少し日が傾いた頃。
ようやく、道の先に町が見えた。
位置的に坂の上になるため、虎鉄の位置からは大きな壁しか見えない。
恐らく城下町のように、モンスターに襲われないよう壁で囲っているのだろう。
すっかりお腹を減らしていた虎鉄は、嬉しくなって駆け出した。
 入り口で、愁哉から預かっていた通行証を見せて中にはいる。
そこは、城下町に比べれば随分とこじんまりとしていた。
恐らくここまでくるなら、旅人はそのまま城へと向かってしまうのだろう。
観光客目当ての店も少なく、全体的に活気も少ない。
どちらかというと田舎町、といった風情が漂っていた。
 それでも普段は旅行などほとんどしない虎鉄である。
何時もと違う雰囲気を楽しめるだけで、わくわくとした感情がこみ上げてくるのを抑えられずに居た。
「虎鉄さん、ようこそいらっしゃいました。」
 聞き覚えのある声に虎鉄は振り返る。
そこには大柄な竜人が立っていた。
濃いグレーの、短めな頭髪。
大小二本ずつの特徴的な四本の角。
皮膚は薄い灰色で、アゴだけが白い。
黒いマントをつけたその男。
「源司さん!」
 その男こそ、虎鉄が住む星見町の土地神。
竜神の源司だ。
ちなみにこのゲームの製作者の波威流と弩来波の兄でもある。
「お待ちしておりましたよ。
思ったよりも早かったですね。」
 にっこりと笑顔で源司は返した。
実際ここまで虎鉄が来るのを心待ちにしていたのである。
「お待たせしてしまってすいません。」
 そういってふと気づく。
この世界の時間の流れはどうなっているのだろう。
愁哉と居る時はすっかりゲームのノリになっていたけれど。
冷静に考えれば、体感上はこちらに着いてから丸一日が経過している。
もし実際の時間とシンクロして流れているなら、既に仕事を無断欠勤したことになってしまう。
源司なら知っているかと、疑問をぶつけてみた。
「大丈夫ですよ。
この世界での時間は、実際の時間とはシンクロしていません。
向こうに帰れば、1時間も過ぎてないでしょうね。」
 なるほど、つまり体感上の時間と現実の時間は違っているらしい。
それにしても、源司やこの先で待っているであろう仲間のことを考えると急がねばならない。
「そこも大丈夫ですよ。
虎鉄さんが中心に、この世界は作られていますからね。
私たちは虎鉄さんがくるまではほとんど時間の流れを感じないんです。」
「そんなことが、できるんですか?」
 利用しようとすれば、それは随分と色々なことに応用できるのではないだろうか?
体感上とはいえ、時間の流れが違うのだから。
「まあ、結局はバーチャルですから。」
 少しだけ源司は考えた顔をしたが、細かい説明を省いてそう答えてくれた。
源司は神様としてはしっかりしているものの、本人は少し天然な部分もある。
僅かに不安感は残るものの、虎鉄はひとまず源司を信じることにした。
「それで、この町では何かイベントが?」
「ええ、こちらへ。
町長の所にご案内しますよ。」
 源司にエスコートされ、虎鉄は町の中を歩いた。
町長の所に、とは言ったものの急ぎの用件でもない。
源司は虎鉄が喜ぶようなところを案内しながら、ゆっくりと町中を歩いていった。
 やがて、町の中で特にしっかりとした家にたどり着く。
恐らくここが源司の言う町長の家だろう。
「町長、失礼します。」
 ノックをして、家の中へと入る。
扉をくぐると、すぐに居間だった。
RPGでは良くある構成だが、実際にしてみると随分と違和感のある構造である。
「おお源司か。
よく来てくれた。」
 そう言って椅子から立ち上がったのは、人間の男性。
壮年の彼の顔を、虎鉄は見た事がある。
「虎鉄さん、こちらがこの町の町長です。」
 虎鉄には、義理の兄がいる。
その義兄が働く鯛焼き屋の店長にそっくりであった。
「君が、源司が占った旅の人かね。」
 源司の方をチラリと見ると、源司が小さく頷いた。
どうやらそういう設定らしい。
「は、はい。」
 虎鉄の返事に、町長は小さく俯いた。
何かを考えるような顔をしてから、虎鉄をじっと見つめた。
「すまないが、頼まれてくれないか。」
 ゆっくりと、町長は語り始めた。
この町の近くに、盗賊団が住み着いたこと。
定期的にこの町にやってくる商人を襲うこと。
おかげでこの町に住む住人がどんどん減っていること。
表情はあまり動かないが、それでもその悲壮感はしっかりと伝わってきた。
「わかりました、任せてください!」
 思わず力を込めて答えた虎鉄。
そういう設定だとわかっていても、やはり虎鉄はそれを許せなかった。
いわゆる正義の血が騒いだ、という奴である。
もちろん考えるだけで口には出さなかったが。
「ありがとう。」
 そこで、初めて町長は微笑んだ。
「もちろん、私も同行しますよ。」
 マントを着たままの源司は後ろから声をかけてきた。
実際に神様としての能力が使える源司である。
普段は使わないようにしているとはいえ、視点や感覚はやはり人と違うだろう。
格好からして恐らく魔法使い系の職業だろうし、きっと戦闘でもそれ以外でもいい助言をくれる。
「頼りにしてます。」
 虎鉄は、笑顔で返した。




 それから、準備は早かった。
源司が言うには今この町には装備品の類は売っていないらしい。
商人が襲われているらしいのでしょうがないといえばしょうがない。
なので、適当に回復系のアイテム。
つまり、薬草や毒消しなどの薬品を買って出発した。
 日が暮れそうだから翌日にまわそうかとも考えたが、盗賊のアジトに乗り込むのである。
むしろ夜に紛れた方が、無駄な戦闘は避けられるだろう。
それに体感時間は進んでいないといっても、他の皆が待っているかもしれないのだ。
出来る限り、イベントを早めに進めてしまいたかった。
「場所はわかるんですか?」
「ええ、大体の場所は既に調べてありますよ。」
 虎鉄の問いに、源司は当然とばかりに答えた。
スムーズにイベントが進むよう、設定されているらしい。
ならば、と虎鉄は源司に道案内を頼んだ。
幸いこの辺りにも雑魚モンスターらしきものは見当たらない。
「雑魚ってフィールド上に出ないんですかね?」
 虎鉄が気になって、源司に聞いてみた。
「そうですね、なるべく時間をとらずイベントがスムーズに進むようにしてあるようです。
レベル制もそれで撤廃したみたいですよ。」
 源司自身、あまりゲームには詳しくない。
双子から簡単な説明を受けているから答えられた、という程度である。
「なるほど、楽しい部分だけ味わえるように工夫してあるんですねえ。」
「ええ、最初はゲームを作ると聞いて何事かと思いましたけれど。
ちょっとした遊びみたいですし、虎鉄さんが楽しんでいただけるならと少し協力したんですよ。」
 意外な答えであった。
源司も双子たち同様、あまり神様らしい行為は好まない。
それが故に、このゲームも双子たちだけが作ったものと思っていたが。
「まあ、過ぎてしまったとはいえお正月ですから。
少しくらい遊ぶのもいいでしょう?」
 そう言って源司はウィンクして見せた。
神様だけができること、特権的なことは避けるべきであると、源司も虎鉄も考えは一致している。
それでも、ちょっとした遊びくらいならと今は思えた。
「さ、言っている間にもうすぐ盗賊のアジトですよ。」
 薮を掻き分けて、獣道から外れる。
恐らく正面からではなく、横手や裏手にまわれるようにだろう。
「作戦とかどうします?」
 虎鉄の言葉に源司が考える。
できれば無駄な戦闘は避けたいところであった。
となるとやはり陽動だろうか。
「源司さん、どんな魔法が使えますか?」
「そうですね…。
一応データ上は炎系と爆発系を中心に。」
 ならば、丁度いいだろう。
「なら少し離れたところで爆発を起こしてもらって…。
見張りがそれを確認に行ってる間に中に乗り込むってどうですかね。」
 なるほど、と源司が答えた。
炎系が使えるなら、周囲に火をつければ中の人物が全ていぶりだされる気もした。
が、森に火がうつる可能性がある。
バーチャルとはいえ、虎鉄はそんな方法は取りたくなかった。
何より、ここのボスもそっくりさんのNPCではなく、知り合いが出演している可能性もあるのだ。
出来れば危害は加えたくなかった。
「わかりました、では完全に暗くなるのをまって、その方向でいきましょう。」
 源司が足を止めた。
肩越しに覗き込めば、木々の向こうに明かりが見えた。
盗賊のアジトに着いたのだ。
 空を見上げる。
木の隙間から、夕日に染まる雲が見えた。
「少し、待ちましょう。」
 源司は音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと盗賊のアジトから離れた。
虎鉄も慌てて後に続く。
 しばらく歩いたところにある大きな木の下に。
源司はそっと腰を下ろした。
並ぶように虎鉄もそこに座る。
「保存食ですが、どうぞ。」
 源司がドライフルーツを取り出して、渡してくれる。
虎鉄は礼を言ってそれを受け取ると、口に放り込んだ。
イチゴの甘い味が口の中に広がる。
「少し冷えますね…。」
 夜が近づき、気温が下がってきたのだろう。
肌寒さを感じた。
「どうぞ。」
 源司がマントを広げ、手招きしてくれる。
戸惑ったが、虎鉄がくるまで源司はマントを広げたままで。
顔を赤らめながら、そっと近くに座りなおした。
「あれ、これ…。」
 包まれてようやく気づく。
マントだと思っていたのは、どうやら広げられた源司の翼であったらしい。
普段は小さくされているのであまり意識していなかったが。
そういえば、大きく広げられると聞いた事があった。
「ええ、翼なんですよ。
本来はローブだけ渡されたんですが、こちらの方が雰囲気がでるかと思いまして。」
 そう言って、寒くない様に気をつけながら僅かに翼を動かして見せた。
ちらりと身体を見下ろせば、確かにマント――もとい、翼の下には薄手のローブを身に着けている。
「じゃあ普段もこうやって暖まったりできるんですか?」
 だとすれば羨ましい話である。
「いえ、普段はあまりしませんね。
翼は体の一部ですから、どちらにせよ冷たいですし…。
何より、目立ちますから。」
 確かに、源司の言うことにも一理あった。
何より通常の人間や獣人が出来ないことであれば、やはり源司は使わないだろう。
「日が沈んで、少ししてから動き出しますからまだ時間はあります。
少し、眠っても構いませんよ。」
 いつの間にか、もたれていた虎鉄に源司が優しく言う。
考え事をしていたから、楽な方にもたれてしまったらしい。
「あ、いえ!
ちゃんと起きてますから。」
 そうは言ったものの。
すぐそばに感じる源司のぬくもりに、虎鉄の瞼は少しずつ下りて。
「ちゃんと…。」
 やがて、小さな寝息を立て始めた。




 どれくらいの時間が経っただろうか。
優しくゆすられるその感覚に、虎鉄はゆっくりと目を開いた。
「虎鉄さん、そろそろ動きましょう。」
 覗き込まれたその瞳は、何時もの優しい黄色い色で。
少しだけ、このままで居たいと思わされた。
「どうしました?」
 ぼんやりと顔を見る虎鉄に、源司は微笑みを返した。
思わず顔を赤らめて。
慌てて身体を離す虎鉄。
「な、なんでもないです!」
 思い切り勢いをつけて立ち上がり。
虎鉄は大きく伸びをした。
木と源司にもたれかかる不自然な姿勢だったけれど、随分と休めたようだ。
先ほどまで感じていた、森を歩く疲れはすっかりとなくなっていた。
「じゃ、行きましょうか。」
 虎鉄の言葉に源司は頷く。
草木を掻き分け、再び森の中に入り。
手近な広場まで移動した。
「この辺りで、よろしいですかね。」
 ここで爆発を起こして、盗賊を引き付けようということだろう。
確かに十分な広さがあり、ここでなら爆発を起こしても周囲に被害は出ないだろう。
それに盗賊のアジトからも十分な距離がある。
真っ直ぐここに向かえるわけではないだろうし、時間稼ぎには十分だ。
「じゃあ源司さん、やっちゃってください!」
「いきますよ!」
 虎鉄に答えて源司は呪文を唱え始め。
一瞬後、耳を劈くような爆発音が響き渡った。
周囲の木も爆風にあおられ、バサバサと音を立てている。
「さ、虎鉄さん。
今のうちに。」
 源司に手を引かれ、慌てて虎鉄は走り始めた。
なるべく姿勢を低くしながら、見つからないように。
たまに近くを走る別の足音も聞こえたが、向こうは向こうで仲間だと思っているのだろう。
特に立ち止まったりする様子もなく、簡単にすれ違えた。
そのまま走ること十数分。
やがて、盗賊のアジトへとたどり着いた。
 小さな廃墟、恐らく中は数部屋しかないだろう。
入り口に残っている見張りは一人。
あれだけなら殴って気絶させればすむだろう。
 勢いを殺さぬまま、薮から飛び出した。
見張りはこちらに気づくが、慌てて剣を構えるだけで。
相手が完全に戦闘態勢に入る前に、一気に駆け寄った。
そのまま首筋を狙って叩く。
「がっ!」
 相手は悲鳴をあげ倒れこみ…また起き上がった。
流石にマンガやアニメの様にはいかない。
「ごめんなさい!」
 思い切り殴り飛ばして、気絶させた。
「上手くはいきませんでしたね?」
 それを見て、源司が笑っていた。
気恥ずかしくて、頭をかいて誤魔化す。
「いや、上手くいくかと思ったんですけど。」
 流石に見よう見まねではダメだった。
まあ偶然にでも上手く行けば、くらいに思っていただけなので別に構わないのだが。
「とりあえず中に入りましょう。
ぐずぐずしていては、他の盗賊が戻ってきます。」
 源司に言われ、虎鉄は入り口に手をかけた。
見張りが居るから当然といえば当然だが。
そこに鍵はかかっていなかった。
 中はがらんとしており、特に人は見当たらない。
部屋の隅に積んである皮袋は、商人から奪ったものだろうか。
ひとまず中身の検分は後でいいだろう。
先に奥に居るはずのボスを倒すべきだ。
 足音を殺しながらゆっくりと奥へと進む。
やがて、少しだけ綺麗になっている扉があった。
恐らくそこにボスが控えているのだろう。
前回のことを考えれば、また顔見知りだろうか。
なら一気に飛び込んで攻撃、というわけにもいかない。
先に中が見れれば作戦も立てられようが。
「しょうがありません。
このまま中に入って、正面から対面しましょう。」
 確かにそれ以外なさそうである。
覚悟を決めて、虎鉄はゆっくりと扉を開いた。
その中に居たのは。
「こてっちゃーん!
やっほー!」
 能天気な声が場に響く。
そこに居たのは虎鉄の義兄。
大きな身体に濃い茶色の体毛。
二本の角と黒い髪。
なによりも絶えることのない満面の笑み。
虎鉄の義兄。
牛獣人の蔵王大輔である。
「大ちゃん!」
 元々京都に住む大輔、そう頻繁に顔を見ることはできない。
思わず顔が綻んでしまうのもしょうがないことではあった。
「おや、確か…大輔さん、でしたか。」
「あ、神様!
お久しぶりです!」
 顔を出した源司にも、大輔は手を振った。
「あれ、源司さん大ちゃんと顔見知りでしたっけ?」
 不思議そうに振り返る虎鉄。
それを笑って、源司は受け流した。
「それより大ちゃん、ここにいるってことは大ちゃんがボスキャラ?」
 虎鉄の言葉に大輔は大きく頷く。
「うん、そうだよ!
ちゃんとオーブも預かってる!」
 そう言ってぽんぽんとズボンのポケットを叩く。
文彦の時のように、無防備に見せるようなことはしないようだ。
「…そのオーブってなんなの?」
 ふと、気がついたことを口にする。
どうしてそれを奪わなければいけないのだろう。
というか、何のために集めているのだろう。
「あれ、一人目のボスキャラから聞いてない?」
 言われて思い返すが、やはりきいた覚えはない。
「なんか設定があったんだけど…俺も忘れちゃったなあ。」
 のんびりとした大輔の言葉に、虎鉄は思わずため息をついた。
もともと天然の気がある大輔である。
今更突っ込んでもしょうがないだろう。
「さ、それよりも。
こてっちゃん、おいで!」
 そう言って大輔は拳を握り構える。
殴り合おう、というのだろう。
そうは言っても、好きな相手を意味もなく殴り倒すなど出来るはずがない。
「虎鉄さん、辛いなら私が…。」
 後ろから源司が声をかけてくれる。
だが同じことだ。
源司に頼んで火で焼いてもらう、なんて出来るはずもなく。
 ふと、部屋の隅に酒瓶が転がっているのが目についた。
恐らくただの雰囲気作りだったのだろう。
だが、一つ妙案が思いついた。
「源司さん、一つ頼みがあるんですが。」
 虎鉄が、大輔に聞こえないよう囁く。
視線は大輔に向けたままで。
「…脱いでくれませんか。」
「は?」
 虎鉄の言葉に、源司は困惑の声を漏らした。
虎鉄はそれでも大輔を睨みつけているから、赤面したことはばれていないようだが。
だが虎鉄はくるりと源司に向き直る。
「源司さんの裸踊りがみたいなあー!」
 半ばやけくそ気味に虎鉄が叫んだ。
「べ、別に構いませんが…。」
 そういった明るいノリは、源司も好むところである。
だがここはそういった場面だろうか。
戸惑いつつも翼を広げ、身に着けていたローブの腰紐を解く。
「ああああ!」
 その様子を見ていた大輔が声をあげた。
「ずるい!
俺も、こてっちゃん!
俺も見て!」
 そう叫んだかと思うと。
大輔は身につけていたものをあっという間に脱ぎ捨てた。
「む、裸踊り対決ですな!」
 そこまで来て、源司はようやく意図を理解した。
虎鉄の動きに気づかれないよう、源司は少し派手に踊り始める。
「神様にも負けませんよ!」
 いいながら踊り始める大輔。
その股間にぶらぶらと揺れていたものに力が入り、少しずつ上を向き――。
「オーブゲットー!」
 こっそりと近づいていた虎鉄が、大輔の服ごとオーブを奪っていた。
「あああ!?
こてっちゃんズルイ!」
 だが叫んだところで後の祭りである。
そもそも人前でホイホイと脱ぐ大輔に問題があるのだ。
普段なら説教しているところであるが、今回はその露出癖に助けられたところもある。
「ずるくないよ!
作戦勝ちだよ!」
 唾を飛ばして反論する虎鉄。
そのまましばらく、二人の兄弟ゲンカは続いた。




 ケンカを終わらせて、ようやく服を着てくれた大輔と共に、一行は建物を出た。
兄弟ゲンカというよりも、ほとんどが服を着せるための説得であったが。
「これで、あの町でのクエストは終わりですかね?」
 虎鉄の言葉に、源司は頷く。
「そうですね、私ともいったんお別れです。」
「あ、やっぱり別行動になるんですね。」
 愁哉の時を考えると、それは予想の範囲内であった。
だがやはり別れるとなると寂しいものである。
「まあ、今は町長も寝ているでしょうし。
いったん町にもどって休みましょう。
少なくとも報告に行くまでは一緒ですから。」
「もちろん、俺もね!」
 源司の言葉に、大輔が続ける。
やはり道連れは多い方がいい。
それだけで、気分はとても楽になるから。
「そういえば、他の盗賊ってどうなったのかな。」
 思い返せば、気絶したはずの入り口の見張りも居なかった。
まさか目を覚まして逃げ出したわけでもないだろう。
「アレはモンスター扱いだったみたいだから。
俺を倒したってことで全部居なくなったんじゃないかな?」
 虎鉄の疑問に、大輔が答えた。
なるほど、それならば見張りを殴り倒した罪悪感も軽くなる。
というかそれなれそれで、以前のモンスターのように判りやすくしてくれれば良かったのに。
思わずそう考えずには居られない虎鉄であった。
 それから移動すること二十分少々。
帰りは堂々と道を使えるが、それでもやはり獣道がほとんど。
夜道を進むために、幾分苦労してしまった。
「一応、私の家もあります。
今夜はそこで休んでください。」
 町の門番に話して門を開けてもらい。
一行は源司の家へと向かった。
 そのまま倒れるように休み。
あっという間に翌朝である。
「…こてっちゃん、この町長さん。」
 大輔を連れて、町長の所に来た一行。
もちろん虎鉄は言いたいことが判っている。
ここの町長は、大輔が働く鯛焼き屋の店長にソックリなのだ。
「盗賊を倒していただき、ありがとうございます。」
 無表情に、町長は喋る。
大輔は口を挟めず、ただ聞いていることしか出来なかった。
別人だとわかって居ても、やはり強く出られないのだ。
「この者はこちらで城へと護送しておきます。
お礼といっては何ですが…。」
 そう言って町長は机の上に拳大の皮袋を置く。
どうぞ、と進められてそれを手に取り。
中には金貨が大量に詰まっていた。
正直それがどれほどの価値をもっているのかわからず。
「あ、ありがとうございます。」
 虎鉄はとりあえずそれを受け取っておくことにした。
続いて、机の上に並べられる鉄の塊。
一瞬何かと思ったが、どうやらそれはよく見るとナックルダスターのようだ。
握った際にナックル部分を全て覆うタイプの格闘武器である。
「え、貰ってもいいんですか!」
 流石にそれの価値はわかる。
思わず声を大きくする虎鉄に、町長は無言で頷いた。
今までは手袋タイプだったので、硬い相手がでたらどうしようと思っていたのだ。
「ありがとうございます!」
 言って虎鉄は頭を下げた。
その後は簡単な挨拶だけをして、虎鉄は家を出た。
「それでは虎鉄さん、私はここで。」
 家の外まで見送ってくれた源司が、寂しそうに声をかけた。
「源司さん…。」
 何を言うべきか迷い、虎鉄は言葉に詰まる。
しばらく家の前で見つめあい。
「…大丈夫ですよ、きっと追いかけますから。」
 源司の言葉に、虎鉄は握手を求めた。
しっかりと握手を交わし、二人は別れる。
 虎鉄が次に向かうのは、このまま町を抜け。
道なりに進んだ先にあるという、格闘家が集う町、である。




 今回は、あまり周囲の風景を楽しんでいる余裕はなかった。
次の町でもきっと誰かが待っているのだろうと思うと、物見遊山気分で歩いているわけにはいかなかったのだ。
待っていなくても、待たせない。
それが虎鉄の基本スタンスである。
 だが、思ったよりも隣町は遠かったようだ。
しばらく歩いて、着いたかと思った場所は休憩所のような場所である。
広場の中央に泉があり、それを囲むようにベンチや、ちょっとした露店まである。
 少し迷ったが、虎鉄はそこで休憩していくことにした。
歩き続けるよりも、しっかり食事もとっていく方が効率的だと判断したのである。
 露店でホットドッグを買って、かじりながら泉へと近づく。
何人かはその縁に腰掛け、足をつけていた。
湯気も立っているし、おそらく温泉なのだろう。
早歩きを続けて足が疲れていることだし、と。
虎鉄もそこに腰を下ろした。
 ふぅと息をつき、購入しておいた飲み物を飲む。
じんわりと、体内から潤されていく感覚が心地いい。
「そういえばさ、勇者が負けたって話知ってる?」
 すぐ隣のカップルの話し声が、耳についた。
「勇者って、王国お抱えのあの騎士?」
「そうそう、なんかね、勇んで行ってそれっきりらしいよ。」
 思わず無言で耳を傾ける。
こういう場所で、そういう話が聞こえてくる場合。
それはきっと重要な情報に違いない。
虎鉄のゲーマーとしての小さな勘がそう告げていた。
「でも時間かかってるだけじゃねえの?」
「うーん、そうなのかなー。」
 カップルの話はそこで終わりらしい。
後は何だか腹立たしいレベルのイチャイチャを聞かされただけだった。
なんとなく気になって、情報を集めてみることにする。
こう言う場合はやはり売店の店主だろうか。
「…何か?」
 妙に偉そうな、竜人がいた。
どちらかというと、源司よりは波威流や弩来波に近い。
黒い長髪を全て後ろに流し、額からは大きな角が二本。
どことなく見覚えはあるが、やはり思い出せない。
「えっと、たこ焼き一皿下さい。
それから、なんか勇者がどうこうって噂知らないですか?」
 礼儀だろうと思い、ひとまず商品を買う。
この店を選んだのは、たこやきを焼くのに時間がかかりそうだからだ。
つまり雑談の時間をとっても不自然ではないだろうという判断である。
 だがその判断は間違いだったようだ。
不服そうに仕事をするその竜人は、雑談をするつもりなどないようで。
「…魔界に乗り込んで、戻ってこないそうで。」
 その一言を漏らしただけだった。
しょうがなく代金を払ってたこ焼きを受け取る。
とても客商売をする態度ではない、と思うが。
まあNPCにいった所でそれは詮無きことだろう。
 しかし判ったことはある。
つまり魔王は魔界にいる、ということだ。
どうやってそこに至るかはわからないが、最終的にはそこに行くことになるのだろう。
 とはいえ、これ以上情報収集してもしょうがない気もした。
そもそも民間に流れている時点で、噂レベルでしかないのだ。
一応身分は冒険者であるし、詳しい情報は城の兵士にでも聞けば教えてくれるだろう。
恐らくここでのフラグは十分だろう。
そう判断して、虎鉄はそこを出発することにした。
 あつあつのたこ焼きを飲み込むのにしばらく時間を必要とし。
再び町に向かって歩き始める。
休憩所があったことから考えて、恐らく次の町まであと半分といった所だろう。
このペースで歩けばきっと日が暮れるまでには到達できる。
 それからは無心に歩き続けて。
実際に到着したのは、日が傾きかけた頃だった。
武道家があつまると聞いてはいたが、なるほど町に入ってみれば胴着を着た人ばかりが目につく。
正直道場以外でもその格好のままうろつくのはどうかと思った。
思ったが、普段から同じことをしている友人が思いついた。
なのでとりあえずその事は追求しないことにして。
恐らくこの町に居るであろうその彼を、探す。
 今までのパターンであれば、町に入ると向こうから見つけてくれた。
愁哉も源司も向こうから見つけてくれたのである。
今回もきっとそうなのだろう、と町中を歩いてみるが何のイベントも起こらない。
「…格闘、大会?」
 どちらかというと、イベント然としているのはそれくらいだった。
町の奥にあった、大きな石造りの建物。
中世のコロシアムのようなそこに、大きく張り出されていたのだ。
「出ろってことかなあ…?」
 見上げながら一人つぶやく。
だがそれにしてはえらく雑なイベントである。
せめてモチベーションだけでももう少し上げてもらいたいところであるが。
 とりあえず建物に入り、受付を探してみる。
出る出ないはともかく、ここがどういう場かを知りたかったのだ。
そこに張り出される「決勝戦乞う御期待!」の文字。
どうやら今更出場することはできないようである。
 だがそれを差し引いても無関係ではなかった。
ポスターに描かれた、決勝に出場する選手。
それが、どう見ても虎鉄の知り合いだったのだ。
「幸志朗さん!」
 思わず声をあげたものの、もちろんポスターが返事をするわけがない。
声をあげてしまったのが気恥ずかしくて、軽く咳払い。
周りに数人いた人たちが何事かと、こちらを見ていた。
気まずくて、その場から離れる。
 さて、どうすればあそこに描かれたライオンにあえるだろうか。
人違い、のはずはない。
アゴ部分の鬣をそり落とした胴着姿のライオンが、他にいるとは思えないからだ。
ひとまず廊下を歩いて、建物の中を歩く。
選手控え室のようなものがあると思ったが、すぐには見当たらなかった。
おそらく簡単には入れない様になっているのだろう。
 しばらくぶらぶらと歩いていると、「関係者入り口」を見つけた。
この奥に控え室があるだろうかと考え、ノックをして覗いてみる。
中には特に誰も居ない。
「おい!」
 急に声をかけられて、びくんと尻尾が跳ね上がった。
慌てて振り返れば、鋭い目つきをした柴犬の男。
「何してる?」
「あ、いえ…今回決勝にでるタンさんに会えないかな、と思いまして…。」
 しどろもどろで答える。
特に悪いことではないはずだが、関係者専用の通路を覗いていたのが必要以上の後ろめたさを感じさせていた。
「…タン選手の知り合いか。」
 その物言いに若干の違和感を感じた。
現実であれば彼は件の選手、タン幸志朗の弟子である。
そんな彼が「タン選手」と他人行儀に呼んでいること違和感を感じたのだ。
「少し、来ていただけますか。」
 虎鉄が頷いたのを見て、柴犬が言う。
そのまま扉を潜り、控え室と書かれた部屋へと案内された。
扉の前にはもう一人、大柄なコリーの獣人が立っていた。
どうやら見張りをしていたらしい。
虎鉄が知る幸志朗であればそんなもの必要なさそうな気もする。
「中へどうぞ。」
 柴犬に案内されて、部屋の中へと入る。
そこには、確かに知った顔があった。
「…幸志朗さん?」
 思わず呼びかける。
だが、彼は目を閉じたまま。
ゆっくりと、鼻を動かした。
「え…?」
 いつまで待っても彼は目を開かなかった。
まるで眠っているかのように。
眠り続けているように。
「さっきからずっとこうなんです。」
 フォローするように柴犬が口を挟んだ。
「恐らく毒の類だと思うんですが…。」
 決勝戦の相手に、ということだろうか。
「げ、解毒はできないんですか?!」
 慌てて尋ねる虎鉄に、柴犬は渋い顔をして見せた。
「最近モンスターの動きが活性化して、薬草を取りにいけないんだそうです。
森に行けば生えてはいるはずなんですが…。」
「森ですね、わかりました!」
 その言葉だけ聞いて。
虎鉄は大慌てで飛び出した。




 深い森の中。
町を飛び出して、既に2時間程が経過している。
その間に虎鉄はそれと思しき森へと飛び込み。
襲ってくるモンスターを蹴り飛ばし、あるいは殴りつけ。
落ちる小銭を拾うことさえせず、必死で森の中を駆けずり回っていた。
目指すは毒消しの薬草のみである。
 もちろん薬草がどんな見た目かなんて、知らない。
それでも虎鉄は確信していた。
そんなイベントアイテムが、目立たないはずがないのだ。
幸いこの辺りのモンスターは、最初の洞窟同様ドット状だったり紙のように薄っぺらかったり、ゲーム的になっている。
周囲の木も妙に規則正しく並んでおり、逆に道になっているところは一切木が生えていない。
完全に作り物、という雰囲気がかもし出されていた。
これなら迷うことなど、何もない。
とにかく手当たり次第に走り続けて。
やがて森の奥と思しき場所にたどり着いた。
 他の道とは違い、広場として丸く開けた場所。
その中央に明らかに輝く草が数本生えていた。
それは普通の植物としては明らかに逸脱している輝き。
恐らくそれ自体が輝いているというよりは、あの場所が輝いているのだろう。
 なにはともあれ、目的のものが見つかった。
そう安心して、虎鉄はゆっくりと歩み寄り。
「しぎゃー。」
 非常に気の抜ける叫びが足元から聞こえた。
「…?」
 しゃがみこんで足元を良く見てみる。
他の草に紛れて、一本だけ異質なものが生えていた。
それは言うならば、漫画的な食虫植物。
花の形が変形し、花の付け根のあたりでぽっきりと横を向くように曲がっている。
そしてその花弁の中には牙が生えていて。
「痛っ。」
 虎鉄の足に噛み付いた。
思わずそれを蹴り飛ばす虎鉄。
それは簡単に抜けて。
「ぎゃあああああああああ!」
 一気に、数mの規模まで成長した。
「えええええええええええ!」
 あまりのことに、虎鉄も叫ぶ。
数cmが、一気に数mである。
いくらなんでも無茶な成長といえるだろう。
 そんな事態は、流石に考えていなかった。
そのため、虎鉄は完全に虚を突かれたのだ。
前方への注意は、それでも最低限払っていた。
しかし、流石に足元はもう見ていなかったのだ。
だから。
植物なら当然といえる、触手の存在に気づかなかった。
「うわあああっ!?」
 足に絡みつき、一瞬で逆さづりにされる。
頭に血が上るこの姿勢。
そう長く取っているわけにもいかない。
だが、流石に逆さづりにされた経験など虎鉄にはなかった。
咄嗟に対応を取る事が出来ず。
その間に、他の触手が虎鉄の手足を絡め取っていた。
「このっ…!」
 思い切り手足を振り回してみるが、柔軟な動きをする触手にその勢いを殺され。
全くといっていいほど、本体と思しき花には影響がなかった。
ちなみにその花は、巨大化に伴って非常に毒々しい色になっていたりする。
「わ、わっ!」
 その間にもどんどん触手は群がって。
それは、胴体にすら絡み付いてきた。
まるで人の手のように動いて、ぐいと胴着の前を開く。
バリ、と音がして下衣も破り取られ。
「エロゲー展開!?」
 あまりのことに虎鉄は思わず顔を赤らめた。
たとえ誰が見て無くても、相手が植物でも。
「わあああああ!」
 こんな恥ずかしいことに、耐えられるはずもなかった。
何を考えたわけでもなく。
ただただ逃げるために全力を振り絞って。
「うおおおおおお!」
 できると考えたわけじゃなかった。
ただ、とにかく無我夢中で。
腕に絡んでいる蔦を掴んで、思い切りそれを引っ張った。
勢いを殺されても、そんなことに気づくことすらなく。
ただただ全力で。
持てる力を全て注ぎ込むつもりで。
「だあああああああっ!」
 思い切り、引っ張った。
それは触手の動きを越えて。
本体の花ごと、引きずり倒した。
「い、今だっ!」
 一瞬何がおこったか、と思ったがそのチャンスを逃すわけにも行かず。
緩んだ蔦から一気に抜け出し。
「うおおおおおおおっ!」
 思い切りその花を殴りつけた。
とにかく、全力で。
その結果、花は思い切り吹き飛んで。
十数mは先にあった他の木に、思い切り叩きつけられた。
念のため構えて様子を見るが、再び動き出す様子はない。
それどころか花はどんどん枯れていき。
やがて、ただの枯れ草になった。
「よかった…。」
 安堵の息を吐き、構えていた武器を腰に戻す。
すぐに目的を重いだし、その場で慌てて屈み込み、薬草を摘み取る。
「待っててくださいね、幸志朗さん…!」
 それを道具袋に入れる暇も惜しんで。
強く握り締めたまま、思い切り駆け出した。




 最初に感じたのは、眩しさだった。
随分と久しぶりに、日の光を浴びた気がする。
まるで早朝に誰かがカーテンを開けたようで。
暖かな日差しを全身に浴びているようで。
とてもとても心地良い目覚めだった。
好きな人の腕の中で目覚めるような心地良さ。
「…幸志朗さん!」
 耳に心地いい、あの人の声。
お日様のような暖かな臭い。
「幸志朗さん、起きてください!」
「え!?」
 繰り返される声に、一気に意識が覚醒した。
慌てて目を開き、傾いていた体を起こす。
そこで自分が壁にもたれかかっていることに気がついた。
そして、目の前に誰が居るのかも。
「ここここ、こてさん!?」
 思わずその場で叫ぶ。
目の前にいるのは紛れもなく、友人の大河原虎鉄。
「よかった…。
目、覚めたんですね。」
 突然叫んだにもかかわらず、彼は安堵の顔を見せた。
何があったのか、周囲を見渡して。
自分を覗きこむ顔が、他に二つあることに気がついた。
思わず手を出しかけて、自分のおかれた状況を思い出す。
「あ、そういえばゲームを…。」
 竜神の弟たちに頼まれて参加したのだと言うことを思い出した。
あまりゲームには詳しくないが、虎鉄が喜ぶならと二つ返事で承諾したのだ。
「ずっと眠ってたんですよー。
毒じゃないかって言われて、ほんとに心配したんですから。」
 そういう虎鉄の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
どうやら本当に心配してくれていたようで。
幸志朗は、それがとても嬉しかった。
「こてさん、ありがとうございます…。」
 礼を言いながらも、気恥ずかしくて思わず視線を下ろす。
別に意識していたわけではないが。
目に飛び込んできたのは、下半身だった。
それも、予想していたのは全く違ったもの。
上は自分の物とは違う、色のついた胴着をきちんと着ていた。
だけど。
「こてさん、その…下…。」
 思わず口に出して指摘して。
「え?」
 その言葉に反応して、彼が下を向いた。
ゆっくりと視線が下りて。
ビリビリに破れた、下着丸出しの下半身を見つめる。
「…ギャアアアアアアアアアアス!」
 馴染みのある叫びが響き渡った。




「まあまあ、全力で走って来てくださったのでしょう?
きっと他の人たちも気づいてませんよ。」
 落ち込む虎鉄に、幸志朗が慌ててフォローを入れた。
ひとまず破れたズボンを脱いで、幸志朗に予備のズボンを借りる。
穿きやすく、動きやすいズボンだった。
「でも、町中ずっと走ってきたんですよ…。
誰か気づきますよ…。」
 下着丸出しで走ってきた事が、虎鉄にとっては相当のショックだったのである。
もっとも落ち込んだところで話は進まず、過去が変わるわけでもない。
大きくため息をついて、気持ちを切り替えることにした。
バチン、と顔を叩き気合を入れる。
「ともかく、幸志朗さん!」
「は、はい?」
 突然切り替えた虎鉄に面食らいながらも、彼は返答した。
「今回は何をしたらいいんですか?」
 虎鉄の言葉に幸志朗は首を捻る。
今回のイベントに際して双子に言われたことを思い出す。
「とりあえず…この格闘大会に優勝することだと思います。」
 それくらいしか言われたことは覚えていなかった。
忘れたわけではなく、本当にそれしか言われていないのだ。
「うーん…。
優勝商品に重要アイテムがあるって事かなあ…?」
 首を捻りながら虎鉄は立ち上がり、壁に貼られていたポスターを見る。
だがそこには特に優勝したことに対する商品などは書かれていなかった。
もっともこういった大会で優勝するという名誉・名声があれば一般的には十分と言えるだろう。
RPGとして考えた場合物足りない、というだけだ。
「どちらにせよ、私もここでの試合を終わらせないと動きは取れませんから…。」
 幸志朗が立ち上がる。
「大丈夫、すぐに終わらせてきますよ。」
 その言葉に虎鉄は頷いた。
そのことに関して、虎鉄は何の心配も抱いていない。
誰が相手であれ、幸志朗が負けるわけがないからだ。
「行きましょうか。」
 幸志朗の言葉に、虎鉄は頷く。
幸志朗が目覚めてから、都合よく時間が進んで。
間もなく決勝戦なのだ。
こういう時に待たされないのがゲーム世界のいいところなのだろう。
セコンドに登録した虎鉄もリング横までは着いていく事が出来る。
 思い出すのは少し前。
自警団同士の対抗試合でも、こうやって試合を横で見ていた。
あの時は確か、髭を生やした熊の師範が相手で――。
「え…?」
 リングに上がった幸志朗。
その正面に向かい合うように立つのは。
立派な口ひげを生やした熊の男。
どう見ても、あの時の相手。
相模師範代である。
「ど、どうして…。」
 思わず呟くが、言うまでもない。
恐らくNPCなのだろう。
だがそれでも。
どうして、あの日の再現なのだろう。
双子たちは知らないはずなのに。
そんなことを考えている間に、頭の中をぐるぐると巡らせている間に。
「試合、始めッ!」
 試合が、始まっていた。
それは正にあの日の再現。
向かってくる相模師範。
その手を受け流し、相手の突進方向を変えるように幸志朗は相手の腹を打ち上げる。
二度目だから、見えた。
幸志朗が何をしたのか。
どうやって相手を跳ね上げたのか。
「奥義・覇の段…」
 だがそれが見えたからといって。
理解が、追いついたわけではなく。
「杭打ち!」
 幸志朗の叫びと。
あの時のように、吹き飛ばされる相模師範の姿で。
ようやく、虎鉄は自分を取り戻した。
 静まり返る闘技場。
そんなところまで、あの日の再現を見ているようだった。
慌てて拍手する虎鉄。
その音が響き渡って。
ようやく時が動き出したように、歓声が響き渡った。
 振り返り、幸志朗が笑ってみせる。
ぐっと親指を立てて、虎鉄もそれに返した。
 それから、そのまま表彰式に移った。
気絶している相模師範が運び出されるのを横目に見ながら、リング上にスポンサーと思しき老人が上がる。
簡単な挨拶もそこそこに、表彰状と何か箱状のものが手渡された。
虎鉄の位置からは良く見えないが、幸志朗には箱の中身が見えているらしい。
それを見て、ひきつった表情を浮かべている。
後で中身を教えてもらおう、と虎鉄は思いながら拍手をしていた。




「それで、中身はなんだったんですか?」
 幸志朗の家、という設定の建物に戻ってきた二人。
一息ついて、虎鉄は早速問うてみた。
だが幸志朗はなぜか恥ずかしそうな顔をするばかりで答えない。
そんなに恥ずかしいものだったのだろうか。
敢えて踏み込まない方がいいのだろうか。
そう考えて話題を切り替えるべきか、と思った矢先に。
「…これです。」
 幸志朗は箱の中身を見せてくれた。
それは、一抱えほどの大きめのぬいぐるみだった。
バンダナを巻き、エプロンをつけた笑顔の虎のぬいぐるみ。
普段の虎鉄を模したぬいぐるみだ。
「これ幸志朗さんが作ってたぬいぐるみですか?」
 その言葉に幸志朗は頷く。
趣味でぬいぐるみを作っている幸志朗に、虎鉄は自分のぬいぐるみを作ってもらったことがあった。
それと同じものが箱の中に入っていたのだ。
「え、どうしてコレが…?」
 顔を赤くしたまま、幸志朗はぶんぶんと首を振る。
もっとも気持ちはわかる。
なぜか知らないが、幸志朗がおおっぴらにしてこなかったはずの趣味を双子が知っているということなのだ。
「…まあ、深く考えない方が。」
 とりあえず、全て終わったら説教だな、と。
虎鉄は心に固く誓った。
「ともかく、この後のことですね。」
 幸志朗が気を取り直したように顔を上げた。
机の上にざっと地図を広げる。
「表彰式の後に言われたのですが、どうも辺りのモンスターを扇動してる輩がおる様です。」
 町の場所に指をおき、ゆっくりとずらしていく。
「今回の格闘大会は、対抗できる人材を探したいという意図もあったようですな。」
 なるほど、確かに強い人間を探すならそれが手っ取り早いだろう。
普通に公募したほうが人数は集まる気はするが、精鋭をスカウトするという意味では早いのかもしれない。
まあその辺りはご都合主義、というべきか。
「じゃあこの場所に行けば?」
「ボスキャラ、とやらがおるのでしょうな。」
 虎鉄の言葉に、幸志朗は頷く。
場所は特に変哲もない森の中だった。
恐らく源司の時のように、何か建物でもあるのだろう。
ここで語らっていても何があるかなどわかりはしない。
ならば早々に出発した方がいいだろう。
「じゃあ、行きましょうか。」
 決めてしまえば行動は早い。
手荷物一つない虎鉄と、ずだ袋のみの幸志朗。
だが家を出るときにふと振り返って。
虎鉄は、ぬいぐるみを幸志朗のずだ袋に放り込んだ。
「こてさん?」
 不思議そうな顔をするが、虎鉄は笑って誤魔化した。
なんとなく、ほったらかしにするのが可哀想なだけだから。
言わなくてもわかってくれるだろうと思ったのだ。
 町を出て、駆け足で森の中を走る二人。
幸いなことに、二人の足の速さはそう変わらない。
体力を消費しないように走れば、ほぼ同じ速さで走っていく事が出来た。
 走り始めてから一時間と経たぬ頃。
日がようやく傾いてきた頃に。
「あ、アレじゃないですか!?」
 森の合間にちらちらと建造物が見えだした。
どうやらそれは結構な高さを持っているようで。
恐らく、それは塔なのだろう。
「ふむ、このペースでいけば十分ほどで着きそうですな。」
 幸志朗の言葉に虎鉄が頷く。
問題は着いてからどうするかである。
盗賊のアジトの時のように、見張りが居るのならばまた何か考える必要があるだろう。
尋ねてみたが、残念ながら幸志朗は魔術の類を使えない設定らしい。
もちろん虎鉄が新しく修得したわけでもない。
ならば。
「正面突破しかありませんな。」
 虎鉄も頷いた。
相手がモンスターの類であれば、片っ端から殴り飛ばしていけばいい。
幸志朗と二人ならそれもできるだろう。
「このまま行きましょう!」
 虎鉄の言葉に幸志朗は頷いた。
勢いを殺さぬまま、一気に駆け抜けて。
塔の前で、二人は足を止めた。
「…誰もおりませんな。」
 確かに幸志朗の言うとおり。
塔の前には誰も居ない。
いや、正確に言うなら。
居た形跡すらない。
まるで廃墟のような場所だ。
「入りますか?」
 幸志朗の言葉に虎鉄は戸惑う。
まるで人がいた形跡がないこの場所。
確かに戦闘を行うならおあつらえ向きかも知れないが。
はたして本当にここでいいのだろうか。
 念のため、もう一度地図を確認し。
やはり間違いはなさそうだ。
「…行って、みましょうか。」
 無駄足なら無駄足でもかまわないだろう。
ひとまずシステム側から提示された場所なら、なんらかのフラグが立つ可能性もある。
「わかりました。
では!」
 いいながら、塔の入り口を思い切り蹴り飛ばす幸志朗。
がらん、と乾いた音を立てて扉が内側に倒れた。
それに伴い舞い上がる埃。
そして垂れ下がるクモの巣。
本格的に人がいた形跡が見当たらない。
 クモの巣を避けながら、ひょいと中を覗きこむ。
がらんとした場所に、ただ階段があるだけだった。
ゆっくりと足を踏み入れて。
空を切る鋭い音に、咄嗟にその場にしゃがみこんだ。
頭の上を掠めるようにして矢が飛び、壁に突き立つ。
「こ、こてさん!」
 慌てて幸志朗が駆け寄ってくる。
彼に対しても矢が飛ぶが、幸志朗はそれを見ることもなく掴んで投げ捨てる。
「大丈夫ですか!」
「あ、はい…。」
 どちらかというと、矢を素手で掴んだ幸志朗の方が気にならなくはないが。
流石にそれを口に出すのは控えた。
「罠があるみたいですね、気をつけて行きましょう。」
 幸いに、この階の罠はそれで終わりらしい。
ともかく気をつけて階段を昇り。
二階に上っていきなり落とし穴に落ちた。
「こ、こてさーん!」
 幸志朗の叫び声が聞こえる。
落とし穴は床を貫通して、そのまま一階に落ちるだけで。
本当にただの嫌がらせに過ぎなかった。
それでも、痛いものは痛い。
なんとか受身はとったものの、落ちるときに咄嗟に床を掴もうとした掌がひりひりとしていた。
「大丈夫ですよー…。」
 なんとか起き上がり、階段を昇りなおす。
一階につき一つ、罠があるようで。
逆に言えば、一階につき一つしか罠がない。
それが判れば二階の攻略は簡単だった。
目の前で大きく開いている穴を避ければいいだけなのだから。
「おのれボスキャラとやら!」
 ただ、幸志朗のやる気はこの上もなく上がっているようだった。
ボスキャラが何かはよくわかっていないようだけれど。
今にも走り出しそうな幸志朗をなだめながら穴を回避して、部屋の対角にあった階段を昇り。
「待ったぞ、大河原!」
 その声が聞こえると同時に、幸志朗は動いていた。
「キャアアアアアア!」
 ズタボロになって倒れる友人をみて、虎鉄は思わず叫んでいた。
虎鉄が止める、どころか。
そもそも誰がいるかを認識する前に。
幸志朗は、最上階にいた彼を一瞬で叩きのめしたのだ。
「だ、大丈夫か、新郷!?」
 その場で倒れる友人と思しき物体に駆け寄る。
シェパードの獣人、のはずだ。
今は殴られて血だとか涎だとか、なぜか煙まで出ているから判りにくいが。
友人の、新郷真樹がそこに倒れていた。
「お、大河原…。」
 ピクピクと痙攣しながら手を伸ばしてくる新郷。
その手を取ろうと駆け寄り。
「そこ、罠が…。」
 新郷が指差した場所を。
虎鉄は思い切り、踏みつけた。
「わああああ!?」
 それと同時に大きく揺れだす地面。
「え、え、え!?」
 ともかく新郷に駆け寄り、彼を抱え起こす。
手にしていた薬草をとりあえず彼の口に入れてやり。
「塔が…崩れる…。」
 ようやく新郷が声を絞り出した。
その言葉の意味を知り、虎鉄が慌てて辺りを見る。
それと同時に。
壁がはがれ、虎鉄と新郷に向かって落ちてくる。
ごう、と音が聞こえて咄嗟に目を閉じる。
新郷を抱えたまま走りだす暇もなく。
「こてさん!」
 幸志朗の声だけが聞こえた。
せめて新郷だけは守ろうと、彼の頭を抱え込んで。
衝撃は、来なかった。
「…幸志朗、さん。」
 彼が、壁を受け止めていたのだ。
だがその壁は大きく、さらに天井まで崩れてきている。
流石の彼もそれを投げ飛ばすまではいかないようで。
「こてさん…私の…荷物を…っ!」
 必死にそれだけをもらす。
口を開ければ力が抜けそうなのだろう。
虎鉄は慌てて彼がもっていたはずのずだ袋を探し。
「な、何を探せば…」
 必死でその口を開く。
それと同時に、中から何かが飛び出した。
予想外の展開に言葉すらでず。
自分の形をしたぬいぐるみが、幸志朗の支える壁を蹴り壊すところを呆然と見ていた。
「ええええええ…?」
 あまりと言えばあまりの展開に虎鉄は言葉を漏らす。
その間にもぬいぐるみは幸志朗の身体をよじ登り、さも当然と言うように肩にしがみついた。
「幸志朗さん、それ…。」
 虎鉄の言葉に、幸志朗は恥ずかしそうな顔をする。
「と、とりあえず先に脱出を…。」
 照れた顔をしながら幸志朗は新郷を抱え上げる。
そのまま崩れ落ちた壁を乗り越え、思い切り飛び降りた。
慌てて虎鉄も後に続き。
三階の高さであることを思い出した。
「うわっ…。」
 流石に慌てるものの、器用に体制を整える虎鉄。
この辺りは流石に猫科、というべきなのだろう。
「大丈夫ですか?」
 なんとか着地した虎鉄を、幸志朗が心配そうに振り返った。
「ええ、大丈夫ですよ。
それよりも…。」
 未だに肩の上にいるぬいぐるみを見て話を促す。
「その…私の役割の話なのですが…。」
「え、幸志朗さんモンクタイプじゃないんですか?」
 彼がいつも通りの胴着で、いつも通りに戦っているからてっきりそうだと思っていた。
虎鉄自身と役割は被るけれど、それが一番似合うと思っていたからだ。
だがどうもそうではなく、彼は自分の持つポテンシャルだけで戦っていたようで。
「その…人形を使って戦え、と言われていたのです…。」
 どうやら彼の戦いは、あのぬいぐるみを使うのが正式であったようだ。
もっとも戦いぶりを見るに、その必要もほとんどなかったようだけれど。
「まあ、おかげで助かりましたけど…。」
 肩に乗っているぬいぐるみをつんつんとつついてみる。
どうやって動かしているのかはよくわからない。
このあたりも魔法の類なのだろうか?
なんにせよ、先に話してもらいたかったとは思う。
「ともかく、町に戻りましょう。」
 木にもたれかけさせていた新郷を抱えて。
そこで虎鉄は気がついた。
「あ、新郷!
そういえばお前はオーブとか持ってないの!?」
 考えてみれば今までのボスキャラは全員持っていた。
ならば、新郷も持っていると考えるべきだろう。
「…ポケットに。」
 なんとか搾り出すように彼は答えた。
彼の服装を見るに、ズボンにしかポケットはなさそうだ。
少し恥ずかしいが、必要なものを探すためと言い聞かせて手をもぐりこませる。
指先にコリっとしたものが当たり、それを掴もうと指を動かす。
「お、大河原、それじゃない!」
 慌てて新郷が抵抗した。
それが何であるかを考える前に手を離し、改めて探る。
今度こそ、と指先に当たった固いものをつまみ出す。
それは紛れもなく今まで集めてきたオーブと同じものだった。
最初が黄色、次が緑、そして今回が赤である。
「これで三つ目ー!」
 虎鉄は思わず高々と掲げた。
なんとなく、その方がゲームっぽいと思ったからだ。
「ところで新郷、これ集めてなんの意味があるの?」
 振り返ると、幸志朗がぱっと新郷から手を離すところだった。
何をしていたかはわからないが、とりあえず新郷が安心した顔をしたことは判った。
「あ、えっと…前の人たちから聞いてないか?」
 随分と回復したようで、先ほどよりも話し方が安定していた。
虎鉄は首を横に振る。
一人目は会話をする前に気絶したし、二人目はそもそも忘れていたのだ。
「えっと、一応設定上魔王がいるって話は知ってるよな?」
「ああ、なんか自称してる奴がいるって…。」
「そのオーブは、魔王のいる城への道を開くための物なんだよ。」
 そう説明されて、ようやく合点がいった。
なるほど、確かに往年の名作といわれるRPGでは良くある手法である。
「じゃあこれをいくつか集めればいいのか?」
「全部で四つだから…後一つだろうな。」
 言われて考える。
今まで、友人一人をパーティに加えるごとに、一つのオーブが手に入ってきた。
ならば最後の一つのためには、きっと彼が待っていることだろう。
「こてさん、ともかく町に帰りましょう。」
「あ、でも新郷はどうなるんですかね。
一応設定上は魔物側の設定でしょう?」
「処刑します。」
 ぎらり、と幸志朗の目が光った気がした。
「いやいやいや!
ダメですよ、処刑しちゃ!」
 慌てて虎鉄が首を振る。
新郷は木にもたれかかったまま、顔を真っ青にしていた。
「せ、せめて操られて利用されてたとかそういうことにしておいてください!」
「まあ、こてさんがそう言うのなら…。」
 少しだけ不満げに言う幸志朗。
仲がいいのか悪いのか、わからない二人。
相変わらず虎鉄の目にはそう映っていた。
まあ嘘をつく人ではないので、そう言ってくれたからには安心していいだろう。
「じゃあ、戻りましょうか。」
 虎鉄の一言に、幸志朗はゆっくりと頷いた。
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