嵌め込まなければ駄目なのだろう。
とりあえず自分が今いた、赤の台座から時計回りに進むことにする。
左前方に見える台座へと歩み寄り、屈みこんで確認する。
ここは、黄色のようだ。
立ち上がり、黄色のオーブを取り出して台座へ。
「キバトラ、こっちは緑みたいだぜ。」
反対周りに進んだのだろう。
ナギは虎鉄と離れた側の台座にいる。
となると残る一箇所は青。
時計回りに進もうと思ったが、ナギがわざわざ調べてくれたことを考えてそちらを先に嵌め込むこととする。
四本の台座の中央を横切って、ナギがいる緑の台座へと近づく。
黄色を選ぶ際に、緑も出してある。
今回は迷うことなく台座に嵌め込んだ。
最後の一つは先ほど手に入れたばかりの青である。
なんとなくその色を見て、虎鉄は傍に立つナギを見た。
ナギは不思議そうにこちらを見返している。
早くしろ、ということだろうか。
最後の台座へと向かう。
念のため屈み込んで確認するが、間違いなく青である。
台座を回り込み、それぞれの台座が見える位置へと移動。
そして、ゆっくりとオーブを嵌め込んだ。
「わ…。」
虎鉄は思わず声を漏らした。
たった今嵌め込んだオーブから。
手を引っ込める間もなく、光があふれた。
まるで自分の手の中から発行しているようにも見えて、少しわくわくしてしまう。
視線をあげれば、他の台座も光を放っていた。
それぞれ嵌め込んだオーブと同じ色の光を放ち。
やがてそれは、一筋の線となり、天を貫いた。
そのままゆっくりと台座の中心へと光は傾き。
四本の台座の中心、それぞれの台座から放たれた光が交わる点に。
白い、大きな光の塊を作り上げた。
「すごい、ファンタジーみたい!」
「ファンタジーだろ。」
虎鉄の言葉にナギが冷静につっこんだ。
だがそんなことぐらいで虎鉄のテンションは下がらない。
そっと光に手をかざし、遮ってみる。
だが青い光は虎鉄の手を貫き、真っ直ぐに進んだ箇所で相変わらず交わっている。
通常の光とは違うもののようだ。
「虎鉄。」
そうやって遊んでいると、隼人が口を開いた。
まじめな顔で、ふざけている場合ではないと感じさせる表情。
思わず虎鉄は姿勢を正し、隼人へと向き直る。
少しだけ顔が赤くなっているのは、さすがにごまかせないだろう。
「ここをくぐれるのはお前一人だ。
俺もナギ君も付いていくことはできない。」
覚悟はしていたが、改めて言われると少し緊張が走った。
だがここで怖気づくわけにも行かない。
ラストダンジョン手前でやる気をなくすような、コンシューマーゲームとは違うのだから。
「大丈夫、いけますよ。」
そう言って虎鉄は笑って見せた。
隼人もそれを見て笑顔を返す。
「あとはラスボスだけだ、気を抜くなよ。」
「キバトラ、負けんじゃえねぞ?」
隼人の隣に立ち、ナギも笑って見せた。
彼も見送る立場であることを判っている。
それでも、不安そうな顔をしていてもどうしようもないとわかっているのだ。
だからせめて虎鉄を安心させようと、彼は笑って見せている。
「はい、行ってきます!」
決意が鈍らないように。
虎鉄はそう言って、光の中へと飛び込んだ。