何がどうなるか、まったく予想はつかなかった。
こんなワープなんかしたことなかったから。
もちろんそんな経験普通はあるはずがないのだけれど。
だから、正直足元がなくなった時には落ちるかと思ったのだ。
「わあっ…。」
思わず声を出したものの落下するような感覚はなく、むしろ浮遊感に包まれて。
不安感よりも、安心感に包まれた。
すぐに周りを見る余裕も生まれ、周囲に視線をめぐらせる。
だが回りはただただ白いだけで、触れるものも見れるものもない。
いや。
真っ直ぐ正面に、小さい何かが存在した。
手を伸ばしてみるも、まったく触れることはできない。
だがすぐに間違いに気づく。
触れられないのではない。
届いていないのだ。
比較物がないから、てっきり近くに小さいものがあると思っていた。
だが手を伸ばして気づく。
あれは非常に遠いのだと。
そう気づいた瞬間から、それは加速した。
はるか遠くにあったそれは色の違う光だと判り。
それが一気に広がっていく。
まるで窓から見るように凝縮された景色。
暗く染まった空、不安定な大地の色、そして鬱蒼と茂る木々。
妙に暗さを感じさせる光景だった。
なんとなく不安を掻き立てる風景で。
あれが魔界なのだろうと、思い当たったのだ。
「わっ!」
急激にその光景が広がり、虎鉄を包む。
白い光から急に色のついた光が広がって。
虎鉄はその眩しさから思わず目をかばう。
しばらく経って目も慣れた頃。
虎鉄が腕を下ろすと、見たこともない暗い森の中に立っていた。
「ここが魔界かあ…。」
先ほど見た風景そのままである。
暗雲垂れ込める空には日の光が乏しく、草木が生い茂るはずの大地もなんだかしんなりとしていて元気がない。
木々は空を隠し、さらに虎鉄の周囲を暗くさせる。
本当に、不安定な感情を掻き立てる場所だった。
だがここを乗り越えれば最後のボス。
いわゆるラスボス戦。
気合も入ろうというものである。
「えーと、進む方向は…こっちかな?」
森の中に放り出された虎鉄であるが、露骨に道が開けている方向があった。
おそらくこちらに進めということだろうと、虎鉄は歩き始める。
今まで歩いてきて、その辺りは素直であることを知っているのだ。
ひとまず見方は見当たらないし、特に情報収集できそうなところもない。
歩きながら虎鉄は少し考えることにした。
まずラスボスの正体である。
今まででNPCではなかったのは8人。
味方として登場した愁哉、源司、幸四郎、ナギ。
ボスとして登場した文彦、大輔、新郷、隼人。
すべて虎鉄と親しい人物である。
ならばラスボスといえば。
真っ先に思いつくのは虎鉄の父親。
鬼頭鉄志である。
有名俳優、石蔵鉄志として世に知られている彼であるが、意外と子煩悩なところがある。
虎鉄のために、といわれればそれこそ悪役でもなんでも引き受けるのではないだろうか。
他に思いつくのは、彼の祖父。
鬼頭虎伯である。
ちょっとした事情があり、虎鉄は虎伯のことをきちんと覚えていられない。
だが自分の祖父がそういった名前であること、覚えていられないことを彼は認識している。
だから、ラスボスとしては彼は適任な気がした。
そしてもう一人。
虎伯の部下であり角のない鬼種。
石動鷹継である。
もっとも彼は虎伯の部下としての印象が非常に強い。
なのでどちらかと言うとラスボスというよりは幹部としての登場が濃厚な気がした。
もう一つ気になるのは、以前入手した情報。
以前旅立った勇者の話である。
半分忘れかけていたが、ラスボスに関して思いを巡らせるうちに思い出したのだ。
旅立って、負けたかどうか詳細は不明だが居なくなった勇者。
ここまでにその足跡らしきものは見当たらなかった。
ならばこの先にそれがあるのだろうか?
だが王道RPGならば、敵として出現してもおかしくない気がする。
そう考えると先ほどの三人は全員敵でもおかしくないのだろう。
だがここに来てボス格三人を一人で倒すのも厳しい話だ。
ここまでのボスキャラはすべて仲間たちと倒してきたのだから。
そう考えると勇者は味方だろうか。
「うーん…わかんなくなってきたな。」
せめてボスキャラが誰なのかわかれば、今までのように対策の練り様もある気がしたが。
冷静に考えれば、彼らの弱点などあまり思い浮かばない。
ならもう、誰かが出てくるまで歩けばいい気がした。
ふと顔を上げれば、既に森の切れ目まで来ていたようで。
視線の先には、大きな城が見えていた。
「わー、魔王城!」
おどろおどろしい雰囲気はいかにもといった風情である。
だが気分的にはアトラクションを見に来たようなものだ。
お化け屋敷ほど不気味な雰囲気があるわけでもない。
しかも出てくるのが知り合いであると、半ば確信を得ているのだ。
いまさら怯えることもないだろう。
虎鉄はむしろ少し足取りを軽くしながら、崖の上にある城へと走り出した。
それから数十分後。
虎鉄は大きな城の、大きな扉の前に立っていた。
見上げるほどに大きな門には、これでもかというほど蔦が絡み付いている。
いかにも古城、という雰囲気を演出したいのだろう。
だがいつまでも見上げていても話は始まらない。
ともかく中に入ろうと、大きな扉に手をかけた。
重いのかと思い気合を入れていたが、どうもそれほど重いわけではなかったらしく。
あっさりと扉は開いた。
音だけ妙に重厚な音を立てていたりするあたり、これも演出なのだろう。
「お邪魔しま〜す…。」
中を覗き込み、誰も居ないことを確認してからそっと足を踏み入れる。
石造りの床に、くすんだ色の長い絨毯。
太い柱と高い天井。
なるほど、暴れるには最適である。
だが周囲を見渡しても誰かがいる気配はない。
とにかく先に進むべきだろう。
幸い左右に道らしきものもない。
正面に進んでいけばいいだろう。
「誰もいないのかなあ…?」
ラストダンジョンのつもりで乗り込んできた虎鉄。
てっきり魔王の部下となる雑魚敵が大量にいると思っていたのだが。
確かに全体のつくりとしては、雰囲気を優先しておりレベルなどの要素もほぼカットされている。
実際これでレベル上げなどを求められていてはさらに数日要していただろうから、その辺りのバランスはさすがというべきかも知れないが。
そんなことを考えながら、一つの扉にたどり着く。
入り口から伸びていた絨毯どおりに真っ直ぐ進んだ先にあった、唯一の扉だ。
虎鉄はそれも迷わずにあける。
もう不意打ちなどはないと判断してのことである。
部屋の中は、礼拝堂のようだった。
大量に並ぶ備え付けの椅子。
天井近くにはしっかりとステンドグラスがあり、正面には十字架まで飾られている。
少々荒れていることを除けば、そこは紛れもなく礼拝堂だった。
ただ、そんなことは正直どうでもよかった。
中央にある十字架に、磔のように縛り上げられている自分の父親が。
長いグレーの頭髪を持つ、裸の虎獣人が。
虎鉄の冷静さを奪っていた。
「父さん!」
言いながら駆け出す。
地面を強く蹴り、体勢を低くして一気に距離を詰める。
もちろんその間も、父である鉄志から目を離すことはない。
僅か十数メートルの距離である。
本気を出した虎鉄にとっては一瞬だった。
あわてて下着一枚の父親の足に飛びつく。
その段階で、どうやら磔というよりはそこに「居る」だけであるらしいことに気が付いた。
てっきり縛られているのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
怪我をしないようにという配慮なのだろう。
それに気が付いて、虎鉄は少しだけ冷静さを取り戻す。
だが父親が意識を失っていることには変わりないのだ。
ともかく何とかして下ろそうと、父親と磔にされている十字架を探り出す。
「ふっふっふ…。」
突然、どこからか笑い声が聞こえた。
だがこのシチュエーションである。
虎鉄は迷わず振り向いた。
「虎鉄様、飛んで火に入る夏の虫、でございます。」
恭しくお辞儀して見せたのは。
角のない鬼種。
長身で、がっしりとした体つき。
笑っていたはずなのに、何を考えているかわからないレベルの無表情。
石動鷹継、その人である。
「鷹継さん!」
「申し訳ありません虎鉄様、そろそろこちらでゲームオーバーになって頂きたく存じます。」
おそらくは敵幹部なのだろう。
妙に露出の高いビキニアーマーに、マントだけという出たちで。
彼はそんなことを宣言した。
ゲームオーバー。
そういえば、そういったシステムがあるのだろうか?
今までは誰にも説明されてこなかったし、誰もそれを狙ってこなかった。
具体的な話を持ち出したのは鷹継が始めてである。
「ゲームオーバー…ですか?」
探るように呟いてみる。
「はい。
ここから先、虎鉄様が勝負事において負けますと、ゲームオーバーになるシステムでございます。」
予想通り、鷹継は淡々と説明をしてくれた。
だがそれは厳しい話でもあった。
今、鉄志を後ろに背負った状態で逃げ出すわけにも行かない。
だが鷹継の頭が切れることも、運動能力が高いことも知っている。
まともに正面からぶつかって、勝てる自信などなかった。
「さあ、武器をお取り下さい。
でなければ、前代勇者であるお父上のようになってしまいますが?」
言いながら鷹継は歩み寄ってきた。
マントをはためかせながら歩く姿は様になっている、と言うべきだろう。
たとえその下がほぼ下着姿であったとしても。
虎鉄は歯噛みしながらも、腰に下げたナックルダスターを装着する。
鷹継を殴りたくはないが、そもそも殴れるかどうかが問題である。
「それでは参ります。」
数メートルの距離で足を止めた鷹継。
そのまま片手をあげ。
彼の周囲に、いくつかの光の玉が現れた。
一瞬困惑するものの、魔術を使ったのだろうと予想が付く。
普段なら横にでも跳びかわすところであるが、今は後ろに守るべき父親がいる。
(打ち落とす…!)
鷹継を直接、という話でなければ気も楽だ。
虎鉄に向かって飛び来る光弾を正面から殴る。
どん、と思い音とともに光は消えた。
幸い武器もあるから、こちらにはダメージは通らないようだ。
安心して、ニ発目、三発目と殴り落としていく。
「さすが、でございますね。」
言って少しだけ口角を持ち上げる鷹継。
おそらく、笑ったのだろう。
あげていた右手をそのままに、左手も同様に虎鉄に向かって突き出して。
それと同時に、彼を取り巻く光が倍に増えた。
「んな…!」
思わず焦るが、失敗は許されない。
数が倍になっても、虎鉄は焦らず向かってくる光弾を一つずつ殴っていった。
だが少しずつ、反応が遅れていく。
どん、どん、と鈍く響く音が少しずつ近づいていて。
それは虎鉄を少しずつ追い詰めていた。
殴りながら、虎鉄は考える。
相手はほぼ無限に打ち込んでくる。
ならばどこかに隙を見つけて、大本である鷹継に挑むべきだろうか?
勝てる勝てないは置いておいても、やはり難しい。
この光弾を避けて前にいくことはたやすい。
だがその場合、後ろにいる鉄志に当たることとなる。
とはいえ、すべてを打ち落としながら前に行くことも困難である。
ただ立っているだけでじわじわと押されているのだから。
今までのボスキャラのように、動揺を誘うことはできないだろうか。
それも考えてみたが、やはり思いつかない。
たとえばここで虎鉄が脱いだところで、鉄志は反応があって微笑む程度だろう。
正直彼にその辺りで勝てる気はしないのだ。
ならば彼が弱い部分といえば。
やはり主である虎鉄の祖父、虎伯である。
鷹継は、彼に忠義を誓う、というレベルだ。
ならば祖父の命令といえば引くだろうか?
それもNOである。
彼が祖父の命令を知らないなど考えられないからだ。
「そろそろ、とどめ、でございます!」
鷹継が印を切るように手を動かし。
それと同時に、彼を取り巻く光の玉が数十倍に数を増やす。
「…!」
打ち落とせるわけが、ない。
そもそもこれでは避けることもできまい。
最後の手段を使うしか、なかった。
(ごめんなさい…!)
心の中でしっかりと謝って。
「お…」
目を強く閉じ。
意を決して。
「おじいちゃんなんか、大嫌いだあああああああああっ!」
虎鉄は、叫んだ。
まるで時間が止まったように。
空間が凍りついたように。
全てが固まっていた。
ゆっくり目を開けると、珍しく驚いた表情の鷹継。
彼の周りに、先ほどまで輝いていた光の玉も消え。
「…失礼いたします。」
鷹継は踵を返すと、全力で走り去った。
おそらく判っているのだろう。
孫にあんなことを叫ばれて。
彼の主が、どれだけ落ち込んでいるかを。
半ば賭けだった。
彼の上司、つまり魔王が虎鉄の祖父であること。
そして虎鉄たちの様子を伺っていることが前提での言葉であったのだ。
だがその条件を満たしていれば。
おそらく落ち込んだ虎伯の元に、鷹継が駆けつけることは明白だった。
だが正直、罪悪感が半端なかった。
そもそもただのゲームなのである。
たとえゲームオーバーになっても、言うべきではなかったのではないかという思いが強かった。
「おじいちゃん、ごめんなさい…。」
思わずうなだれてそう呟いた。
顔を合わせたら、もう一度きちんと謝ろう。
そう固く決意して。
ほぼ同時に、突然後ろからのしかかられた。
「うわっ!」
あわててそれを受け止める。
振り向くまでもなく、判っている。
父、鉄志が落ちてきたのだ。
なんとか落とさないように彼を受け止め、ゆっくりと床に横たえる。
白ブリーフ一枚なので、あまりさまにはならないが。
さて、どうするべきかと悩む。
ひとまず、息があることを確かめて。
そのまま額をこすりつけてみた。
いつもの親子コミュニケーションである。
鼻を舐め、額を頬をこすりつけ、口元を舐め…。
気が付けば、鉄志からもコミュニケーションが返ってきていた。
「父さん、気が付きました?」
「ああ…うむ…。」
まるで朝起きたときのように、反応が鈍い。
彼、鬼頭鉄志は朝に相当弱いのだ。
休みの日など、放っておけばいつまでも寝ているのである。
起こしても布団に包まり、洗面所に連れて行けば洗面台にもたれかかり、朝食を並べれば椅子に座ったまま。
とにかく意地汚く眠り続けようとする。
さすがに今回もそうされてはたまらない。
「父さん、起きてください!
仕事ですよ!」
無理やり起こしながら、耳元で叫んだ。
さすがに責任感からだろう、鉄志は目をこすりながら立ち上がる。
「む…そうだったか…。
着替え、着替え…。」
完全に寝ぼけながら立ち上がり、周囲を探っている。
そういえば鉄志の服はないのだろうか?
そう考えて十字架の根元の辺りを探ってみる。
案の定、鉄志用の着物と、愛刀である「天橋立」が隠されていた。
「さ、これ着てください。」
「うむ…。」
ようやく少しずつ覚醒してきたようで、着物を渡せば自ら袖を通した。
帯を締め、腰に刀を帯びる。
「…ここはどこだ?」
ようやく、自分の置かれた立場に気づいたらしい。
それでもここが何処か判ってないあたり、まだぼんやりとはしている様で。
「魔王の城ですよ。
覚えてません?」
聞きなれない単語に鉄志は首をひねり。
しばらく悩んだ後、ぽんと手を打った。
ようやく思い出したようである。
「そういえばなんとかいうゲームに参加してくれ、という話だったか。」
言って腰の刀に手をかける。
右手で柄を握るのではなく、左手の肘を乗せ手のひらで柄尻を押さえる形である。
「私は、虎鉄と共に戦えばいいのだな?」
鉄志の目が鋭く光る。
今目の前に立つのは、いつものだらしない日常をおくる父、鬼頭虎鉄ではない。
世界的に有名な大物俳優、石蔵鉄志である。
「はい、お願いします!」
虎鉄は嬉しくなって力を入れて答えた。
父と二人、並んで礼拝堂の出口へと歩く。
今なら、誰が来ても勝てる気がした。
鷹継が、どこへ走っていったのか虎鉄は気になっていた。
彼が帰っていったのは虎鉄が礼拝堂へ入ったのと同じ扉である。
つまり、あそこから出ても虎鉄が見たままであれば、外へと通じる扉しかないはずなのだ。
では彼はどこへ消えたのか?
礼拝堂から出て、その疑問には納得がいった。
先ほど虎鉄が通ってきた赤い絨毯。
その上に、なかったはずの階段が出現していたのだ。
おそらく鷹継を撃退すれば出現することになっていたのだろう。
鉄志と視線を交わし、小さく頷く。
二人とも、準備OKという合図だ。
一気に階段を駆け上がり、二階へと躍り出る。
そこは一階同様、石造りの床と赤い絨毯があるだけの部屋。
違いといえば、奥に階段が見えることだろうか。
だが何よりも。
部屋の中央に、鷹継が立っていた。
先ほど同様、何も感情を読み取れない顔で真っ直ぐに立っていた。
「あ、鷹継さん…。
その、おじいちゃん大丈夫でした?」
思わず虎鉄は聞いてみる。
正直、心配でしょうがないのだ。
「はい、何とか立ち直っていただけました。
最初に部屋に入った時には、石の床に沈みこむかと思うほどに凹んでおられましたので。」
「そこまで!?」
思わず声を荒げる虎鉄。
物理現象すら無視するほどに倒れこんでいるとは思わなかったのだ。
「ですが、先ほどの手はもう通用いたしません。」
そう言って鷹継は構える。
おそらくその言葉は本当だろう。
鷹継が、同じ手に対策を打たないはずがないからだ。
虎鉄は武器を手に取り、握りこむ。
今回は父、鉄志がいる。
二人でのコンビネーションをどれだけ行えるかが重要だろう。
だが、鉄志の考えは違ったようだ。
刀に手を置いたまま、鉄志は横目でこちらを見ている。
「鷹継君。」
鉄志は視線を前に戻し、ゆっくりと口を開いた。
まさに貫禄十分である。
「虎鉄に、手を上げるというのか?」
ゆっくりと、だが重みのある声で。
彼はそう問うた。
「こうしてゲームの障害となることが虎鉄様の楽しみと存じます。
ゆえに、手を抜かず戦わせて頂いております。」
迷いなく答える鷹継。
もちろんゲームとして手を抜かれることは虎鉄も本位ではない。
鉄志がこちらに視線を送っていることに気が付いて、虎鉄は頷いた。
純粋なバトルとなると迷うのは事実ではあるが、障害としてしっかり存在してほしいこともまた確かである。
「そうか…。
それならば、私も虎鉄の仲間として全力で応じよう。」
珍しく…、いや正確には虎鉄が知る限り初めて。
鉄志が、全力で戦うことを決めた瞬間だった。
あふれる覇気。
いや、闘気か剣気と呼ぶべきかもしれない。
押し出されるような感覚と、体中を切り刻まれるような錯覚。
感覚が鋭いゆえに、虎鉄にはそれが手に取るように判った。
これは一歩間違えば、殺意である。
しゃん、と小さく音がした。
鉄と鉄をこすり合わせるような音。
その意味を理解したのは数秒後。
鉄志と鷹継の足元の床を含めて、床が大きく崩れだした瞬間である。
「父さん!?」
思わず声を上げる。
だが鉄志は振り返り、小さく笑い。
「彼は私に任せなさい。
お前は、世界の希望を担う勇者なのだろう?」
つまり。
これは彼なりの「ここは俺に任せて先に行け」である。
格好良かった。
これが父の背中なのだと。
大切なものを守る、男の背中なのだと。
虎鉄は全身で感じて。
「はい!」
下の階に落ちた鉄志に聞こえるよう、大きく叫んだ。
二人は距離を変えぬまま、1階に着地する。
足元を見ぬまま、見詰め合ったまま。
二人は無言で対峙した。
互いに、一切動かない。
見詰め合ったまま数秒――数分。
先に口を開いたのは鷹継だった。
「居合い、ですか。」
足元を見る。
二階の床だったものは、鋭利な刃物で切られた石鹸のような断面だ。
鉄志はあの瞬間で、間合い外の床を切って見せた。
それも鷹継と虎鉄を避けて、刀身を見せぬ速度で。
人間業ではない、と断言できる。
だがありえないことではない、ともいえた。
鉄志の父は、鷹継の主である虎伯なのだ。
それならばそんな無茶もやってのける気がした。
だが鉄志は答えない。
彼は既に役に入り込んでいるのだ。
いつもの鉄志なら、知り合いと戦うなどできるはずもない。
だが今は息子のために、ここで彼を足止めしなければならないのだ。
だから彼は、演技をすることに決めた。
彼の演技は、世界に通用すると言われている。
だがそれは正確ではない。
彼は自分を変えて、世界に受け入れられているのではなく。
世界を変えて、自分を広げるのだ。
出力を変えるのではなく、入力を変える。
入ってくる感覚刺激を可能な限り拡大解釈し、自分にとっての世界を歪ませて。
その上で、自分の望む世界を作り上げる。
求める結果から、逆算する。
歪められた情報と、それに対応する自己の感覚と感情。
結果から逆算されたその反応は、外界から見れば演技に他ならない。
だが、芯は常に変わらない。
何をしていようと、彼は鬼頭鉄志なのだ。
息子を愛する一人の父。
その父が。
息子の敵に、刀を抜くことをためらうはずがない。
そして、楽しく談笑するはずもないのだ。
返答がない意味を理解して、鷹継は再び構える。
虎鉄にしたように、手を突き出し魔術を発動させる。
だが、それとほぼ同時。
いや、むしろそれよりも先に。
鉄志の手が動く。
しゃん、と小さくなる鉄の擦れる音。
そして突き出される鷹継の腕。
彼の周りに光の玉が生まれ。
それと同時に、一気に霧散した。
「…。」
鷹継も、ある程度は予測していた結末である。
だが反応速度は予想よりも速かった。
対象が、目標が発生する前に鉄志は刀を振るったのである。
ともかく、飛び道具は通じないと鷹継は判断し。
纏っていたマントを脱ぎ捨てた。
ばさりと音を立てて地に落ちる。
武器は持っていない。
普段であれば銃を持っているが、今回はファンタジー世界ということで魔術を選択したのだ。
それが通用しないとなれば、素手しかない。
刀よりもリーチが短いゆえに、居合いの刃を潜り抜け至近距離に。
接触距離に、入らねばならない。
と、そこまで鉄志は考えていた。
鷹継がそう考えて、その通りに行動してくるだろうと。
だから次に自分がすることは居合いではなく。
接触できる範囲に対する攻撃である。
二人の距離はわずか数メートル。
鷹継の足なら3歩といったところだろう。
ぐっと鷹継の姿勢が低くなる。
これから突っ込んでくる、ということだ。
駆け出す準備。
だがもちろん鵜呑みにしたりはしない。
あらゆる方向へのフェイントが考えられるからだ。
考えうる全ての可能性を検討し、全てにおいて対策を打つ。
常人には不可能なそれも、世界が広がっている鉄志には可能である。
仮想世界の全てを見、仮想人格の全てが動く。
並行して働けば、なんてことのないシミュレーションだ。
そしてその上で。
鉄志は、鷹継が真っ直ぐに突っ込んでくると判断していた。
爆発するような勢いで、鷹継が一歩を踏み出した。
彼の脚力なら、数メートルは一歩でつめられる距離でもある。
だがそうしないのは、多様性を持たせるためだ。
最速で距離を詰められる歩数と、可能な限り増やせるフェイントの数。
その兼ね合いで最も効率的なのが、鷹継の場合は三歩なのである。
一歩で半分の距離を詰める鷹継。
まだ姿勢は前傾のままだ。
そのままぐっと下肢に力をこめ、二歩目を踏み出す。
それに合わせて鉄志は前に跳んだ。
鷹継の二歩目と三歩目の間を目指して。
もちろん手を愛刀「天橋立」にかけることも忘れず。
鷹継もそれは予想の内で、決して焦ることはない。
共に駆け出した二人の雄。
二人は刹那の瞬間で交錯する――はずだった。
前に跳んだはずの鉄志が。
二歩目を踏み出した鉄志が、その途中で後退するまでは。
間違いなく踏み出したはずの二歩目は、二歩目として完成する前に強引に後ろに引き戻され。
時を巻き戻すかのようなその動きは、鷹継にとってタイミングを逃すのに十分だった。
強引な巻き戻しと、強引な早送りで鉄志の姿は前後にぶれて。
振りぬかれた鷹継の腕の上を。
一秒にも満たぬ僅かなその道を。
彼は駆け上った。
皮膚から触れた感覚を。
筋肉から乗られた重みを。
彼の脳が感じ取る前に。
鉄志は彼の首に脚を絡ませ、体を跳ね上げ。
勢いだけで、鷹継を投げ飛ばしていた。
だが鷹継も負けるわけにはいかなかった。
ずっと勝ち続けることだけで生きていく世界の男だった。
だから脳に情報が到達する前に。
彼は直感だけで、受身を取っていた。
どこまで予測していたのか、その頃には鉄志は既に離れ再び距離をとっている。
鷹継も一度後ろに下がり、態勢を整えた。
鉄志は再び刀に手をかけ、居合いの状態へと移っている。
鉄志には、鷹継を殺すつもりはない。
彼の仕事は足止めなのだ。
ここで鷹継に勝利し、虎鉄を追いかけるという方法ももちろんある。
だが簡単に勝てる相手でないことは判っていた。
だからこそ。
彼は、鷹継と戦い続ける道を選んだのだ。
勝つのではなく、負けない戦い。
それこそが、息子の願う戦い方だと信じて。
虎鉄は走っていた。
父鉄志と、鷹継のどちらが強いかなど考えたこともない。
だが先ほどの様子を見る限り、鉄志が簡単に負けることはないだろう。
それでも万が一ということもある。
逆に、鷹継が傷つくのも避けたい。
ならば。
自分が、このゲームをクリアするのが一番の方法に違いないのだ。
どれだけの階段を駆け上がっただろうか。
彼の目の前には、一際豪奢な扉が姿を現していた。
「たぶん、この奥に…!」
考えられるのは一人だけ。
鷹継の反応を見ていても間違いない。
この扉の向こうにいる人物は。
ゆっくりと扉を開き。
そして中へと足を踏み入れる。
部屋の中央にある大きな玉座。
そこに座る人物こそ。
小柄な体躯に金色の髪。
青い瞳の虎獣人。
「虎伯…おじいちゃん。」
鬼頭虎伯、その人である。
「よくきたな、虎鉄たん!」
思わず虎鉄はずっこけた。
シリアスな魔王登場のシーンで、その呼び名を使われるとは思わなかったから。
なんとなく、話を続けづらくなって虎鉄は一瞬口ごもる。
だがすぐに言わなければいけないことを思い出した。
「あ、さっきはごめんなさい!
大嫌いなんて、嘘ですから!」
鷹継を追い返すために、利用した形になってしまっていたことを。
虎鉄は先ほどからずっと気にしていたのだ。
びくん、と虎伯の体が怯えたように跳ね上がった。
一瞬のことだがそれを見逃す虎鉄ではない。
「い、いやいいんじゃよ。
虎鉄たんが鷹継を追い払うには確かに有効な手じゃった。」
目を閉じ、ふるふると首を横に振る虎伯。
まるで自分に言い聞かせているようで。
虎鉄は思わず歩み寄った。
考えてのことではない。
無防備に、それこそ家族に歩み寄る動きで。
彼は琥珀を抱きしめた。
「ごめんね…。
大好きだよ。」
小さな体を抱きしめて。
強く、強く。
自分らしくなかった言葉を悔いて。
傷つけたことを恥じて。
大切な気持ちを伝えるために。
彼は強く、強く抱きしめた。
「虎鉄たん…。」
ぎゅっと、虎伯も力を込めてくる。
魔王の玉座という、不釣合いな場所で。
二人は、互いの絆を確かめ合った。
虎鉄に虎伯の記憶がなくても。
虎伯が、虎鉄に触れることを恐れても。
二人は正真正銘、祖父と孫なのだと。
互いを大切に思うもの同士なのだと。
肌で、感じあったのだ。
「おじいちゃん。」
虎鉄の言葉に、琥珀は顔を上げる。
「魔王なんて、もうやめましょう。
もうゲームはおしまいです。
みんなで帰って、打ち上げでもしましょう。」
そう言って微笑む虎鉄。
虎伯もそれに笑顔で答えて。
その瞬間に、彼は色を失ったのだ。
「え…?」
あまりといえばあまりのことに、虎伯は言葉を失った。
目の前で、一人の獣人が突然白黒になってしまったのだ。
言葉を失いもするだろう。
一体何が起こったのかと、周囲を見回す。
そして気づいた。
その現象は決して虎伯だけに起こっているわけではないことを。
虎鉄以外の全てに、起こっているのだと。
「おじいちゃん…?」
肩に手をかけ揺すってみるが、表情はおろか視線すら動かない。
完全に停止していた。
『無駄だ。』
エコーがかかったような声が聞こえた。
後ろから聞こえた声に、虎鉄はあわてて振り返る。
そこに立っていたのは。
バンダナを巻き、胴着を着た鬼牙をもつ虎獣人。
見間違うはずもない。
30年以上に渡って付き合ってきた、自分の顔だ。
それが今、目の前にいる。
『今、この世界は俺とお前以外は全員止まっている。
ああ、それとこいつらもだ。』
エコーがかかった声は、なんだか別人のように感じて。
意味を理解するのにも、一瞬の間が必要となった。
もう一人の自分が視線で示す先を見れば。
彼の足元には、見慣れた竜人が倒れていた。
このゲームを造った、双子の竜人。
波威流と弩来波である。
ゲーム製作者のはずの二人が何故こんなところに転がっているのか。
いや、考えるまでもない。
目の前の「自分」にやられたのだ。
「お前…何者だ!」
虎鉄が叫ぶ。
本当なら直ぐにでも殴りかかりたいところであるが。
目の前の彼らは、掛け値なしに「神」なのだ。
この世界を作ったという意味でも、土地神の弟という意味でも。
その二人をこのような目に合わせた相手。
警戒しても、し足りないくらいだ。
『大河原虎鉄。
知ってるだろ?』
そういって彼はにやりと笑って見せた。
それはまるで、少し昔の。
高校の頃の自分を見ているようで。
はらわたが煮えくり返る思いであった。
『まあ区別したいなら好きに呼べよ。
黒虎鉄でもブラックでも。』
そう言って彼はおどけて笑って見せた。
自分の顔で、そんな表情を取って欲しくない。
「二人を放せ…!」
『おいおい、俺は別に縛り上げたりしてるわけじゃないぜ?
こいつらがいつまで経っても起きねえだけさ。』
まるで自分は悪くない、と言わんばかりの口ぶりである。
虎鉄は腰に下げていた武器を手に、構えを取る。
『俺に勝てると思ってるのか?』
言いながら彼も同じように構えてみせる。
それは寸分たがわず自分と同じもので。
まるで鏡を見ているようでもあった。
それがゆえに判る。
このまま殴り合っても、自分が勝てないだろうことが。
それでも。
どんな理由があっても。
目の前の友人を助けない理由には、ならない。
「うおおおおっ!」
肉体のリミッターを外し、十メートル以上あった距離を一瞬で詰める。
常人であれば、ほぼ瞬間移動に見えたことだろう。
それでも彼は簡単に反応して見せた。
まるで、こちらの考えがわかっていたかのように。
小さく飛び上がり、体重を乗せた一撃を振り下ろす。
だが彼は虎鉄の腕に手を添えて、少し横にずらすことで攻撃を回避してみせた。
続いての蹴り上げも、軸足をとられバランスを崩される。
全て攻撃が成り立つ前に、つぶされているようで。
「くそっ!」
苛立ちから思わず悪態をつく。
もちろん彼はそんなことお構いなしににやにやと笑っていた。
『どうした、その程度か?』
完全に虎鉄の動きは読まれていた。
正しく言うのであれば。
思考が読まれているのだ。
だから、虎鉄が今考えていることもきっとばれているのだろう。
『こいつらか?』
足元に転がっていた双子の首を掴み、持ち上げてみせる。
「離せッ!」
殴りかかる虎鉄を難なくいなし。
『ほらよ。』
彼は、手にしていた双子。
波威流と弩来波を投げてよこしたのだ。
慌てて虎鉄は二人を抱きとめる。
二人ともを綺麗に抱きとめることは困難で、なんとか落とさないようにするのが精一杯だった。
「波威流、弩来波!」
虎鉄の声に、一人が目を開く。
「…波威流。」
「正解…。」
虎鉄の言葉に、波威流は弱々しくも笑って見せた。
精一杯の強がりなのだろう。
一人で起き上がることすら、できていないのだから。
「アレは…なんなんだ?」
虎鉄の言葉に波威流の顔が少し曇る。
いたずらを咎められた時のように。
言いにくいことをしゃべる時のように。
「…バグ、なんだ。
主人公以外に、ボスと味方を設定してたんだけど…。
こてっちの枠まで造っちゃってた。
だから、空いた枠にもう一人こてっちができちゃったんだ。」
つまりはプログラムの段階でミスしていたということだ。
双子らしくもない、単純なミス。
人数を、カウントしそこなったのだ。
いつもの面子を数えて、そのまま特殊なキャラクター枠を作って。
「じゃ、じゃあプログラムを修正して消しちゃえば…。」
虎鉄の言葉に波威流は首を振る。
「駄目だよ…。
『大河原虎鉄』を消しちゃったら…こてっち本人まで。」
言葉を切る波威流。
だが言いたいことはそれで十分に伝わった。
自分までもが、巻き込まれてしまうというのだ。
だからバグに気づいても、双子はどうしようもなかった。
目の前に現れても、倒すことなんてできなかった。
それはそのまま、虎鉄を倒すことに繋がるから。
「こてっち…。」
少し離れたところから声がした。
弩来波も、目を覚ましたのだ。
「弩来波、大丈夫?!」
振り向き、片手で波威流を抱えたまま弩来波を抱え起こす。
片手ずつという無理な姿勢ではあるが、先ほど受け止めたときに比べればなんて事はない。
虎鉄の言葉に弩来波は頷いてから口を開く。
「こてっち、逃げて…。
たぶんアイツは、こてっちと…本物の『大河原虎鉄』と入れ替わるつもりなんだ。」
その言葉に虎鉄は顔を上げて彼を見る。
彼は…どこか暗い色をしたもう一人の虎鉄は。
ずり下がったバンダナから、覗かせるように。
冷たい目をじっとこちらに向けていた。
口元にだけ、小さな笑みが浮かんでいる。
自分がここまで黒い表情ができるなんて、思いもしなかった。
鏡だなんて、冗談ではない。
こんなにも似ない鏡があってたまるものか。
「大丈夫、ちゃんと勝つから。」
そう言って、虎鉄は二人をそっと地面に横たえた。
だが波威流は必死で体を起こし、虎鉄の足を掴もうとする。
だがその手は少しだけ。
指先だけが、胴着の裾に触れるのみで。
戦いへと向かう虎鉄を止めることは、できそうになかった。
「うおおおおおおっ!」
一気に間合いをつめ、真正面から殴りかかる。
その拳に拳をぶつけ、二人の攻撃は弾かれる。
それでも迷わず、虎鉄は第二撃を。
相手も迎え撃つ拳をぶつけ合う。
虎鉄は、何が何でも相手を倒さねばならない。
だが相手は自分だから、どうあっても自分の考えは読まれてしまう。
ならば、最初から考えない。
考える暇もない距離で、考えもなく拳を振るう。
相手もそれは判っているから。
相手もそこは自分だから。
真っ向から受けてくると思ったのだ。
後はただ。
全力を振るうだけだ。
『おい。』
殴る手を止めぬまま、相手が口を開いた。
もちろんそんなことぐらいで、虎鉄は手を止めない。
『これで勝てばいい、なんて思ってるんじゃないだろうな?』
耳を傾けてはならない。
相手が喋ることなんて、自分を動揺させるための発言に決まっているからだ。
『言っとくが、この勝負にお前の勝ちなんざねえよ。
俺が勝てば俺はお前になり、お前が勝てば俺たちが死ぬ。
お前はどこまで言ってもお前だが、俺の根っこは所詮空っぽだからな。』
聞かない。
聞こえない。
相手の言葉なんか、信じない。
虎鉄の拳が、相手の肩を捕らえた。
それと同時に、虎鉄の左肩に走る鈍痛。
鈍器で殴られたような、鈍い痛み。
「…!」
『ほら、な?』
虎鉄の表情が一瞬歪んだのを見て、にやりと笑う。
だけど。
それでも。
「それでも、お前なんかを野放しにはできねェんだよ!」
虎鉄が叫ぶ。
相手が自分に成り代わったら。
こんな表情を平気でするヤツが自分になったら。
自分の周囲に、一番迷惑がかかるのだ。
許さない。
許せない。
だから。
「ぶっ殺してやる!」
たとえ死んでも。
刺し違えることになっても。
「うおおおおおおっ!!」
相手の拳を相殺するのをやめ。
彼の拳を胸に受けながらも。
息を止め、右拳を振りぬいた。
その一撃は相手の顎を捕らえ。
同時に、虎鉄の世界が揺れた。
『はやく、虎鉄さんを助けに行かないと。』
「愁哉君…?」
目を開ければ、鎧を着た愁哉が居た。
しっかりと旅支度を整えて、ボスキャラだったはずの文彦を連れて城の中を走っている。
そのままの姿勢で、宙に浮いたままで。
白黒になった愁哉は完全に固まっていた。
『虎鉄さん、きっと世界を救ってくださいね。』
「源司さん…。」
彼はしっかりと帰るところを準備していた。
虎鉄を追いかけるよりも、帰ってくる場所を確保することを選んだのだ。
彼も戦ったはずの相手、大輔と共にいた。
二人がかりで家の中を片付けて、そのまま白黒になって、固まっていた。
『こてさん…、船に乗っていたのではないのですか…?』
幸四郎は、船着場に居た。
新郷と二人で、必死で船についての情報を集めている。
そういえば、虎鉄が乗っていた船は海賊に襲われて沈んだのだ。
焦った顔で、二人は顔を白黒にしていた。
『キバトラ、負けんなよ。』
例の無人島で、台座にもたれたままナギは紫煙を燻らせていた。
まるで任せておけば大丈夫だ、といわんばかりに余裕をもって天を仰ぐ。
その傍らでは隼人も穏やかな笑みを浮かべて座っている。
二人はまるで白黒の絵画のように、動きを止めていた。
『虎鉄、ここは任せておきなさい。』
未だ刀に手をかけたままで。
鉄志と鷹継は向かい合っていた。
それは達人同士が、一寸も動かぬまま向かい合うように。
色の無い世界で、二人は対峙していた。
『虎鉄たん…。』
急に消えた虎鉄を探して、虎伯は周囲を見渡していた。
ラスボスであったはずの虎伯は虎鉄と戦わない道を選んだ。
だからひょっとしたら、エンディングに向かったのかもしれない。
その考えがある故に、虎伯は強攻策にでることもできず。
ただ戸惑ったまま、縞馬のように白黒に染まっていた。
皆に、出会った気がした。
守りたい人たち。
何よりも大切な人たち。
ずっといつまでも、手を取り合って生きていくのだと思っていた。
でも、だけど。
それが適わないのなら。
一緒に居ることができないのなら。
たとえ自分がどうなっても。
彼らだけは、守りたかった。
ゆっくりと頭を振り、虎鉄は立ち上がる。
目の前の黒い顔をした虎鉄も、なんとか体を起こした所だった。
虎鉄の拳が相手の顎を捉えたことは覚えている。
つまり、それで相手は脳震盪を起こしたのだ。
ダメージが帰ってくる以上、それは虎鉄自身にも起こる。
短時間ではあるが、二人そろって気を失っていたのだ。
『そろそろ、諦めたらどうだ…?』
ふらつきながらも、相手は立ち上がる。
虎鉄も負けじと足に力を入れて。
膝が、がくんと折れた。
先ほど殴られたダメージがまだ残っているのだ。
「うるさい…。」
それでも、声を絞り出す。
負けない。
負けられない。
「うるさいッ!!!」
可能な限りの声で虎鉄は吠えた。
足を上げ、四股を踏むように必死で踏ん張る。
ふらつく全身に力を込める。
「虎鉄さん。」
「虎鉄さん。」
「こてさん。」
「キバトラ。」
かけがえのない、仲間がいるのだ。
「虎鉄。」
「虎鉄。」
「虎鉄たん。」
「こてっちゃん。」
大切な、家族がいるのだ。
「こてっち。」
「虎鉄さん。」
「大河原。」
「虎鉄様。」
守りたい、友達がいるのだ。
だから。
「お前なんかに、『俺』はやれねえッ!!!!」
渾身の力を込めて。
虎鉄は、目の前の偽者を思い切り殴り飛ばした。
同時に虎鉄の胸を突き抜ける衝撃。
口の中に熱い液体が溢れる。
からん、と乾いた音を立てて何かが落ちた。
おそらく偽者が落としたものだろう。
地面に崩れ落ちた虎鉄の目の前に。
無色透明のオーブが落ちていた。
愁哉と手に入れた黄色。
源司と手に入れた緑色。
幸四郎と手に入れた赤色。
ナギと手に入れた青色。
そして、五つ目の。
本来あるはずの無い無色透明。
これを持つことが、ボスの条件だったのだろうか。
わざわざ必要のない透明を作った辺り、その可能性は十分に考えられた。
だから。
虎鉄は震える手を伸ばす。
最後の賭けを。
口から溢れる血がゆっくりと広がっていて。
分の悪い賭けを。
それでも最後の力を振り絞って、手を伸ばす。
虎鉄は、やってみたくなったのだ。
『ごめんなさいっ!!』
波威流と弩来波の声が重なった。
二人の視線の先には。
当然のように、不機嫌な顔で佇む虎の顔をした男。
バンダナを巻いた、鬼牙の生えている男。
大河原虎鉄が、立っていた。
「…もうとりあえず、ワザとじゃないからこれくらいでいいけど。
今後はゲームを作ること禁止!」
これくらい、とはいうものの。
実際は二人に対する説教は、既に三十分に及んでいた。
無事にゲームの世界から戻って、全員をとりあえず幸四郎の道場に集めて。
打ち上げと称した宴会が始まってすぐに、虎鉄は二人を呼び出したのだ。
「はあ〜い。」
波威流がしょんぼりとした顔をする。
二人とも、虎鉄を喜ばせるためにしたことである。
さすがにこれ以上の説教は可哀想だろう。
「それじゃ、行ってよし!」
「わーい!
兄ちゃ〜ん!」
虎鉄のOKをもらい、二人は道場へと駆け込んだ。
言葉から察するに、兄である源司の下へと走ったのだろう。
二人を見送りながら、虎鉄は考える。
今回のゲーム、RPGはあの二人が作ったものだ。
最後の最後に現れたもう一人の虎鉄を、二人はバグと言っていたけれど。
あれは本当にバグだったのだろうか?
虎鉄が勝った最後の賭け。
それは「バグでできてしまったボス枠に、もう一人の『大河原虎鉄』を設定する」というものである。
虎鉄が足りなくて生まれてしまったのなら、改めて虎鉄を入れてやればいい。
無色透明のオーブという、ボスを設定するためのアイテムと。
幸四郎に渡されていた「大河原虎鉄」の人形を使って。
つまり、幸四郎から預かったぬいぐるみを、ボスとして再設定したのだ。
「虎鉄が足りない」という状況がそれで解決されるのであれば。
ひょっとしたら、あの黒い表情をする虎鉄は消えるのではないかと考えたのだ。
そして、虎鉄は賭けに勝った。
だがやはり疑問は残る。
おあつらえ向きに渡されていた虎鉄のぬいぐるみ。
そしてボスの設定に使える無色透明のオーブ。
まるで、ハッピーエンドのための伏線ではないか。
そしてあの二人がそんな単純なミスをするかどうか、ということもある。
ひょっとしたら。
全て、計算尽くでの結末だったのでは、ないだろうか。
「…こてさん?」
考え事をしていた虎鉄に声がかけられる。
道場から心配そうに顔を覗かせているのは、鉢巻を巻いた獅子。
「幸四郎さん。
すいません、少し考え事を。」
思わず照れ笑いを浮かべてごまかす。
考えても仕方の無いことだと、片付けた。
幸四郎はそっと廊下に出ると、後ろ手に扉を閉める。
中から聞こえてくる楽しそうな声が、少し遠ざかった。
「そうだ、幸四郎さん。
このぬいぐるみ、ありがとうございました。
すっごく助かりました!」
腰のベルトにひっかけていたぬいぐるみを手に取り、幸四郎に渡す。
ボスの設定に使った、幸四郎の作った虎鉄人形。
いうなれば虎鉄を救った人形である。
「あ、いえ…。
こんなもので、虎鉄さんのお役に立てたのでしたら。」
幸四郎は顔を赤らめ、視線を下ろしながらぬいぐるみを受け取る。
指先が少しだけ触れ合って。
二人の視線が絡む。
「あ…。」
恥ずかしさから虎鉄は思わず手を引いた。
驚いた顔で幸四郎は顔を上げる。
「あ、いえ、そうじゃなくて…。
その…。」
言葉が出ない。
普段ならなんでもないはずなのに、なぜか妙に意識してしまって。
「キバトラ、何してんだ?」
がらりと音を立てて、道場の扉が開いた。
そこにはいつもどおり、スーツを着たナギが立っている。
「あ、いえ、なんでもないですよ!」
「ほう、虎鉄。
タンくんと愛の告白かね?」
ナギの後ろから隼人も顔を出してきた。
「ちちちち違いますよ!何言ってんですか!意味わかんない!」
思わず顔を真っ赤にして虎鉄は否定する。
「だったら誰にするのか、話してもらわんとなあ。」
隼人は嬉しそうな顔で虎鉄の首を捕まえて。
引きずるように道場へと連れ込んでいく。
道場の中ではナギが、幸四郎が、愁哉が、源司が。
他の皆が歓迎するように笑っていた。
その笑顔を見て。
守れてよかったと。
今までどおりなのだと。
ようやく肌で感じ取れた。
思わず虎鉄の目に涙が滲んで。
「さあ吐け!
もしくは呑め!」
「ちょっと、にろさん!
日本酒ラッパ呑みとか無理ですって!」
本当に良かったなあと、思ったのだ。
おしまい