ピアノフォルテとビブリオフィリア


 人差し指を乗せて力を込めると、鍵盤が沈み長い音を発した。
澄んだ音。
外からの見た目は古びているが、中身は、もうまるで問題ないようだ。
この珍しい楽器は、大家の話ではピアノというものらしい。
 なんでも、雲霧街にあるこの部屋は前に借りていた人物がいなくなってから、数十年人が住んでいない部屋だそうだ。
冒険者としてまだ未熟な私にとって、復興中のイシュガルドに住めるだけでも仕事の面で期待が持てる。
くわえて、家賃は安く、家具付き。
 戦闘技術はイマイチだが、木工師であり彫金術師でもある私には、家具の修繕は朝飯前だった。
部屋に残っていた椅子や棚、テーブルなどを片っ端から直し、ようやくまともな生活ができる。
そう思ったときに、最後の家具として残っていたのが、このピアノだった。
 これが楽器だと気がついたとき、私には不要なものだと思い、捨てようとした。
しかし、この楽器だけ、他の家具とは異なり、とても数十年放置されていたとは思えないほど、状態が良かった。
だから、つい、調整さえすれば高く売れるのではないか、と、そう思ってしまった。
大家に話を聞き、聖歌隊を担当する司祭にも話を聞いた。
ピアノというものがどういった楽器なのかを把握すれば、そこからは木工で弓を作るのとあまり変わらなかった。
弓をハープのように作ることができれば、ピアノもそれの応用で調整ができる。
 多少苦労したものの、ピアノという存在は私の新居の中で息を吹き返した。


 イシュガルドは先の第七霊災で寒冷化し、竜詩戦争が終結した今も厳しい気候であることに変わりはない。
私がロスガル族で、ヒューランなどとは違い、長めの体毛に覆われているといっても、寒いものは寒い。
暖房設備はボムの形をしたストーブ一つのみで、それほど暖かくはないため、ベッドに入るときは毛布を何重にもして眠るようにしている。
 夜、欠けた月が窓の外に見え、月明かりによって雪の舞う様が照らされている。
寒そうに凍った窓ガラスは、見ているだけで体温を奪いそうだ。
 私は寝ようと努力した。
しかし、なかなか寝付けない。
ゴロリゴロリと寝返りをうつ時間だけが過ぎていく。
しばらくすると、建て付けが悪いのか、寝室のドアが突然ゆっくりと開き始めた。
蝶番の軋む音。
私はこの凍てつく深夜にベッドから出て、閉まらないドアを閉めなければいけないことを呪った。
ベッドから裸足で降り、ざらりとした床材を踏みしめながらドアの前まで歩き、ドアノブを掴む。
 その時。
リビングに人影が見えた。
とっさに身構える。
盗人だろうか。
人影が立っている場所にはピアノが置いてある。
確かに珍しく、高価なものに違いはない。
 私は勇気を出して人影に近づいた。
大丈夫、私は格闘士でもある。盗人になんか負けはしない。
 しかし、近づいてみると、盗人らしき人影は私と比べてかなり華奢で背の低い人物だということがわかった。
私は声をかけようと、小さく息を吸い込んだ。
すると、先に声を出したのは、小さな人影の方だった。
「ありがとう」
 私には何のことかわからなかった。
もちろん、言葉の意味はわかる。
しかし、どんな文脈でその感謝の言葉が出てきたのか、全く見当がつかない。
 小さな人影は、そんな私の混乱に気がついたのか、振り向いて、とてもとても小さく笑った。
「ピアノ、直してくれたんでしょ?」
出窓から差し込んだ月の光が小さな人影の姿を照らす。
私は息を飲んだ。
ピアノの側に立っていたのは、ヒューランの女性だった。
それもとびきり美しく、繊細な印象の。
夜だからか髪の毛の色ははっきりと見えないが、おそらく黒髪だろう。
「あれ、違ったかしら、私ったら早とちりして……」
女性が動揺し始めたのを見て、私はその美しさから一旦離れ、慌てて話しかける。
「あ、ああ、あなたの早とちりではなく、合っている。私が直したんだ」
女性は私の態度がおかしかったのか、口に手を当てて笑った。
「ふふ、ありがとう。ピアノ、私の宝物だから、本当に嬉しい」
ピアノを撫でる手は透き通るような白で、まるでガラス細工を触るかのように優しく動いていく。
嬉しそうな女性を見ているだけで、なんだか誇らしくなってくる。やはりピアノを直して良かった。

 ではなくて、この女性はなぜ私の部屋にいるのだろう。
盗人ではないようだが、明らかに無断で部屋に侵入してきている。
美しいからといってそういったところは、きちんと問い詰めなければならない。
「失礼だが、あなたはなぜここに?」
女性は意外そうに私の顔を見る。
「え、なぜって……」
考える姿も非常に美しい。
「強いていうなら、ここ、私の家だからかな」
「なんだって?」
女性は私に近づいてくる。
「私、幽霊なの。ここから離れられない魂」
月明かりに照らされた彼女を良く見ると、透き通るような肌は間違いなく透き通っていて、床に落ちるはずの影も無いようだ。
「ほ、本当だ」
「今まで人と話したことなかったのだけど、今回は特別みたい。多分、あなたがピアノを直してくれたから、じゃないかしら」
彼女が幽霊だったとして、私はどうすればいいのだろう。
「ごめんなさい」
「え」
「突然現れて幽霊です、なんて、困るよね」
「いや……」
女性の幽霊は窓の外からの光を避けるように、顔を背けた。
沈黙の時間が流れる。
 それから、幽霊は思いついたように私の顔を見る。
「そうだ、名前を教えてほしいの。私のピアノを直してくれた人」
「私の名前?」
「うん」
幽霊に気安く名前を教えてもいいのだろうか。
何か呪術的な仕掛けのキーになっているかもしれない。
いや、しかし、私は彼女に名前を覚えてもらいたいと思う。
「アディスという」
「アディスね」
アディス、アディスと私の名前を何度も口ずさむ彼女を可愛らしいと思ってしまう。
「あなたは何という名前なんだ?」
私? と振り返る所作も少女のように軽やかであどけない。
「私はね、スノーっていうの」
「スノー」
「そう、良くも悪くもね」
私にはその言葉の意味が解らなかったが、彼女自身、あまりその名前を気に入ってはいないらしいことは解った。



 スノーは、それから毎晩現れた。
私は退屈する彼女の側で、昼間した復興関連の仕事の話をしたり、買ってきた古道具を修繕したりして過ごした。
スノーは特に私の尻尾が気に入ったようで、無意識に動いてしまうそれを、飽きることなく眺めていることもあった。


 ある日、私が鞄の中身を整理していたとき、彼女の目に留まったものがあった。
私が鞄から出したものを見ると、スノーの透き通った目が輝き出した。
「それって……譜面?」
「うん? そうだが、古びているからこのままでは読めないな」
そう言うと、とても残念そうにするスノー。
 私は彼女の悲しそうな顔が辛かったので、つい、喜ばせるようなことを言ってしまう。
「確か、錬金術の技法で古びた譜面から新品の譜面に曲を転写するようなものがあったはずだ」
「そうなの?」
「ああ、待ってろ」
私が作れるものを記録した製作手帳の中を確認すると、確かに譜面を新しくすることは可能なようだ。
転写する紙自体は赤モコ草、ダークチェスナット、バーチ、灰汁、それと少量のクリスタルで作れる。
「今は材料がないから、明日とってきてみよう」
「そう、ごめんね」
「なに、それほど大した手間じゃないさ」
スノーは申し訳なさそうな顔をして、ありがとうと言った。



 譜面はそれほど時間をかけずに作れた。
さすが木工師であり錬金術師でもある私。
スノーに見せると今度は素直に喜んだ。
「わあ、すごいねアディス!」
「ふふふ、職人としての私ならこのようなものは朝飯前……」
スノーは自慢する私に、なぜかすまなそうな顔をする。
「どうした?」
「あのね、アディス。もう一つお願いがあるの」
「なんだ、言ってみたらいい」
私はスノーのことを、すでに同居人として考えていて、彼女が喜ぶことなら何でもしたい、してやりたいという気になっていた。
「私ね、物に触れないじゃない? だからアディスに弾いてほしいの、ピアノを……」
私は硬直した。私が、楽器を、弾く?
「そんな、無理だ。楽器なんて何も触ってこなかったぞ」
「いいの、初めから上手くなくても」
「うーん、だが……」
スノーは私に近づき、動揺する私の手に手を重ねた。
少し暖かさを感じられるような気がする。
「私が教えるから……ダメ?」
スノーは不安そうな顔をしている。
 ここで断ってしまったら、彼女はとても悲しい気持ちになるだろう。
私は、はっきり言って音楽には疎い。
疎いが……。
「やってみよう、新しい挑戦こそ冒険者の本分だ」
「本当? 嬉しい!」
スノーは触れられない私に抱きつくように手を回して喜びを表現した。
私も触れられない彼女の頭を優しい触れ方になるように気をつけて撫でた。


 翌日から、私は昼間、まるで冒険者であるかのように、様々な場所へ出向いた。
仄暗い地下墓地や、沈み込んだ砂の遺跡。
森林、海岸、アラグの遺構など、私の行けるところには全て行った。
その様々な場所には宝物があったり、仕事の場合は報酬があったりする。
そして、手に入れたものの中には古びた楽譜が混ざっていることがあった。
私の目当ては、そう、その楽譜だった。
 雲霧街の自室に帰ってくると、そうやって手に入れた楽譜を新しいものにして、夜を待つ。
夜になると、その楽譜を使ってスノーにピアノを教えてもらった。
ピアノというものは始めてみるとなかなか楽しいものだ。
譜面に記された通りに鍵盤を押せると、流れる旋律が今まで旅をしてきた様々な場所を思い出させてくれる。
一度、スノーにそのことを話すと、彼女は、
「私も楽しいよ、アディスの旅の様子が伝わってくるみたい」
と、嬉しそうにしていた。




 深夜、スノーとの練習が終わると、彼女は心ここにあらずといった様子で、窓の外を見ていることが多くなった。
私は心配していたが、そういうときも幽霊にはあるのだろうと、そっとしておいた。
 しかし、あるとき、スノーは私にこう言った。
「私、アディスと一緒にいちゃいけないのかもしれない」
私はその言葉に動揺した。
スノーは私に問いかける。
「私がなぜこの部屋に現れて、アディスに話しかけることができたのか、わかった気がするの。なぜだと思う?」
私は下を向いて考えた。しかし、思い当たることはなかった。
「なぜだろう……でも、気にすることはないんじゃないか」
スノーは首を横に振る。
「本当は、クリスタルのエーテルで見えるようになってるんじゃないかな」
鈍い私も気がついた。
確かに可能性としてはありうる。
「アディスが頑張ってピアノを直してくれたときも、最近楽譜を新しくしているときも、いつもこの部屋にはクリスタルのエーテルが残っていた」
スノーは一呼吸置いてから続きを話す。
「グリダニアの話を本で読んだことがあるのだけど、蛮族のイクサル族は彼らの神を呼ぶためにクリスタルを集めるんですってね。
多分私にも同じことが言えるんじゃないかしら」
話の流れがマズい方向にいっている。
これじゃあまるで、あのときみたいに。
「アディス、私、このままここにはいられない。じゃないときっとあなたをダメにしてしまう」
「スノー、やめよう。きっと感傷的になっているだけだ」
「いいえ、そうじゃない。ごめんね、でもあなたのために……」
「やめてくれ!」
静かな夜に私の声は意外なほど響いた。
スノーは私に驚いたような顔をして、すぐ黙ってしまった。

 深呼吸してから私は言った。
「もう、遅いんだ……好きなんだよ、君のことが」
彼女の視線を感じながらも私は自分の気持ちを吐露してしまう以外のことができない。
「毎日、色々な場所に行ったり、色々なものを作ったり。君がいて、君のために何かできる生活がすでに幸せなものになっていて。
ピアノも弾けるようになりたいし、君の嬉しそうな顔をもっと見ていたい。だから、私は、もう二度と大切な人を失いたくないんだ」
私が顔を上げると、スノーは悲痛な表情をしていた。
「もしかして、前にも同じようなことが?」
彼女は私に慎重に尋ねる。
私は話すか話さないかを十分な時間考えてから言葉にした。
「ああ、そうだ。ただ前に愛した人は生きていたし、別れは自発的じゃなくて帝国に連れて行かれてしまったからだが」
 私はスノーの側まで近づいて、頭の辺りを撫でる仕草をした。
「でも、黒檀のように黒い髪と雪のように白い肌は、よく、似ていたな」
スノーは俯いて言った。
「ごめんなさい、私、アディスのこと、全然考えてなかった……」
「そんなことはない。そんなことはないよ」
「うん、そう、でもね、私があなたに悪い影響を与えるのは、多分時間の問題なの」
「ああ、私も頭ではわかっている……」
スノーは立ち上がり、私のたてがみを梳くように手を動かした。
「今日はもう遅いから、アディスは寝たほうがいいわ」
「そうだな」
 私は寝室の方を見てから、スノーにおやすみを言おうとした。
しかし、スノーは何か言いたそうにしている。
「どうしたんだ」
「あのね、ええっと」
「言ってみたらいい」
「うん、今日だけでいいの」
「なんだ」
「あなたと一緒に寝てみたい」
「ん? ああ、構わないよ、スノー」
「ありがとう、アディス……」




 翌日、私はイシュガルド復興の中心地、蒼天街で仕事をしていた。
昨夜のスノーとの件でなかなか寝つけなかったために、あくびばかりしている。
しかし、ロスガルは色々と偏見に満ちた目で見られかねないので、なるべく、誠実に見えるよう作業をしていた。
 すると、そこに一人の女性がやってきた。
「アンタがアディス?」
私は時計を調整する作業の手をいったん止めて、その女性に向きなおった。
「ああ、そうだが」
「アタシはヒルダってもんだ。雲霧街の防犯とか暴力行為の取り締まりとかをしている」
「そうなのか。それで私に何か用か?」
ヒルダは寒風の中、縛った黒髪をなびかせながら、困った表情をする。
「いや、おかしな話で、ちょっと言いにくいんだが、笑わないで聞いておくれよ?」
私は頷いてヒルダの言葉を待った。
「アンタが住んでいる部屋から、毎晩話し声が聞こえるらしくて、周りの住人から様子を見てきてくれって頼まれちゃってさ。
なんでも夜中なのに音楽も聞こえるって」
私は息を飲んだ。私とスノーの会話が周りに聞こえてしまっていたとは。
「その様子だと、思い当たることがありそうだね」
「あ、ああ、申し訳ない、夜だというのにうるさくしてしまって」
「それはまあ、今後気をつけて貰えばいいんだけどね、ただ……」
ヒルダは私の目を真っ直ぐ見ながら言う。
「スノーっていう人と話してるんだって?」
「あ」
 私は嘘をつくのが本当に下手だ。
何もないように振る舞えばいいものを、そのように振る舞えない。
「やっぱりね……」
ヒルダは、ちょっと人のいないところで話そうか、と私を広場の隅に連れて行く。
そして、どういうわけか、ヒルダはすまなそうな顔をして話を続けた。
「アタシはまだるっこしい表現が苦手でね、簡単に言ってしまうけど、スノーというのは私の大叔母なんだ」
私は訳がわからず呆然として話を聞く。
「アンタが住んでいる部屋は、以前大叔母が軟禁状態だった部屋で、件のピアノも大叔母の持ち物だった」
ヒルダは困ったような手振りをする。
「ずっと借り手がいなくてそのままにしていた部屋を、アンタが使い出した。そしたら、多分アンタにスノーが話しかけてきたんじゃない?」
私の前で大きなため息をつくヒルダ。
「多分そういうことだろう? アタシは幽霊なんて信じる方じゃないんだけどさ、今回ばかりはそうじゃないと話がつかなくて。合ってる?」
答えを求められて、私は渋々頷く。
「だよね? ああ、よかった! これで違ってたら、アタシが変に思われてたところだよ、まったく」
ヒルダは笑いながら私の肩を叩く。
私はヒルダをよく見るとスノーに似たところがあるなあ、と真っ白になった頭でぼんやり考えていた。
 そう、それで本題なんだけど、とヒルダは眉をしかめる。
「スノーを慰められるように、生前彼女が好きだった本を手に入れて欲しいんだ」
「本?」
「そう、『白雪』っていう昔の童話なんだけど、原作は割と恐ろしい話らしくて、イシュガルドではもう手に入らなくてね。
低地ドラヴァニアにあるらしい古い図書館にあるみたいなんだ」
「その図書館には誰でも入れるものなのか」
「実はそこが問題なんだよ。その図書館には妖魔や魔法生物の類がうろついているらしくて、手練れの冒険者じゃないと奥までいけないんだ。
アンタは冒険者みたいだし、何より当事者だから話を振ってみたんだけど、どうだい、引き受けてくれないかな」
スノーのため、私自身のため、ここは引くところではない。
「わかった、行ってこよう」
「本当かい! ありがとう、恩にきるよ!」
私はヒルダと別れて、中断していた時計の調整を済ませ、低地ドラヴァニアに向かうための準備をした。彼の地には強いモンスターが多く生息している。気を引き締めなければ。



 グブラ幻想図書館の管理者だという老婦人にヒルダが了解を得てくれたようで、すんなり中に入ることができた。
室内はひんやりとした空気に満たされていて、意外なほど管理が行き届いていた。
空中に塵などが舞うこともなく、書庫には整然と本が並んでいる。
 ただ、問題なのは埃の類ではなく、図書館の中に漂う異様な雰囲気、恐らく妖異の放つ気の方だった。
もらった地図を見ると、私は幻想書庫という場所にいるらしい。
ここから『白雪』のありそうな場所まで行かなければならない。
スノーのために。私のために。

 道中、本の多さや図書館自体の大きさに圧倒されながら、襲いかかってくる妖異と魔法生物などを倒していく。
私は格闘士であるため、途中出てきたファイアスプライトなどにとても苦戦した。
熱い思いをしながらようやく倒して進んでみたものの、その先には全身燃えている正体不明の巨人が立ちはだかっていた。
 ここは図書館ではないのか、この部屋は占星術に関係したホールのようだけども。
それでも実際、炎の巨人がいることはどうしようもないほどの現実だった。
炎の巨人は渦の形や手の形に変形しつつ襲いかかってくる不定形の敵で、攻撃する私の手は格闘武器と共に燃え盛るプリンのようなものにめりこんでしまう。
つまり、拳を打ち出すときのみならず、引き抜くときにも力を要する。
これがとても体力を消耗させる。
体中の毛がチリチリと焼けていくのを感じて、これは長期戦に持ち込むことはできないと感じた。
 格闘術はひとつひとつの技を無駄なく相手に叩きこんでいくことが、究極の奥義だと言える。
私は無心に炎の塊を殴っていった。
ただこの先に進むためだけに。


 多少の火傷は負った。
疲れは限界まで達していた。
それでも、私は私とスノーのために本を見つけなければならない。
ついに炎の巨人は形を保てなくなり、ぶすぶすと音を立てて崩れ去った。
私は奴が消え去ったのを確認すると、また一歩足を踏み出した。
一歩踏み出せれば、後は流れに身を任せればいい。
 ホールの奥へと進むと上り階段があった。
いよいよ稀覯書、世にも稀な本が集まる書庫のようだった。

 稀覯書庫は結論から言うと想像していたよりずっと巨大なものだった。
受付と、その奥の階段を登った先の部屋にある本棚を合算すると、私一人では到底、一冊の本など探しようもないように思われた。
「さて、どうするか……」
私が独りごつと、どこかで鳥の鳴き声が聞こえたような気がした。
部屋のどこかに鳥でもいるのだろうか。
いや、ここは普段封鎖されている幻想図書館だ。生き物がいるとは考えにくい。
 しかし、気配を感じて背後を振り返ると、
「ホッホー」
と、高い鳴き声をもらしている、巨大な白い鳥が椅子に座って空中に浮かんでいた。
私はとっさに身構えた。
すると、白い鳥は頭が取れそうなほど首を傾げ、それから翼を前にゆっくりと出した。
武器を収めろということらしい。
「アナタはもう疲弊の極みというところのようですねぇ。まあまあ、私も最近は戦う気力がないのですよ、あの逝き遅れた魔女のせいで」
ふわりと浮かんでいる椅子の背もたれに、白い鳥は寄りかかるような仕草をした。
「これ以上嫌なことをされる前に、アナタを帰してしまったほうが良いでしょうね、うんうん」
私が呆気にとられている間に、白い鳥は一人で納得してしまったようだ。
「それで、アナタはどんな本をお探しで?」
「うん? ああ、ええとだな、童話なんだが『白雪』という本だ」
白い鳥は思い出す仕草もなく、
「ああ、あの本ですね」
と、右の翼を一振りした。
すると、部屋の書棚が光り輝き、どこからか一冊の本が飛んできて、私の目の前に浮かび上がった。
革張りの表紙には中央に特徴的な白い石がはめ込まれていて、その上に古い文字だが「白雪」と書いてあるのが読める。
石の下にはいかにも童話、といった様子の少女の絵が描いてある。
「こちらで間違いないでしょうね?」
白い鳥はまた首が取れそうなくらい傾げて確認をしてくる。
「ああ……ありがとう!」
疲れが全て消えるくらいに嬉しさがこみあげる。
白い鳥はもう一度、ホッホーと鳴き、
「このような場所は何度も来るような場所ではないですよ。
本はアナタがその本を必要としなくなったとき勝手に回収されるので、返却しにこないように」
そう言って、椅子を操り奥の部屋に飛び去っていった。



 夕方、イシュガルドに帰り、雲霧街の自室へ戻る道で私を待っていたヒルダに出会った。
「アンタ、ボッロボロじゃないか! 平気なのかい?」
私は疲れていたが、愛想笑いくらいはできる。
「平気だよ。ほら、本も見つけてきた」
「それは本当に感謝するけど……まあ、でもそれが冒険者ってことなのかねえ」
ヒルダは呆れたような、感心するような表情で私を見ていた。
 しかし、私の見せた本に視線を動かすと、何か気になるところがあるようで、眉間にしわを寄せた。
私は何か問題があるのかと心配になって、
「どうかしたか?」
と、疲れ切った低い声で尋ねた。
「あ、いや、その白い石、クリスタルにしては濃い色をしてるから、珍しいなと思って」
そう言われてみればそうだ。
「単純に宝石ってわけでもなさそうだしねえ。もしかすると……」
ヒルダは遠い目をする。
「あの人が話してたアシエン対策の……」
そこまで言って、ヒルダは気がついたように私を見る。
「ああ、ごめん! 今のは聞かなかったことにしておくれ! アタシったら要らないことばっかり言って」
「いや、気にするな」
「本はアンタに預けておくよ。きっとスノーもアンタから渡されたいと思うだろうからさ。頼んだよ!」
仕事の報酬は後日持っていくからね、と言い残して、ヒルダは束ねた黒髪を揺らしながら足早に去っていった。
私は、もう一度『白雪』の表紙に収まった白い石を見た。



 夜、現れたスノーに私は『白雪』を見せた。
彼女は驚きと喜び、それと悲しさが入り混じった複雑な表情をした。
「アディス、これ、私のために?」
申し訳なさそうな表情が勝ってしまっているスノーが安心できるように、
「手に入れるのはそれほど難しくなかったよ」
と言った。
「そうだったらいいのだけど……」
「それより、聞いてほしいことがある」
スノーは本から私に視線を変えて、私の言葉を待った。
「私はウルダハで錬金術を学んだことがあるんだ」
「そうなの? そういえば新しい楽譜を作るときにそんなこと言っていたような」
「そう、それで錬金術の師匠であるセヴェリアンの研究を少し調べていた。どうやら彼の研究は死者の蘇生に関するものだったらしい」
スノーは悲痛な表情になる。
「結局彼の研究は完遂することはなかったんだが、最近私は別のアプローチもあるんじゃないかと思っていてね」
「別のアプローチ?」
「そう、亡くなった人を元の体に戻すことは難しい。それなら、別のものに入ってしまえばいい。理想を言えば、魂の定着に適した鉱石なんかにね」
「それって……」
 私は一呼吸置いてから、スノーに再び『白雪』を見せた。
「私は、もう、一人でいたくない。街にいても冒険に出ても、君と一緒にいたい。
だから、もし、もし良ければ、この本を依代にして、私と生きてくれないだろうか」
突然の申し出にスノーは困惑しているようだ。私は『白雪』を左手に持ち替えて、表紙の白い石を確認しようとした。すると、

ヒラリ

と、数枚の紙が本の中から舞い落ちた。
私はその紙を拾い集め、表面に描かれたものを見た。
 スノーが怪訝な顔をしているのは知っていたが、私はその数枚の紙がなんであるか解ってしまった。
もう、この後にすべきことは決まった。
 私はスノーの宝物であるピアノに歩みより、椅子に座った。
スノーの方を見ると、不思議そうにしている。
「私が君と出会って、君にどれだけ影響を受けたか、聴いていてほしい」
 ピアノの譜面置きに紙を並べ、内容を確認する。
不安に思うことはない、この曲はきちんと演奏できる。

 低い音のゆっくりとした繰り返しから始まる旋律。
奇妙で素早い音の連続へと展開し、高い音で歌い上げるように鍵盤を指が走る。
 これは今日の私。
図書館でどんなことがあったか、そこでどんな苦労があり、どのようなものに出会ったのか。
私は、スノーに伝えたかった。
外の世界がどのようなものか。
もちろん音楽では抽象的にしか伝わらないだろう。
そうだったとしても、冒険者としての私が、様々なものから、経験し、成長していることは伝えられるはず。
スノーの見れなかったものの存在を、私は音楽で伝えたい。

 私はひとしきり鍵盤を弾いたあと、不意に演奏をやめた。
もう十分だ。
音は止み、何も聞こえなくなった。
静かな月夜だ。
 しかし、スノーの方を見ると、彼女は鳴ることのない拍手をしてくれていた。
私は立ち上がり、軽く頭を下げ礼をした。
スノーは言う。
「ピアノを始めたときからは想像もつかないくらい!」
私は単純に感謝を表したくなった。
「ありがとう」
「素敵な曲だった……」
スノーは床に座り込んで、ため息をついた。
私は『白雪』を手に持ったまま、スノーの隣に腰を下ろす。
スノーは私を見て、それから『白雪』を見つめた。
「私、自分の名前が嫌いだった。イシュガルドは昔から寒い時期になると雪が降って外に出なくなるの。
私はスノーだから、両親や周りの人たちに毛嫌いされてるんじゃないかって、ずっと思ってた。
体が弱くてこの部屋に閉じ込められるの、優しさだとはとても思えないくらい悲しかった。
だからかな、『白雪』のお話に出てくる王子様がこの部屋から連れ出してくれるのを期待してたんだ。
白い肌が綺麗だからスノーって言われても、外に出られないんじゃ……」
 私はスノーの頬に触れようとした。
涙が流れているような気がしたから。
「お願いがあるの、アディス」
寄りかかるようにして、私の顔を見上げるスノーの瞳は月を映しているような気がした。





 グリダニアには木工師のギルドがある。
奇妙なマスターが有名なこのギルドに、私は昔世話になっていた。
その繋がりでギルドの手伝いをするため、旅の途中グリダニアの子供達と遊ぶことになった。
「ねえねえ、アディスさん。わたし、その本をまた読んでほしいなあ」
女の子が言った。
私は頷き、腰のホルダーにいつも入れてある『白雪』を取り出した。
しかし、側にいた男の子が言う。
「えー、つまんないよ、本なんてさ。それよりカクトウジュツを教えてほしいなあ」
その言葉に女の子は得意げな表情を作る。
「あなた知らないのー? アディスさんの本は読んでもらうと音楽も聞こえるのよ!」
男の子は驚いて、私を見上げる。
「ホント? 魔法がかかってるのかな……」
 私は、男の子に『白雪』の表紙を見せた。
そこには白い石がはめこまれ、その下にピアノを弾く少女の姿が描かれていた。
嬉しそうな表情のその少女は、黒檀のような髪を持ち雪のように白い肌をしていた。