北の街−男の約束編−
その日も俺は町を闊歩していた。
俺が歩くだけで周りの奴らは視線をそらし、道をあける。
まるでこの街の支配者になったかのような感覚だ。
俺は胸をはり、堂々と道の真ん中を歩いていった。
特にかわりばえのしない町並み。
手近にあった八百屋に近づき、店先にあったリンゴをひとつ手にする。
「貰うぞ。」
それだけ言って俺は手にした果物にかじりついた。
しゃり、と軽い音がして俺の口の中に果汁が広がる。
すっぱい味が俺にとっては新鮮だ。
こういうのもたまには悪くない。
「あ、あの…。」
店の親父がおどおどと声をかけてきた。
犬族の店主は耳を伏せ、尻尾も丸めている。
膝も、声も震えていた。
「なんか文句あるのか?」
そういって軽くひと睨み。
それだけで親父はひっ、と小さな声を上げて店の奥に引っ込んだ。
俺はそれを鼻で笑うと、リンゴをかじりながら再び街を歩いた。
街の連中がいつもどおりの反応を示すのを確認するように俺は自分の“なわばり”を歩く。
そして、一通り“なわばり”を歩いた俺は路地裏に入った。
俺はそこでアイツに出会ったんだ。
がさり、と音がしてゴミが崩れ落ちた。
珍しいこともない。
俺はそれに目を留めることもなくその横を通り過ぎようとした。
再びがさり、とゴミが動く。
誰かいる。
俺はとっさに身構えた。
どこの馬鹿が俺の命を狙っているかもわからない。
「…?」
いつまでたって見ても次の動きはない。
俺は油断しないようにゆっくりとゴミの山を足でつついた。
ごろり、とそこにある塊が転がる。
それは予想通りヒトだった。
違ったのは俺を狙っているわけではない、ということ。
そこにいたのは、ぼろきれを体に巻きつけただけの少年。
俺と同じ獅子獣人だがまだタテガミも生えそろっていない。
どうやら捨てられたか家出したかの孤児であるらしかった。
俺はそれに興味をなくすと、気を失っているアイツをそのままにそこを歩き去った。
次の日も、アイツはそこにいた。
二度目は、ぼろきれと一緒に膝を抱えて路地の端にうずくまっていた。
薄汚れた体よりもずっと暗い、光のない瞳で地面を見つめている。
そこで初めて俺はそいつに興味を抱いた。
気付かれないように、少しはなれたところからアイツの様子を伺う。
アイツは地面にうずくまったまま微動だにしなかった。
ヒトが歩いてきたときだけ、おびえるように姿を隠す。
そこで何かを待っているのか。
どこにも行かず、ヒトをさけてずっとそこでうずくまっていた。
その次の日も、さらに次の日も。
アイツはずっとそうやってうずくまっているだけだった。
いい加減何をしているのかが気になった俺はゆっくりとアイツに近づいていく。
アイツは、俺の方を見ることもなくずっとうずくまっていた。
手の届く距離まで近づいて足を止める。
そこでアイツはようやく俺を見上げた。
他の奴のときのように逃げる気配はない。
街の連中ですら、俺を見れば逃げるというのに。
自分でも自覚しているが、俺は人相が悪い。
いつもヒトを睨みつけているせいもあるだろう。
初対面の奴でも、俺をみて脅えない奴はいなかった。
「…逃げないのか。」
アイツは俺の言葉が聞こえていないかのように沈黙を守っていた。
「…俺が、怖くないのか。」
やはり、沈黙。
「…何を待ってるんだ。」
その言葉に、初めてアイツは動きを見せた。
視線を下ろし、地面を見つめたままゆっくりと指を動かす。
そこに字が書かれていた。
たった、二文字。
『し ぬ 』
それからしばらくは俺もアイツを放っておいた。
死にたがっている奴に気を止めるほどお人よしではない………はずだった。
数日後、どうしても気になって俺はアイツの元を訪れた。
いつもと同じ場所に、アイツはいた。
俺を見上げる力もないのか、アイツはそこに横たわったままじっとしていた。
俺もアイツも、何も言わない。
しばらく悩んだ後、俺はポケットからバナナを取り出した。
直前に、アイツのためにかっぱらってきたものだ。
それをアイツの目の前に放り出す。
不思議そうな顔で、俺を見上げた。
「…喰えよ。」
俺の言葉にアイツはしばらくの迷いを見せ、バナナを手に取った。
俺は無言でバナナを食べるアイツを見つめていた。
それからしばらく俺はアイツの元に通った。
そのたびに食べ物や飲み物をアイツに持っていく。
最初は躊躇していたアイツも、しばらくすると自分から食べるようになった。
死ぬ気がなくなったのかどうかは俺にはわからなかったが、ともかく飢え死にだけは防げることに俺は安心していた。
「なんか喰いたいもんあるか。」
俺はしゃがみこんで視線の高さを合わせる。
アイツは喰うのをやめ、俺を見た。
いつも俺が適当に持ってきたものを喰っていたから、たまには聞いてやろうと思ったのだ。
アイツはしばらく考えて地面に文字を書いた。
『に く が た べて み た い』
文字の大きさやスペースはばらばらだが、読むのに差し支えはなかった。
「肉か…。」
少し考える。
生のままよりはやはり焼いたほうがいいだろう。
「よし、任せとけ。」
そういって俺は立ち上がった。
手近な店から七輪と肉を持ち出し、アイツのところに持っていく。
いつもと様子の違う俺に周りの視線が突き刺さる。
軽くひと睨みして視線を追い払うと、俺はアイツの待つ路地裏へ急いだ。
期待に満ちたアイツの視線が俺を迎える。
俺はそれに答えるようににやりと笑うと、すばやく七輪を備え付ける。
その辺りで拾った紙くずを中にいれ火をつける。
炭に火がつくのを待って俺は網に肉を置いた。
じゅーっ、という音が食欲をそそる。
アイツも笑顔でそれを見つめていた。
「お前…初めて笑ったんじゃねえか?」
そういって俺はアイツの頭を撫でてやった。
アイツも嬉しそうな顔を浮かべる。
「そういや、名前なんていうんだ。」
俺は肉を焼きながら聞いた。
アイツは首をひねってみせる。
しばらく悩んだ後、地面に文字を書き始めた。
『わ か ら な い 』
「そうか、お前も自分の名前しらねえのか…。」
俺はアイツの頭をがしがしと撫でてやった。
寂しげな顔。
「なあ、こんど祭りあるの知ってるか?」
俺の唐突な言葉にアイツは不思議そうな顔をした。
俺はまくし立てるように言葉を続けた。
「祭りがあるんだ。
一緒に行こうぜ。な?」
その言葉に、アイツはやっと笑顔を見せた。
それを見て思わず俺も笑った。
たぶん、生まれて初めて俺は心の底から笑っていた。
いつのまにか、アイツは俺の生きがいになっていたんだ。
今まで他人なんて必要ない、言うことを聞かせるだけの存在だった。
小さな貧民街でしか通じないことはわかっていたが、それでも俺は自由に―――好き勝手に生きていた。
それを変えたのが、アイツだったんだ。
俺のことを恐れず、俺になついた少年。
アイツの屈託のない笑顔が見たくて、俺はずっとアイツといたんだ。
今日の昼、俺はアイツを迎えに行く前にふらりと街を出た。
アイツの前でいつものようにモノを強奪するのは気がとがめたから、
いざと言うときのために隠してあった金を取りに行ったのだ。
街から少し離れたところにそれを隠してあった。
決してキレイな金ではないが、金は金だ。
俺はそれを懐にしまいこむと、街に戻ろうと振り返った。
「―――――。」
言葉が出なかった。
振り返った夕焼けの中にいた二人の人間。
そいつらは、明らかにまっとうな存在ではない。
俺の勘が危険を告げていた。
黒いスーツに黒いサングラスをかけた、二人の男。
どちらも無表情で俺を見つめている。
サングラスが夕日を反射してオレンジに輝いている。
俺も男たちも、無言のままにらみ合った。
足が震えそうになるのを必死で抑える。
「お前が、失敗作か。」
男の一人が口を開いた。
俺は言葉の意味に迷った。
確かに俺は『失敗作』の意味を込められて「フェイル」というあだ名をつけられている。
街の奴らにしてみれば俺が生まれたことが失敗なのだろう。
だが、男が言っている意味は違う気がした。
「お前が、失敗作の獅子か。」
返事をしない俺に男は重ねて聞いてきた。
男が言っているのはおそらく俺ではない。
なら誰のことを言っているのか。
おそらく、アイツだ。
根拠はないが、そう思った。
「…俺だよ。」
声が震えないようにするので、精一杯だった。
こいつらをアイツに会わせちゃいけない。
そう思った俺は、とっさに嘘をついた。
男は後ろを振り向きもう一人の男と頷きあう。
そして懐に手を入れて…。
乾いた音が響いた。
パシュっという小さな音。
そして音と似合わない、強い衝撃が俺の体を貫いた。
奴らはすぐに立ち去った。
俺は近くにあった木に寄りかかるようにして立ち上がる。
「ハァ……ハァ……。」
俺の口から荒い息が漏れる。
戻らなくては。
アイツが待ってる。
俺は痛む場所をそっと手で押さえてみた。
血。
べっとりと手に血がついている。
奴らが、あの道具でやったのか…?
それでも俺は必死で町に向かって歩いた。
急げ。
アイツが待ってるんだ。
早く。
重い体を引きずるように俺は歩いた。
なんとか路地裏へと歩いていく。
俺を見つけたアイツは、嬉しそうな顔を見せた。
アイツの元へ歩き、俺は壁にもたれかかる。
『ど う し た の
?』
心配そうな顔で俺を見上げながら地面に文字を書いた。
「なんでも………ねえ……よ。
心配、いらねえさ。」
荒い息をつきながら俺はそういって笑顔を見せる。
コイツに不安を感じさせるわけにはいかないんだ。
俺の言葉を聞いて安心したのか、笑顔で俺の手をとった。
軽く手を引き、早く行こうと催促する。
「そんなに、あせらなくても……祭りは、逃げねえよ。」
今までに感じたことのない痛み。苦しみ。
体が重い。
足が動かない。
でも、コイツの前でそんな俺を出すわけにはいかない。
コイツは優しいから、俺の状態を知ればきっと祭りどころじゃない。
祭りにつれて行ってやるって約束したんだ。
祭りの喧騒が遠くに、しかしはっきりと聞こえてきた。
終