シオンの恋

 

「そろそろ、よろしいですか?」
 目の前の犬獣人たちがじゃれあうのを一通り見た後、獅子獣人はゆっくりと口を開いた。
二人とも獅子の存在を忘れていたかのように目を丸くしてそちらを振り向く。
「そういや、相談があるんだったな。」
 ドーベルマンが自分に抱きついてくるメガネをかけたマラミュートを押しのけ、
隣の椅子に座らせる。
その姿を見ながら獅子はゆっくり頷いた。
「シオンさんが相談って珍しいですね・・・。」
 マラミュートが不思議そうな顔でそう言った。
それを聞いてシオンと呼ばれた獅子は苦笑してみせる。
「バーツ・・・。私にも悩みくらいはあるよ。」
「そうだぞポン太。悩みがないのはお前くらいのもんだ。」
 シオンの言葉にドーベルマンも頷きながらそう言った。
「いや・・・ドル先輩にそんなこと言われるとは思いませんでしたよ・・・。」
 ずり落ちたメガネを直そうともせず、あきれた顔でポン太はそう言った。
「で、よろしいですか?」
 再び大きく脱線しそうな気配を感じて獅子は二人より先に口を開いた。
口を開きかけていた二人の犬は口を閉じてシオンに先を譲る。
「実は・・・。」
 そこまで言ってシオンは下を向いた。
顔を赤くして何かを一人でつぶやいている。
「なんなんだ?」
 ドルが眉をひそめて聞いた。
ポン太もその横で首をひねっている。
シオンはそんな二人を見て、改めて口を開いた。


「す・・・好きな女性が出来ました・・・。」

 

 

 

 喫茶店の中はゆっくりとした音楽が流れている。
ドルもポン太もあまり音楽には詳しくないため曲名はわからないが、
ゆっくりとした音楽と落ち着いた内装が二人をリラックスした気分にさせていた。
違うテーブルではカップルだろうか、若い男女が笑いながら会話をしている。
「ポン太、今日晩飯作ってくれ。金がないんだ。」
「またですか?
ちょっとはお金ためた方がいいと思いますよ。
あ、リクエストあります?」

「話を聞いてください。」

 世間話を始めようとする二人にシオンの一言が突き刺さる。
二人はゆっくりとシオンの方を向き直った。
「僕・・・ちょっと現実が受け止められなかったんですけど・・・。」
 ポン太の言葉にドルも頷く。
「私がこ、恋をするのがそんなに不自然ですか。」
 『恋』という単語を口にするときに、照れたように顔を赤らめるシオン。
「いや、シオンさんいつもお見合い断ってましたし・・・女性は好きじゃないのかと。」
 ドルは壊れたようにポン太の隣で首を立てに振り続けている。
ポン太はそんなドルのマズルをがしっとつかむとその動きを止めた。
「ああ、お見合いは家の都合でか財産目当てで来る女性しかいなかったから・・・。」
 そういってシオンは少し悲しげな表情を浮かべた。
「ということは見合い相手じゃないのか。」
 ドルの言葉に今度はシオンが頷く。
シオンはさらに顔を赤らめて説明を始めた。
「相手は・・・道で偶然出会ったヒトです。
たまたま出会っただけでしたので名前も、何も知りません。」
 シオンの言葉を聞きながら、ポン太は自分で注文した紅茶を口に運ぶ。
「それで・・・よりによってドル先輩に相談したいことって何なんですか?」
「よりによって、ってなんだ。」
 ポン太もシオンもドルの言葉には耳を貸さない。
少し拗ねたような表情を見せ、ドルは素直にシオンの言葉の続きを待った。
「女性に・・・どう声をかけていいのか・・・。」
 そういってシオンはコーヒーを一気に喉の奥に流し込んだ。
そうとう緊張している様子で、先ほどから尻尾も落ち着きなくパタパタと動いている。
ポン太はシオンの言葉の答えを促すようにドルを見た。
「なるほど、そういうことか。
そういうことなら俺に任せとけ。」
 そういってドルはにやり、と怪しげな笑みを浮かべた。

 

 

 

「ここですが・・・本当に必要なんですか?」
 シオンは二人を連れ街中へとやってきていた。
「当たり前だろう。
女に声をかけるならまずはその女を知る!
これがナンパするときの基本だ!」
 シオンに向かって指をびしっと突きつけ、ドルはまじめな顔で力説する。
「とか言ってシオンさんの思いビトを見てみたいだけなんじゃないんですか〜?」
 ポン太が大きな飴を舐めながらやる気なくそう言った。
「うるせえぇ、いい年してペロペロキャンディー舐めるような奴に言われたくねえ。」
 ドルはポン太を振り返ろうともせずにそういう。
「えー、おいしいんですよ。ロリポップ。」
 そういってポン太は飴を口にくわえる。
「まあこういうガキはおいといてだ。
その女はどこにいるんだ?」
 そういってドルは辺りを見回す。
近くには若者が集まる街があるためか、人通りの多い道である。
「いつもいるとは限らないんですが・・・あ・・・。」
 シオンがそういいながら辺りを眺めていると、突然声を上げた。
ドルとポン太はシオンの視線を追うが、その先には複数の女性がいた。
「おお、あいつか。
あのノースリーブのセクシーな体つきの・・・」
 ドルの言葉にシオンは首を横に振る。
「先輩、きっと彼女ですよ。
ロングスカートはいたおしとやかそうな豹の・・・」
 ポン太の言葉に、シオンはやはり首を横に振った。
ドルとポン太は顔を見合わせ、肩をすくめる。
「彼女です。
ギターを持った・・・。」
 シオンの言葉に二人は再びシオンの視線を追った。
その先にいる、ギターをもった女性。
Tシャツに破れたジーパンという非常にラフな格好をした獅子獣人だった。
飾りっ気がほとんどなく、胸元にペンダントトップがゆれている以外はアクセサリーも身につけていない。
「シオンの好みってああいうのだったのか・・・。」
 ドルとポン太はやや以外なモノを感じてぼんやりとその女性を見つめ続けた。
「それで、どうやって声をかければいいんでしょう。」
「うーん・・・。」
 シオンの言葉にドルは頭を悩ませる。
もともと興味本位で見に来たに過ぎず、相手を知る云々は言い訳だったのだ。
そんなドルに助け舟を出したのはポン太だった。
「あ、あのヒトナンパされてますよ。」
「えっ!」
 ポン太の言葉にシオンの注意はそちらに向く。
ドルも内心胸をなでおろしながら女性の方を見た。

 

 

「ねえ、今暇?
暇だったら・・・」
「うるせぇっ!」
 声をかけてきた狼の言葉をさえぎるように女性は叫んだ。
その迫力に気おされて狼は思わず後ずさる。
その間に獅子の女性は狼の横をすり抜けていった。
「あ、ちょっと待って・・・」
 そういいながら狼が女性の方に手を置く。
「俺に・・・」
 女性は怒った顔を見せながら振り返った。
「気安く触るんじゃねえっ!!」

 振り返る際の体のひねりを利用して、そのまま狼に強烈なアッパーカットが炸裂した。
狼の体が宙に浮き、そのままどさりと地面に倒れる。
獅子は冷たい目でそれを見下ろすとギターを抱えなおしそのまま歩き去った。

 

 

「僕、今すごいもの見た気がするんですが・・・。」
「ああ・・・。」
 ポン太のつぶやきにドルが答える。
シオンにいたっては声を出すことすら出来ない状況のようだった。
「シオンさん・・・。」
 ポン太が心配そうにシオンの顔を覗き込む。
「逞しい女性だ・・・。」
 そうつぶやくシオンの頬は心なしか赤く染まっている。
「自分の身は自分で守る。
やはり、女性はあれくらい逞しい方が理想的だ。」
 シオンはそういいながら一人でうんうんと頷いている。
ポン太は思わず顔を引きつらせながらドルを見上げた。
ドルは悟ったような表情をして首を横に振る。
その顔はポン太にこう告げていた。
『恋は盲目』なのだ、と。


「なんにせよ、だ。」
 ドルが口を開いた。
「ナンパはやめよう。」
 その言葉にシオンとポン太は力強く頷いた。
「しかし・・・ストレートに声をかけられない場合、どうやって彼女と知り合えば・・・。」
 シオンの不安げな言葉にドルは首をひねる。
ドルもこれといっていいアイディアが浮かばない。
「なら次は僕にお任せください。」
 先ほどまで口にくわえていた飴を手に持って、ポン太が胸を張ってそう言った。
「名づけて、『お礼にお茶でも』大作戦!」
 嬉しそうにそういうポン太にドルはこっそりとため息をついた。
シオンは藁にでもすがりたい気分なのか、ポン太の言葉を聞き逃さないように真剣な表情を浮かべている。
「内容は簡単ですよ。
シオンさんが落とした財布を彼女が拾う。
そんな彼女に『お礼にお茶でも』と言って誘うんですよ。」
「ナンパと大してかわらねえじゃねえか。」
 ドルが横からさめたツッコミを入れた。
「駄目ですねえ、先輩は。
わかってないです。
この作戦は、運命を感じさせるんですよ!」
 握りこぶしを作りながらポン太は力説する。
「たまたま落し物を拾ってあげた相手が素敵な男性だった。
しかも向こうもあたしに行為を抱いてくれている。
ああ、これこそ運命の出会いに違いないわ。
と、女性はこう思うわけですよ!」
 ぶんぶんと握りこぶしを上下に振りながらポン太はそう叫んだ。
「悪いな、シオン。
こいつ時々違う世界にトリップするから。」
 ポン太の言葉を無視するようにドルがそう言った。
シオンも心配そうな顔でそれに頷いている。
「でもまあ・・・今は何でも試したい気分ですし。
それも、やってみましょう!」
 こうしてドルが心底嫌そうな顔をしながらも、『お礼にお茶でも』大作戦は決行されることになった。

 


 ポン太とシオンが二人で歩いている。
ドル近くの喫茶店で待つと言って一人で言ってしまった。
(いいですか、彼女の前に先回りしましたから。
自然に財布でもなんでもいいから落とすんですよ。)
 ポン太が周りに聞こえないようにささやいた。
シオンは困った表情を浮かべる。
(し、自然にと言われてもなあ・・・。)
(いいから、ほら。
もうすぐ後ろに来てますよ!)
 ポン太の言葉にシオンは懐から財布を取り出す。
しかしなかなかそれを落とすことは出来ない。
(ああ、もうじれったい!)
 ポン太がシオンの手をたたき、無理やり財布を落とさせた。
思わずそれを目で追いそうになるシオンをポン太が制する。
「さあシオンさん、早く行きますよ。」
 財布を落としたことに気づいてない、とアピールするようにポン太がそう言った。
「あの・・・。」
 その直後、背後から声が聞こえた。
(来た!)
 ポン太とシオンは期待に胸を膨らませ、振り向いた。
「落し物ですじゃ・・・。」
 腰の曲がったおばあさんがそういってシオンに財布を差し出した。
その隣をギターをもった例の女性が通り過ぎていく。
「あ、どうも・・・。」
 シオンはお礼を言って財布を受け取った。

 

「どうだ、運命を感じたか?」
 一部始終を見ていたドルがにやにやと笑いながらそう言った。
「・・・見てたくせに。先輩の意地悪〜。」
 そういいながらポン太はドルに殴りかかる真似をする。
ドルはそれを適当にいなしていた。
「はぁ・・・。」
 シオンのため息が響く。
それを聞いたポン太とドルは動きを止めて顔を見合わせた。
「・・・ミールさん呼びましょうか。
三人寄れば文殊の知恵、といいますし。」
「もう三人いるじゃねえか。」
 ポン太の言葉にドルがツッコミを入れる。
「先輩、数に入ってるつもりだったんですか?」
「・・・。」

 

「で、僕がよばれたわけ?」
 ミールがため息をつきながらそう言った。
仕事が忙しい、と電話で言っていたのをドルが無理やり呼び出したのだ。
「すみません、お忙しいところわざわざ来ていただいて。」
「いや、別にいいけどさ。」
 シオンの言葉にミールは軽く手を振って答える。
「ミールさん、何かいい策はありませんか?」
「僕もあんまり女の子に声かけたりしたことないしなあ。」
 そういって眉をひそめながら何事か考え出す。
「やっぱり素直にナンパしたほうがいいんじゃねえか?」
「駄目ですよ、もっとロマンチックに行かないと。」
 ドルとポン太が横から無責任にそう言い放つ。
「ロマンチックか・・・それ、いってみようか?」
 ポン太の言葉を聞いて、ミールがそう言った。
三人はミールの言葉の意味がわからずに続きを待つ。
「まずはね・・・」
 ミールは三人に作戦の内容を語った。

 

 

 


「ほんとにうまくいくんだろうな。」
 アロハシャツに着替え、サングラスをかけたドルが不満そうにそう言った。
「先輩、似合ってますよ。
いつもと違った雰囲気でかっこいいです。」
 同じく柄のついたシャツとサングラスに着替えたポン太がドルを見ながらそう言った。
尻尾はパタパタと機嫌よく振られている。
「さっき言ってたみたいに、女の子は多かれ少なかれ運命の出会いってものにあこがれてるんだよ。」
 そういうミールも二人と同じようにまるでヤクザのような服を着ていた。
ガラの悪そうな三人をみて周りのヒトはみな避けて通って行く。
肝心のシオンは少し離れたところで心配そうに三人を見ていた。
「二人ともわかってるね。
出来るだけ、ガラ悪く彼女に絡むんだよ。」
 『目標』が現れる前にミールが二人に再確認する。
ドルはしぶしぶと、ポン太はドルを見つめたまま頷いた。
「来たぞ。」
 正面に現れた女性をみてドルが言った。
三人は顔を見合わせて小さく頷くと、ゆっくりと彼女の前に立ちはだかる。
「おい。」
 声は少し意外なところから聞こえた。
三人が女性に声をかける前に後ろから声が聞こえ、思わず何事かと振り向く。
そこには体の大きな虎獣人の姿があった。
「その女は俺の知り合いだが、何か用か?」

 

 

「あー・・・。」
 近くまで駆け寄ったシオンは、体の大きな虎獣人に圧倒されている三人をみてそうつぶやいた。
とてもではないが『チンピラに絡まれている女性を助ける』というシナリオを遂行できる状態ではない。
どうしたものかとシオンは三人をぼんやりと眺めた。
「・・・あんたも大変だな。」
 ふと隣から声が聞こえた。
そちらを振り向けば、ギターをもった獅子獣人の雌。
「あれ、あんたの連れだろ?」
 思わず声を出すのも忘れ必死で首を縦に振る。
「さっきから俺の周りでちょろちょろしてたみたいだったけど、
あんた完全に振り回されてるなあ。」
 そういって彼女はこちらに視線を向けると少し意地悪そうに笑った。
「あ・・・気づかれてましたか。」
 シオンは顔を赤らめて下を向く。
照れ隠しに後頭部をぽりぽりとかきながら、目だけを女性の方に向けた。
「なあ、あんたライブのチケット買ってくれねえか。」
「ライブ・・・ですか。
行ったことはないですが、それでよろしいのでしたら。」
 シオンの返答を聞いて女性は嬉しそうに笑った。
「よし決まりだ。
連れの分が今手元にないから俺の連絡先教えとくよ。」
 そういって彼女はポケットから一枚のチケットとペンを取り出すと、
チケットの裏に自分の携帯の電話番号を書いた。
「俺の名前はアイリス。
あんたは?」
「シオン、です。」
 それを聞いてアイリスは満足そうに頷いた。

「じゃ、またな。」
 そういって彼女は振り返ることなくその場を去った。
それを見たいかつい虎獣人も彼女のあとに続く。
後に残されたのは、精神的に疲弊しきったドルとポン太とミール。
そして、シオンの手の中にある一枚のライブチケット。

「アイリスさん・・・。」
 シオンは彼女が去った方向を見つめながら小さくつぶやいた。