虎鉄とゆかいな仲間たち



 はぁ、と小さくため息をついた。
手にしたホウキでゴミを集めては、ちりとりで拾い上げてゴミ袋へ移す。
そんな作業を果たしてどれほど続けているだろうか。
 改めて顔をあげる。
今日のノルマは、この大通りを一通り掃除することである。
それが今、およそ半分といったところだろうか。
思わずぶるり、と身体を振るわせる。
年が明けてまだ半月ほど。
寒い中での作業を一人でするのは、身体にも心にも響くものであると痛感した。
 もっともこの作業は、本来一人でするものではない。
商店街に店を出しているものたちで、持ち回りの当番制になっているのである。
それは書店「トラトラ屋」を営む彼、大河原虎鉄もその例に漏れない。
「やっぱり誰かにお手伝い頼んだ方が良かったかな…いやいや、これは自分の仕事!」
 弱気になりかける自分の顔をバチンとたたき、気合を入れる。
本来、大通りの清掃は2〜3の店でグループを組み行う作業である。
そうでなければ、道が広すぎて終わらないからだ。
だが今回、虎鉄は一人で清掃を行っている。
別に、一緒のグループに当たっている店がサボっているわけではない。
虎鉄が、自分から言い出したのだ。
いつも一緒に清掃している店の店長が、もうすぐ子供が生まれそうだという。
そんな話を聞いて、「大変ですね、じゃあ掃除いきましょうか」などと言える虎鉄ではない。
まさに気分は「ここは俺にまかせて先に行け!」である。
「ああ、でもやっぱり峰屋くん辺りにお手伝いを…。」
 そんなカッコいい台詞を吐いたわけではないが、それでも自分から言い出したこと。
そう思って他の誰にも手伝いを頼まなかったのだ。
だが既に後悔で一杯である。
虎獣人である虎鉄は自前の毛皮がある。
それでも、寒いものは寒いのだ。
早く終わらせて、暖かい紅茶でもいれよう。
そう思っていた、まさにそのタイミングで。
「こてっちー!」
「わあああっ!?」
 突然後ろから抱きつかれた。
ホウキを落としたものの、ゴミ袋の中身が漏れないようになんとか口を強く握る。
振り向かなくても飛びついてきた相手の見当はついた。
ついたが、それが誰かまではわからない。
改めて顔を見ても、やはり名前はわからず。
「…波威流!」
「ぶっぶー!
弩来波でしたー!」
 勘で呼んだ名前に、目の前の竜人は嬉しそうに腕をクロスさせてバツ印をつくる。
肩までのびた黒い髪からのぞく、二本の長い角。
そして黙っていれば強面といわれるその顔。
虎鉄は間違いなくその顔を知っている。
が、それでも名前が当てられない訳がある。
「オレも来てるよー。」
 弩来波の後ろから、同じ顔が覗く。
彼ら二人、波威流と弩来波は双子なのである。
正直虎鉄には二人の見分けがつかない。
だから顔を合わせるたびにこうやって名前を当てるゲームをするのだ。
「くそー、また外れか…。」
 悔しがる虎鉄と、それをみて笑っている波威流と弩来波。
この姿を見て、竜人二人が神の眷属だと思う者は少ないだろう。
「こてっち、年明けてから全然遊びにきてくれないからさー。」
 そうやって拗ねてみせる姿は、年相応…というよりは見た目より幼いくらいである。
これで土地神の弟いうのだから、本当に見た目では判断がつかない。
「ああ、ちょっと色々と忙しくて…って、そうじゃなくて!
今は掃除中だから遊べないの。」
 思わずそのまま雑談を展開しそうになる虎鉄。
だがそんなことをしている暇はないのだ。
トレードマークになっているバンダナを調えて、ホウキを拾い上げる。
「掃除って…この通り全部?」
 波威流が周囲を見渡しながら言う。
そう言うのももっともだろう。
この通りは、一人で掃除するには広すぎる。
「じゃあ俺達も手伝うよ!
ホウキとか余ってる?」
 さも当然と言うように、二人は笑う。
神としての能力を使えば掃除なんて一瞬だろう。
が、それは虎鉄が最も嫌うことである。
一言で言えば、「ズル」に感じるのだ。
波威流も弩来波も同じ考えかは知らないが、虎鉄と出会う前から能力を使わずに仕事をしていたらしい。
そういう部分もあって、双子とは馬が合うのだ。
「…いいの?」
 それでも、やはりそう聞いてしまうのは虎鉄の人付き合いに対する恐怖感からであろう。
「もちろん!」
 そうやって笑ってくれる双子が、どれだけ有難いことか。
「じゃあ、ちょっとホウキ取ってくるから!」
 なんだか笑顔を返すのが照れくさくて。
虎鉄は手にしたホウキを預けて、走り出した。




「で、今日はわざわざどうしたの?」
 二人が手伝ってくれたので、掃除はすぐに終わった。
今は場所を移し、虎鉄の家に移動している。
紅茶を入れるカップにお湯を張り、カップを暖めながらお茶請けの洋菓子を準備する。
「こてっちが遊びに来てくれないから、遊びに来たんだよ!」
「お土産もあるよー!」
 言われて反射的に二人を見る。
が、二人とも手ぶらで何かを持っているようには見えない。
あまり浅ましく見るのもなんだと思い、紅茶を入れる作業に戻る。
「お土産って、食べ物?」
 カップのお湯を捨て、紅茶を入れたティーポットと合わせて居間へと運ぶ。
お菓子ならこの場で一緒に、と思ったのだ。
 虎鉄の言葉に、あたりをキョロキョロと見回していた双子の視線が集まる。
「ううん、今日はゲームもってきた!」
「ゲーム!?」
 余りにも予想外の答えに、虎鉄は思わず聞き返した。
まさかこの二人がゲームをするとは思わなかったのだ。
「うん、作ったんだよ。」
「作った!?」
 波威流の言葉に、思わずあんぐりと口が開く。
慌てて虎鉄はぶるぶると首を振る。
冷静に考えれば、すごろくなどは子供でも作れるのだ。
松の内も過ぎたとはいえ、正月が近いのだし福笑いなんかもありだろう。
「こてっちRPGとか好き?」
「電子だよ!
思いっきりコンピューターゲーム作ってるよ!」
 一瞬テーブルトーク、という言葉が頭を掠めた。
だが弩来波が取り出したそれはどうみてもコンパクトディスク。
いわゆるCDの形であった。
やはり想像通りのゲームであったらしい。
「よくこんなもの作れるなあ…。」
 ケースからディスクを取り出し、裏表を確認する。
ディスクの表面にはしっかりとレーベル印刷までされていたりするから、完成度の高さは異常ともいえた。
 ちらりと視線をやれば、波威流も弩来波も虎鉄が出したパウンドケーキを貪っている。
現在別に暮らしている虎鉄の父が、以前手土産にと持ってきたものだ。
小さく切られて、個別包装されている。
虎鉄もそれを一つ手にとり、封を切った。
洋菓子を食べ、紅茶を飲み、ようやく一息。
「…ホントに?」
「え、あたりまえじゃーん。」
「嘘ついてもしょうがないでしょー?」
 確かにその通りではある。
神としての能力を使えば簡単だが、果たしてこの二人がどこまでそれを使っただろうか。
全く使わなかったわけではないだろうが、かといって何かを丸々複製したわけではないだろう。
「…とりあえず、ハード何?
プレステ?」
 このままディスクを眺めていてもしょうがない。
ひとまず起動してみようと、テレビの電源を入れる。
「あ、それそうじゃないよ。」
 ディスクをゲーム機にいれようとする虎鉄を、波威流が止める。
不思議に思い振り返る虎鉄。
「こっちこっち。」
 弩来波が、自分の手首を叩いて見せた。
一般的にはそれは時間を意味するジェスチャーである。
が、この場合は違う。
虎鉄が腕につけているのは、二人にもらったバングルだ。
 波威流と弩来波は、温泉宿を営んでいる。
そこは神々が疲れを癒しに来る場所であり、それが故に入るには神としての資格が必要だ。
このバングルは、一般人である虎鉄がそこに入るための通行証のようなものである。
「これ?」
 不思議に思いながらバングルを見せる。
もちろん音楽再生機能や、ゲーム機能がついているシロモノではない。
ディスクを読み込ませる部分などないはずだが。
「こうやってねー。」
 バングルの上に、ディスクをかざす波威流。
手を離すと、それがバングルの上に浮かぶ。
どうやら本当にこれ専用だったようだ。
波威流が勢いをつけてディスクを回すと、もともとそういった機能があったかのようにバングルがディスクを読み取り始める。
「これでオッケー。」
 何がオッケーなのか、虎鉄にはわからない。
「で、そこのドアに触って。」
 訳がわからないまま、言われた通りにする。
ゲーム、と言っていたのがなんだか嘘のようで。
『じゃーん。』
 双子が声を合わせて扉を開き。
その先にある風景に、虎鉄は目を見開いた。




「えええええええええええ!?」
 虎鉄は思わず自分の目を疑った。
扉をくぐればそこは自分の寝室のはずだった。
だがそこはよく知る部屋などではなくて。
どう見ても、森の中にある小さな村だった。
「どういうこと!?」
 振り返るが既に波威流も弩来波もいない。
もちろんくぐったはずの扉も見当たらず。
知らない場所に思い切り放り出された状態である。
「あいつらあああああ!」
 思わず叫ぶ。
だがそんなことをしても二人は姿を現さず。
 しょうがなく現状の理解から入る。
周囲を見回せばログハウス風の家が数軒。
正確に数えれば見える範囲では五軒だ。
それ以外に見えるのはただただ木、である。
さすがに何の木かまでは判別つかないが、雰囲気的には家の近くにある森林公園によく似ている。
もちろんそこには家など建っていなかったから、違う場所ではあるのだろうけれど。
 ふと、自分の手が視界に入る。
一瞬そのまま流しかけて、慌てて見直した。
見覚えのない、指貫グローブをつけている。
慌てて身体を見下ろせば、服装もまた見覚えのない胴着を身に着けていた。
とはいっても、普段友人の武道師範が身に着けている白い空手着のようなものではない。
それこそファンタジー世界に登場するような、肩当がついた赤黒い胴着だった。
「ナニコレ!?」
 もちろん脱がされた覚えもなければ、袖を通した覚えもない。
まさに一瞬での早着替えが行われていたのである。
思わずびくんと尻尾を跳ね上げて。
「どちらさん?」
 不意に後ろから声をかけられた。
おそらく大声を出して一人で騒いでいたから、誰かが聞きつけてきたのだろう。
恥ずかしい、と思い思わず耳を伏せながら振り返る。
そこには若者が二人、立っていた。
「あれ…?」
 思わず声を漏らす虎鉄。
そこに立っていたのは、見覚えのある犬の若者たち。
もちろん服装はファンタジー世界よろしく、地味な色合いの布製の服であったが。
だが彼らは虎鉄の顔を見てもまるで表情を変えない。
ただのそっくりさん…と考えたいが。
それでも、そんなに似た獣人が2人も揃うものだろうか。
「あんた…旅の人か?」
 前に立っているハスキー犬の獣人が口を開く。
声から判断するに、先ほど声をかけてきたのも彼だろう。
とりあえず知り合いにそっくりなので、虎鉄は心の中で彼を一樹と呼ぶことにした。
「あ、えっと…。
知り合いとはぐれてしまったみたいで。」
 思わず頭をかきながら答える。
手に当たる感触から、トレードマークのバンダナはつけたままだと判る。
だが一樹はそんな虎鉄の様子をみて、顔色を変えた。
「あんた、その手の…!」
「え?」
 一樹は虎鉄の手を取り、ぐっと引き寄せる。
急な展開に思わずどきりと心臓が高鳴った。
だがもちろん、虎鉄が期待したような展開ではない。
決して抱きとめられるわけではなく。
「この腕輪…!」
 一樹が後ろにいた仲間を振り返る。
彼もさっと表情を変え。
「俺ちょっと村長呼んでくる!」
 金色の髪を生やしたドーベルマンが慌てたように走っていった。
「え、ナニ!?
なんか不味かった!?」
 思わず一樹の顔をみる虎鉄。
だが腕を掴んだまま、彼はじっと虎鉄を見るだけで何も話さない。
とりあえず殴られたりするわけでもなさそうなので、不安に感じながらも虎鉄はそのまま様子を見ることにした。
 やがて、ドーベルマンが飛び込んだ家から一人の老人が慌てた様子で顔を出した。
若者たちよりは少しだけ質の良さそうな服を着た猪顔の獣人。
「…今度は町内会長かあ。」
 歩み寄ってくるのは、虎鉄が住む星見町の町内会長である。
普段は町内会のイベントなどで虎鉄と張り合うことも多いのだが。
「よくぞこられました、勇者様。」
 やはり彼は虎鉄を知らないようで。
あろうことか、勇者などと呼び出した。
「勇者って、自分がですか!?」
 さすがに唐突な話で声をあげる虎鉄。
それと同時に、若者も老人も一斉に膝をついた。
そう、まるで敬意を表すようにである。
 一瞬呆然とするも、ようやく虎鉄は意味がわかりかけてきた。
まさに言葉どおり、これはRPG…ロールプレイングゲームなのだ。
ディスクの形状やRPGという語感からてっきりビデオゲームを連想していたのだが。
どうやら本当にロールプレイ、つまりは役割を演じて遊ぶ、壮大なごっこ遊びの場を彼らは作り上げたらしい。
つまりここでの彼らは虎鉄の知り合いと同じ顔をした別人であり、虎鉄本人は世界を救う勇者なのだ。
「その腕輪が何よりの証!
この村に古くから伝わる伝説がそれを示しております。」
 となると、ここは勇者らしく振舞うのが鉄板だろうか。
いや、虎鉄になんの説明もない辺りどちらかというと巻き込まれ方のパターンか。
「で、でも自分なんかが…。」
 とりあえず軽く否定しておく。
もちろん、シナリオがある以上そう簡単には外れることはできないだろう。
雰囲気を盛り上げるための小芝居である。
「いえ、間違いございません。
鮮やかな虎縞、青いバンダナ、そして腕のバングル。
伝説にある勇者様そのものでございます!」
 力強くそう断言され、思わず虎鉄は顔を赤らめる。
流石に面と向かってそこまで言われると照れるものがある。
「数年前から現れた魔王を倒せるのは、貴方様だけでございます!」
「魔王かー…。」
 思わず呟く。
少々話が唐突な気がする。
小さな村で、旅人に急に魔王退治を依頼するものだろうか。
もっとも双子はあまりこんなゲームをした事がないだろうから。
きっとシナリオの組み立てにやや強引なところがあるのだろう。
そう思って自分を納得させることにした。
「わかりました!
自分にできることであれば!」
 精一杯の笑顔で答える。
「よし、カモゲット!」
「え?」
「いえ、なんでもないです。」
 聞こえた不穏な言葉に、思わず聞き返す。
もちろん普通に誤魔化された。
(…これ、シナリオが雑なんじゃなくてなんか詐欺にあってるんじゃ…?)
 一抹の不安を覚えるが、既に後の祭りである。
「ささ、これを持って城にお向かいください!」
 そう言って村長役の彼が手渡してきたのは、パリっとした封筒である。
城に持っていけ、ということは恐らくこれは紹介状のようなものなのだろう。
「…あっちでいいんですか?」
「そうですそうです、どうぞどうぞ!」
 村長が指差す方向に、しょうがなく歩き始める。
まるで追い出されるかのように。
虎鉄は森の中に向かって歩き始めた。
「なんか体よく追い出されたような…。」
 手にした封筒を裏返してみる。
思い切り、No.5と書かれていた。
五人目、ということだろうか。
「これ、それっぽい人を人身御供にして城で兵役かなんかさせてるだけ…?」
 不安感は増すばかりである。
だがとりあえず、シナリオはあるようだしなぞってみればいいだろう。
あの双子が作ったものならとりあえず命の危険はあるまい。
 とりあえずシナリオよりも作り手を信じることにして。
虎鉄は、示された方向に向かって森の中を歩き続けた。




 言われていた城は、意外とすぐに見つかった。
村自体、高い木に覆われていただけで距離はそう遠くなかったようだ。
森を抜ければ、すぐ目の前に城が見えた。
少し低くなった土地に城が建てられており、その周りに巨大な堀が見える。
いや、正確にいうならば湖の中の大きな島に、城を建てているのだろう。
確かに守りは強固になるかもしれない。
そう考えながら、虎鉄は近くに見える橋に足を向けた。
 ここに来るまでに、虎鉄は自分の姿や持ち物をもう一度改めていた。
胴着自体はしっかりしたつくりのもので、ちょっとした刃物くらいなら受け止めてくれそうな強度が感じられる。
だが持ち物はほぼないに等しく、懐に入っていた財布と、腰につけていた道具袋に薬草らしきものが数枚だけであった。
正直勇者の持ち物としては心もとないことこの上ないが。
おそらく城に行けばある程度の体裁は整えてくれるだろう。
それだけを信じて。
虎鉄はとにかく歩き続けた。
「止まれ!」
 橋を渡り、城の入り口に近づいたところで門番に声をかけられた。
正確には制止された、という方が正しい。
手にした槍で、進行を妨げる様に門を押さえている。
「今は警戒態勢中である。
紹介状のないものは入れる事ができない。」
 とりあえず顔を確認する。
眼帯をつけた、垂れ耳の犬。
…どこかで見た事があるが、思い出せなかった。
もっとも向こうは虎鉄を知らないので特に問題はない。
「あ、一応コレを…。」
 村長から預かった手紙を門番に渡す。
無言で受け取ったそれを、門番は中を改め。
「失礼。
通ってかまわない。」
 小さく頭を下げて、彼は一歩下がった。
まさに職務に忠実な門番といった風で。
もはや虎鉄のことは眼中にない様だった。
「じゃ、じゃあ失礼しますね。」
 とりあえず一声だけかけて門をくぐる。
「わあ…!」
 そこは、先ほどとは違うとても賑やかな場所だった。
門の中は城下町になっており、ざわざわと喧騒が心地よい。
今くぐった門から、そのまま大きな通りが城へと続いている。
大通りの脇には様々な店が並んでおり、日の高い今はまさに呼び込みも最高潮のようだ。
「どうしよう、ちょっとくらい買い物していってもいいかな…!」
 別に誰かに呼ばれているわけでもない。
咎められることもないだろうと、辺りの店を見ながらぶらぶらと通りを歩いていった。
 見たことのない果物を売る八百屋、様々な装飾品が売っている万屋。
特に目を引いたのは古本屋である。
自分の財布に入っている小銭がどれくらいの価値があるのかわからないから、買うことまでは出来なかったが。
思わずこの世界の歴史に関する本を数冊、読みふけってしまった。
 気がつけばすでに日は傾いていて。
「あ、虎鉄さん!
こんなところにいたんですか!」
 急に名前を呼ばれて、虎鉄は思わず身を硬くした。
まさかこの世界で、名前を呼ばれるとは思わなかったから。
だがその声はどこか聞き覚えのあるもので。
「愁哉君!?」
 振り向けば、店の入り口に立っているのは鎧を着た青年。
満面の笑みを浮かべた馬獣人の彼は、虎鉄の友人であり運送会社に努めているはずの。
年下の好青年、茶道寺愁哉だった。
もっとも今は普段のスマートな私服でも、運送業の制服でもない。
白いアーマープレートの上に、ゆったりとした布の服を一枚着込み。
まさに、騎士といった格好である。
腰にもしっかりと剣を下げている辺り、やはりそういう仕事の役割を振られているのだろう。
「わー!
すごい似合う、カッコいい!」
 思わずテンションを上げて駆け寄る虎鉄。
「え、そ、そうっすか?」
 愁哉も顔を赤らめて照れた表情をした。
そこで、虎鉄は気がつく。
どうも愁哉だけは事情が違う気がする。
彼は最初に自分を「虎鉄さん」と呼び。
そしていつも通り、友人に接するように会話をしてくれている。
これは今までとは違うパターンだ。
今までどおりであれば、彼は同じ顔をしているだけの別人であるはずだが…。
「えっと…本物の愁哉君?」
 少しだけ申し訳ない気持ちを抱きながら。
虎鉄は上目遣いでそう聞いた。
「もちろん、本物っすよ!」
 長い髪を掻きあげ。
ぐっと親指を立ててみせる。
着ている鎧と相まって、それは本当に絵になっていた。
「良かったあああああ。」
 思わず虎鉄はその場で愁哉に抱きつく。
「あ、こ、虎鉄さん?」
 予想外のリアクションに愁哉は思わず言葉に詰まる。
腕を回し抱きしめるかどうかを迷って。
決断する前に、虎鉄の方から離れてしまった。
「波威流と弩来波に、突然こっちに放り込まれてさ〜。
ゲームだってわかってても、一人だと心細かったんだよー。」
 思わず目元に涙を浮かべながら虎鉄は笑う。
愁哉はそれをみて一瞬だけ驚いた表情を浮かべて。
すぐに安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ、俺はちゃんと虎鉄さんだってわかりますから!」
 愁哉の言葉に虎鉄は、手を握りながら何度も頷く。
「他の人は全然自分に気づかないし、てっきり全員そっくりさんかと思ったんだけど…。」
「いやあ、脇役のNPCはそうみたいっすけど…。
メインキャラは本物連れてきてるみたいっすよ?
俺も双子に協力要請されましたもん。」
 その時のことを思い返し、思わず愁哉は身体を振るわせた。
虎鉄は知らないことだが、波威流と弩来波は彼らの兄か虎鉄のどちらもが居ない場面ではかなり性格が違う。
それが故に、特に茶道寺辺りは彼らと直接会話することは避けているのだが…。
今回は虎鉄のために、ということで向こうから頼みに来たのである。
もっとも、かなり居丈高な頼み方ではあったのだが。
「え、じゃあ他にも遊びに来てる人がいるの?」
 虎鉄の脳裏に、数人の友人の姿が浮かぶ。
が、その辺りは愁哉も知らされていない。
「俺も詳しくは知らないんですよね。
とりあえず俺は虎鉄さんが紹介状持ってくるまで城で待ってるはずだったんですけど…。」
 その言葉を聞いて、虎鉄は自分が愁哉を待たせてしまっていたことに気がついた。
恐らく本来なら、この城下町を通り抜けすぐに城に入る予定であったのだろう。
ところが虎鉄が寄り道をしてしまい、結果愁哉に待ちぼうけを食らわせてしまったのだ。
「うわー、ごめん!
知らなかったからずっと本読んじゃってたよ!」
 慌てて謝る虎鉄だが、もちろん愁哉はそんなことで怒ったりはしない。
きちんとしたナビゲートを受けたわけではないから、そこはしょうがないのである。
「とりあえず、飯にしません?
俺腹減っちゃって。」
「あ、じゃあ自分がおご…れるのかな、これ。」
 懐から財布を取り出し、愁哉に見せてみる。
残念ながら、と彼は苦笑を浮かべながら首を振った。




 ひとまず手近な定食屋に入り、席に着く。
食事代はひとまず愁哉が出してくれることとなった。
「ごめんね、迷惑かけてばっかりで。」
 思わず身体を小さくして謝る虎鉄。
「いいんですよ、そこら辺は初期設定なんすから。」
 確かに手持ちの金額も、道中に雑魚モンスターと思しきものがでなかったのも。
そこは双子のバランス設定によるものである。
言ってしまえば虎鉄に非はない。
「それよりも、ひとまずゲームの目的について説明しますよ。」
 適当に注文を済ませてから、愁哉が口を開いた。
「目的って言うと…魔王?」
 この世界に来たばかりの時に、町内会長…もとい、村長に言われた言葉を思い出す。
「そうですね、一応この世界の設定を大雑把に説明すると…。
自称魔王ってのが現れて、世界を混乱させようとしてるところです。
城の方でももちろん調査はしてるんですけど、自発的に冒険する若者が後を絶たないので、それを国が管理することになりました。」
 いいながら、窓の方へ視線を向ける。
大きな窓から、夕焼けに染まる城が見えていた。
「各自治体を通じて、冒険者登録をしたものだけが各地にある町に入場が出来るようになってます。」
 なるほど、つまりあの村で渡されたものは冒険者登録のための紹介状か何かだったのだ。
「…勇者っていうのは?」
「え?それは…今回のゲームでは特に言われてませんけど。
あ、でも登録した自治体には手続きのための必要経費とかも出されますから、適当なこといって登録する町や村もあるって…。」
 そこまで言って、愁哉は事態を飲み込んだ。
そして、これを発言すべきでなかったのだと、本気で後悔した。
「自分、騙された…。」
 虎鉄が思いっきり頭を抱えて落ち込んでいた。
「ま、まあまあまあ。
ゲームって思ってたら、そういう胡散臭い話もつい信じてしまうもんですよ。」
 慌ててフォローを入れる愁哉。
「そう、だよね?」
 愁哉の言葉で、虎鉄もなんとか浮上してきたようだ。
「そうですよ、急なシチュエーションでそこまで的確に判断しろって方が無理な話です。」
 愁哉の言葉に、安心したように虎鉄が笑う。
「でも愁哉君、詳しいんだね。」
「ええ、俺は一応この国所属の神官騎士としての役振られましたから。
チュートリアルもかねてるみたいっす。」
 なるほど、確かにいつも集まる友人面子では、虎鉄を除けばゲームをするのは愁哉くらいのものである。
そういう意味では最初に出会う仲間としては適切であるといえよう。
「ナイト、かっこいいよねえ。
自分は…モンクか何かかな?」
 特に武器も持っていない自分を見て、虎鉄が首を捻る。
そうでなくとも、素手の戦い以外は正直自信がなかった。
「そうっすね、特別職業名とか聞いてませんけど…。
まあ俺が回復魔法も使える設定ですから、いざとなったら守りますよ!」
 ここぞとばかりに自分を売り込む愁哉。
バトル展開ではいつも遅れをとっている愁哉であるが、こういったバーチャルな状況であれば今までのゲームの知識が役に立つ。
特に今は、普段使えない回復魔法というものもあるのだ。
「うん、ありがとう。
それで、まずは何をすればいいのかな。」
 ウェイトレスが運んできたパスタを笑顔で受け取ってから、虎鉄は尋ねる。
愁哉も同様に届いたハンバーグを受け取って。
「まずは、この城の北西にある洞窟に向かうべきっすね。
最近そっちの方で商人が襲われたって話だとか、未調査の洞窟が見つかったって話があるんすよ。」
「なるほど、じゃあ最初のダンジョンだね。
装備とか揃えなくていいのかな?」
 RPGとしては、最初は丁寧に進めば初期装備でもそう苦労しない、くらいのイメージが強い。
もっともそこはあの双子である。
どのようなバランスにしているかわからない以上、気を抜くべきではないだろう。
「一応俺から申請すれば簡単な支給品とかはもらえますけど…。
多分今の装備とそうランクは変わらないっすね。」
 ちゅるん、とパスタをすすり虎鉄は考える。
となればあとは回復アイテムの準備だろうか。
だが手元には薬草があるし、愁哉は回復魔法が使えるという。
ならばとりあえず一度向かってみるべきだろうか。
「そうですね、ひとまず向かってみて厳しそうなら引き返しましょう。」
 虎鉄が考えを述べると、愁哉も大きく頷いてくれた。
ゲーム関連で、彼と意見が一致するのは非常に心強いことである。
「よし、じゃあ明日の朝さっそく出発しようか。」
「はい!」
 ひとまず方向性が決まったところで。
二人は目の前の食事を片付け始めたのだった。




「はあああっ!」
 裂帛の気合とともに愁哉の剣が振るわれる。
その一撃で、目の前に現れたゼリーのようなモンスターが真っ二つに分断された。
しばらくぶるぶると震えた後、ゼリーは煙のように姿を消した。
「わー、愁哉君かっこいい!」
 その姿を後ろで見ていた虎鉄は、のんきに拍手をしている。
拍手を受けて愁哉も顔を赤らめ、戦闘態勢を解いた。
既に周囲に居たはずの雑魚モンスターは殲滅済みである。
「そ、そっすか?」
 普段戦闘に関しては褒められることのない愁哉。
彼らの周りには戦闘能力が強い獣人が多すぎるのだ。
「うん、よく似合ってるよー。
それにしても、雑魚の見た目はレトロゲーっぽいなあ。」
 モンスターが落としたコインを拾い集めながら虎鉄は呟く。
実際でてきたのは丸っこいゼリーのようなスライムや、ぬいぐるみのようなコウモリ。
それにまるで紙細工のようなナメクジくらいである。
もっともそれくらい気の抜けた外見であってくれた方が、虎鉄としては戦いやすい。
見た目が怖い、怖くないという問題も勿論あるのだが。
何よりモンスターとはいえ、動物を殺して行くことに抵抗があったのだ。
「まあコレくらいの方が戦いやすいですよね。」
 愁哉もその点については同意である。
普段ゲームでやっている行為であっても、だ。
「でもこれ、レベルアップとかしてんのかな?」
 既に洞窟に入って十数匹のモンスターを倒している。
通常のRPGで、スタート直後であればすでにレベルアップをしていてもおかしくないだろう。
「うーん、ひょっとしたらイベントでレベルが上がるタイプかもしれませんね。
そこら辺までは俺も詳しく聞いてないんですけど…。」
 なるほど、と虎鉄は呟いた。
イベントだけでレベルが上がるRPGも確かに存在する。
中には仲間を加えたときだけレベルが上がるというRPGも存在したくらいだ。
そこはオリジナリティと考え、バランスさえ取れていれば受け入れるべきだろう。
「じゃあこのまま奥進んじゃう?
幸い明かりも必要なさそうだし。」
 天然の岩肌の洞窟ではあるが、なぜか明かりが必要ない程度には明るい。
ゲームならおかしさを感じないが、いざ実際にそうなってみると随分と妙な気分である。
「そうっすねー、特に回復の必要もないですし…。」
 ここに至るまでほぼ無傷で進んできた二人。
回復相手も、魔法に必要な魔力も消費なしで進めていた。
 道もほぼ一本道。
特に何事もないだろうと、虎鉄は笑いながら目の前の曲がり角を曲がった。
「じゃあこのまま一気に…うわああっ!?」
「虎鉄さん!?」
 急な叫びに愁哉が走る。
曲がり角の先には、なんだかよくわからない光景が広がっていた。
ドロドロとした粘菌が、虎鉄の足に絡みつく。
「このっ!」
 虎鉄はひとまずそれを蹴り飛ばし、距離をとる。
どうやら噛み付かれたようで、ズボンの裾のところに小さな穴が空いている。
「下がってください!」
 盾を突き出し、剣を構える愁哉。
蹴り飛ばされ、壁に張り付いていた粘菌はそのままずるずると壁を伝ってずり落ちてきた。
そのまま伸びたかと思うと、二つの塊に分かれる。
「増えた…!」
 その様子をみて、虎鉄も愁哉の隣に並ぶ。
「2対1じゃ分が悪いよ、自分も戦う!」
 実際、ここまでほとんど愁哉一人で戦ってきた。
だがこの粘菌は今までの冗談のようなモンスターとは少し違うらしい。
「じゃあ、俺は右を叩きます!」
 言うが早いか、一気に粘菌との距離を詰める愁哉。
虎鉄もそれに続いて、左へとぶ。
噛まれた右足が少しだけ、痺れた。
「うおおおっ!」
 掬い上げるようにして剣を振るう愁哉。
だが柔らかい粘菌はそのまま剣に絡みつき、まともに斬る事もできない。
剣を振り、絡みついた粘菌を振り落とす。
 虎鉄もいざ相手取ったものの、どう攻撃したものかと迷っていた。
恐らく殴りつけても形が変わるだけで効果はあるまい。
しばらく迷い、ひとまず先ほどのように蹴り飛ばすことにした。
びちゃん、と汚い音がして粘菌が壁に張り付く。
 いったん距離をおいて、虎鉄は愁哉に視線を送る。
「愁哉君、これまとめて刺しちゃおう!」
「判りました!」
 愁哉が頷いたのと同時に、虎鉄は走る。
地面に落ちていた粘菌を蹴り上げ、先ほど蹴り飛ばした粘菌と重ねる。
「うおおおっ!」
 粘菌が動き出す前に。
その中心を狙って、愁哉が剣をつきたてた。
ぶるり、と粘菌が振るえ先ほどのモンスターのように煙となって消える。
しばらく様子を見て、他のモンスターが出ないことも確認して。
二人は安堵のため息をついた。
「油断しちゃダメだねー。」
 言いながら虎鉄はその場に座り込む。
先ほど噛まれた部分がピリピリと痺れた。
見れば少し血が流れている。
「怪我してるじゃないですか!」
 それを見た愁哉が慌ててかがみこんだ。
手をかざし、回復のための呪文を唱える。
「あ、大丈夫だよ。
見た目ほど痛みはない…というか、ゲームになるようにちゃんと調整されてるみたい。
自分が怪我したっていうより、見た目の効果だけじゃないかな。」
 実際、ズボンについた噛み傷と足についている傷跡は形が違う。
恐らくどのような攻撃でも似たような傷が、表面につけられるのだろう。
「ペイントみたいなものっすか。」
 それならあまり慌てることもない、と愁哉はようやく一息ついた。
だが回復を止めると、再び足に傷がついた。
「わっ!?」
 流石にこれには虎鉄も驚く。
「毒の継続ダメージじゃないっすかね?」
 愁哉の言葉になるほど、と虎鉄は頷く。
確かにゲームであればそのような演出も多い。
「ちょっと、吸い出しますね。」
 虎鉄が返事する間もなく。
愁哉は虎鉄の足に口付けた。
ふくらはぎの辺りに顔をよせ、そのまま強く吸う。
口の中に液体が入ってきた感覚を感じ、顔を離して吐き出した。
 そんなことを何度か繰り返す愁哉。
それを見ながら、虎鉄は思わず顔を赤らめる。
なんとなく奉仕させている気になってきたのだ。
「も、もう大丈夫だよ。」
 気がつけば先ほどまで感じていたピリピリとした痺れは消えている。
愁哉も安心したように足から顔を離した。
「あれ、顔赤いっすよ?
大丈夫ですか?」
 どうやらまだ赤面は収まっていなかったらしい。
虎鉄は慌て手をふって答えた。
「う、うん!
大丈夫だから!」
 流石にこれ以上奉仕させるわけにもいかない。
「そういう愁哉君は怪我はない?」
「はい、大丈夫っす!」
 愁哉は攻撃を喰らっていなかったし、なによりしっかりと鎧を着込んでいる。
何かされていたとしても、傷は負わなかっただろう。
「うーん、自分もやっぱり鎧とか着た方がいいのかな。」
 自分の身体を見下ろしながら言う。
身に着けている胴着は、確かにしっかりとした生地ではある。
だが鎧と比べれば、防御力は落ちるだろう。
「どうですかね。
ゲームを意識してるなら、そんなに変わらないんじゃないすか?」
 確かにゲームであれば実際の面積や素材よりも、設定されている数字が全てである。
下手をすれば全身鎧を身に着けてもダメージが通る可能性があった。
「そっかあ。
じゃあ武器かな?
格闘武器とかあれば、ああいうドロッとしたのにも効果がでるだろうし。」
「次の町にいったら見てみます?」
 そうだね、と虎鉄は笑顔を返した。
ひとまずこのダンジョンを抜けることが先決である。
戻ってもいいが、まだ余力はある。
この調子ならそう苦労せず抜けられそうだ。
「じゃあ、一気に奥まで行っちゃおうか。
…って、目的なんだっけ?」
 立ち上がりかけた愁哉はその言葉に思わずずっこける。
「この辺りでモンスターに襲われる商人とかが多いって話ですよ。
だからあくまで今回は調査です。」
 思わず苦笑いを浮かべながら愁哉は説明した。
虎鉄も照れ笑いを浮かべている。
「いやあ、ゲームってやってるとよく目的忘れちゃうんだよね…。」
 そう言って、今度は油断しない様に。
気を引き締めて、二人は歩いた。
 道自体の分岐は少なく、あっても片方がすぐに行き止まりである。
あるのはせいぜい小銭が入った宝箱。
でるモンスターも先ほどより強いものはおらず。
結局そのまま二人は最奥と思しき場所にたどり着いていた。
「…水溜り?」
「ですね…。」
 一番奥にあったもの。
それは、大きな水溜りだった。
「てっきりボスモンスターでもいるのかと思ったけど…。」
 周囲をきょろきょろと見渡すが、抜け穴のようなものはない。
やはりここで行き止まりなのだろうか。
「でも商人が中心に襲われてるってことですから、統率を取るようなボスはいると思ったんですけどね。」
 確かに、愁哉の言うことももっともだろう。
指導者なしで、この付近だけに被害が頻発するとも思えない。
 ふと思いつき、虎鉄は水溜りに片手を突っ込んでみる。
特に痛みや状態異常を与える類ではなさそうだ。
普通の水だと判断し、虎鉄は続いて顔を突っ込んだ。
毛皮が濡れるがこればかりは仕方ない。
 水中で目を開け、辺りを探る。
探していたものはすぐに見つかった。
「愁哉君、この奥!」
「え?」
 虎鉄のしていることを不思議そうに見ていた愁哉。
急に叫ばれて何事かと思ったが。
「この奥、どっかに続いてるみたい!」
 虎鉄の言葉の意味を、ようやく理解した。
つまりこの中を泳いで進まなければならないのだ。
「じゃあ、俺先に潜りますよ。」
 鎧の留め金に手をかけ、それを外していく。
流石に鎧を着けたままこの奥に進むのは無謀だろう。
「大丈夫?
自分なら胴着脱がなくてもいけるし、任せてもらった方が…。」
 だが愁哉は首を振る。
たしかに理屈ではそのとおりだろう。
しかし愁哉は虎鉄を守りたいのだ。
危険があるなら自分から進みたい。
もちろんそんなことを説明するわけにもいかず。
愁哉は笑って誤魔化して、水の中へと身を躍らせた。
 水溜りは思ったよりも深いものの、すぐ先に明るい場所が見える。
恐らく虎鉄が見つけたのはそちらだろう。
一度息継ぎで顔を出し、今度は明るい方向に向かって泳ぐ。
どうも進行方向に、そのまま空間があるようだ。
つまり大きな水溜りの上に壁が突き出していただけである。
もぐってしまえば、そのまま壁をくぐって真っ直ぐに進める。
そう判断して愁哉は進む。
長さはせいぜい3m程度。
すぐに向こう側の空間に顔を出せた。
 そこは数m四方の狭い空間。
まるで何かの部屋である。
「お、愁哉!
遅かったな!」
 その部屋の真ん中に、見知った顔がいた。
「え、お前何してんの!?」
 思わず愁哉は叫ぶ。
そこに立っていたのは、大柄なサメの顔をした獣人。
どこか困ったような目をしたまま、それでも満面の笑みを浮かべている。
何時もと違い、革のズボンにハーネスなんかつけているけれど。
見間違うはずもない。
愁哉の親友、古豪文彦だ。
「え、お前も来てたの?!」
 浅くなっている部分に泳ぎ、その場で立ち上がる。
下着のビキニに、念のため背負ってきた剣が一本だけ。
その様子をみて文彦は顔を赤らめた。
そういえば、と愁哉は思い出す。
文彦は正真正銘の同性愛者だった。
「ぷはあっ!」
 後ろで声がした。
慌てて振り向けば、虎鉄が水面から顔を出している。
水でぬれてしまってボリュームのあった毛皮はのっぺりとしているが。
「あれ…そっちの方…。」
「あ、虎鉄さん、こんにちはー。」
 文彦が笑顔で手を振る。
「あ、こ、こんにちは。」
 水辺から上がりながら虎鉄は水面からでる。
「えっと確か…古豪くんだっけ?
愁哉君の友達の。」
 虎鉄は必死で記憶をよみがえらせる。
一度だけ顔は見ているし、その後神官の仕事の話の時に何度か愁哉から話を聞いていた。
「そ、それよりなんで文彦がいるんだよ。」
 愁哉は慌てて割り込む。
「なんでって、俺ここのボスキャラだし。」
 さも当然、という顔で文彦は言った。
思わず愁哉と虎鉄はフリーズする。
脳の回転が完全に止まった。
「ボス…キャラ?」
「そうそう。
俺が持ってるこの…。」
 必死でポケットをまさぐる文彦。
しばらく無言で探り。
「この、オーブを奪わない限りイベントは進まないよ!」
 ようやく、という感じでポケットから黄色の宝石を取り出した。
「ちょっとまて、お前と殴りあうのか!?」
 流石に顔見知り、しかもNPCでない本物と殴りあうのは抵抗を感じる。
たとえダメージがバーチャルのものであっても、だ。
「優しいのはいいけど、それだとイベント進まないよ。」
 そう言って文彦は笑ってみせる。
だがその顔を殴り飛ばすなんて、愁哉にも虎鉄にも出来そうになかった。
「ど、どうしましょう虎鉄さん。」
「うーん…。」
 ひとまず文彦に背中を向けて、二人は作戦会議を始める。
二人とも、力ずくというのは避けたい。
ならば隙をついて奪うしかないだろうが…。
こうやって思い切り目の前に姿を現してしまった。
以降文彦は油断しないだろう。
「古豪くんって苦手なものとか、弱点みたいなものないの?」
 言われて愁哉は首を捻る。
弱点といわれて、あまり思い当たるものはない。
好きなものなら判るのだが。
「…あ!」
「何、なんかあった?」
 愁哉がもらした声に、虎鉄が反応した。
だが愁哉は説明に窮する。
これを直接虎鉄に話すのは気が引けた。
「虎鉄さん、文彦が動かなかったら、あのオーブ奪えますか?」
 ちらりと後ろを振り返り文彦を見る。
虎鉄もそれに続いて振り返り。
「うん…今なら手に持ってるし、数秒くらい止まってくれたら…。」
 一足飛びでは難しいが、一気につめれば4〜5歩でいける。
なら数秒も止まってくれれば一気に奪えるだろう。
「じゃあ、俺があいつの動きとめます。
その間に、虎鉄さん一気に奪ってください。」
 細かい説明なく、それだけを話す。
虎鉄は疑問に思ったが、愁哉がこういうのだからとそれを信じることにした。
「あ、相談終わり?」
 手にしたオーブを振って見せる文彦。
できるもんなら、という意味だろう。
「虎鉄さん、絶対に振り返らないでくださいね…。」
 その言葉に虎鉄は神妙に頷く。
何をするかはわからないけれど、任せろというからには信じる。
虎鉄は愁哉をそれだけ信頼しているのだ。
「文彦ーっ!」
 愁哉が叫び、文彦がそれを見る。
それと同時に。
文彦の口がカクンと開いた。
そのまま、動きが止まる。
 虎鉄は既に動いていた。
動きを止めたその瞬間から地を蹴り。
すれ違いざまに、手にしていたオーブを奪う。
完全に気が逸れているのだろう。
抵抗もなく、すんなりと奪い取れた。
「やったよ、愁哉君!」
 言葉とともに虎鉄は振り返る。
「あ、ちょ!」
 もちろんわざとではない。
ただ嬉しくて、すっかり愁哉の忠告を忘れていたのだ。
 虎鉄の視線のその先。
それはつまり、文彦が口を開いて見ていたもの。
下着を下ろして、股間をさらけ出している愁哉が。
そこには立っていた。
「虎鉄さん!?」
 思い切り鼻血を噴出して。
虎鉄は意識を手放した。




「だ、大丈夫っすか?」
 なんとか意識を取り戻した虎鉄。
愁哉が心配そうに、顔を覗きこんでいた。
「う、うん。
ちょっとビックリしちゃって…。」
 なんとか誤魔化しながら、虎鉄は立ち上がる。
先ほど奪ったオーブも、しっかり手に持っていた。
「古豪くんは?」
 答えるように愁哉は指をさす。
そちらに視線をやれば、虎鉄に倣う様に鼻血を噴いて倒れていた。
「あ、古豪くんも倒れたんだ…。」
 まさか理性を失って飛びついた文彦を殴り倒したともいえず。
愁哉は適当に頷いた。
「と、とりあえずコレで最初のダンジョンクリアだね!」
 気を取り直すように、虎鉄が微笑んだ。
「そ、それなんですけど…。」
 愁哉の顔がさっと曇る。
何か不味いことでもあったのかと。
思わず虎鉄も不安げな表情を浮かべた。
「俺、ご一緒できるのここまでみたいです。」
「えっ?」
 てっきり、このまま最後まで一緒に居てくれるものだと思っていた。
だがどうやら、そういうわけにはいかないようで。
「俺、文彦連れて城に戻らないと…。」
「だったら自分も一緒に戻るよ。」
 そもそもここまで一緒に来たんだし、と。
だが虎鉄の言葉に愁哉は首を横に振った。
「いえ、虎鉄さんは先に行ってください。
たぶんしばらくは文彦を調べる仕事で拘束されます。
首謀者がいれば連れて来いって言われてたんで。」
 モンスターなら、倒せば良かったんですけど、と。
愁哉は寂しそうに呟いた。
 おそらくそういったイベントになっているのだろう。
寂しいが、こればかりは仕方がない。
「わかった、悪いけど先にいくね。」
「ええ、俺も終わったら絶対に追いつきますから!」
 二人はがっちりと握手をして。
気絶している文彦を背負い、洞窟の出口へ向かって出発した。
気を失っている文彦を背負って水に潜るべきか迷ったが、文彦はちょっとした事情で水中での呼吸が可能である。
そのための、手袋型の装備をしっかりと身に着けていることを確認し、愁哉は水へ飛び込んだ。
 帰りは、雑魚モンスターと出会うことなくスムーズに進んだ。
きっとクリアしたダンジョンからは敵が消えるタイプのRPGなのだろう。
無事に洞窟を脱出した虎鉄たちはそこで足を止めた。
「えっと、俺はここから城に帰りますけど…。
この道、真っ直ぐ進んでください。」
 愁哉は文彦がずり落ちないように気をつけながら片手を伸ばす。
その方向を見れば、何の変哲もない道が伸びていた。
「しばらく歩いたら、町があるはずです。
ここからなら恐らく一番近い町ですから、そこで情報を集めてください。」
「うん、愁哉君も帰り道気をつけて。」
 再び二人は頷き合って。
ひとまず、二人は別れた。
 そこからの道程は順調だった。
例によってモンスターの類は全くといっていいほど顔を見せない。
フィールドではエンカウントしない仕様なのだろうと虎鉄は割り切った。
雑魚を倒しても経験値は入らないようだし、小銭なら先ほどのダンジョンでいくらか拾った。
とりあえず今は雑魚と積極的に戦う必要もないだろう。
 観光気分で辺りを見ながら、虎鉄はのんびりと歩いていった。
日はまだ高い、そう焦ることもないと判断して。
ぶらぶらと一人道を歩き続けた。




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