北の街−夢の出会い編−
風が足元を通り抜ける。
深夜月明かりに照らされた街はいつもと違う表情を見せていた。
いつも見ている街のいつもと違う姿は俺の感覚を鈍らせる。
自分がどこにいるのか、自分が何をしているのか。
俺はただあてもなく、街の中を歩いていた。
ひときわ強い風が正面から吹いてくる。
俺はとっさに目をかばうために、顔をそむけた。
視線の先には大きな教会が聳え立つ。
教会の屋根のてっぺんには大きな十字架が見える。
その向こうに今にも沈んでしまいそうな赤く鋭い三日月。
頼りない月明かりの中で、俺は屋根の上にたたずむ一人の人影を見つけた。
教会の屋根の上にたたずむ人影はやや小さく見えるもののここからではよく見えない。
俺はその人影の正体を見極めるために教会に向かって歩き始めた。
いつも通り、ベッドの中で俺は目を覚ました。
馬鹿みたいにぼんやりと口をあけたまま、自分の状況を考えてみる。
「・・・夢か。」
いつになく現実的な夢を見ていたためにやや状況判断に時間がかかったものの、
特に気にすることなく俺はベッドから立ち上がった。
こういう夢を見た後はいつも目覚めが悪い。
俺はややうんざりしながら脱ぎ散らかしてあった下着を手に取るとそれを身に着けた。
大きく開け放たれた窓の向こうから太陽の光が差し込んでくる。
まぶしさに目を細めながら窓の外を眺めた。
いつも見慣れた景色がそこに広がる。
その中には、夢に出てきた教会もあった。
「まあ、夢だしな・・・。」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと俺は無理やり自分を現実に引き戻した。
次の瞬間には、夢のことなどもう考えていなかった。
三日月よりも、やや大きく育った月を俺は空に見つけていた。
昨日、教会の上に人影を見かけた場所に、俺は今日もやってきていた。
どのあたりだったか正確に思い出せない。
俺は人影を見つけるために、教会のまわりをふらふらと歩きまわった。
やがて、半ばあきらめかけたころに俺は見覚えのある路地を見つけた。
教会に背を向ける形でその路地を歩き始める。
細い路地は、他の道よりも風が強く吹き抜けていた。
昨日のように、風から顔を背け教会を見上げる。
そこには、他の場所からは見つけることのできなかった人影が確かにあった。
俺はその人影の場所を忘れないようにしっかりと記憶すると、教会の入り口に向かって走り始めた。
教会にある程度近づいてしまうと人影を確認することができない。
俺は人影に近づくために、記憶だけを頼りに教会の敷地内へと足を踏み入れた。
屋根の上に上るにはおそらく教会の中を通らなければならない。
俺は教会の扉に手をかけた。
だが、いくら引いても教会の扉はしっかりと施錠されており、開くことはなかった。
ベッドに入ったまま上体を起こし、俺は頭を抱えたまま今の記憶をもう一度再生した。
昨日見たのとほぼ同じような夢。
正確には、昨日の続きのような夢。
昨日夢で見た人影を確認するために、俺は教会へと近づいた。
だが教会には鍵がかかっていて中に入れない。
当然だ、俺は現実にあの教会に入ったことがない。
中を知らないものをイメージできなければ中に入ることもできないだろう。
そんなことを考えている自分に軽い嫌悪感を覚え、俺はベッドから出ると下着を探して部屋の中を歩いた。
窓の下に落ちていた下着を拾い、立ち上がる際に窓の向こうに教会が見えた。
しばらくそのまま立ちすくむと俺は服を着て家を飛び出した。
俺の目の前には、いつも窓の外に見える教会が聳え立っていた。
夢の中とほぼ変わらぬ姿でそれはそこにあった。
いや、夢の中が正確だと言うべきか。
俺は教会の中に入る前に今朝の夢で確認した路地に行ってみることにした。
記憶の中に残っている、路地に立ち教会を見上げる。
そこには人影など見当たるはずもなかった。
小さくため息をつくと俺は教会に近づき、扉に手をかけた。
ゆっくりと扉を開くと中は礼拝堂になっていて、
正面には宝玉を持ったマリア像が厳かにたたずんでいる。
高い天井をぼんやりと眺めながらおれはしばらくその場に立ち竦んだ。
ふと、視界の端に黒い人影が飛び込んできた。
俺は天井を見上げるのをやめ、そちらを見る。
どうやらこの教会のシスターらしい。
小さな体躯や年相応に顔に刻まれたしわが彼女の人生を物語っているように思えた。
「どうかなさいましたか?」
ゆっくりと、落ち着いた口調で彼女はそう言った。
「ここの屋根の上って上がれますか?」
われながら不躾な質問である。
だがシスターはにっこりと笑うと俺についてくるようにいい、歩き出した。
礼拝堂の隅にある小さな扉をくぐり、薄暗い廊下をしばらく歩くと小さな階段がある。
俺たちは無言でその階段を上り、しばらく歩くと今度は今にも折れそうな小さな梯子があった。
どうやら屋根裏部屋につながっているらしい。
シスターに促され俺はゆっくりとそれを上った。
天井裏は思ったよりも狭く、俺が普通に立つと頭を打ってしまうような高さだった。
俺の後から上ってきたシスターが天井の一部に手をかける。
やがて天井に人一人がくぐれる程度の大きさの穴が開いた。
「ここから屋根裏に・・・。」
俺はそこから顔をのぞかせた。
やや離れたところに例の十字架が見えた。
今日も俺は例の路地から人影を見上げていた。
今度こそ人影に近寄るために、俺は全速力で教会に向かって走り始めた。
昼間に見たのと同じ風景が後ろに向かって流れていく。
やがて昨日と同じように教会の扉にたどり着いた。
やや緊張しながら俺は力を込めて扉を引く。
・・・開いた。
俺は教会の中に入ると扉を閉めた。
明かりもない建物内では最初はほとんど何も見ることができなかったが、
やがて目が慣れてくると礼拝堂の様子を伺えることができた。
目が慣れてくるとはやる気持ちを抑えながら、昼間通った道をたどる。
礼拝堂の隅にある小さな扉をくぐり、礼拝堂よりも暗い廊下を走りぬけ小さな階段を駆け上がる。
崩れてしまいそうな梯子に手をかけ、落ち着くために一度深呼吸すると俺はゆっくりと梯子を上った。
天井裏に上がり手探りで屋根のふたを持ち上げると、空に半月がかかっていた。
上弦の月。
天窓から顔を出すようにして十字架の方を見ると、
いつも遠くの路地裏から見ていた人影がそこにはあった。
俺は屋根の上に上がると足元に注意しながらその人影―――微動だにしないその女性に歩み寄った。
遠くから見ていた時に受けた印象どおり、俺よりは少し小さな体。
風になびく、腰まで届いた長い髪。
だがどこか生命力にあふれたその姿に、俺は力強い印象も同時に受けていた。
そこにいる女性に、俺はどう声をかけていいかわからず立ちすくむ。
突然、彼女がこちらを振り向いた。
月を背負っているため彼女の顔はよくわからない。
ただ、かなり若そうな印象を受けた。
「・・・何の用?」
不自然に一拍置いてから彼女は口を開いた。
俺はやや答えに困る。
用があってここに来たわけでなく、ただここに立ちすくむ彼女に興味を持ったためだったからだ。
俺が何も答えずに彼女を見つめていると、彼女は再び正面に向き直り無言でそちらを見つめ続けた。
何があるのかとそちらに目を凝らしてみるが、見えるのは空の月や遠くに見える名も知らない山。
そしていつも暮らしている街の風景だけだった。
寝起きに軽い頭痛に襲われ、目が覚めてからも俺はベッドから体を起こすことなくそのまま横たわっていた。
3日連続で見た夢は、すべて時間に沿って進んでいた。
実は夢ではなく、夢遊病なんだろうかと自分で疑ってしまうほどリアルな夢になんだか気分は滅入ってしまった。
今日は仕事が休みなこともあり、そのままだらだらとすごそうと決心した。
たまにはこんな休みをとるのもいいだろう。
疲れているからあんな変な夢を見るんだ、と自分に言い聞かせ俺は再び毛布に包まった。
何も考えないように俺は目を閉じて眠ろうとする。
しかしいくら目を閉じても、記憶の中にある風景は追い出すことはできなかった。
彼女が見つめていた方角に何があったのか。
そんなことばかり考えてしまう。
結局、俺は家を出ることにした。
軽く地図で調べてみたところ、彼女が見ていた方向には住宅街があるのみで特に目立った建物もない。
山も特徴のないもので何か噂があったりといったものでもない。
彼女がなにか特別な意味を見出していたりすれば別かも知れないが、
今俺が調べられる範囲では特に意味を見出せそうなものはなかった。
こうなると資料であたっても仕方がない。
実際に彼女が見ていた方向を歩いてみることにする。
あてもなく、住宅街を歩き回るがやはり何も見つからない。
結局その日は何も見つけることができなかった。
いつも通り、俺は教会の上にある人影を見ていた。
昨日と同じように教会の中に入り屋根の上へと上る。
まったく変わらぬ姿で、彼女はそこに立っていた。
「何を・・・見ているんだ?」
俺の言葉に彼女はまったく反応を示さなかった。
聞こえていないのかと思い、もう一度口を開きかけたとき、彼女はこちらも向かずに答えた。
「月を。」
その言葉に俺は彼女の視線を追う。
そこには半月よりも太く育った月の姿があった。
だが見つめていても何もわからない。
「月の、何を見ているんだ?」
「月が満ちるのを。」
そう言って彼女は再び押し黙った。
つまり時間がたつのを待っている、ということだろう。
「月が満ちるとどうなるんだ?」
だが彼女はその質問には答えなかった。
無言で立ちすくむ俺たちの間を冷たい風が通り抜ける。
それ以降は、何を聞いても彼女が答えることはなかった。
次の日、俺は職場の同僚に尋ねた。
月が満ちると何かおこるのか。
彼は怪訝そうな顔をしたまま答えてくれた。
月の満ち欠けは生物に大きく影響している。特に月が満ちたときには魔力が大きく増幅する、と。
「魔力か・・・。」
魔法の存在くらいは知っているものの、普通の生活を送っている以上はまったく必要のない知識だった。
友人にしても魔法が使えるわけじゃない。
仕事帰りに、どうしたものかと俺はぼんやりと考えながら歩いていた。
ふとある場所で足が止まった。
いつもの教会。
俺は現実の世界で、再び教会の扉をくぐった。
以前来たときとまったく変わらぬ風景が中には広がっていた。
こちらに気づいたシスターがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
俺は彼女に対して軽く会釈をした。
「どう、なさいました?」
相変わらず穏やかな雰囲気で彼女はそう尋ねてきた。
彼女に相談したところで解決するとも思わなかったが、困ったときの神頼みという言葉もある。
俺は尋ねてみることにした。
「・・・満月を待っている女性がいるんです。
ただ、なぜ待っているのかがわからなくて。」
俺の言葉に彼女は小さな目を開いて一瞬驚いたような顔を見せた。
やがて、ゆっくりと彼女はしゃべりだした。
「・・・私の知り合いにも昔そのような方がいらっしゃいました。
その方は・・・待っていたようです。
満月の時にのみ訪れる唯一の機会を。」
満月の時のみに何かのチャンスが訪れる、ということか。
「だが、何の機会を?」
「その方は・・・魔術の儀式を行うためでした。
満月により増幅される魔力を期待していたようです。」
魔術・・・。やはり彼女も魔力が大きくなるのを待っているということだろうか?
俺はシスターに礼を言うと教会を出た。
いつも通り、彼女は屋根の上にたたずんでいた。
俺もその隣で彼女と同じように月を見ている。
今日は、彼女が待っているといった満月だった。
「今日は満月だ。いったい、何の時期をうかがっていたんだ?」
教会の屋根についている大きな十字架の向こうには
地平線から顔を除かせている大きな満月の姿があった。
「私は。」
彼女はゆっくりとこちらを振り向き口を開いた。
「私は、あなたのような人を待っていた。
私の存在に気づいてくれる人を。」
そういって彼女は俺をじっと見つめた。
少し恥ずかしい気持ちになって俺は視線をそらした。
いつの間にか、月が頭の上まで来ていた。
唐突に彼女が空中へ身を躍らせた。
あっけにとられた俺は手を差し伸べることもできず、
彼女が地面へむかって落下するのを呆然と見ていた。
2〜3階くらいはありそうな高さから飛び降り、彼女は見事に地面に着地していた。
俺はそのような真似をするわけにもいかず、
教会を上ったときと逆のルートを通って彼女の元へ駆けつける。
彼女は礼拝堂のマリア像の前に立っていた。
ステンドグラスから満月の光が注がれ、マリア像も彼女も、神秘的な雰囲気に包まれていた。
「満月の夜。月が真南に昇ったこの時間。」
そういって彼女はマリア像が手にしている宝玉を取り上げた。
「決して忘れないで。
もうさよならは今、少しだけだから。」
窓から注がれる日の光が俺の顔を照らしていた。
俺はゆっくりと起き上がると大きくため息をついた。
いつまでこんな夢に振り回されているのだろう。
だが、気にならないはずはなかった。
彼女は俺を待っていた、と言った。
なぜだろう。
そもそも、夢なのだから彼女だって俺がつくった想像の産物だ。
なのにいったい何を待っていたと言うんだ?
考えても考えてもその答えは出なかった。
そんなことを考えながら一日過ごしていたせいか、仕事もはかどらずその日はろくな一日にはならなかった。
気分も滅入り、帰りに教会の前を通ってみても中に入ってシスターと話をする気にはなれなかった。
実生活にまで影響を与える夢に俺は軽い苛立ちを覚えて、その日は眠る気分にならなかった。
ベッドに入ってみたもののぼんやりと天井を眺めたまま時間をすごす。
窓からはいつになく明るい光が差し込んでいた。
何気なく窓の外に目をやると、教会の向こう側に大きな満月が見えた。
「今日は満月か・・・。」
そうつぶやいて、ふと彼女が言っていた言葉を思い出した。
『満月の夜。月が真南に昇ったこの時間。決して忘れないで。』
だからなんなんだ、といいたい気分になって俺は再びベッドの中にもぐりこんだ。
その時間を覚えていて何をしろと言うんだ。
彼女はマリア像が持っていた宝玉を手にしてそう言っていた。
俺に、同じ事をしろということか?
教会に入って宝玉を取れだなんて・・・、夢の中じゃないんだ。
それこそ泥棒みたいなもんじゃないか。
心の中で精一杯毒づいて俺は毛布に包まった。
それでも、彼女の言葉を無視することはできなかった。
窓から見える満月はまだ東の方にある。
ここからなら真南に上がる前に教会へいくことも可能そうだった。
俺は小さくため息をつくと開き直る決心をした。
もうどこまでも付き合ってやろうじゃないか、と心に決めるとずいぶんと楽になった。
教会への道は夢の中でも、実生活でも何度もたどっている。
俺はなれた足取りでまっすぐに教会へと向かった。
空を見上げると月はずいぶんと高い位置まで上っていた。
俺はやや駆け足で教会へと向かう。
時間としてはぎりぎりだろう。
やがて教会の入り口が見えてきた。
格子状になっている門の隙間に手を入れ掛け金をはずす。
防犯意識は乏しいらしい。
月はかなり南にあがっているがまだ真南には数分の余裕がありそうだ。
俺は余裕を持って教会の扉に手をかけた。
だが、いくら引いても教会の扉はしっかりと施錠されており、開くことはなかった。
いつか夢で見たその光景。
だが今は状況が違った。
現実の世界で、時間制限も迫っている。
俺はあせって扉を何度もたたいた。
だが、反応はない。
ここのシスターは年をとっていた、耳がとおくて気づいていないのかもしれない。
月は無常にもゆっくりと空を上っていく。
俺は意を決して扉に体当たりをかけた。
一回・・・二回・・・三度目に、扉は大きな音を立てて壊れた。
礼拝堂の中はまだ薄暗く、月明かりはほとんど入ってきていない。
奥の扉が開きシスターが飛び出してくる。
さすがに表の扉が壊れた音には気がついたらしい。
俺は彼女がこちらに来るよりも早く、マリア像の元にかけよった。
月が正中にきたらしく、ステンドグラスから注がれる月明かりが強くなっていく。
「満月の夜・・・。」
マリア像の前で俺は足を止めて息を整えた。
ステンドグラスから降り注ぐ光の量は最大になっている。
「月が真南に上ったこの時間・・・。」
俺はそっとマリア像に手を伸ばした。
彼女が持っている宝玉を手に取る。
ずしりとした重さが俺の手に伝わる。
その瞬間、宝玉が淡い光を放ち始めた。
宝玉は月明かりを集めるかのように少しずつ光を強く放ち、やがて俺の視界は真っ白になった。
ステンドグラスから降り注ぐ光もすっかり弱くなり、月の位置も西へと傾いた。
光がおさまり、俺はゆっくりと目を開いた。
目の前には、俺と同じように宝玉を手に持った女性の姿。
マリア像の前で、現実の世界で、俺はついに彼女と顔をあわせた。
彼女はゆっくりと目を開けると優しげに微笑んだ。
思わず俺は顔を赤くする。
「名前、まだ聞いてなかったよな・・・。」
夢のような出会いに感謝しながら、俺はそうつぶやいた。
完