「おまえねぇ」
全く、と言ったところである。
私本人の感情や都合など全くをもって関係なしに、転がった骰子はもう目を示している。
ゲームスタート、だ。
本当に仕方がない、だから、本作品、『レインキャッチャーに踊る影』について語る前に、私は、まず、別の解説をしようと思う。
すなわち、
貴方は正しい。
三木瓶太の文章に目を止めた貴方は正しい。
その理由だ。
活字が力を喪って久しい。
にもかかわらず、貴方の周りは、依然として文字が溢れている。
毎月、各社から発売されるおびただしい数の新書、文庫。
ネットに次々とアップされていくネット小説。
余程の拘りでもない限り、タイトルだけですら追いきる事は出来ないだろう。
ましてや課題に追われる学生諸氏、仕事に追われる社会人、子供に追われる主婦が何かに裂ける時間は限られている。
ましてや、「二次創作」に裂ける時間など。
では、何故この文章に目を止めたのか。
タイトルに目を取られたからか?
ファイナルファンタジーの二次創作だからか?
それとも、かつて、右手が世話になっていたからなのか。
いずれにせよ、不明な道を行くには、しっかりとしたガイドが必要なのだ。
そして、貴方は、間違いなく最高のガイドの著作を前にしている。
もう、15年以上は前の事だ。
ネットには玉石混合の小説サイトが存在していた。
例えば斯界のオピニオンリーダーたる川原礫氏や、市川 拓司等多彩な人材が現れた時代だ。
今では、半ば伝説化して始めているそれらのサイト群、ケモノ系と呼ばれる界隈に、きわめて強力――凶悪、ではないと信じたい――な文字書きが登場したのは、ある意味必然だったのかもしれない。
ギャグあり、コメディあり、パロディあり、だというのにシリアスさを散りばめている。
そんな隅々にまでエネルギーにあふれた文章は、読者を魅了した。
それが、私と三木瓶太の出会いである。
奴さんの情熱は、基本的に留まることを知らない。
当時、最新鋭だったゲームや始まったばかりだった作品、映像、彼にとっての素材は無限にあった。
様々な名場面、演出、かかわっている人間の名前、悉く諳んじてみせるのだ。
会うたびに、年上の私に、色々なコンテンツを押し込んでくるこの馬鹿者の至芸に唖然とした。
なにせ、この男は、それらを単なる知識ではなく、己の血肉としていたのだから。
エンターテイメントの真髄を知り抜いた男。
それが、三木瓶太という男である。
その膨大な知識の蓄積をもとに、立ち上げたホームページ。
それが、この「左手に告げるなかれ」である。
最先端の知識、流行、そうしたものが詰め込まれたこのホームページは、作家、三木瓶太の名をこの界隈で轟かせた。
そして2010年。
同人誌の業界が徐々に大きくなる中、小説という分野は敬遠されているものであった。
活字離れというのは相当に進んでおり、やはり文字を読む事自体が少なくなりつつあったからだ。
そんな中、この界隈に爆弾を投げ込んでやろう、そんな思いで結成されたのが、サークル「SMM」である。
共著者の私が言うのもなんだが、「蒸気戦争」は、多くの読者層から喝采を以て迎えられた。
むべなるかな、あくまでも二次創作の体を取ったこの作品は、多くの資料を基にし、その枠を堅持しつつも、想像力の限界に挑もうとする姿勢が多くの共感を勝ち得たからだ。
「蒸気」シリーズを完結まで走り抜け、彼の筆にはさらに多くの経験が宿った。
「School Rock Festival」「明日にかける橋」シリーズを執筆する傍ら、「Bruno」にも執筆。
精力的に、あちこちに文章を発表しつつ、現在に至る。
文章書きという視点で見た場合、彼はこの界隈の黎明期からその動向を最前線で追ってきた男なのである。
これは、私が彼を最善の案内役であると称する理由の一部にすぎないが、この一事を以てみても、私の言わんとする事の理由としては十分であろう。
さて、そんな彼が今回著したのが『レインキャッチャーに踊る影』である。
この作品は、ファイナルファンタジー14というゲームの二次創作であり、その世界を舞台としたものとなる。
そのため、彼はこの舞台を表現するために、一つの軸を選択した。
それが「釣り」である。
釣りは、ゲーム内のコンテンツとしては、そこまで人気のあるものではない。
主軸となる物語は冒険譚、それもヒロイックな歴史体験である。
それでも、敢えてこれを選んだのは、彼がこの作品を隅々まで愛しているからに他ならない。
尚、彼はゲーム中でも釣りを好んでいるが、そこは触れる事ではないだろう。
様々なギミックを加え、彼なりのイースターエッグを仕込み、物語は終わる。
相変わらずの安定した瓶太節で、安心させていただいた。
彼は作品に、一貫した抒情感を好むが、この作品もその例には漏れない。
主人公が魚釣りという行動を通し、様々な人と物語に触れていく中、行動と会話から漏れ出す感情を、貴方も感じられた筈だ。
三木瓶太という男は、忘れていないのだろう。
そして、未だに愛している。
初めて覚えた感情の慄きを。
胸の奥に灯ったざわめきを。
それ故、作中の端役とも言うべき登場人物達が、生き生きとその思いを吐き出す。
物語が踊りだす。
彼が物語と人に託す思いは、ひと時の感傷や犠牲に対する陶酔と言った感情とは無縁の確固たる体験から勝ち得た信念であるように思えるのだ。
それ故、私は彼の作品を愛してやまないのだ。
紙面も尽きた。
だから、いつもの様に口にして、終わりにしたいと思う。
「おまえねぇ」
ちったぁ、手加減せぇ、馬鹿者め。
聡哲