虎鉄とゆかいな仲間たち



 はぁ、と小さくため息をついた。
手にしたホウキでゴミを集めては、ちりとりで拾い上げてゴミ袋へ移す。
そんな作業を果たしてどれほど続けているだろうか。
 改めて顔をあげる。
今日のノルマは、この大通りを一通り掃除することである。
それが今、およそ半分といったところだろうか。
思わずぶるり、と身体を振るわせる。
年が明けてまだ半月ほど。
寒い中での作業を一人でするのは、身体にも心にも響くものであると痛感した。
 もっともこの作業は、本来一人でするものではない。
商店街に店を出しているものたちで、持ち回りの当番制になっているのである。
それは書店「トラトラ屋」を営む彼、大河原虎鉄もその例に漏れない。
「やっぱり誰かにお手伝い頼んだ方が良かったかな…いやいや、これは自分の仕事!」
 弱気になりかける自分の顔をバチンとたたき、気合を入れる。
本来、大通りの清掃は2〜3の店でグループを組み行う作業である。
そうでなければ、道が広すぎて終わらないからだ。
だが今回、虎鉄は一人で清掃を行っている。
別に、一緒のグループに当たっている店がサボっているわけではない。
虎鉄が、自分から言い出したのだ。
いつも一緒に清掃している店の店長が、もうすぐ子供が生まれそうだという。
そんな話を聞いて、「大変ですね、じゃあ掃除いきましょうか」などと言える虎鉄ではない。
まさに気分は「ここは俺にまかせて先に行け!」である。
「ああ、でもやっぱり峰屋くん辺りにお手伝いを…。」
 そんなカッコいい台詞を吐いたわけではないが、それでも自分から言い出したこと。
そう思って他の誰にも手伝いを頼まなかったのだ。
だが既に後悔で一杯である。
虎獣人である虎鉄は自前の毛皮がある。
それでも、寒いものは寒いのだ。
早く終わらせて、暖かい紅茶でもいれよう。
そう思っていた、まさにそのタイミングで。
「こてっちー!」
「わあああっ!?」
 突然後ろから抱きつかれた。
ホウキを落としたものの、ゴミ袋の中身が漏れないようになんとか口を強く握る。
振り向かなくても飛びついてきた相手の見当はついた。
ついたが、それが誰かまではわからない。
改めて顔を見ても、やはり名前はわからず。
「…波威流!」
「ぶっぶー!
弩来波でしたー!」
 勘で呼んだ名前に、目の前の竜人は嬉しそうに腕をクロスさせてバツ印をつくる。
肩までのびた黒い髪からのぞく、二本の長い角。
そして黙っていれば強面といわれるその顔。
虎鉄は間違いなくその顔を知っている。
が、それでも名前が当てられない訳がある。
「オレも来てるよー。」
 弩来波の後ろから、同じ顔が覗く。
彼ら二人、波威流と弩来波は双子なのである。
正直虎鉄には二人の見分けがつかない。
だから顔を合わせるたびにこうやって名前を当てるゲームをするのだ。
「くそー、また外れか…。」
 悔しがる虎鉄と、それをみて笑っている波威流と弩来波。
この姿を見て、竜人二人が神の眷属だと思う者は少ないだろう。
「こてっち、年明けてから全然遊びにきてくれないからさー。」
 そうやって拗ねてみせる姿は、年相応…というよりは見た目より幼いくらいである。
これで土地神の弟いうのだから、本当に見た目では判断がつかない。
「ああ、ちょっと色々と忙しくて…って、そうじゃなくて!
今は掃除中だから遊べないの。」
 思わずそのまま雑談を展開しそうになる虎鉄。
だがそんなことをしている暇はないのだ。
トレードマークになっているバンダナを調えて、ホウキを拾い上げる。
「掃除って…この通り全部?」
 波威流が周囲を見渡しながら言う。
そう言うのももっともだろう。
この通りは、一人で掃除するには広すぎる。
「じゃあ俺達も手伝うよ!
ホウキとか余ってる?」
 さも当然と言うように、二人は笑う。
神としての能力を使えば掃除なんて一瞬だろう。
が、それは虎鉄が最も嫌うことである。
一言で言えば、「ズル」に感じるのだ。
波威流も弩来波も同じ考えかは知らないが、虎鉄と出会う前から能力を使わずに仕事をしていたらしい。
そういう部分もあって、双子とは馬が合うのだ。
「…いいの?」
 それでも、やはりそう聞いてしまうのは虎鉄の人付き合いに対する恐怖感からであろう。
「もちろん!」
 そうやって笑ってくれる双子が、どれだけ有難いことか。
「じゃあ、ちょっとホウキ取ってくるから!」
 なんだか笑顔を返すのが照れくさくて。
虎鉄は手にしたホウキを預けて、走り出した。




「で、今日はわざわざどうしたの?」
 二人が手伝ってくれたので、掃除はすぐに終わった。
今は場所を移し、虎鉄の家に移動している。
紅茶を入れるカップにお湯を張り、カップを暖めながらお茶請けの洋菓子を準備する。
「こてっちが遊びに来てくれないから、遊びに来たんだよ!」
「お土産もあるよー!」
 言われて反射的に二人を見る。
が、二人とも手ぶらで何かを持っているようには見えない。
あまり浅ましく見るのもなんだと思い、紅茶を入れる作業に戻る。
「お土産って、食べ物?」
 カップのお湯を捨て、紅茶を入れたティーポットと合わせて居間へと運ぶ。
お菓子ならこの場で一緒に、と思ったのだ。
 虎鉄の言葉に、あたりをキョロキョロと見回していた双子の視線が集まる。
「ううん、今日はゲームもってきた!」
「ゲーム!?」
 余りにも予想外の答えに、虎鉄は思わず聞き返した。
まさかこの二人がゲームをするとは思わなかったのだ。
「うん、作ったんだよ。」
「作った!?」
 波威流の言葉に、思わずあんぐりと口が開く。
慌てて虎鉄はぶるぶると首を振る。
冷静に考えれば、すごろくなどは子供でも作れるのだ。
松の内も過ぎたとはいえ、正月が近いのだし福笑いなんかもありだろう。
「こてっちRPGとか好き?」
「電子だよ!
思いっきりコンピューターゲーム作ってるよ!」
 一瞬テーブルトーク、という言葉が頭を掠めた。
だが弩来波が取り出したそれはどうみてもコンパクトディスク。
いわゆるCDの形であった。
やはり想像通りのゲームであったらしい。
「よくこんなもの作れるなあ…。」
 ケースからディスクを取り出し、裏表を確認する。
ディスクの表面にはしっかりとレーベル印刷までされていたりするから、完成度の高さは異常ともいえた。
 ちらりと視線をやれば、波威流も弩来波も虎鉄が出したパウンドケーキを貪っている。
現在別に暮らしている虎鉄の父が、以前手土産にと持ってきたものだ。
小さく切られて、個別包装されている。
虎鉄もそれを一つ手にとり、封を切った。
洋菓子を食べ、紅茶を飲み、ようやく一息。
「…ホントに?」
「え、あたりまえじゃーん。」
「嘘ついてもしょうがないでしょー?」
 確かにその通りではある。
神としての能力を使えば簡単だが、果たしてこの二人がどこまでそれを使っただろうか。
全く使わなかったわけではないだろうが、かといって何かを丸々複製したわけではないだろう。
「…とりあえず、ハード何?
プレステ?」
 このままディスクを眺めていてもしょうがない。
ひとまず起動してみようと、テレビの電源を入れる。
「あ、それそうじゃないよ。」
 ディスクをゲーム機にいれようとする虎鉄を、波威流が止める。
不思議に思い振り返る虎鉄。
「こっちこっち。」
 弩来波が、自分の手首を叩いて見せた。
一般的にはそれは時間を意味するジェスチャーである。
が、この場合は違う。
虎鉄が腕につけているのは、二人にもらったバングルだ。
 波威流と弩来波は、温泉宿を営んでいる。
そこは神々が疲れを癒しに来る場所であり、それが故に入るには神としての資格が必要だ。
このバングルは、一般人である虎鉄がそこに入るための通行証のようなものである。
「これ?」
 不思議に思いながらバングルを見せる。
もちろん音楽再生機能や、ゲーム機能がついているシロモノではない。
ディスクを読み込ませる部分などないはずだが。
「こうやってねー。」
 バングルの上に、ディスクをかざす波威流。
手を離すと、それがバングルの上に浮かぶ。
どうやら本当にこれ専用だったようだ。
波威流が勢いをつけてディスクを回すと、もともとそういった機能があったかのようにバングルがディスクを読み取り始める。
「これでオッケー。」
 何がオッケーなのか、虎鉄にはわからない。
「で、そこのドアに触って。」
 訳がわからないまま、言われた通りにする。
ゲーム、と言っていたのがなんだか嘘のようで。
『じゃーん。』
 双子が声を合わせて扉を開き。
その先にある風景に、虎鉄は目を見開いた。




「えええええええええええ!?」
 虎鉄は思わず自分の目を疑った。
扉をくぐればそこは自分の寝室のはずだった。
だがそこはよく知る部屋などではなくて。
どう見ても、森の中にある小さな村だった。
「どういうこと!?」
 振り返るが既に波威流も弩来波もいない。
もちろんくぐったはずの扉も見当たらず。
知らない場所に思い切り放り出された状態である。
「あいつらあああああ!」
 思わず叫ぶ。
だがそんなことをしても二人は姿を現さず。
 しょうがなく現状の理解から入る。
周囲を見回せばログハウス風の家が数軒。
正確に数えれば見える範囲では五軒だ。
それ以外に見えるのはただただ木、である。
さすがに何の木かまでは判別つかないが、雰囲気的には家の近くにある森林公園によく似ている。
もちろんそこには家など建っていなかったから、違う場所ではあるのだろうけれど。
 ふと、自分の手が視界に入る。
一瞬そのまま流しかけて、慌てて見直した。
見覚えのない、指貫グローブをつけている。
慌てて身体を見下ろせば、服装もまた見覚えのない胴着を身に着けていた。
とはいっても、普段友人の武道師範が身に着けている白い空手着のようなものではない。
それこそファンタジー世界に登場するような、肩当がついた赤黒い胴着だった。
「ナニコレ!?」
 もちろん脱がされた覚えもなければ、袖を通した覚えもない。
まさに一瞬での早着替えが行われていたのである。
思わずびくんと尻尾を跳ね上げて。
「どちらさん?」
 不意に後ろから声をかけられた。
おそらく大声を出して一人で騒いでいたから、誰かが聞きつけてきたのだろう。
恥ずかしい、と思い思わず耳を伏せながら振り返る。
そこには若者が二人、立っていた。
「あれ…?」
 思わず声を漏らす虎鉄。
そこに立っていたのは、見覚えのある犬の若者たち。
もちろん服装はファンタジー世界よろしく、地味な色合いの布製の服であったが。
だが彼らは虎鉄の顔を見てもまるで表情を変えない。
ただのそっくりさん…と考えたいが。
それでも、そんなに似た獣人が2人も揃うものだろうか。
「あんた…旅の人か?」
 前に立っているハスキー犬の獣人が口を開く。
声から判断するに、先ほど声をかけてきたのも彼だろう。
とりあえず知り合いにそっくりなので、虎鉄は心の中で彼を一樹と呼ぶことにした。
「あ、えっと…。
知り合いとはぐれてしまったみたいで。」
 思わず頭をかきながら答える。
手に当たる感触から、トレードマークのバンダナはつけたままだと判る。
だが一樹はそんな虎鉄の様子をみて、顔色を変えた。
「あんた、その手の…!」
「え?」
 一樹は虎鉄の手を取り、ぐっと引き寄せる。
急な展開に思わずどきりと心臓が高鳴った。
だがもちろん、虎鉄が期待したような展開ではない。
決して抱きとめられるわけではなく。
「この腕輪…!」
 一樹が後ろにいた仲間を振り返る。
彼もさっと表情を変え。
「俺ちょっと村長呼んでくる!」
 金色の髪を生やしたドーベルマンが慌てたように走っていった。
「え、ナニ!?
なんか不味かった!?」
 思わず一樹の顔をみる虎鉄。
だが腕を掴んだまま、彼はじっと虎鉄を見るだけで何も話さない。
とりあえず殴られたりするわけでもなさそうなので、不安に感じながらも虎鉄はそのまま様子を見ることにした。
 やがて、ドーベルマンが飛び込んだ家から一人の老人が慌てた様子で顔を出した。
若者たちよりは少しだけ質の良さそうな服を着た猪顔の獣人。
「…今度は町内会長かあ。」
 歩み寄ってくるのは、虎鉄が住む星見町の町内会長である。
普段は町内会のイベントなどで虎鉄と張り合うことも多いのだが。
「よくぞこられました、勇者様。」
 やはり彼は虎鉄を知らないようで。
あろうことか、勇者などと呼び出した。
「勇者って、自分がですか!?」
 さすがに唐突な話で声をあげる虎鉄。
それと同時に、若者も老人も一斉に膝をついた。
そう、まるで敬意を表すようにである。
 一瞬呆然とするも、ようやく虎鉄は意味がわかりかけてきた。
まさに言葉どおり、これはRPG…ロールプレイングゲームなのだ。
ディスクの形状やRPGという語感からてっきりビデオゲームを連想していたのだが。
どうやら本当にロールプレイ、つまりは役割を演じて遊ぶ、壮大なごっこ遊びの場を彼らは作り上げたらしい。
つまりここでの彼らは虎鉄の知り合いと同じ顔をした別人であり、虎鉄本人は世界を救う勇者なのだ。
「その腕輪が何よりの証!
この村に古くから伝わる伝説がそれを示しております。」
 となると、ここは勇者らしく振舞うのが鉄板だろうか。
いや、虎鉄になんの説明もない辺りどちらかというと巻き込まれ方のパターンか。
「で、でも自分なんかが…。」
 とりあえず軽く否定しておく。
もちろん、シナリオがある以上そう簡単には外れることはできないだろう。
雰囲気を盛り上げるための小芝居である。
「いえ、間違いございません。
鮮やかな虎縞、青いバンダナ、そして腕のバングル。
伝説にある勇者様そのものでございます!」
 力強くそう断言され、思わず虎鉄は顔を赤らめる。
流石に面と向かってそこまで言われると照れるものがある。
「数年前から現れた魔王を倒せるのは、貴方様だけでございます!」
「魔王かー…。」
 思わず呟く。
少々話が唐突な気がする。
小さな村で、旅人に急に魔王退治を依頼するものだろうか。
もっとも双子はあまりこんなゲームをした事がないだろうから。
きっとシナリオの組み立てにやや強引なところがあるのだろう。
そう思って自分を納得させることにした。
「わかりました!
自分にできることであれば!」
 精一杯の笑顔で答える。
「よし、カモゲット!」
「え?」
「いえ、なんでもないです。」
 聞こえた不穏な言葉に、思わず聞き返す。
もちろん普通に誤魔化された。
(…これ、シナリオが雑なんじゃなくてなんか詐欺にあってるんじゃ…?)
 一抹の不安を覚えるが、既に後の祭りである。
「ささ、これを持って城にお向かいください!」
 そう言って村長役の彼が手渡してきたのは、パリっとした封筒である。
城に持っていけ、ということは恐らくこれは紹介状のようなものなのだろう。
「…あっちでいいんですか?」
「そうですそうです、どうぞどうぞ!」
 村長が指差す方向に、しょうがなく歩き始める。
まるで追い出されるかのように。
虎鉄は森の中に向かって歩き始めた。
「なんか体よく追い出されたような…。」
 手にした封筒を裏返してみる。
思い切り、No.5と書かれていた。
五人目、ということだろうか。
「これ、それっぽい人を人身御供にして城で兵役かなんかさせてるだけ…?」
 不安感は増すばかりである。
だがとりあえず、シナリオはあるようだしなぞってみればいいだろう。
あの双子が作ったものならとりあえず命の危険はあるまい。
 とりあえずシナリオよりも作り手を信じることにして。
虎鉄は、示された方向に向かって森の中を歩き続けた。




 言われていた城は、意外とすぐに見つかった。
村自体、高い木に覆われていただけで距離はそう遠くなかったようだ。
森を抜ければ、すぐ目の前に城が見えた。
少し低くなった土地に城が建てられており、その周りに巨大な堀が見える。
いや、正確にいうならば湖の中の大きな島に、城を建てているのだろう。
確かに守りは強固になるかもしれない。
そう考えながら、虎鉄は近くに見える橋に足を向けた。
 ここに来るまでに、虎鉄は自分の姿や持ち物をもう一度改めていた。
胴着自体はしっかりしたつくりのもので、ちょっとした刃物くらいなら受け止めてくれそうな強度が感じられる。
だが持ち物はほぼないに等しく、懐に入っていた財布と、腰につけていた道具袋に薬草らしきものが数枚だけであった。
正直勇者の持ち物としては心もとないことこの上ないが。
おそらく城に行けばある程度の体裁は整えてくれるだろう。
それだけを信じて。
虎鉄はとにかく歩き続けた。
「止まれ!」
 橋を渡り、城の入り口に近づいたところで門番に声をかけられた。
正確には制止された、という方が正しい。
手にした槍で、進行を妨げる様に門を押さえている。
「今は警戒態勢中である。
紹介状のないものは入れる事ができない。」
 とりあえず顔を確認する。
眼帯をつけた、垂れ耳の犬。
…どこかで見た事があるが、思い出せなかった。
もっとも向こうは虎鉄を知らないので特に問題はない。
「あ、一応コレを…。」
 村長から預かった手紙を門番に渡す。
無言で受け取ったそれを、門番は中を改め。
「失礼。
通ってかまわない。」
 小さく頭を下げて、彼は一歩下がった。
まさに職務に忠実な門番といった風で。
もはや虎鉄のことは眼中にない様だった。
「じゃ、じゃあ失礼しますね。」
 とりあえず一声だけかけて門をくぐる。
「わあ…!」
 そこは、先ほどとは違うとても賑やかな場所だった。
門の中は城下町になっており、ざわざわと喧騒が心地よい。
今くぐった門から、そのまま大きな通りが城へと続いている。
大通りの脇には様々な店が並んでおり、日の高い今はまさに呼び込みも最高潮のようだ。
「どうしよう、ちょっとくらい買い物していってもいいかな…!」
 別に誰かに呼ばれているわけでもない。
咎められることもないだろうと、辺りの店を見ながらぶらぶらと通りを歩いていった。
 見たことのない果物を売る八百屋、様々な装飾品が売っている万屋。
特に目を引いたのは古本屋である。
自分の財布に入っている小銭がどれくらいの価値があるのかわからないから、買うことまでは出来なかったが。
思わずこの世界の歴史に関する本を数冊、読みふけってしまった。
 気がつけばすでに日は傾いていて。
「あ、虎鉄さん!
こんなところにいたんですか!」
 急に名前を呼ばれて、虎鉄は思わず身を硬くした。
まさかこの世界で、名前を呼ばれるとは思わなかったから。
だがその声はどこか聞き覚えのあるもので。
「愁哉君!?」
 振り向けば、店の入り口に立っているのは鎧を着た青年。
満面の笑みを浮かべた馬獣人の彼は、虎鉄の友人であり運送会社に努めているはずの。
年下の好青年、茶道寺愁哉だった。
もっとも今は普段のスマートな私服でも、運送業の制服でもない。
白いアーマープレートの上に、ゆったりとした布の服を一枚着込み。
まさに、騎士といった格好である。
腰にもしっかりと剣を下げている辺り、やはりそういう仕事の役割を振られているのだろう。
「わー!
すごい似合う、カッコいい!」
 思わずテンションを上げて駆け寄る虎鉄。
「え、そ、そうっすか?」
 愁哉も顔を赤らめて照れた表情をした。
そこで、虎鉄は気がつく。
どうも愁哉だけは事情が違う気がする。
彼は最初に自分を「虎鉄さん」と呼び。
そしていつも通り、友人に接するように会話をしてくれている。
これは今までとは違うパターンだ。
今までどおりであれば、彼は同じ顔をしているだけの別人であるはずだが…。
「えっと…本物の愁哉君?」
 少しだけ申し訳ない気持ちを抱きながら。
虎鉄は上目遣いでそう聞いた。
「もちろん、本物っすよ!」
 長い髪を掻きあげ。
ぐっと親指を立ててみせる。
着ている鎧と相まって、それは本当に絵になっていた。
「良かったあああああ。」
 思わず虎鉄はその場で愁哉に抱きつく。
「あ、こ、虎鉄さん?」
 予想外のリアクションに愁哉は思わず言葉に詰まる。
腕を回し抱きしめるかどうかを迷って。
決断する前に、虎鉄の方から離れてしまった。
「波威流と弩来波に、突然こっちに放り込まれてさ〜。
ゲームだってわかってても、一人だと心細かったんだよー。」
 思わず目元に涙を浮かべながら虎鉄は笑う。
愁哉はそれをみて一瞬だけ驚いた表情を浮かべて。
すぐに安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ、俺はちゃんと虎鉄さんだってわかりますから!」
 愁哉の言葉に虎鉄は、手を握りながら何度も頷く。
「他の人は全然自分に気づかないし、てっきり全員そっくりさんかと思ったんだけど…。」
「いやあ、脇役のNPCはそうみたいっすけど…。
メインキャラは本物連れてきてるみたいっすよ?
俺も双子に協力要請されましたもん。」
 その時のことを思い返し、思わず愁哉は身体を振るわせた。
虎鉄は知らないことだが、波威流と弩来波は彼らの兄か虎鉄のどちらもが居ない場面ではかなり性格が違う。
それが故に、特に茶道寺辺りは彼らと直接会話することは避けているのだが…。
今回は虎鉄のために、ということで向こうから頼みに来たのである。
もっとも、かなり居丈高な頼み方ではあったのだが。
「え、じゃあ他にも遊びに来てる人がいるの?」
 虎鉄の脳裏に、数人の友人の姿が浮かぶ。
が、その辺りは愁哉も知らされていない。
「俺も詳しくは知らないんですよね。
とりあえず俺は虎鉄さんが紹介状持ってくるまで城で待ってるはずだったんですけど…。」
 その言葉を聞いて、虎鉄は自分が愁哉を待たせてしまっていたことに気がついた。
恐らく本来なら、この城下町を通り抜けすぐに城に入る予定であったのだろう。
ところが虎鉄が寄り道をしてしまい、結果愁哉に待ちぼうけを食らわせてしまったのだ。
「うわー、ごめん!
知らなかったからずっと本読んじゃってたよ!」
 慌てて謝る虎鉄だが、もちろん愁哉はそんなことで怒ったりはしない。
きちんとしたナビゲートを受けたわけではないから、そこはしょうがないのである。
「とりあえず、飯にしません?
俺腹減っちゃって。」
「あ、じゃあ自分がおご…れるのかな、これ。」
 懐から財布を取り出し、愁哉に見せてみる。
残念ながら、と彼は苦笑を浮かべながら首を振った。




 ひとまず手近な定食屋に入り、席に着く。
食事代はひとまず愁哉が出してくれることとなった。
「ごめんね、迷惑かけてばっかりで。」
 思わず身体を小さくして謝る虎鉄。
「いいんですよ、そこら辺は初期設定なんすから。」
 確かに手持ちの金額も、道中に雑魚モンスターと思しきものがでなかったのも。
そこは双子のバランス設定によるものである。
言ってしまえば虎鉄に非はない。
「それよりも、ひとまずゲームの目的について説明しますよ。」
 適当に注文を済ませてから、愁哉が口を開いた。
「目的って言うと…魔王?」
 この世界に来たばかりの時に、町内会長…もとい、村長に言われた言葉を思い出す。
「そうですね、一応この世界の設定を大雑把に説明すると…。
自称魔王ってのが現れて、世界を混乱させようとしてるところです。
城の方でももちろん調査はしてるんですけど、自発的に冒険する若者が後を絶たないので、それを国が管理することになりました。」
 いいながら、窓の方へ視線を向ける。
大きな窓から、夕焼けに染まる城が見えていた。
「各自治体を通じて、冒険者登録をしたものだけが各地にある町に入場が出来るようになってます。」
 なるほど、つまりあの村で渡されたものは冒険者登録のための紹介状か何かだったのだ。
「…勇者っていうのは?」
「え?それは…今回のゲームでは特に言われてませんけど。
あ、でも登録した自治体には手続きのための必要経費とかも出されますから、適当なこといって登録する町や村もあるって…。」
 そこまで言って、愁哉は事態を飲み込んだ。
そして、これを発言すべきでなかったのだと、本気で後悔した。
「自分、騙された…。」
 虎鉄が思いっきり頭を抱えて落ち込んでいた。
「ま、まあまあまあ。
ゲームって思ってたら、そういう胡散臭い話もつい信じてしまうもんですよ。」
 慌ててフォローを入れる愁哉。
「そう、だよね?」
 愁哉の言葉で、虎鉄もなんとか浮上してきたようだ。
「そうですよ、急なシチュエーションでそこまで的確に判断しろって方が無理な話です。」
 愁哉の言葉に、安心したように虎鉄が笑う。
「でも愁哉君、詳しいんだね。」
「ええ、俺は一応この国所属の神官騎士としての役振られましたから。
チュートリアルもかねてるみたいっす。」
 なるほど、確かにいつも集まる友人面子では、虎鉄を除けばゲームをするのは愁哉くらいのものである。
そういう意味では最初に出会う仲間としては適切であるといえよう。
「ナイト、かっこいいよねえ。
自分は…モンクか何かかな?」
 特に武器も持っていない自分を見て、虎鉄が首を捻る。
そうでなくとも、素手の戦い以外は正直自信がなかった。
「そうっすね、特別職業名とか聞いてませんけど…。
まあ俺が回復魔法も使える設定ですから、いざとなったら守りますよ!」
 ここぞとばかりに自分を売り込む愁哉。
バトル展開ではいつも遅れをとっている愁哉であるが、こういったバーチャルな状況であれば今までのゲームの知識が役に立つ。
特に今は、普段使えない回復魔法というものもあるのだ。
「うん、ありがとう。
それで、まずは何をすればいいのかな。」
 ウェイトレスが運んできたパスタを笑顔で受け取ってから、虎鉄は尋ねる。
愁哉も同様に届いたハンバーグを受け取って。
「まずは、この城の北西にある洞窟に向かうべきっすね。
最近そっちの方で商人が襲われたって話だとか、未調査の洞窟が見つかったって話があるんすよ。」
「なるほど、じゃあ最初のダンジョンだね。
装備とか揃えなくていいのかな?」
 RPGとしては、最初は丁寧に進めば初期装備でもそう苦労しない、くらいのイメージが強い。
もっともそこはあの双子である。
どのようなバランスにしているかわからない以上、気を抜くべきではないだろう。
「一応俺から申請すれば簡単な支給品とかはもらえますけど…。
多分今の装備とそうランクは変わらないっすね。」
 ちゅるん、とパスタをすすり虎鉄は考える。
となればあとは回復アイテムの準備だろうか。
だが手元には薬草があるし、愁哉は回復魔法が使えるという。
ならばとりあえず一度向かってみるべきだろうか。
「そうですね、ひとまず向かってみて厳しそうなら引き返しましょう。」
 虎鉄が考えを述べると、愁哉も大きく頷いてくれた。
ゲーム関連で、彼と意見が一致するのは非常に心強いことである。
「よし、じゃあ明日の朝さっそく出発しようか。」
「はい!」
 ひとまず方向性が決まったところで。
二人は目の前の食事を片付け始めたのだった。




「はあああっ!」
 裂帛の気合とともに愁哉の剣が振るわれる。
その一撃で、目の前に現れたゼリーのようなモンスターが真っ二つに分断された。
しばらくぶるぶると震えた後、ゼリーは煙のように姿を消した。
「わー、愁哉君かっこいい!」
 その姿を後ろで見ていた虎鉄は、のんきに拍手をしている。
拍手を受けて愁哉も顔を赤らめ、戦闘態勢を解いた。
既に周囲に居たはずの雑魚モンスターは殲滅済みである。
「そ、そっすか?」
 普段戦闘に関しては褒められることのない愁哉。
彼らの周りには戦闘能力が強い獣人が多すぎるのだ。
「うん、よく似合ってるよー。
それにしても、雑魚の見た目はレトロゲーっぽいなあ。」
 モンスターが落としたコインを拾い集めながら虎鉄は呟く。
実際でてきたのは丸っこいゼリーのようなスライムや、ぬいぐるみのようなコウモリ。
それにまるで紙細工のようなナメクジくらいである。
もっともそれくらい気の抜けた外見であってくれた方が、虎鉄としては戦いやすい。
見た目が怖い、怖くないという問題も勿論あるのだが。
何よりモンスターとはいえ、動物を殺して行くことに抵抗があったのだ。
「まあコレくらいの方が戦いやすいですよね。」
 愁哉もその点については同意である。
普段ゲームでやっている行為であっても、だ。
「でもこれ、レベルアップとかしてんのかな?」
 既に洞窟に入って十数匹のモンスターを倒している。
通常のRPGで、スタート直後であればすでにレベルアップをしていてもおかしくないだろう。
「うーん、ひょっとしたらイベントでレベルが上がるタイプかもしれませんね。
そこら辺までは俺も詳しく聞いてないんですけど…。」
 なるほど、と虎鉄は呟いた。
イベントだけでレベルが上がるRPGも確かに存在する。
中には仲間を加えたときだけレベルが上がるというRPGも存在したくらいだ。
そこはオリジナリティと考え、バランスさえ取れていれば受け入れるべきだろう。
「じゃあこのまま奥進んじゃう?
幸い明かりも必要なさそうだし。」
 天然の岩肌の洞窟ではあるが、なぜか明かりが必要ない程度には明るい。
ゲームならおかしさを感じないが、いざ実際にそうなってみると随分と妙な気分である。
「そうっすねー、特に回復の必要もないですし…。」
 ここに至るまでほぼ無傷で進んできた二人。
回復相手も、魔法に必要な魔力も消費なしで進めていた。
 道もほぼ一本道。
特に何事もないだろうと、虎鉄は笑いながら目の前の曲がり角を曲がった。
「じゃあこのまま一気に…うわああっ!?」
「虎鉄さん!?」
 急な叫びに愁哉が走る。
曲がり角の先には、なんだかよくわからない光景が広がっていた。
ドロドロとした粘菌が、虎鉄の足に絡みつく。
「このっ!」
 虎鉄はひとまずそれを蹴り飛ばし、距離をとる。
どうやら噛み付かれたようで、ズボンの裾のところに小さな穴が空いている。
「下がってください!」
 盾を突き出し、剣を構える愁哉。
蹴り飛ばされ、壁に張り付いていた粘菌はそのままずるずると壁を伝ってずり落ちてきた。
そのまま伸びたかと思うと、二つの塊に分かれる。
「増えた…!」
 その様子をみて、虎鉄も愁哉の隣に並ぶ。
「2対1じゃ分が悪いよ、自分も戦う!」
 実際、ここまでほとんど愁哉一人で戦ってきた。
だがこの粘菌は今までの冗談のようなモンスターとは少し違うらしい。
「じゃあ、俺は右を叩きます!」
 言うが早いか、一気に粘菌との距離を詰める愁哉。
虎鉄もそれに続いて、左へとぶ。
噛まれた右足が少しだけ、痺れた。
「うおおおっ!」
 掬い上げるようにして剣を振るう愁哉。
だが柔らかい粘菌はそのまま剣に絡みつき、まともに斬る事もできない。
剣を振り、絡みついた粘菌を振り落とす。
 虎鉄もいざ相手取ったものの、どう攻撃したものかと迷っていた。
恐らく殴りつけても形が変わるだけで効果はあるまい。
しばらく迷い、ひとまず先ほどのように蹴り飛ばすことにした。
びちゃん、と汚い音がして粘菌が壁に張り付く。
 いったん距離をおいて、虎鉄は愁哉に視線を送る。
「愁哉君、これまとめて刺しちゃおう!」
「判りました!」
 愁哉が頷いたのと同時に、虎鉄は走る。
地面に落ちていた粘菌を蹴り上げ、先ほど蹴り飛ばした粘菌と重ねる。
「うおおおっ!」
 粘菌が動き出す前に。
その中心を狙って、愁哉が剣をつきたてた。
ぶるり、と粘菌が振るえ先ほどのモンスターのように煙となって消える。
しばらく様子を見て、他のモンスターが出ないことも確認して。
二人は安堵のため息をついた。
「油断しちゃダメだねー。」
 言いながら虎鉄はその場に座り込む。
先ほど噛まれた部分がピリピリと痺れた。
見れば少し血が流れている。
「怪我してるじゃないですか!」
 それを見た愁哉が慌ててかがみこんだ。
手をかざし、回復のための呪文を唱える。
「あ、大丈夫だよ。
見た目ほど痛みはない…というか、ゲームになるようにちゃんと調整されてるみたい。
自分が怪我したっていうより、見た目の効果だけじゃないかな。」
 実際、ズボンについた噛み傷と足についている傷跡は形が違う。
恐らくどのような攻撃でも似たような傷が、表面につけられるのだろう。
「ペイントみたいなものっすか。」
 それならあまり慌てることもない、と愁哉はようやく一息ついた。
だが回復を止めると、再び足に傷がついた。
「わっ!?」
 流石にこれには虎鉄も驚く。
「毒の継続ダメージじゃないっすかね?」
 愁哉の言葉になるほど、と虎鉄は頷く。
確かにゲームであればそのような演出も多い。
「ちょっと、吸い出しますね。」
 虎鉄が返事する間もなく。
愁哉は虎鉄の足に口付けた。
ふくらはぎの辺りに顔をよせ、そのまま強く吸う。
口の中に液体が入ってきた感覚を感じ、顔を離して吐き出した。
 そんなことを何度か繰り返す愁哉。
それを見ながら、虎鉄は思わず顔を赤らめる。
なんとなく奉仕させている気になってきたのだ。
「も、もう大丈夫だよ。」
 気がつけば先ほどまで感じていたピリピリとした痺れは消えている。
愁哉も安心したように足から顔を離した。
「あれ、顔赤いっすよ?
大丈夫ですか?」
 どうやらまだ赤面は収まっていなかったらしい。
虎鉄は慌て手をふって答えた。
「う、うん!
大丈夫だから!」
 流石にこれ以上奉仕させるわけにもいかない。
「そういう愁哉君は怪我はない?」
「はい、大丈夫っす!」
 愁哉は攻撃を喰らっていなかったし、なによりしっかりと鎧を着込んでいる。
何かされていたとしても、傷は負わなかっただろう。
「うーん、自分もやっぱり鎧とか着た方がいいのかな。」
 自分の身体を見下ろしながら言う。
身に着けている胴着は、確かにしっかりとした生地ではある。
だが鎧と比べれば、防御力は落ちるだろう。
「どうですかね。
ゲームを意識してるなら、そんなに変わらないんじゃないすか?」
 確かにゲームであれば実際の面積や素材よりも、設定されている数字が全てである。
下手をすれば全身鎧を身に着けてもダメージが通る可能性があった。
「そっかあ。
じゃあ武器かな?
格闘武器とかあれば、ああいうドロッとしたのにも効果がでるだろうし。」
「次の町にいったら見てみます?」
 そうだね、と虎鉄は笑顔を返した。
ひとまずこのダンジョンを抜けることが先決である。
戻ってもいいが、まだ余力はある。
この調子ならそう苦労せず抜けられそうだ。
「じゃあ、一気に奥まで行っちゃおうか。
…って、目的なんだっけ?」
 立ち上がりかけた愁哉はその言葉に思わずずっこける。
「この辺りでモンスターに襲われる商人とかが多いって話ですよ。
だからあくまで今回は調査です。」
 思わず苦笑いを浮かべながら愁哉は説明した。
虎鉄も照れ笑いを浮かべている。
「いやあ、ゲームってやってるとよく目的忘れちゃうんだよね…。」
 そう言って、今度は油断しない様に。
気を引き締めて、二人は歩いた。
 道自体の分岐は少なく、あっても片方がすぐに行き止まりである。
あるのはせいぜい小銭が入った宝箱。
でるモンスターも先ほどより強いものはおらず。
結局そのまま二人は最奥と思しき場所にたどり着いていた。
「…水溜り?」
「ですね…。」
 一番奥にあったもの。
それは、大きな水溜りだった。
「てっきりボスモンスターでもいるのかと思ったけど…。」
 周囲をきょろきょろと見渡すが、抜け穴のようなものはない。
やはりここで行き止まりなのだろうか。
「でも商人が中心に襲われてるってことですから、統率を取るようなボスはいると思ったんですけどね。」
 確かに、愁哉の言うことももっともだろう。
指導者なしで、この付近だけに被害が頻発するとも思えない。
 ふと思いつき、虎鉄は水溜りに片手を突っ込んでみる。
特に痛みや状態異常を与える類ではなさそうだ。
普通の水だと判断し、虎鉄は続いて顔を突っ込んだ。
毛皮が濡れるがこればかりは仕方ない。
 水中で目を開け、辺りを探る。
探していたものはすぐに見つかった。
「愁哉君、この奥!」
「え?」
 虎鉄のしていることを不思議そうに見ていた愁哉。
急に叫ばれて何事かと思ったが。
「この奥、どっかに続いてるみたい!」
 虎鉄の言葉の意味を、ようやく理解した。
つまりこの中を泳いで進まなければならないのだ。
「じゃあ、俺先に潜りますよ。」
 鎧の留め金に手をかけ、それを外していく。
流石に鎧を着けたままこの奥に進むのは無謀だろう。
「大丈夫?
自分なら胴着脱がなくてもいけるし、任せてもらった方が…。」
 だが愁哉は首を振る。
たしかに理屈ではそのとおりだろう。
しかし愁哉は虎鉄を守りたいのだ。
危険があるなら自分から進みたい。
もちろんそんなことを説明するわけにもいかず。
愁哉は笑って誤魔化して、水の中へと身を躍らせた。
 水溜りは思ったよりも深いものの、すぐ先に明るい場所が見える。
恐らく虎鉄が見つけたのはそちらだろう。
一度息継ぎで顔を出し、今度は明るい方向に向かって泳ぐ。
どうも進行方向に、そのまま空間があるようだ。
つまり大きな水溜りの上に壁が突き出していただけである。
もぐってしまえば、そのまま壁をくぐって真っ直ぐに進める。
そう判断して愁哉は進む。
長さはせいぜい3m程度。
すぐに向こう側の空間に顔を出せた。
 そこは数m四方の狭い空間。
まるで何かの部屋である。
「お、愁哉!
遅かったな!」
 その部屋の真ん中に、見知った顔がいた。
「え、お前何してんの!?」
 思わず愁哉は叫ぶ。
そこに立っていたのは、大柄なサメの顔をした獣人。
どこか困ったような目をしたまま、それでも満面の笑みを浮かべている。
何時もと違い、革のズボンにハーネスなんかつけているけれど。
見間違うはずもない。
愁哉の親友、古豪文彦だ。
「え、お前も来てたの?!」
 浅くなっている部分に泳ぎ、その場で立ち上がる。
下着のビキニに、念のため背負ってきた剣が一本だけ。
その様子をみて文彦は顔を赤らめた。
そういえば、と愁哉は思い出す。
文彦は正真正銘の同性愛者だった。
「ぷはあっ!」
 後ろで声がした。
慌てて振り向けば、虎鉄が水面から顔を出している。
水でぬれてしまってボリュームのあった毛皮はのっぺりとしているが。
「あれ…そっちの方…。」
「あ、虎鉄さん、こんにちはー。」
 文彦が笑顔で手を振る。
「あ、こ、こんにちは。」
 水辺から上がりながら虎鉄は水面からでる。
「えっと確か…古豪くんだっけ?
愁哉君の友達の。」
 虎鉄は必死で記憶をよみがえらせる。
一度だけ顔は見ているし、その後神官の仕事の話の時に何度か愁哉から話を聞いていた。
「そ、それよりなんで文彦がいるんだよ。」
 愁哉は慌てて割り込む。
「なんでって、俺ここのボスキャラだし。」
 さも当然、という顔で文彦は言った。
思わず愁哉と虎鉄はフリーズする。
脳の回転が完全に止まった。
「ボス…キャラ?」
「そうそう。
俺が持ってるこの…。」
 必死でポケットをまさぐる文彦。
しばらく無言で探り。
「この、オーブを奪わない限りイベントは進まないよ!」
 ようやく、という感じでポケットから黄色の宝石を取り出した。
「ちょっとまて、お前と殴りあうのか!?」
 流石に顔見知り、しかもNPCでない本物と殴りあうのは抵抗を感じる。
たとえダメージがバーチャルのものであっても、だ。
「優しいのはいいけど、それだとイベント進まないよ。」
 そう言って文彦は笑ってみせる。
だがその顔を殴り飛ばすなんて、愁哉にも虎鉄にも出来そうになかった。
「ど、どうしましょう虎鉄さん。」
「うーん…。」
 ひとまず文彦に背中を向けて、二人は作戦会議を始める。
二人とも、力ずくというのは避けたい。
ならば隙をついて奪うしかないだろうが…。
こうやって思い切り目の前に姿を現してしまった。
以降文彦は油断しないだろう。
「古豪くんって苦手なものとか、弱点みたいなものないの?」
 言われて愁哉は首を捻る。
弱点といわれて、あまり思い当たるものはない。
好きなものなら判るのだが。
「…あ!」
「何、なんかあった?」
 愁哉がもらした声に、虎鉄が反応した。
だが愁哉は説明に窮する。
これを直接虎鉄に話すのは気が引けた。
「虎鉄さん、文彦が動かなかったら、あのオーブ奪えますか?」
 ちらりと後ろを振り返り文彦を見る。
虎鉄もそれに続いて振り返り。
「うん…今なら手に持ってるし、数秒くらい止まってくれたら…。」
 一足飛びでは難しいが、一気につめれば4〜5歩でいける。
なら数秒も止まってくれれば一気に奪えるだろう。
「じゃあ、俺があいつの動きとめます。
その間に、虎鉄さん一気に奪ってください。」
 細かい説明なく、それだけを話す。
虎鉄は疑問に思ったが、愁哉がこういうのだからとそれを信じることにした。
「あ、相談終わり?」
 手にしたオーブを振って見せる文彦。
できるもんなら、という意味だろう。
「虎鉄さん、絶対に振り返らないでくださいね…。」
 その言葉に虎鉄は神妙に頷く。
何をするかはわからないけれど、任せろというからには信じる。
虎鉄は愁哉をそれだけ信頼しているのだ。
「文彦ーっ!」
 愁哉が叫び、文彦がそれを見る。
それと同時に。
文彦の口がカクンと開いた。
そのまま、動きが止まる。
 虎鉄は既に動いていた。
動きを止めたその瞬間から地を蹴り。
すれ違いざまに、手にしていたオーブを奪う。
完全に気が逸れているのだろう。
抵抗もなく、すんなりと奪い取れた。
「やったよ、愁哉君!」
 言葉とともに虎鉄は振り返る。
「あ、ちょ!」
 もちろんわざとではない。
ただ嬉しくて、すっかり愁哉の忠告を忘れていたのだ。
 虎鉄の視線のその先。
それはつまり、文彦が口を開いて見ていたもの。
下着を下ろして、股間をさらけ出している愁哉が。
そこには立っていた。
「虎鉄さん!?」
 思い切り鼻血を噴出して。
虎鉄は意識を手放した。




「だ、大丈夫っすか?」
 なんとか意識を取り戻した虎鉄。
愁哉が心配そうに、顔を覗きこんでいた。
「う、うん。
ちょっとビックリしちゃって…。」
 なんとか誤魔化しながら、虎鉄は立ち上がる。
先ほど奪ったオーブも、しっかり手に持っていた。
「古豪くんは?」
 答えるように愁哉は指をさす。
そちらに視線をやれば、虎鉄に倣う様に鼻血を噴いて倒れていた。
「あ、古豪くんも倒れたんだ…。」
 まさか理性を失って飛びついた文彦を殴り倒したともいえず。
愁哉は適当に頷いた。
「と、とりあえずコレで最初のダンジョンクリアだね!」
 気を取り直すように、虎鉄が微笑んだ。
「そ、それなんですけど…。」
 愁哉の顔がさっと曇る。
何か不味いことでもあったのかと。
思わず虎鉄も不安げな表情を浮かべた。
「俺、ご一緒できるのここまでみたいです。」
「えっ?」
 てっきり、このまま最後まで一緒に居てくれるものだと思っていた。
だがどうやら、そういうわけにはいかないようで。
「俺、文彦連れて城に戻らないと…。」
「だったら自分も一緒に戻るよ。」
 そもそもここまで一緒に来たんだし、と。
だが虎鉄の言葉に愁哉は首を横に振った。
「いえ、虎鉄さんは先に行ってください。
たぶんしばらくは文彦を調べる仕事で拘束されます。
首謀者がいれば連れて来いって言われてたんで。」
 モンスターなら、倒せば良かったんですけど、と。
愁哉は寂しそうに呟いた。
 おそらくそういったイベントになっているのだろう。
寂しいが、こればかりは仕方がない。
「わかった、悪いけど先にいくね。」
「ええ、俺も終わったら絶対に追いつきますから!」
 二人はがっちりと握手をして。
気絶している文彦を背負い、洞窟の出口へ向かって出発した。
気を失っている文彦を背負って水に潜るべきか迷ったが、文彦はちょっとした事情で水中での呼吸が可能である。
そのための、手袋型の装備をしっかりと身に着けていることを確認し、愁哉は水へ飛び込んだ。
 帰りは、雑魚モンスターと出会うことなくスムーズに進んだ。
きっとクリアしたダンジョンからは敵が消えるタイプのRPGなのだろう。
無事に洞窟を脱出した虎鉄たちはそこで足を止めた。
「えっと、俺はここから城に帰りますけど…。
この道、真っ直ぐ進んでください。」
 愁哉は文彦がずり落ちないように気をつけながら片手を伸ばす。
その方向を見れば、何の変哲もない道が伸びていた。
「しばらく歩いたら、町があるはずです。
ここからなら恐らく一番近い町ですから、そこで情報を集めてください。」
「うん、愁哉君も帰り道気をつけて。」
 再び二人は頷き合って。
ひとまず、二人は別れた。
 そこからの道程は順調だった。
例によってモンスターの類は全くといっていいほど顔を見せない。
フィールドではエンカウントしない仕様なのだろうと虎鉄は割り切った。
雑魚を倒しても経験値は入らないようだし、小銭なら先ほどのダンジョンでいくらか拾った。
とりあえず今は雑魚と積極的に戦う必要もないだろう。
 観光気分で辺りを見ながら、虎鉄はのんびりと歩いていった。
日はまだ高い、そう焦ることもないと判断して。
ぶらぶらと一人道を歩き続けた。




 少し日が傾いた頃。
ようやく、道の先に町が見えた。
位置的に坂の上になるため、虎鉄の位置からは大きな壁しか見えない。
恐らく城下町のように、モンスターに襲われないよう壁で囲っているのだろう。
すっかりお腹を減らしていた虎鉄は、嬉しくなって駆け出した。
 入り口で、愁哉から預かっていた通行証を見せて中にはいる。
そこは、城下町に比べれば随分とこじんまりとしていた。
恐らくここまでくるなら、旅人はそのまま城へと向かってしまうのだろう。
観光客目当ての店も少なく、全体的に活気も少ない。
どちらかというと田舎町、といった風情が漂っていた。
 それでも普段は旅行などほとんどしない虎鉄である。
何時もと違う雰囲気を楽しめるだけで、わくわくとした感情がこみ上げてくるのを抑えられずに居た。
「虎鉄さん、ようこそいらっしゃいました。」
 聞き覚えのある声に虎鉄は振り返る。
そこには大柄な竜人が立っていた。
濃いグレーの、短めな頭髪。
大小二本ずつの特徴的な四本の角。
皮膚は薄い灰色で、アゴだけが白い。
黒いマントをつけたその男。
「源司さん!」
 その男こそ、虎鉄が住む星見町の土地神。
竜神の源司だ。
ちなみにこのゲームの製作者の波威流と弩来波の兄でもある。
「お待ちしておりましたよ。
思ったよりも早かったですね。」
 にっこりと笑顔で源司は返した。
実際ここまで虎鉄が来るのを心待ちにしていたのである。
「お待たせしてしまってすいません。」
 そういってふと気づく。
この世界の時間の流れはどうなっているのだろう。
愁哉と居る時はすっかりゲームのノリになっていたけれど。
冷静に考えれば、体感上はこちらに着いてから丸一日が経過している。
もし実際の時間とシンクロして流れているなら、既に仕事を無断欠勤したことになってしまう。
源司なら知っているかと、疑問をぶつけてみた。
「大丈夫ですよ。
この世界での時間は、実際の時間とはシンクロしていません。
向こうに帰れば、1時間も過ぎてないでしょうね。」
 なるほど、つまり体感上の時間と現実の時間は違っているらしい。
それにしても、源司やこの先で待っているであろう仲間のことを考えると急がねばならない。
「そこも大丈夫ですよ。
虎鉄さんが中心に、この世界は作られていますからね。
私たちは虎鉄さんがくるまではほとんど時間の流れを感じないんです。」
「そんなことが、できるんですか?」
 利用しようとすれば、それは随分と色々なことに応用できるのではないだろうか?
体感上とはいえ、時間の流れが違うのだから。
「まあ、結局はバーチャルですから。」
 少しだけ源司は考えた顔をしたが、細かい説明を省いてそう答えてくれた。
源司は神様としてはしっかりしているものの、本人は少し天然な部分もある。
僅かに不安感は残るものの、虎鉄はひとまず源司を信じることにした。
「それで、この町では何かイベントが?」
「ええ、こちらへ。
町長の所にご案内しますよ。」
 源司にエスコートされ、虎鉄は町の中を歩いた。
町長の所に、とは言ったものの急ぎの用件でもない。
源司は虎鉄が喜ぶようなところを案内しながら、ゆっくりと町中を歩いていった。
 やがて、町の中で特にしっかりとした家にたどり着く。
恐らくここが源司の言う町長の家だろう。
「町長、失礼します。」
 ノックをして、家の中へと入る。
扉をくぐると、すぐに居間だった。
RPGでは良くある構成だが、実際にしてみると随分と違和感のある構造である。
「おお源司か。
よく来てくれた。」
 そう言って椅子から立ち上がったのは、人間の男性。
壮年の彼の顔を、虎鉄は見た事がある。
「虎鉄さん、こちらがこの町の町長です。」
 虎鉄には、義理の兄がいる。
その義兄が働く鯛焼き屋の店長にそっくりであった。
「君が、源司が占った旅の人かね。」
 源司の方をチラリと見ると、源司が小さく頷いた。
どうやらそういう設定らしい。
「は、はい。」
 虎鉄の返事に、町長は小さく俯いた。
何かを考えるような顔をしてから、虎鉄をじっと見つめた。
「すまないが、頼まれてくれないか。」
 ゆっくりと、町長は語り始めた。
この町の近くに、盗賊団が住み着いたこと。
定期的にこの町にやってくる商人を襲うこと。
おかげでこの町に住む住人がどんどん減っていること。
表情はあまり動かないが、それでもその悲壮感はしっかりと伝わってきた。
「わかりました、任せてください!」
 思わず力を込めて答えた虎鉄。
そういう設定だとわかっていても、やはり虎鉄はそれを許せなかった。
いわゆる正義の血が騒いだ、という奴である。
もちろん考えるだけで口には出さなかったが。
「ありがとう。」
 そこで、初めて町長は微笑んだ。
「もちろん、私も同行しますよ。」
 マントを着たままの源司は後ろから声をかけてきた。
実際に神様としての能力が使える源司である。
普段は使わないようにしているとはいえ、視点や感覚はやはり人と違うだろう。
格好からして恐らく魔法使い系の職業だろうし、きっと戦闘でもそれ以外でもいい助言をくれる。
「頼りにしてます。」
 虎鉄は、笑顔で返した。




 それから、準備は早かった。
源司が言うには今この町には装備品の類は売っていないらしい。
商人が襲われているらしいのでしょうがないといえばしょうがない。
なので、適当に回復系のアイテム。
つまり、薬草や毒消しなどの薬品を買って出発した。
 日が暮れそうだから翌日にまわそうかとも考えたが、盗賊のアジトに乗り込むのである。
むしろ夜に紛れた方が、無駄な戦闘は避けられるだろう。
それに体感時間は進んでいないといっても、他の皆が待っているかもしれないのだ。
出来る限り、イベントを早めに進めてしまいたかった。
「場所はわかるんですか?」
「ええ、大体の場所は既に調べてありますよ。」
 虎鉄の問いに、源司は当然とばかりに答えた。
スムーズにイベントが進むよう、設定されているらしい。
ならば、と虎鉄は源司に道案内を頼んだ。
幸いこの辺りにも雑魚モンスターらしきものは見当たらない。
「雑魚ってフィールド上に出ないんですかね?」
 虎鉄が気になって、源司に聞いてみた。
「そうですね、なるべく時間をとらずイベントがスムーズに進むようにしてあるようです。
レベル制もそれで撤廃したみたいですよ。」
 源司自身、あまりゲームには詳しくない。
双子から簡単な説明を受けているから答えられた、という程度である。
「なるほど、楽しい部分だけ味わえるように工夫してあるんですねえ。」
「ええ、最初はゲームを作ると聞いて何事かと思いましたけれど。
ちょっとした遊びみたいですし、虎鉄さんが楽しんでいただけるならと少し協力したんですよ。」
 意外な答えであった。
源司も双子たち同様、あまり神様らしい行為は好まない。
それが故に、このゲームも双子たちだけが作ったものと思っていたが。
「まあ、過ぎてしまったとはいえお正月ですから。
少しくらい遊ぶのもいいでしょう?」
 そう言って源司はウィンクして見せた。
神様だけができること、特権的なことは避けるべきであると、源司も虎鉄も考えは一致している。
それでも、ちょっとした遊びくらいならと今は思えた。
「さ、言っている間にもうすぐ盗賊のアジトですよ。」
 薮を掻き分けて、獣道から外れる。
恐らく正面からではなく、横手や裏手にまわれるようにだろう。
「作戦とかどうします?」
 虎鉄の言葉に源司が考える。
できれば無駄な戦闘は避けたいところであった。
となるとやはり陽動だろうか。
「源司さん、どんな魔法が使えますか?」
「そうですね…。
一応データ上は炎系と爆発系を中心に。」
 ならば、丁度いいだろう。
「なら少し離れたところで爆発を起こしてもらって…。
見張りがそれを確認に行ってる間に中に乗り込むってどうですかね。」
 なるほど、と源司が答えた。
炎系が使えるなら、周囲に火をつければ中の人物が全ていぶりだされる気もした。
が、森に火がうつる可能性がある。
バーチャルとはいえ、虎鉄はそんな方法は取りたくなかった。
何より、ここのボスもそっくりさんのNPCではなく、知り合いが出演している可能性もあるのだ。
出来れば危害は加えたくなかった。
「わかりました、では完全に暗くなるのをまって、その方向でいきましょう。」
 源司が足を止めた。
肩越しに覗き込めば、木々の向こうに明かりが見えた。
盗賊のアジトに着いたのだ。
 空を見上げる。
木の隙間から、夕日に染まる雲が見えた。
「少し、待ちましょう。」
 源司は音を立てないように気をつけながら、ゆっくりと盗賊のアジトから離れた。
虎鉄も慌てて後に続く。
 しばらく歩いたところにある大きな木の下に。
源司はそっと腰を下ろした。
並ぶように虎鉄もそこに座る。
「保存食ですが、どうぞ。」
 源司がドライフルーツを取り出して、渡してくれる。
虎鉄は礼を言ってそれを受け取ると、口に放り込んだ。
イチゴの甘い味が口の中に広がる。
「少し冷えますね…。」
 夜が近づき、気温が下がってきたのだろう。
肌寒さを感じた。
「どうぞ。」
 源司がマントを広げ、手招きしてくれる。
戸惑ったが、虎鉄がくるまで源司はマントを広げたままで。
顔を赤らめながら、そっと近くに座りなおした。
「あれ、これ…。」
 包まれてようやく気づく。
マントだと思っていたのは、どうやら広げられた源司の翼であったらしい。
普段は小さくされているのであまり意識していなかったが。
そういえば、大きく広げられると聞いた事があった。
「ええ、翼なんですよ。
本来はローブだけ渡されたんですが、こちらの方が雰囲気がでるかと思いまして。」
 そう言って、寒くない様に気をつけながら僅かに翼を動かして見せた。
ちらりと身体を見下ろせば、確かにマント――もとい、翼の下には薄手のローブを身に着けている。
「じゃあ普段もこうやって暖まったりできるんですか?」
 だとすれば羨ましい話である。
「いえ、普段はあまりしませんね。
翼は体の一部ですから、どちらにせよ冷たいですし…。
何より、目立ちますから。」
 確かに、源司の言うことにも一理あった。
何より通常の人間や獣人が出来ないことであれば、やはり源司は使わないだろう。
「日が沈んで、少ししてから動き出しますからまだ時間はあります。
少し、眠っても構いませんよ。」
 いつの間にか、もたれていた虎鉄に源司が優しく言う。
考え事をしていたから、楽な方にもたれてしまったらしい。
「あ、いえ!
ちゃんと起きてますから。」
 そうは言ったものの。
すぐそばに感じる源司のぬくもりに、虎鉄の瞼は少しずつ下りて。
「ちゃんと…。」
 やがて、小さな寝息を立て始めた。




 どれくらいの時間が経っただろうか。
優しくゆすられるその感覚に、虎鉄はゆっくりと目を開いた。
「虎鉄さん、そろそろ動きましょう。」
 覗き込まれたその瞳は、何時もの優しい黄色い色で。
少しだけ、このままで居たいと思わされた。
「どうしました?」
 ぼんやりと顔を見る虎鉄に、源司は微笑みを返した。
思わず顔を赤らめて。
慌てて身体を離す虎鉄。
「な、なんでもないです!」
 思い切り勢いをつけて立ち上がり。
虎鉄は大きく伸びをした。
木と源司にもたれかかる不自然な姿勢だったけれど、随分と休めたようだ。
先ほどまで感じていた、森を歩く疲れはすっかりとなくなっていた。
「じゃ、行きましょうか。」
 虎鉄の言葉に源司は頷く。
草木を掻き分け、再び森の中に入り。
手近な広場まで移動した。
「この辺りで、よろしいですかね。」
 ここで爆発を起こして、盗賊を引き付けようということだろう。
確かに十分な広さがあり、ここでなら爆発を起こしても周囲に被害は出ないだろう。
それに盗賊のアジトからも十分な距離がある。
真っ直ぐここに向かえるわけではないだろうし、時間稼ぎには十分だ。
「じゃあ源司さん、やっちゃってください!」
「いきますよ!」
 虎鉄に答えて源司は呪文を唱え始め。
一瞬後、耳を劈くような爆発音が響き渡った。
周囲の木も爆風にあおられ、バサバサと音を立てている。
「さ、虎鉄さん。
今のうちに。」
 源司に手を引かれ、慌てて虎鉄は走り始めた。
なるべく姿勢を低くしながら、見つからないように。
たまに近くを走る別の足音も聞こえたが、向こうは向こうで仲間だと思っているのだろう。
特に立ち止まったりする様子もなく、簡単にすれ違えた。
そのまま走ること十数分。
やがて、盗賊のアジトへとたどり着いた。
 小さな廃墟、恐らく中は数部屋しかないだろう。
入り口に残っている見張りは一人。
あれだけなら殴って気絶させればすむだろう。
 勢いを殺さぬまま、薮から飛び出した。
見張りはこちらに気づくが、慌てて剣を構えるだけで。
相手が完全に戦闘態勢に入る前に、一気に駆け寄った。
そのまま首筋を狙って叩く。
「がっ!」
 相手は悲鳴をあげ倒れこみ…また起き上がった。
流石にマンガやアニメの様にはいかない。
「ごめんなさい!」
 思い切り殴り飛ばして、気絶させた。
「上手くはいきませんでしたね?」
 それを見て、源司が笑っていた。
気恥ずかしくて、頭をかいて誤魔化す。
「いや、上手くいくかと思ったんですけど。」
 流石に見よう見まねではダメだった。
まあ偶然にでも上手く行けば、くらいに思っていただけなので別に構わないのだが。
「とりあえず中に入りましょう。
ぐずぐずしていては、他の盗賊が戻ってきます。」
 源司に言われ、虎鉄は入り口に手をかけた。
見張りが居るから当然といえば当然だが。
そこに鍵はかかっていなかった。
 中はがらんとしており、特に人は見当たらない。
部屋の隅に積んである皮袋は、商人から奪ったものだろうか。
ひとまず中身の検分は後でいいだろう。
先に奥に居るはずのボスを倒すべきだ。
 足音を殺しながらゆっくりと奥へと進む。
やがて、少しだけ綺麗になっている扉があった。
恐らくそこにボスが控えているのだろう。
前回のことを考えれば、また顔見知りだろうか。
なら一気に飛び込んで攻撃、というわけにもいかない。
先に中が見れれば作戦も立てられようが。
「しょうがありません。
このまま中に入って、正面から対面しましょう。」
 確かにそれ以外なさそうである。
覚悟を決めて、虎鉄はゆっくりと扉を開いた。
その中に居たのは。
「こてっちゃーん!
やっほー!」
 能天気な声が場に響く。
そこに居たのは虎鉄の義兄。
大きな身体に濃い茶色の体毛。
二本の角と黒い髪。
なによりも絶えることのない満面の笑み。
虎鉄の義兄。
牛獣人の蔵王大輔である。
「大ちゃん!」
 元々京都に住む大輔、そう頻繁に顔を見ることはできない。
思わず顔が綻んでしまうのもしょうがないことではあった。
「おや、確か…大輔さん、でしたか。」
「あ、神様!
お久しぶりです!」
 顔を出した源司にも、大輔は手を振った。
「あれ、源司さん大ちゃんと顔見知りでしたっけ?」
 不思議そうに振り返る虎鉄。
それを笑って、源司は受け流した。
「それより大ちゃん、ここにいるってことは大ちゃんがボスキャラ?」
 虎鉄の言葉に大輔は大きく頷く。
「うん、そうだよ!
ちゃんとオーブも預かってる!」
 そう言ってぽんぽんとズボンのポケットを叩く。
文彦の時のように、無防備に見せるようなことはしないようだ。
「…そのオーブってなんなの?」
 ふと、気がついたことを口にする。
どうしてそれを奪わなければいけないのだろう。
というか、何のために集めているのだろう。
「あれ、一人目のボスキャラから聞いてない?」
 言われて思い返すが、やはりきいた覚えはない。
「なんか設定があったんだけど…俺も忘れちゃったなあ。」
 のんびりとした大輔の言葉に、虎鉄は思わずため息をついた。
もともと天然の気がある大輔である。
今更突っ込んでもしょうがないだろう。
「さ、それよりも。
こてっちゃん、おいで!」
 そう言って大輔は拳を握り構える。
殴り合おう、というのだろう。
そうは言っても、好きな相手を意味もなく殴り倒すなど出来るはずがない。
「虎鉄さん、辛いなら私が…。」
 後ろから源司が声をかけてくれる。
だが同じことだ。
源司に頼んで火で焼いてもらう、なんて出来るはずもなく。
 ふと、部屋の隅に酒瓶が転がっているのが目についた。
恐らくただの雰囲気作りだったのだろう。
だが、一つ妙案が思いついた。
「源司さん、一つ頼みがあるんですが。」
 虎鉄が、大輔に聞こえないよう囁く。
視線は大輔に向けたままで。
「…脱いでくれませんか。」
「は?」
 虎鉄の言葉に、源司は困惑の声を漏らした。
虎鉄はそれでも大輔を睨みつけているから、赤面したことはばれていないようだが。
だが虎鉄はくるりと源司に向き直る。
「源司さんの裸踊りがみたいなあー!」
 半ばやけくそ気味に虎鉄が叫んだ。
「べ、別に構いませんが…。」
 そういった明るいノリは、源司も好むところである。
だがここはそういった場面だろうか。
戸惑いつつも翼を広げ、身に着けていたローブの腰紐を解く。
「ああああ!」
 その様子を見ていた大輔が声をあげた。
「ずるい!
俺も、こてっちゃん!
俺も見て!」
 そう叫んだかと思うと。
大輔は身につけていたものをあっという間に脱ぎ捨てた。
「む、裸踊り対決ですな!」
 そこまで来て、源司はようやく意図を理解した。
虎鉄の動きに気づかれないよう、源司は少し派手に踊り始める。
「神様にも負けませんよ!」
 いいながら踊り始める大輔。
その股間にぶらぶらと揺れていたものに力が入り、少しずつ上を向き――。
「オーブゲットー!」
 こっそりと近づいていた虎鉄が、大輔の服ごとオーブを奪っていた。
「あああ!?
こてっちゃんズルイ!」
 だが叫んだところで後の祭りである。
そもそも人前でホイホイと脱ぐ大輔に問題があるのだ。
普段なら説教しているところであるが、今回はその露出癖に助けられたところもある。
「ずるくないよ!
作戦勝ちだよ!」
 唾を飛ばして反論する虎鉄。
そのまましばらく、二人の兄弟ゲンカは続いた。




 ケンカを終わらせて、ようやく服を着てくれた大輔と共に、一行は建物を出た。
兄弟ゲンカというよりも、ほとんどが服を着せるための説得であったが。
「これで、あの町でのクエストは終わりですかね?」
 虎鉄の言葉に、源司は頷く。
「そうですね、私ともいったんお別れです。」
「あ、やっぱり別行動になるんですね。」
 愁哉の時を考えると、それは予想の範囲内であった。
だがやはり別れるとなると寂しいものである。
「まあ、今は町長も寝ているでしょうし。
いったん町にもどって休みましょう。
少なくとも報告に行くまでは一緒ですから。」
「もちろん、俺もね!」
 源司の言葉に、大輔が続ける。
やはり道連れは多い方がいい。
それだけで、気分はとても楽になるから。
「そういえば、他の盗賊ってどうなったのかな。」
 思い返せば、気絶したはずの入り口の見張りも居なかった。
まさか目を覚まして逃げ出したわけでもないだろう。
「アレはモンスター扱いだったみたいだから。
俺を倒したってことで全部居なくなったんじゃないかな?」
 虎鉄の疑問に、大輔が答えた。
なるほど、それならば見張りを殴り倒した罪悪感も軽くなる。
というかそれなれそれで、以前のモンスターのように判りやすくしてくれれば良かったのに。
思わずそう考えずには居られない虎鉄であった。
 それから移動すること二十分少々。
帰りは堂々と道を使えるが、それでもやはり獣道がほとんど。
夜道を進むために、幾分苦労してしまった。
「一応、私の家もあります。
今夜はそこで休んでください。」
 町の門番に話して門を開けてもらい。
一行は源司の家へと向かった。
 そのまま倒れるように休み。
あっという間に翌朝である。
「…こてっちゃん、この町長さん。」
 大輔を連れて、町長の所に来た一行。
もちろん虎鉄は言いたいことが判っている。
ここの町長は、大輔が働く鯛焼き屋の店長にソックリなのだ。
「盗賊を倒していただき、ありがとうございます。」
 無表情に、町長は喋る。
大輔は口を挟めず、ただ聞いていることしか出来なかった。
別人だとわかって居ても、やはり強く出られないのだ。
「この者はこちらで城へと護送しておきます。
お礼といっては何ですが…。」
 そう言って町長は机の上に拳大の皮袋を置く。
どうぞ、と進められてそれを手に取り。
中には金貨が大量に詰まっていた。
正直それがどれほどの価値をもっているのかわからず。
「あ、ありがとうございます。」
 虎鉄はとりあえずそれを受け取っておくことにした。
続いて、机の上に並べられる鉄の塊。
一瞬何かと思ったが、どうやらそれはよく見るとナックルダスターのようだ。
握った際にナックル部分を全て覆うタイプの格闘武器である。
「え、貰ってもいいんですか!」
 流石にそれの価値はわかる。
思わず声を大きくする虎鉄に、町長は無言で頷いた。
今までは手袋タイプだったので、硬い相手がでたらどうしようと思っていたのだ。
「ありがとうございます!」
 言って虎鉄は頭を下げた。
その後は簡単な挨拶だけをして、虎鉄は家を出た。
「それでは虎鉄さん、私はここで。」
 家の外まで見送ってくれた源司が、寂しそうに声をかけた。
「源司さん…。」
 何を言うべきか迷い、虎鉄は言葉に詰まる。
しばらく家の前で見つめあい。
「…大丈夫ですよ、きっと追いかけますから。」
 源司の言葉に、虎鉄は握手を求めた。
しっかりと握手を交わし、二人は別れる。
 虎鉄が次に向かうのは、このまま町を抜け。
道なりに進んだ先にあるという、格闘家が集う町、である。




 今回は、あまり周囲の風景を楽しんでいる余裕はなかった。
次の町でもきっと誰かが待っているのだろうと思うと、物見遊山気分で歩いているわけにはいかなかったのだ。
待っていなくても、待たせない。
それが虎鉄の基本スタンスである。
 だが、思ったよりも隣町は遠かったようだ。
しばらく歩いて、着いたかと思った場所は休憩所のような場所である。
広場の中央に泉があり、それを囲むようにベンチや、ちょっとした露店まである。
 少し迷ったが、虎鉄はそこで休憩していくことにした。
歩き続けるよりも、しっかり食事もとっていく方が効率的だと判断したのである。
 露店でホットドッグを買って、かじりながら泉へと近づく。
何人かはその縁に腰掛け、足をつけていた。
湯気も立っているし、おそらく温泉なのだろう。
早歩きを続けて足が疲れていることだし、と。
虎鉄もそこに腰を下ろした。
 ふぅと息をつき、購入しておいた飲み物を飲む。
じんわりと、体内から潤されていく感覚が心地いい。
「そういえばさ、勇者が負けたって話知ってる?」
 すぐ隣のカップルの話し声が、耳についた。
「勇者って、王国お抱えのあの騎士?」
「そうそう、なんかね、勇んで行ってそれっきりらしいよ。」
 思わず無言で耳を傾ける。
こういう場所で、そういう話が聞こえてくる場合。
それはきっと重要な情報に違いない。
虎鉄のゲーマーとしての小さな勘がそう告げていた。
「でも時間かかってるだけじゃねえの?」
「うーん、そうなのかなー。」
 カップルの話はそこで終わりらしい。
後は何だか腹立たしいレベルのイチャイチャを聞かされただけだった。
なんとなく気になって、情報を集めてみることにする。
こう言う場合はやはり売店の店主だろうか。
「…何か?」
 妙に偉そうな、竜人がいた。
どちらかというと、源司よりは波威流や弩来波に近い。
黒い長髪を全て後ろに流し、額からは大きな角が二本。
どことなく見覚えはあるが、やはり思い出せない。
「えっと、たこ焼き一皿下さい。
それから、なんか勇者がどうこうって噂知らないですか?」
 礼儀だろうと思い、ひとまず商品を買う。
この店を選んだのは、たこやきを焼くのに時間がかかりそうだからだ。
つまり雑談の時間をとっても不自然ではないだろうという判断である。
 だがその判断は間違いだったようだ。
不服そうに仕事をするその竜人は、雑談をするつもりなどないようで。
「…魔界に乗り込んで、戻ってこないそうで。」
 その一言を漏らしただけだった。
しょうがなく代金を払ってたこ焼きを受け取る。
とても客商売をする態度ではない、と思うが。
まあNPCにいった所でそれは詮無きことだろう。
 しかし判ったことはある。
つまり魔王は魔界にいる、ということだ。
どうやってそこに至るかはわからないが、最終的にはそこに行くことになるのだろう。
 とはいえ、これ以上情報収集してもしょうがない気もした。
そもそも民間に流れている時点で、噂レベルでしかないのだ。
一応身分は冒険者であるし、詳しい情報は城の兵士にでも聞けば教えてくれるだろう。
恐らくここでのフラグは十分だろう。
そう判断して、虎鉄はそこを出発することにした。
 あつあつのたこ焼きを飲み込むのにしばらく時間を必要とし。
再び町に向かって歩き始める。
休憩所があったことから考えて、恐らく次の町まであと半分といった所だろう。
このペースで歩けばきっと日が暮れるまでには到達できる。
 それからは無心に歩き続けて。
実際に到着したのは、日が傾きかけた頃だった。
武道家があつまると聞いてはいたが、なるほど町に入ってみれば胴着を着た人ばかりが目につく。
正直道場以外でもその格好のままうろつくのはどうかと思った。
思ったが、普段から同じことをしている友人が思いついた。
なのでとりあえずその事は追求しないことにして。
恐らくこの町に居るであろうその彼を、探す。
 今までのパターンであれば、町に入ると向こうから見つけてくれた。
愁哉も源司も向こうから見つけてくれたのである。
今回もきっとそうなのだろう、と町中を歩いてみるが何のイベントも起こらない。
「…格闘、大会?」
 どちらかというと、イベント然としているのはそれくらいだった。
町の奥にあった、大きな石造りの建物。
中世のコロシアムのようなそこに、大きく張り出されていたのだ。
「出ろってことかなあ…?」
 見上げながら一人つぶやく。
だがそれにしてはえらく雑なイベントである。
せめてモチベーションだけでももう少し上げてもらいたいところであるが。
 とりあえず建物に入り、受付を探してみる。
出る出ないはともかく、ここがどういう場かを知りたかったのだ。
そこに張り出される「決勝戦乞う御期待!」の文字。
どうやら今更出場することはできないようである。
 だがそれを差し引いても無関係ではなかった。
ポスターに描かれた、決勝に出場する選手。
それが、どう見ても虎鉄の知り合いだったのだ。
「幸志朗さん!」
 思わず声をあげたものの、もちろんポスターが返事をするわけがない。
声をあげてしまったのが気恥ずかしくて、軽く咳払い。
周りに数人いた人たちが何事かと、こちらを見ていた。
気まずくて、その場から離れる。
 さて、どうすればあそこに描かれたライオンにあえるだろうか。
人違い、のはずはない。
アゴ部分の鬣をそり落とした胴着姿のライオンが、他にいるとは思えないからだ。
ひとまず廊下を歩いて、建物の中を歩く。
選手控え室のようなものがあると思ったが、すぐには見当たらなかった。
おそらく簡単には入れない様になっているのだろう。
 しばらくぶらぶらと歩いていると、「関係者入り口」を見つけた。
この奥に控え室があるだろうかと考え、ノックをして覗いてみる。
中には特に誰も居ない。
「おい!」
 急に声をかけられて、びくんと尻尾が跳ね上がった。
慌てて振り返れば、鋭い目つきをした柴犬の男。
「何してる?」
「あ、いえ…今回決勝にでるタンさんに会えないかな、と思いまして…。」
 しどろもどろで答える。
特に悪いことではないはずだが、関係者専用の通路を覗いていたのが必要以上の後ろめたさを感じさせていた。
「…タン選手の知り合いか。」
 その物言いに若干の違和感を感じた。
現実であれば彼は件の選手、タン幸志朗の弟子である。
そんな彼が「タン選手」と他人行儀に呼んでいること違和感を感じたのだ。
「少し、来ていただけますか。」
 虎鉄が頷いたのを見て、柴犬が言う。
そのまま扉を潜り、控え室と書かれた部屋へと案内された。
扉の前にはもう一人、大柄なコリーの獣人が立っていた。
どうやら見張りをしていたらしい。
虎鉄が知る幸志朗であればそんなもの必要なさそうな気もする。
「中へどうぞ。」
 柴犬に案内されて、部屋の中へと入る。
そこには、確かに知った顔があった。
「…幸志朗さん?」
 思わず呼びかける。
だが、彼は目を閉じたまま。
ゆっくりと、鼻を動かした。
「え…?」
 いつまで待っても彼は目を開かなかった。
まるで眠っているかのように。
眠り続けているように。
「さっきからずっとこうなんです。」
 フォローするように柴犬が口を挟んだ。
「恐らく毒の類だと思うんですが…。」
 決勝戦の相手に、ということだろうか。
「げ、解毒はできないんですか?!」
 慌てて尋ねる虎鉄に、柴犬は渋い顔をして見せた。
「最近モンスターの動きが活性化して、薬草を取りにいけないんだそうです。
森に行けば生えてはいるはずなんですが…。」
「森ですね、わかりました!」
 その言葉だけ聞いて。
虎鉄は大慌てで飛び出した。




 深い森の中。
町を飛び出して、既に2時間程が経過している。
その間に虎鉄はそれと思しき森へと飛び込み。
襲ってくるモンスターを蹴り飛ばし、あるいは殴りつけ。
落ちる小銭を拾うことさえせず、必死で森の中を駆けずり回っていた。
目指すは毒消しの薬草のみである。
 もちろん薬草がどんな見た目かなんて、知らない。
それでも虎鉄は確信していた。
そんなイベントアイテムが、目立たないはずがないのだ。
幸いこの辺りのモンスターは、最初の洞窟同様ドット状だったり紙のように薄っぺらかったり、ゲーム的になっている。
周囲の木も妙に規則正しく並んでおり、逆に道になっているところは一切木が生えていない。
完全に作り物、という雰囲気がかもし出されていた。
これなら迷うことなど、何もない。
とにかく手当たり次第に走り続けて。
やがて森の奥と思しき場所にたどり着いた。
 他の道とは違い、広場として丸く開けた場所。
その中央に明らかに輝く草が数本生えていた。
それは普通の植物としては明らかに逸脱している輝き。
恐らくそれ自体が輝いているというよりは、あの場所が輝いているのだろう。
 なにはともあれ、目的のものが見つかった。
そう安心して、虎鉄はゆっくりと歩み寄り。
「しぎゃー。」
 非常に気の抜ける叫びが足元から聞こえた。
「…?」
 しゃがみこんで足元を良く見てみる。
他の草に紛れて、一本だけ異質なものが生えていた。
それは言うならば、漫画的な食虫植物。
花の形が変形し、花の付け根のあたりでぽっきりと横を向くように曲がっている。
そしてその花弁の中には牙が生えていて。
「痛っ。」
 虎鉄の足に噛み付いた。
思わずそれを蹴り飛ばす虎鉄。
それは簡単に抜けて。
「ぎゃあああああああああ!」
 一気に、数mの規模まで成長した。
「えええええええええええ!」
 あまりのことに、虎鉄も叫ぶ。
数cmが、一気に数mである。
いくらなんでも無茶な成長といえるだろう。
 そんな事態は、流石に考えていなかった。
そのため、虎鉄は完全に虚を突かれたのだ。
前方への注意は、それでも最低限払っていた。
しかし、流石に足元はもう見ていなかったのだ。
だから。
植物なら当然といえる、触手の存在に気づかなかった。
「うわあああっ!?」
 足に絡みつき、一瞬で逆さづりにされる。
頭に血が上るこの姿勢。
そう長く取っているわけにもいかない。
だが、流石に逆さづりにされた経験など虎鉄にはなかった。
咄嗟に対応を取る事が出来ず。
その間に、他の触手が虎鉄の手足を絡め取っていた。
「このっ…!」
 思い切り手足を振り回してみるが、柔軟な動きをする触手にその勢いを殺され。
全くといっていいほど、本体と思しき花には影響がなかった。
ちなみにその花は、巨大化に伴って非常に毒々しい色になっていたりする。
「わ、わっ!」
 その間にもどんどん触手は群がって。
それは、胴体にすら絡み付いてきた。
まるで人の手のように動いて、ぐいと胴着の前を開く。
バリ、と音がして下衣も破り取られ。
「エロゲー展開!?」
 あまりのことに虎鉄は思わず顔を赤らめた。
たとえ誰が見て無くても、相手が植物でも。
「わあああああ!」
 こんな恥ずかしいことに、耐えられるはずもなかった。
何を考えたわけでもなく。
ただただ逃げるために全力を振り絞って。
「うおおおおおお!」
 できると考えたわけじゃなかった。
ただ、とにかく無我夢中で。
腕に絡んでいる蔦を掴んで、思い切りそれを引っ張った。
勢いを殺されても、そんなことに気づくことすらなく。
ただただ全力で。
持てる力を全て注ぎ込むつもりで。
「だあああああああっ!」
 思い切り、引っ張った。
それは触手の動きを越えて。
本体の花ごと、引きずり倒した。
「い、今だっ!」
 一瞬何がおこったか、と思ったがそのチャンスを逃すわけにも行かず。
緩んだ蔦から一気に抜け出し。
「うおおおおおおおっ!」
 思い切りその花を殴りつけた。
とにかく、全力で。
その結果、花は思い切り吹き飛んで。
十数mは先にあった他の木に、思い切り叩きつけられた。
念のため構えて様子を見るが、再び動き出す様子はない。
それどころか花はどんどん枯れていき。
やがて、ただの枯れ草になった。
「よかった…。」
 安堵の息を吐き、構えていた武器を腰に戻す。
すぐに目的を重いだし、その場で慌てて屈み込み、薬草を摘み取る。
「待っててくださいね、幸志朗さん…!」
 それを道具袋に入れる暇も惜しんで。
強く握り締めたまま、思い切り駆け出した。




 最初に感じたのは、眩しさだった。
随分と久しぶりに、日の光を浴びた気がする。
まるで早朝に誰かがカーテンを開けたようで。
暖かな日差しを全身に浴びているようで。
とてもとても心地良い目覚めだった。
好きな人の腕の中で目覚めるような心地良さ。
「…幸志朗さん!」
 耳に心地いい、あの人の声。
お日様のような暖かな臭い。
「幸志朗さん、起きてください!」
「え!?」
 繰り返される声に、一気に意識が覚醒した。
慌てて目を開き、傾いていた体を起こす。
そこで自分が壁にもたれかかっていることに気がついた。
そして、目の前に誰が居るのかも。
「ここここ、こてさん!?」
 思わずその場で叫ぶ。
目の前にいるのは紛れもなく、友人の大河原虎鉄。
「よかった…。
目、覚めたんですね。」
 突然叫んだにもかかわらず、彼は安堵の顔を見せた。
何があったのか、周囲を見渡して。
自分を覗きこむ顔が、他に二つあることに気がついた。
思わず手を出しかけて、自分のおかれた状況を思い出す。
「あ、そういえばゲームを…。」
 竜神の弟たちに頼まれて参加したのだと言うことを思い出した。
あまりゲームには詳しくないが、虎鉄が喜ぶならと二つ返事で承諾したのだ。
「ずっと眠ってたんですよー。
毒じゃないかって言われて、ほんとに心配したんですから。」
 そういう虎鉄の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
どうやら本当に心配してくれていたようで。
幸志朗は、それがとても嬉しかった。
「こてさん、ありがとうございます…。」
 礼を言いながらも、気恥ずかしくて思わず視線を下ろす。
別に意識していたわけではないが。
目に飛び込んできたのは、下半身だった。
それも、予想していたのは全く違ったもの。
上は自分の物とは違う、色のついた胴着をきちんと着ていた。
だけど。
「こてさん、その…下…。」
 思わず口に出して指摘して。
「え?」
 その言葉に反応して、彼が下を向いた。
ゆっくりと視線が下りて。
ビリビリに破れた、下着丸出しの下半身を見つめる。
「…ギャアアアアアアアアアアス!」
 馴染みのある叫びが響き渡った。




「まあまあ、全力で走って来てくださったのでしょう?
きっと他の人たちも気づいてませんよ。」
 落ち込む虎鉄に、幸志朗が慌ててフォローを入れた。
ひとまず破れたズボンを脱いで、幸志朗に予備のズボンを借りる。
穿きやすく、動きやすいズボンだった。
「でも、町中ずっと走ってきたんですよ…。
誰か気づきますよ…。」
 下着丸出しで走ってきた事が、虎鉄にとっては相当のショックだったのである。
もっとも落ち込んだところで話は進まず、過去が変わるわけでもない。
大きくため息をついて、気持ちを切り替えることにした。
バチン、と顔を叩き気合を入れる。
「ともかく、幸志朗さん!」
「は、はい?」
 突然切り替えた虎鉄に面食らいながらも、彼は返答した。
「今回は何をしたらいいんですか?」
 虎鉄の言葉に幸志朗は首を捻る。
今回のイベントに際して双子に言われたことを思い出す。
「とりあえず…この格闘大会に優勝することだと思います。」
 それくらいしか言われたことは覚えていなかった。
忘れたわけではなく、本当にそれしか言われていないのだ。
「うーん…。
優勝商品に重要アイテムがあるって事かなあ…?」
 首を捻りながら虎鉄は立ち上がり、壁に貼られていたポスターを見る。
だがそこには特に優勝したことに対する商品などは書かれていなかった。
もっともこういった大会で優勝するという名誉・名声があれば一般的には十分と言えるだろう。
RPGとして考えた場合物足りない、というだけだ。
「どちらにせよ、私もここでの試合を終わらせないと動きは取れませんから…。」
 幸志朗が立ち上がる。
「大丈夫、すぐに終わらせてきますよ。」
 その言葉に虎鉄は頷いた。
そのことに関して、虎鉄は何の心配も抱いていない。
誰が相手であれ、幸志朗が負けるわけがないからだ。
「行きましょうか。」
 幸志朗の言葉に、虎鉄は頷く。
幸志朗が目覚めてから、都合よく時間が進んで。
間もなく決勝戦なのだ。
こういう時に待たされないのがゲーム世界のいいところなのだろう。
セコンドに登録した虎鉄もリング横までは着いていく事が出来る。
 思い出すのは少し前。
自警団同士の対抗試合でも、こうやって試合を横で見ていた。
あの時は確か、髭を生やした熊の師範が相手で――。
「え…?」
 リングに上がった幸志朗。
その正面に向かい合うように立つのは。
立派な口ひげを生やした熊の男。
どう見ても、あの時の相手。
相模師範代である。
「ど、どうして…。」
 思わず呟くが、言うまでもない。
恐らくNPCなのだろう。
だがそれでも。
どうして、あの日の再現なのだろう。
双子たちは知らないはずなのに。
そんなことを考えている間に、頭の中をぐるぐると巡らせている間に。
「試合、始めッ!」
 試合が、始まっていた。
それは正にあの日の再現。
向かってくる相模師範。
その手を受け流し、相手の突進方向を変えるように幸志朗は相手の腹を打ち上げる。
二度目だから、見えた。
幸志朗が何をしたのか。
どうやって相手を跳ね上げたのか。
「奥義・覇の段…」
 だがそれが見えたからといって。
理解が、追いついたわけではなく。
「杭打ち!」
 幸志朗の叫びと。
あの時のように、吹き飛ばされる相模師範の姿で。
ようやく、虎鉄は自分を取り戻した。
 静まり返る闘技場。
そんなところまで、あの日の再現を見ているようだった。
慌てて拍手する虎鉄。
その音が響き渡って。
ようやく時が動き出したように、歓声が響き渡った。
 振り返り、幸志朗が笑ってみせる。
ぐっと親指を立てて、虎鉄もそれに返した。
 それから、そのまま表彰式に移った。
気絶している相模師範が運び出されるのを横目に見ながら、リング上にスポンサーと思しき老人が上がる。
簡単な挨拶もそこそこに、表彰状と何か箱状のものが手渡された。
虎鉄の位置からは良く見えないが、幸志朗には箱の中身が見えているらしい。
それを見て、ひきつった表情を浮かべている。
後で中身を教えてもらおう、と虎鉄は思いながら拍手をしていた。




「それで、中身はなんだったんですか?」
 幸志朗の家、という設定の建物に戻ってきた二人。
一息ついて、虎鉄は早速問うてみた。
だが幸志朗はなぜか恥ずかしそうな顔をするばかりで答えない。
そんなに恥ずかしいものだったのだろうか。
敢えて踏み込まない方がいいのだろうか。
そう考えて話題を切り替えるべきか、と思った矢先に。
「…これです。」
 幸志朗は箱の中身を見せてくれた。
それは、一抱えほどの大きめのぬいぐるみだった。
バンダナを巻き、エプロンをつけた笑顔の虎のぬいぐるみ。
普段の虎鉄を模したぬいぐるみだ。
「これ幸志朗さんが作ってたぬいぐるみですか?」
 その言葉に幸志朗は頷く。
趣味でぬいぐるみを作っている幸志朗に、虎鉄は自分のぬいぐるみを作ってもらったことがあった。
それと同じものが箱の中に入っていたのだ。
「え、どうしてコレが…?」
 顔を赤くしたまま、幸志朗はぶんぶんと首を振る。
もっとも気持ちはわかる。
なぜか知らないが、幸志朗がおおっぴらにしてこなかったはずの趣味を双子が知っているということなのだ。
「…まあ、深く考えない方が。」
 とりあえず、全て終わったら説教だな、と。
虎鉄は心に固く誓った。
「ともかく、この後のことですね。」
 幸志朗が気を取り直したように顔を上げた。
机の上にざっと地図を広げる。
「表彰式の後に言われたのですが、どうも辺りのモンスターを扇動してる輩がおる様です。」
 町の場所に指をおき、ゆっくりとずらしていく。
「今回の格闘大会は、対抗できる人材を探したいという意図もあったようですな。」
 なるほど、確かに強い人間を探すならそれが手っ取り早いだろう。
普通に公募したほうが人数は集まる気はするが、精鋭をスカウトするという意味では早いのかもしれない。
まあその辺りはご都合主義、というべきか。
「じゃあこの場所に行けば?」
「ボスキャラ、とやらがおるのでしょうな。」
 虎鉄の言葉に、幸志朗は頷く。
場所は特に変哲もない森の中だった。
恐らく源司の時のように、何か建物でもあるのだろう。
ここで語らっていても何があるかなどわかりはしない。
ならば早々に出発した方がいいだろう。
「じゃあ、行きましょうか。」
 決めてしまえば行動は早い。
手荷物一つない虎鉄と、ずだ袋のみの幸志朗。
だが家を出るときにふと振り返って。
虎鉄は、ぬいぐるみを幸志朗のずだ袋に放り込んだ。
「こてさん?」
 不思議そうな顔をするが、虎鉄は笑って誤魔化した。
なんとなく、ほったらかしにするのが可哀想なだけだから。
言わなくてもわかってくれるだろうと思ったのだ。
 町を出て、駆け足で森の中を走る二人。
幸いなことに、二人の足の速さはそう変わらない。
体力を消費しないように走れば、ほぼ同じ速さで走っていく事が出来た。
 走り始めてから一時間と経たぬ頃。
日がようやく傾いてきた頃に。
「あ、アレじゃないですか!?」
 森の合間にちらちらと建造物が見えだした。
どうやらそれは結構な高さを持っているようで。
恐らく、それは塔なのだろう。
「ふむ、このペースでいけば十分ほどで着きそうですな。」
 幸志朗の言葉に虎鉄が頷く。
問題は着いてからどうするかである。
盗賊のアジトの時のように、見張りが居るのならばまた何か考える必要があるだろう。
尋ねてみたが、残念ながら幸志朗は魔術の類を使えない設定らしい。
もちろん虎鉄が新しく修得したわけでもない。
ならば。
「正面突破しかありませんな。」
 虎鉄も頷いた。
相手がモンスターの類であれば、片っ端から殴り飛ばしていけばいい。
幸志朗と二人ならそれもできるだろう。
「このまま行きましょう!」
 虎鉄の言葉に幸志朗は頷いた。
勢いを殺さぬまま、一気に駆け抜けて。
塔の前で、二人は足を止めた。
「…誰もおりませんな。」
 確かに幸志朗の言うとおり。
塔の前には誰も居ない。
いや、正確に言うなら。
居た形跡すらない。
まるで廃墟のような場所だ。
「入りますか?」
 幸志朗の言葉に虎鉄は戸惑う。
まるで人がいた形跡がないこの場所。
確かに戦闘を行うならおあつらえ向きかも知れないが。
はたして本当にここでいいのだろうか。
 念のため、もう一度地図を確認し。
やはり間違いはなさそうだ。
「…行って、みましょうか。」
 無駄足なら無駄足でもかまわないだろう。
ひとまずシステム側から提示された場所なら、なんらかのフラグが立つ可能性もある。
「わかりました。
では!」
 いいながら、塔の入り口を思い切り蹴り飛ばす幸志朗。
がらん、と乾いた音を立てて扉が内側に倒れた。
それに伴い舞い上がる埃。
そして垂れ下がるクモの巣。
本格的に人がいた形跡が見当たらない。
 クモの巣を避けながら、ひょいと中を覗きこむ。
がらんとした場所に、ただ階段があるだけだった。
ゆっくりと足を踏み入れて。
空を切る鋭い音に、咄嗟にその場にしゃがみこんだ。
頭の上を掠めるようにして矢が飛び、壁に突き立つ。
「こ、こてさん!」
 慌てて幸志朗が駆け寄ってくる。
彼に対しても矢が飛ぶが、幸志朗はそれを見ることもなく掴んで投げ捨てる。
「大丈夫ですか!」
「あ、はい…。」
 どちらかというと、矢を素手で掴んだ幸志朗の方が気にならなくはないが。
流石にそれを口に出すのは控えた。
「罠があるみたいですね、気をつけて行きましょう。」
 幸いに、この階の罠はそれで終わりらしい。
ともかく気をつけて階段を昇り。
二階に上っていきなり落とし穴に落ちた。
「こ、こてさーん!」
 幸志朗の叫び声が聞こえる。
落とし穴は床を貫通して、そのまま一階に落ちるだけで。
本当にただの嫌がらせに過ぎなかった。
それでも、痛いものは痛い。
なんとか受身はとったものの、落ちるときに咄嗟に床を掴もうとした掌がひりひりとしていた。
「大丈夫ですよー…。」
 なんとか起き上がり、階段を昇りなおす。
一階につき一つ、罠があるようで。
逆に言えば、一階につき一つしか罠がない。
それが判れば二階の攻略は簡単だった。
目の前で大きく開いている穴を避ければいいだけなのだから。
「おのれボスキャラとやら!」
 ただ、幸志朗のやる気はこの上もなく上がっているようだった。
ボスキャラが何かはよくわかっていないようだけれど。
今にも走り出しそうな幸志朗をなだめながら穴を回避して、部屋の対角にあった階段を昇り。
「待ったぞ、大河原!」
 その声が聞こえると同時に、幸志朗は動いていた。
「キャアアアアアア!」
 ズタボロになって倒れる友人をみて、虎鉄は思わず叫んでいた。
虎鉄が止める、どころか。
そもそも誰がいるかを認識する前に。
幸志朗は、最上階にいた彼を一瞬で叩きのめしたのだ。
「だ、大丈夫か、新郷!?」
 その場で倒れる友人と思しき物体に駆け寄る。
シェパードの獣人、のはずだ。
今は殴られて血だとか涎だとか、なぜか煙まで出ているから判りにくいが。
友人の、新郷真樹がそこに倒れていた。
「お、大河原…。」
 ピクピクと痙攣しながら手を伸ばしてくる新郷。
その手を取ろうと駆け寄り。
「そこ、罠が…。」
 新郷が指差した場所を。
虎鉄は思い切り、踏みつけた。
「わああああ!?」
 それと同時に大きく揺れだす地面。
「え、え、え!?」
 ともかく新郷に駆け寄り、彼を抱え起こす。
手にしていた薬草をとりあえず彼の口に入れてやり。
「塔が…崩れる…。」
 ようやく新郷が声を絞り出した。
その言葉の意味を知り、虎鉄が慌てて辺りを見る。
それと同時に。
壁がはがれ、虎鉄と新郷に向かって落ちてくる。
ごう、と音が聞こえて咄嗟に目を閉じる。
新郷を抱えたまま走りだす暇もなく。
「こてさん!」
 幸志朗の声だけが聞こえた。
せめて新郷だけは守ろうと、彼の頭を抱え込んで。
衝撃は、来なかった。
「…幸志朗、さん。」
 彼が、壁を受け止めていたのだ。
だがその壁は大きく、さらに天井まで崩れてきている。
流石の彼もそれを投げ飛ばすまではいかないようで。
「こてさん…私の…荷物を…っ!」
 必死にそれだけをもらす。
口を開ければ力が抜けそうなのだろう。
虎鉄は慌てて彼がもっていたはずのずだ袋を探し。
「な、何を探せば…」
 必死でその口を開く。
それと同時に、中から何かが飛び出した。
予想外の展開に言葉すらでず。
自分の形をしたぬいぐるみが、幸志朗の支える壁を蹴り壊すところを呆然と見ていた。
「ええええええ…?」
 あまりと言えばあまりの展開に虎鉄は言葉を漏らす。
その間にもぬいぐるみは幸志朗の身体をよじ登り、さも当然と言うように肩にしがみついた。
「幸志朗さん、それ…。」
 虎鉄の言葉に、幸志朗は恥ずかしそうな顔をする。
「と、とりあえず先に脱出を…。」
 照れた顔をしながら幸志朗は新郷を抱え上げる。
そのまま崩れ落ちた壁を乗り越え、思い切り飛び降りた。
慌てて虎鉄も後に続き。
三階の高さであることを思い出した。
「うわっ…。」
 流石に慌てるものの、器用に体制を整える虎鉄。
この辺りは流石に猫科、というべきなのだろう。
「大丈夫ですか?」
 なんとか着地した虎鉄を、幸志朗が心配そうに振り返った。
「ええ、大丈夫ですよ。
それよりも…。」
 未だに肩の上にいるぬいぐるみを見て話を促す。
「その…私の役割の話なのですが…。」
「え、幸志朗さんモンクタイプじゃないんですか?」
 彼がいつも通りの胴着で、いつも通りに戦っているからてっきりそうだと思っていた。
虎鉄自身と役割は被るけれど、それが一番似合うと思っていたからだ。
だがどうもそうではなく、彼は自分の持つポテンシャルだけで戦っていたようで。
「その…人形を使って戦え、と言われていたのです…。」
 どうやら彼の戦いは、あのぬいぐるみを使うのが正式であったようだ。
もっとも戦いぶりを見るに、その必要もほとんどなかったようだけれど。
「まあ、おかげで助かりましたけど…。」
 肩に乗っているぬいぐるみをつんつんとつついてみる。
どうやって動かしているのかはよくわからない。
このあたりも魔法の類なのだろうか?
なんにせよ、先に話してもらいたかったとは思う。
「ともかく、町に戻りましょう。」
 木にもたれかけさせていた新郷を抱えて。
そこで虎鉄は気がついた。
「あ、新郷!
そういえばお前はオーブとか持ってないの!?」
 考えてみれば今までのボスキャラは全員持っていた。
ならば、新郷も持っていると考えるべきだろう。
「…ポケットに。」
 なんとか搾り出すように彼は答えた。
彼の服装を見るに、ズボンにしかポケットはなさそうだ。
少し恥ずかしいが、必要なものを探すためと言い聞かせて手をもぐりこませる。
指先にコリっとしたものが当たり、それを掴もうと指を動かす。
「お、大河原、それじゃない!」
 慌てて新郷が抵抗した。
それが何であるかを考える前に手を離し、改めて探る。
今度こそ、と指先に当たった固いものをつまみ出す。
それは紛れもなく今まで集めてきたオーブと同じものだった。
最初が黄色、次が緑、そして今回が赤である。
「これで三つ目ー!」
 虎鉄は思わず高々と掲げた。
なんとなく、その方がゲームっぽいと思ったからだ。
「ところで新郷、これ集めてなんの意味があるの?」
 振り返ると、幸志朗がぱっと新郷から手を離すところだった。
何をしていたかはわからないが、とりあえず新郷が安心した顔をしたことは判った。
「あ、えっと…前の人たちから聞いてないか?」
 随分と回復したようで、先ほどよりも話し方が安定していた。
虎鉄は首を横に振る。
一人目は会話をする前に気絶したし、二人目はそもそも忘れていたのだ。
「えっと、一応設定上魔王がいるって話は知ってるよな?」
「ああ、なんか自称してる奴がいるって…。」
「そのオーブは、魔王のいる城への道を開くための物なんだよ。」
 そう説明されて、ようやく合点がいった。
なるほど、確かに往年の名作といわれるRPGでは良くある手法である。
「じゃあこれをいくつか集めればいいのか?」
「全部で四つだから…後一つだろうな。」
 言われて考える。
今まで、友人一人をパーティに加えるごとに、一つのオーブが手に入ってきた。
ならば最後の一つのためには、きっと彼が待っていることだろう。
「こてさん、ともかく町に帰りましょう。」
「あ、でも新郷はどうなるんですかね。
一応設定上は魔物側の設定でしょう?」
「処刑します。」
 ぎらり、と幸志朗の目が光った気がした。
「いやいやいや!
ダメですよ、処刑しちゃ!」
 慌てて虎鉄が首を振る。
新郷は木にもたれかかったまま、顔を真っ青にしていた。
「せ、せめて操られて利用されてたとかそういうことにしておいてください!」
「まあ、こてさんがそう言うのなら…。」
 少しだけ不満げに言う幸志朗。
仲がいいのか悪いのか、わからない二人。
相変わらず虎鉄の目にはそう映っていた。
まあ嘘をつく人ではないので、そう言ってくれたからには安心していいだろう。
「じゃあ、戻りましょうか。」
 虎鉄の一言に、幸志朗はゆっくりと頷いた。



 目を閉じ、風で髭が煽られる感覚を楽しむ。
鼻の奥をくすぐる、潮の匂い。
「うーん、気持ちいい!」
 手すりを握る手に力を込めながら、虎鉄は大きく伸びをした。
繰り返し響く波の音が心地良く。
目を開けば、どこまでも広がる水平線。
「乗って正解だったなあ…。」
 にこにこと笑顔を浮かべながら手すりにもたれかかる。
揺れる足元も思ったよりも苦にならない。
 幸志朗と町に戻ってからすぐのこと。
新郷を自警団に突き出すから手続きの間に観光でも、と遊覧船を進めてくれたのだ。
確かにこの手のものなら所用時間も決まっている。
戻る場所も桟橋が決まっているから待ち合わせに困ることもないし。
 だが何よりも、今後の冒険に幸志朗が付いて来てくれると言い出してくれたのが嬉しかったのだ。
今までに出会った愁哉も源司も、システムの都合なのかシナリオの都合なのか付いて来ることはできないと語っていた。
恐らく本来は幸志朗もそういう設定なのだろう。
だが本来設定されていた装備も戦闘スタイルも無視した幸志朗。
そういった制限も超えて付いて来てくれるつもりなのだろう。
この場での体感時間は実時間とは違う、と源司は言っていた。
だが虎鉄の体感時間では既に三日目である。
出会って別れて、を繰り返しているとやはり寂しいのだ。
もちろん日常において会わない日なんてのはいくらでもあるのだが。
会わないと、会えないはやはり違うのだろう。
「今日は天気もいいし!」
 そのまま視線を巡らせる。
虎鉄が住む星見町は海に面していない。
むしろ山を中心に広がっていると言っていいだろう。
だからこうして海を眺めるのはずいぶんと気持ちが良かった。
「青い空に白い雲…透き通る波に、大きな海賊船!」
 気分よく、目に映るものを口にして。
「…海賊船!?」
 思わず二度見した。
まさかただの遊覧船にのって、海賊船に出会うなんて思わなかったのだ。
「ええええ、ど、どうしよ!?」
 あたふたと周りを見回すが、困ったことに誰の姿も見えない。
たまたまなのか、乗客がすくないのかはわからないが。
そんなことを考えている間に海賊船はどんどんこちらに近寄ってきている。
「と、とりあえず誰かに連絡しなきゃ!」
 ひとしきり慌ててから、ようやくその発想に至る。
問題はどこに誰がいて、誰に知らせるべきかである。
間違いなく人がいるのは、操舵室だろう。
この船がどこまで機械を用いているかはわからないが、少なくともそれを操作する人間はいるはずで――。
「…っ!」
 そこまで考えたときに、後ろから硬い物がつきつけられた。
映画などでよく見るパターン。
つまり「動けば撃つ」である。
せめて正面からなら動きようもあるだろう。
だが流石に見えてない状態ではタイミングをはかることもできない。
せめて相手の顔が見えれば。
「おっと、動くなよ。」
 だがこちらの動きを察して相手はそう言って。
「え、その声、ナギさん!?」
 言葉の内容を理解する前に思わず振りかえった。
「おめえ…今動くなって言った所だろうが。」
 苦々しげな表情で、ナギが呆れた様に呟く。
いつも通り、彼のトレードマークの眼帯はそのままだけれど。
大きな羽のついた海賊帽、胸元を大きく開いたシャツに丈の長いコートを重ね。
太いベルトを袈裟懸けにしている。
一言で言ってしまえば。
「海賊だー!」
 虎鉄は思わず叫んだ。
もちろん恐怖の悲鳴などではなく、テンションがあがってつい、である。
「すごい、ナギさん似合いますねー!」
 嬉しくて思わず目を輝かせながらまじまじとナギを見つめる。
それが恥ずかしくて、ナギは思わず視線をそらした。
「そ、そうか?」
 だがやはり褒められれば悪い気はしない。
手にしていた銃を下ろし、空いている手で頬を掻く。
ついでとばかりに、もうふざける必要もないので銃を腰に戻した。
ちなみに腰には細身の剣を下げていたりもする。
「眼帯してるからですかね、いかにも海賊って感じですよ!」
 先ほどまでその海賊で大慌てしていたはずである。
だが相手が知り合いとわかればもはや慌てる必要もないのだ。
「っと。
いつまでもいる訳にはいかねえな。
お前ら、引き上げるぞ!」
 ナギの言葉に、いつのまにかこちらの船にうつっていた海賊たちが返事を返す。
どうやら海賊としての仕事はしっかりしているらしい。
「ほれ、キバトラ。
俺達もいくぞ。」
「え、い、行くって?」
 慌てながらも、歩くナギに続き。
すぐ目の前に、海賊船があることに気がついた。
「え、で、でも幸志朗さんと約束が…。」
「オメエ、この船もうすぐ沈むぞ?」
「えええええええ!」
 ナギの一言に、慌てて海賊船へと飛び移る。
流石にここから町まで泳いで戻るわけにもいかない。
「だいたい、あのオッサンの担当はあの町だけだろ?」
 飛び移る虎鉄を見ながら、ナギがぼやく様に言う。
確かに、ナギの言うとおりである。
双子たちが作った設定ならばそれが正しいのだ。
「まあ…そうなんですけど…。」
 ならばこれが正しいルートということだろうか。
たまたま自分が乗った船が海賊に襲われる。
まあ確かに、言われて見ればよくある展開には違いない。
それに、自分が離れれば時間の流れはまた遅くなるのだろう。
ならばそう待たせることもない、はずだ。
心の中でごめんなさい、と小さく呟いて。
ひとまず、ナギと共に船にゆられることにした。




「それで、どこに向かうんです?」
 船長室と思しき場所。
広い船室に大きな机、広げられた海図。
その机に腰掛け、海図を指差した。
「まだ非公式だけどな。
モンスターがどこから来るのかわかったんだよ。」
 海図の上においた指をすっとずらし、沖にある小さな島を指差す。
「え、非公式って…どういうことですか?」
 普通に考えるなら、ある程度周知の事実ではあるがそれを公表できない、ということだろう。
だがナギはどうみても海賊である。
ナギの立場からすれば公式も非公式もないのでは、と思うが。
「周知の事実、つうべきか。
国からの発表がないだけで、大抵のやつらは気づいてんだよ。」
 モンスターが、来る場所に?
ならばもっと対策でも打っていそうなものである。
だがそう尋ねると、ナギは首を振った。
「ポイントがわかっただけで、ルートがわかったわけじゃねえんだよ。
言っちまえば、そもそも陸生のモンスターなんかはどうやって島から移動してるかもわからねえんだ。
それでも、最初にその島のモンスターが影響を受ける時点で、ほぼそこから来てるって結論づけられてんのさ。」
 つまり、その島のモンスターが一番レベルが高いということだ。
どのようにして強さが決まるかは知らないが、その島を中心にモンスターのレベルが変わっているのだろう。
ならば最もレベルの高い中心地点が、モンスターの発生箇所と考えるのは自然といえるかもしれない。
「それで、そこを調べようと?」
 だが疑問なのは、ナギがそこで何をしたいか、である。
正直世界平和のために、というのは考えにくい。
イメージではないのだ。
ならばキャラ設定が何かあるのだろうか?
「なんでも昔の海賊がお宝を隠したって話でよ。
俺のキャラ設定とやらで、そいつを探しにいかにゃならんらしい。」
 なるほど、幸志朗でいう格闘大会のような義務がそこにはあるのだろう。
虎鉄としては一応(忘れかけているものの)勇者候補なので、そこに行ってみたいという思いはある。
以前小耳に挟んだ行方不明の勇者、というのも気になるし。
何より、ナギの手伝いをしないという選択肢は虎鉄の中に存在しないのだ。
「じゃあ、宝探しですね!
楽しみだなあ、なんか遊園地みたいですね。」
 もっとも、虎鉄にしろナギにしろ遊園地で楽しく遊ぶといった経験はない。
いい年した男がそうそう経験があるものでもないだろうけれど。
そもそも遊びに行こうにも、近場に遊園地がないのだから仕方がない。
だから虎鉄の発言は、完全にイメージだけのものだ。
 もちろんそんな楽しいものではないだろうと、ナギは思っているけれど。
楽しみにしているならあえて水をさすこともない、と口を挟まなかった。
サバイバルイメージならそう外れたものでもないだろう、という考えもある。
遊園地とサバイバルは相容れないものではあるが、アトラクションという意味では近しい…かもしれない。
まあなんにせよ行くことには変わりないのだ。
楽しんでいけるならそれが一番だろう。
 船が目的の島に着くまでにもしばらく時間はある。
遊覧船を楽しんでいたのも知っているから、もうしばらくは楽しませてやろうと。
ナギは小さく微笑んだ。




「ここ…ですか?」
 虎鉄が呆然と呟いた。
ナギからしてみれば当然なのだが、遊園地を想像していた虎鉄には厳しい現実だろう。
そこはこの上もないほどに木々が密集するジャングルだった。
海賊船から小さなボートを漕ぎ出して、なんとか降りたった砂浜。
そこから少し陸にあがれば、数メートル先もみえないような密林である。
なるほど、ここなら人もいないだろうし宝を隠せば見つからないだろう、という場所だ。
もちろん、無事に隠せればの話ではあるが。
「おお、まあここから入るのは無理だろうがな。」
 ナギは砂浜を歩き出す。
この島に人は居なくても、モンスターや動物の類はいるだろう。
ならば獣道のような物はあるだろうし、それでなくとも川沿いならもう少し入りやすいはず。
ナギはそう考えて、島に入りやすい場所を探しているのだ。
「なるほど!
ナギさん頭いいですねえ。」
 妙に感心した様子で虎鉄が手を打った。
本を読んでの知識は多いとはいえ、サバイバル経験は少ない虎鉄である。
ひとまずナギに任せようと後を歩くことにした。
「そういえば、部下の方たちは来ないんですか?」
 振り返り、海賊船の甲板に目を凝らす。
小さな人影が動いているのが見えるが、こちらについてくる気配はない。
「まあ、大勢でごちゃごちゃとしてもな。
モンスターやら…宝隠してるなら、トラップもあるんじゃねえのか。」
「なるほど。
いちいちごもっともですねえ…。」
 なんだか言えば言うほど、自分の考えのなさを露呈するようで、虎鉄は思わず黙ってしまった。
だがそれで困るのはナギである。
表面上表情は変えていないが、彼は内心とても焦っていた。
自分の言葉で虎鉄の表情が曇ったのだから当然である。
しかし気の利いた言葉など出てくるはずもなく。
彼らは無言で歩くハメになったのである。
 それから数分。
感覚的には数十分の時間がすぎた頃。
「あ、アレ川じゃないですか?」
 虎鉄が正面を指差して言う。
ナギも背伸びしてみてみれば、確かに川のようなものが見えた。
虎鉄の方が背が高いから先に気づけたのだろう。
「よし、とりあえず行くか!」
 小走りで走るナギに、虎鉄も続く。
いざ見えてくればモチベーションも空気も変わる。
二人はあっさりと川のほとりにたどり着いた。
「川幅、思ったよりもありませんね。」
 実際、せいぜい数mといった所だろう。
「川が狭いってことは…どういうことだ?」
「えっと…。」
 深く考えての発言だったわけではない。
ただ見たままの感想ではあった。
それでも、そこから何か判るのではと考えを巡らせる。
「自分もそんな詳しくはないですけど…。
水の量が少ないとか、この島自体に高い山が少ない、ってことですかね?
この木で雨量がすくないってこともないでしょうから、島自体そんなに大きくないんじゃないですか?」
 少々不安になりながらも考えを述べる。
実際に歩いていて、漠然とではあるがそれほどの大きさを感じなかったというのもある。
こうなれば、船の上から大きさを確認しなかったのが悔やまれた。
「まあ確かに、大きな島なら人が住んでてもおかしくねえもんな。」
 川に歩み寄り、ナギはそのまま上流を見る。
だが流石に川もうねっているからだろう。
先を見通すことは出来そうになかった。
「とりあえず行ってみるか。」
「そうですね、川沿いならそう道に迷うこともないでしょうし。」
 そう言いながら二人は歩き始める。
川から離れなければ、道には迷わない。
それは確かにその通りだろう。
道から、離れなければ。




 思い出したのは、節分である。
そういえばあの時も、ナギはこうやって彼と向かい合ったのだ。
「なるほど、このステージで虎鉄と組むのはナギ君か。」
 そう言ってこちらを不敵に見つめているのは。
「に、にろさん?」
 虎鉄は思わずその名を呼んだ。
彼の目の前に立つのは、希少種と言われる鬼種。
虎鉄の叔父、二口隼人である。
その手にはやたらと大きな金棒を握っており、服装は節分の時のように虎縞のパンツ一枚である。
「この雰囲気で、味方ってわけじゃあねえんだろ?」
 ナギはゆっくりと腰に下げた銃に手を伸ばす。
普段ナギが扱う長銃とは形が違う。
扱いなれないもの故に自信はないが、威嚇にはなるだろう。
「ナギさん、ダメですよ!
当たったら怪我を…」
 虎鉄が止める暇もなく。
ナギは銃を引き抜き、目も留まらぬ速さで引き金を引いた。
見事なクイックドロウである。
あまりの鮮やかさに、虎鉄は何も言えない。
だが。
「まさか、当たるとは思ってないよな?」
 どすん、と棍棒を地面に下ろしながら隼人はにやりと笑って見せた。
おそらくあの棍棒で、銃弾を防いだのだ。
「ちっ!」
 銃ではダメだと早々に見切りをつけ、ナギは腰から剣を抜く。
そのまま一気に駆け抜け、突くようにして細身の剣を突き出した。
矢のように飛び来るその突きを、隼人は軽く身を捻ってかわす。
そのまま一気にナギの懐に飛び込み、その腹を蹴り飛ばした。
「ぐううっ!」
 小さく呻きながらも、ナギはそのまま後ろに下がり必死で体勢を立て直す。
隼人はといえば、追撃する様子もなく相変わらず笑いながら見ているだけだ。
「虎鉄、お前はこないのか?」
 挑発するように言うが、正面からいって勝てるとは思えない。
ならば、小回りだろう。
大きな得物を持っている相手を撹乱するために、相手の周りを動き回って――。
「キバトラ。」
 虎鉄がいざ動かんとしたときに、ナギが小さく声をかけてくる。
隼人に聞こえないように、注意しながら。
「オジキに、弱点とかねえのか。」
 言われて考える。
だが軽いケンカはしても、本気で戦った事があるわけではない。
一般のRPGの様に「火に弱い」などがあるわけではないだろうし。
「うーん、父さんになら弱いと思いますけど…。」
 だがここに居ないものはどうしようもない。
さてどうすべきか。
「しゃーねえ、いったん撤退だ。」
 一瞬戸惑い、虎鉄は横目でナギを見る。
だがその目に迷いはない。
ナギはプライドよりも、確実な結果を優先する。
それは虎鉄の知らない一面、つまりプロ意識である。
「相談は終わりかな?」
 こちらが話しているのを見てか、隼人はずっと待っていたようだ。
虎鉄としては、隼人には負けたくはないが、ここでやりあっても勝てるかどうかは怪しいと考えている。
それにナギが逃げるべきだと判断しているのだ。
長い話をしている暇はない現状、根拠を聞いている暇はない。
一言で言えば、信じるか否かだ。
そしてその選択を迫られれば。
虎鉄には信じるしか、答えはない。
「行くぞ!」
 ナギに手を引かれ、二人は森の中へと飛び込んだ。
流石にいきなり逃げるのは意外だったのか、隼人は一瞬反応が遅れる。
その隙に、ナギは銃を構えて上空へと発砲した。
どさどさと、蔦が絡まった枝が落ちる。
 ナギは判断したのだ。
現状では、隼人を無力化するのは困難である、と。
勝つか負けるかの実力勝負だけならば、まだ勝機はあるだろう。
だが今回のミッションは「致命傷を与えずに無力化する」である。
流石にこれは分が悪い、と踏んだのだ。
「ひとまず、このまま逃げるぞ。」
 森の中に分け入りながら、二人は走る。
しばらくは追跡しているような声が遠くから聞こえたが、枝を落としたのが効いたのだろうか。
すっかり声もきこえなくなった。
もっとも、当初の予定だった川沿いからは随分と外れてしまったが。
「でも、逃げてどうするんですか?」
「アテなんざねえよ、とりあえず逃げながら考える!」
 真っ先に思いつくのはトラップだろうか。
落とし穴でも掘れれば無力化は簡単だが、流石にこの密林の中それは難しい。
そもそも道具らしい道具もないし、距離がどれだけ稼げているかも怪しい。
そして隼人がどのように追ってくるかもわからない。
ルートがわからない以上、逃げる側としてはトラップの仕掛けようはない。
「いったん船に戻りますか?」
「それができりゃあ、一番だろうけどなあ…。」
 虎鉄に言われる前に、ナギは既に海と思っていた方向へと走っている。
だが困ったことに、小さいとはいえ崖があったり木が生い茂っていて真っ直ぐすすめなかったり…。
もはや方向感覚を完全に見失っているのだ。
「とにかく動くっきゃねえな。
ここでじっとしてても埒があかねえ。」
 歩みを止めぬままにナギは言う。
虎鉄も、頷いて後に続くしかなかった。




 そんな、姿の見えない追いかけっこをどれだけ続けただろうか。
二人の前に、何かの入り口のようなものが姿を現した。
石造りの階段が地下へと続いていて、それを覆うように申し訳程度の屋根もついている。
「これ…なんだ?」
 ナギが不審そうに呟いた。
「地下遺跡の入り口じゃないですかね…。」
 虎鉄は近寄り、屋根を支える壁にそっと触れてみる。
古くはなっているが、触った途端崩れるほど風化しているわけでもなさそうだ。
「近い席?」
「…地下の遺跡ですよ?」
 なんとなく、字が違う気がした。
「このタイミングで見つかりましたし、ここに何かあるんでしょうね。
たぶんさっきのにろさんは負けイベントでしょうし。」
 虎鉄の言葉に、ナギは首を捻る。
正直ゲームのことは全くといっていいほどわからない。
今回のバーチャルゲームも、虎鉄が関わっていなければ決して誘いに乗ったりはしなかっただろう。
「とりあえず、この中に行けばいいんだな?」
 よくわからないが、虎鉄の態度や口ぶりからナギはそう判断した。
ゲームのことなら虎鉄に任せた方が正確に把握できるだろうと考えたのだ。
「そういうことだと思います。」
 顔を見合わせ頷きあい。
二人はゆっくりと、階段を降り始めた。
中に降りると、外とは違いひんやりとした空気が漂う。
「毒ガスとかは…ねえよな?」
 ナギが慎重におりてくる。
確認はしていないが、まさかそんな即死トラップなどはないだろう。
全体のつくりとしては「虎鉄を楽しませる」というのが主眼にあるらしい。
それがゆえにだろう、いわゆる死にゲー、覚えゲーにと言われるようなゲームにありがちな、
知らなければ引っかかる…初見殺し的なものは今までにも見当たっていない。
「大丈夫ですよ、明かりも…あるみたいです。」
 階段を降り、周囲を見渡す。
広々とした空間――とまでは言わないが、そこそこの広さの部屋である。
よく飲み会の会場に使わせてもらっている幸四郎の道場くらいはあるだろうか。
高さは思ったよりも深かったようで、軽く飛び上がっても天井に手が届かない程度にはある。
そして何より不思議なのは、虎鉄が降りてくると同時に、壁の松明に火が灯ったことである。
RPGの演出としては多いかもしれないが、いざ目の前で起こるとやはり怖い。
「…怪しいヤツとかいねえな?」
 言いながら、銃を構えてナギが階段を下りてくる。
だが怪しいヤツどころか、自分たち意外に人影すらない。
「大丈夫ですよ、誰もいません。」
 その言葉にもまだ安心はせず、銃を片手にナギは歩み寄ってくる。
その間にも、虎鉄は再び周囲を見回す。
石造りの床に壁、なんの意匠も細工もないただの石である。
目を引くのは、唯一。
部屋の隅にある、下の階へと続く階段。
「ひょっとして、ここが財宝の隠し場所ってヤツか?」
 ナギが聞くでもなく、呟いた。
だがそれはさすがに虎鉄にもわからない。
RPGのお約束としてならそうかもしれないが。
ひょっとしたら違う可能性もあるからだ。
「どうしましょう、奥に進んでみます?」
 虎鉄の言葉にナギは少しだけ考える。
「いや、ここはいったん戻るべきじゃねえか。
船に戻って態勢を整えてから…ッ!」
 ナギは、発言を飲み込んだ。
理由は聞かなくてもわかる。
足音が聞こえたのだ。
虎鉄たちが入ってきた入り口から、ゆっくりと警戒するような足音が。
思わずナギと視線を合わせる。
彼も無言で目だけをこちらに向ける。
ここで足音がする相手と言えば。
「虎鉄、ここにいるのか?」
 隼人の声が聞こえてきた。
おそらく、間違いないだろう。
まさか声だけ同じそっくりさんということもあるまいし。
虎鉄とナギは頷きあい。
一気に下の階への階段へと身を躍らせた。
もはや上に戻って船へ、とう選択肢はなかった。
階段で隼人とすれ違って一気に上へなど、現実的ではないからだ。
 ごとん、と大きい音が響いた。
おそらくあの大きな金棒を下ろしたのだろう。
どうやら向こうも警戒しながら進んでいるようだ。
もっとも一階には捜索するような場所もないから、すぐに向こうも降りてくるだろう。
ならば急がなくてはいけない。
二人は必死で足音を殺しながら、二階へと駆け下りた。




 二階に下りても、二人は口を開かなかった。
これだけ閉鎖的な空間である、どこまで声が響くかわからないからだ。
 だが、声をこらえるのは難しかった。
一階とはあまりにも違う。
非常にせまっくるしい印象を受けた。
おそらく、迷路なのだろう。
壁が複雑に入り組んで並んでいる。
 ナギが目で問いかけてくる。
どうするか、ということだろう。
だが迷っている暇はない。
ナギの手を引き、虎鉄は駆け出した。
迷っている暇はないのだ。
だが正しいルートはわからない。
幸いどこからか風が吹き込んでいるので埃で足跡が残ったりはしそうにない。
ならばよっぽど運が悪くなければまっすぐ追跡されることもないだろう。
「おい、キバトラ。」
 ナギが小声でささやいてきた。
足を止めぬまま耳を傾ける。
「確かに距離とりたいのもわかるが、お前道わかってるのか?」
 思わず走る速度を落とす。
言われるまでもない。
「…どうしましょうか。」
 こちらも小声で答える。
実際考えがあっての動きではないからだ。
「攻略法とかねえのか?」
 もっともな疑問だ。
こういうことに疎いナギからすれば、何らかの定石があると考えてもおかしくはないだろう。
だが虎鉄が知る限りは、ない。
壁に片手をついて歩く…というものもあるが、アレは基本的に入り口から初めてこそ意味があり、
かつ時間を無制限にかけられる場合に有効な方法だ。
言ってしまえば、すべての道を踏破するくらいの覚悟が必要である。
 かといってここには人が通ったような形跡もなければ、そもそも埃のような跡が残るものもない。
捜索したところで時間がかけられない以上、やはりそれは変わらないだろう。
「風はどこから吹いてんだ?」
 ナギの言葉にはっとする。
そういえば先ほど風を感じた。
ただの地下迷宮であればそもそも風など通り抜けないはずである。
もちろん呼吸ができるようにただ通風孔があるだけなのかもしれないが。
「ま、賭けるっきゃねえだろ。」
 そういってナギは楽しそうに笑った。
「風は…あっちだな。」
 今度はナギが前を進んだ。
もはや賭けると決めたのである。
分岐点があっても、迷うことはない。
幸い落とし穴などの罠はないから下手を打たない限りは痕跡も残らない。
後ろからかすかに響いていた足音も聞こえなくなっていた。
もっともこれは、隼人が足音を消した可能性もある。
距離が開いたかどうかは微妙なところだろう。
「あ、ナギさん!」
 一応小声での会話は続けながら。
虎鉄は前方を指差した。
階段に続く道が見えたのである。
「…。」
 ナギはそれを見て、足を止めた。
後ろについていた虎鉄もそれに続く。
「ど、どうしました?」
 虎鉄の問いに、ナギは渋い表情をしてみせる。
しばらく迷ったような様子で階段をにらみ。
「…こんな素直か?」
「え?」
 ナギの言葉に、虎鉄は首をひねった。
何を言われているかわからなかったからだ。
「このゲーム、あの双子がつくったんだろ?」
 言われて虎鉄も理解した。
あの双子が、そんなに簡単に出口までたどり着かせてくれるか、ということだ。
確かにそれは疑問である。
素直なところは素直だが、そうでない時はそうでない。
虎鉄と初対面の時など、かなりひどかった印象が残っている。
それを考えると…。
 ナギはゆっくりと、周囲を探りながら歩き。
「…こっちだろ。」
 死角になっていた場所に、もうひとつの階段を見つけたのだった。




 地下三階。
今のところ、隼人の足音は近づいていない。
「おい、なんだこりゃ?」
 ナギが呆れたような声を出す。
もちろんその声もかなり小さく抑えられてはいたが。
 ナギの言葉の真意を探ろうと、虎鉄も部屋の中を見た。
なるほどナギが言わんとすることもわからなくもない。
これはどう見ても、自分たちだからだ。
「石像…ですよね?」
 思わず歩み寄る。
等身大の石像。
特に継ぎ目などもないのでおそらく石から削りだしたものだろうとは思うが。
わざわざこのために造ったのだろうか。
「俺たち…だよな?」
 石像のひとつに手を伸ばしナギも呟く。
実際、その石像は虎鉄たちそっくりだった。
虎鉄やナギ、だけではない。
幸四郎や源司、愁哉のものまであった。
多少荒削りではあるものの、誰が見ても特定できる程度には似ている。
「なんなんだこりゃ。」
 困ったようにナギがこちらを見る。
虎鉄にもこれが何であるかはわからない。
が。
「…階段、見当たりませんね。」
 もちろん扉の類も見当たらない。
石像のことを除けば、完全に行き止まりである。
だがこの意味ありげな石像。
おそらくこれはなんらかの謎かけなのだろう。
だがこれだけでは何のことか、虎鉄にもわからない。
「うーん、パズルかなにかだと思うんですけど…。
他に何かヒントないですかね?」
 言いながら虎鉄も周囲を探る。
石像そのものだけではなく、周囲の床から広がって壁まで。
あまりゆっくりはしていられないが、かといってヒントを見過ごしては元も子もない。
とにかく迅速に丁寧に、である。
「なんもねえな…。」
 一通り部屋の中を探して。
それでも、他に何も見当たらない。
先ほどの発言は、それに疲れたナギの言葉である。
ナギはナギの石像にもたれかかって休憩していた。
「あれ。」
 ふと気づく。
「石像、本物のナギさんより大きいんですね。」
 言われて気づいたように、ナギは振り返った。
横に並んで立てばよくわかる。
なるほど確かに、ナギの目線よりも石像の目線は少し高い。
というか、正確にいえば。
どの石像もすべて同じ大きさ、と言うことらしい。
「ナギさんと同じ目線は新鮮ですねえ。」
 石像と向かい合う位置で虎鉄が笑う。
正直それどころではないのだが、ヒントが見つからない以上しょうがない。
「そういや、お前意外とでかいんだな。」
「ええ、185cmありますよ。」
 今度は本物のナギと並んでみる。
並んでみれば、ナギの目線がちょうど虎鉄の口元くらいである。
意外と低い…というか、いつも一緒にいる面子の中では双子に次いで低い。
ナギは気づかれないように、小さく舌打ちした。
虎鉄の兄を気取りたいナギとしては、背が低いことは普通にコンプレックスである。
「…こんだけ精巧に作ってんのに、大きさは違うんだな。」
 話をそらすように、ナギは石像に手を伸ばした。
耳や毛並みなど、近くで見れば見るほど細かい部分の精巧さが目に付いた。
「あ、それじゃないですか!」
 話題をそらしたくて、苦し紛れに口にした言葉。
それに、虎鉄が食いついてきたことにナギは驚きを隠せなかった。
「それ」といわれてもどれのことかわからないのだ。
虎鉄もそのことにはすぐに気づいたらしく。
「これだけ精巧なのに、大きさが再現されてないってことは…。
つまりその大きさがカギなんですよ。」
 言われてナギは改めて他の石造をみる。
若干間隔があいているので断言はできないが、どれも同じ大きさに見えた。
「たとえば…背の順に並べてみるとか?」
 虎鉄が首をひねりながら言う。
確かに身長を用いての謎解きであれば、それが真っ先に思い浮かぶ。
「じゃあ前は…あっちか。」
 階段側から見れば、石造はすべて左を向いている。
つまり、縦一列ということだ。
今は先頭から虎鉄、源司、愁哉、幸四郎、ナギの順である。
「えっと…一番低いのって誰だ?」
「ナギさんじゃないですか?」
 ナギの言葉に、虎鉄が答えた。
「…。」
 聞くんじゃなかった、とナギは少し後悔する。
一番高いのは虎鉄だから、ナギの位置と虎鉄の位置を入れ替える必要があるだろう。
そう思ってナギが自分の石造を押すと、思ったよりも簡単に動いた。
そのまま虎鉄の石造と入れ替えて、虎鉄の石造を運んでくる。
「2番目って…どっちでしょ?」
 どっち、の言葉の意味がナギにはわからなかった。
残っているのは三人だからだ。
「源司さんが、ツノ入れるかどうかで変わるんですよね。
ツノありなら自分よりも大きくなるんですよ。
ツノなしなら二番目ですかね?」
「両方ためしゃいいだろ。
今お前のを一番後ろにしちまったし、とりあえずツノなしでだな。」
 ナギの言葉に虎鉄は頷く。
とりあえず、考えているよりは動いていたほうがいいだろう。
「じゃあ二番目が源司さん…なのでそのまま。
それから幸四郎さん、愁哉君の順番ですね。」
 つまり、あとひとつ入れ替えるだけである。
とりあえず手軽な方から、だ。
ナギが愁哉を、虎鉄が幸四郎を押し場所を入れ替える。
背の順に並び替え、しばらく待ってみたが反応はない。
「とりあえず、これじゃなさそうですね。」
 言いながら虎鉄は源司の石造へと歩み寄った。
もちろん、順番を並べ替えるというその行動そのものが違っている可能性もある。
もっとも今は他に手が思いつかないのだからしょうがないといえばしょうがない。
「えっと…源司さんが一番高くて…。」
「あとはそのまま前倒しだろ。」
 ナギが言いながら一つずつ場所をずらしていった。
虎鉄の位置を動かし、近くにおいていた源司を一番後ろに並べる。
と、同時に。
がらがらと音を立てながら、奥の壁がぽっかりと口を開いた。
「やったあ!」
 思わずナギに飛びつく虎鉄。
ナギはといえば、何も言わずに顔を赤くしてはしゃぐ虎鉄を支えるだけである。
「やってみるもんですね!」
 言いながら虎鉄はナギの顔を覗き込み。
その近さで、ようやく自分がしている行動に気が付いた。
「あ、す、すいません!」
 あわてて離れる虎鉄。
ナギは視線をそらしながら「いや。」と返すので精一杯だった。
「と、とにかく先に進みましょうか。
にろさんが追いついてきても困りますし。」
 虎鉄も顔を赤くしながら、壁に開いた穴へと歩み寄る。
その奥は、やはり階段が続いていた。
 気配がないので忘れがちだが、一応今は隼人に追われているのだ。
この先に進んだところで打開策があると決まったわけではないが、
イベントとして発生している可能性を考えるときっとこの奥でなんとかなるだろう。
ゲームの感覚がつかめていないナギにそのあたりを説明しながら。
二人は足音を殺しながら、階段を降り始めた。




 降りた先は、再び同じような石造りの部屋。
だが今までと明らかに違う点が一つ。
部屋の床の中央に、大きな亀裂があるのだ。
階段を下りた位置からではよく見えないが、亀裂は深いようだ。
中央に橋のようなもの…というか、床が残ったように伸びてはいるもののかろうじて一人が通れるくらいの幅しかない。
「おい、アレなんだ?」
 部屋の中央を見ている虎鉄に、ナギが壁を指差して見せた。
指差した方を向く虎鉄。
その壁には、巨大な目が付いていた。
「うわ、気持ち悪い!」
 思わず後ずさる虎鉄。
位置的にはちょうど亀裂の上。
床のない部分の壁に、大きな目が付いていた。
なんとなく視線を感じて振り返れば、反対側の壁にもやはり目が付いていた。
「うわー、すごくこっち見てますよ…。」
 思わず虎鉄は呟く。
彼が言うとおり、壁についている向かい合った目は、明らかに虎鉄やナギを見ていた。
少し歩いて、橋の方向へ歩み寄ってみる。
予想通り、壁の目は虎鉄を追ってぎょろりと動いた。
それを見て虎鉄は思わず動きを止める。
目の動きは思っていた以上に生々しくて、気持ち悪かった。
「うう…。」
「さっさと渡っちまおうぜ。」
 ナギが言いながら、立ち止まっていた虎鉄の横を抜ける。
そのまま橋まで歩み寄り渡ろうとした瞬間に。
「あ、危ない!」
 虎鉄は思わずナギを腰をつかみ、後ろに引いた。
ナギと虎鉄はそのまま後ろに倒れこみ、しりもちをつく。
二人の前にあったはずの橋は、綺麗に姿を消していた。
「なんだこりゃ?」
 尻を打った痛みにも気づかないように。
ナギは呆然とした様子で橋のあった場所を見つめていた。
「たぶん、アレですよ。」
 後ろからナギに抱きついた形のまま、虎鉄は視線を走らせる。
ナギもその方向に視線を向けて。
壁にある目と、ばっちり目が合った。
「アイツがなにしたってんだ?
目、だけだぞ?」
 ナギの言葉に、虎鉄は戸惑う。
具体的に何がどうなったとは説明しづらいのだ。
ただ、ゲームならきっとあそこだろうと。
虎鉄のカンが告げていた。
「わかんないですけど…いったん戻ってみます?」
 立ち上がり、二人は階段まで戻る。
振り返れば。
虎鉄の予想通り、亀裂の真ん中に細い橋が出現していた。
「やっぱり、あの目がきっと見張ってるんですよ。
で、どうやってるかわかんないですけど近寄ると消してるんです。」
「めんどくせえな…。
跳ぶか?」
 忌々しそうに言い捨てるナギ。
確かにそれが上手くいくのであれば、一番手っ取り早い。
「でも…見えない壁とかあるかもしれませんよ?」
 基本的には正攻法でクリアできるようになっているはずなのだ。
そんな力技が想定されているとも思えないし。
「じゃああの目つぶすか?」
 言ってナギは腰の銃を抜く。
物騒な話ではあるが。
「それですよ!」
 虎鉄にはピンときた。
ゲームの基本である。
見られているなら、見えなくしてしまえばいいのだ。
「あの目、銃で撃っちゃえばいいんですよ。
つぶれるかどうかは別として、一時的にでも見えなくなれば…。」
 ふん、とナギは小さく鼻を鳴らした。
よくわからないが、とりあえず撃ってしまえばいいという事だと理解した。
ややこしい部分は虎鉄に任せ、ナギはただ信頼して動くのみである。
今回は完全に門外漢なのだから、それでいいのだ。
そう考え、ナギは右側の壁にあった目を狙い、引き金を引く。
ぱん、と軽い音が響いた。
まるでおもちゃのようだ、と虎鉄は思う。
もっともそれにしては十分以上に音が大きかったのだが。
「あ、目閉じましたよ!」
 だがそれどころではない。
狙ったとおり、目が閉じていたからだ。
思わずナギの手をとり、ぶんぶんと手を振る。
「お、おお…。」
 ナギからしてみれば当然の反応だと思っていた。
目を撃たれてリアクションがないほうがおかしいだろう。
もっとも相手は生物かどうかも怪しいが。
「さあ、もう一個いっちゃいましょう!」
 とりあえず喜んではいる様なので、ナギはその言葉に従う。
振り向き、こちらを見つめていた目に狙いをつけて再び引き金を引いた。
動かないもの相手に外すわけもなく、もう一つの目も簡単に閉じる。
「これで渡れるはずですね!」
 嬉しそうに虎鉄は橋へと歩み寄り。
「あ…。」
 目の前で、再び橋が消えた。
不思議に思い振り返れば、最初につぶした目がすでに開いている。
さらに振り返り左側の目を見ると、ゆっくりと開くところであった。
「ダメみてえだな。」
 ナギが肩をすくめて見せる。
だが虎鉄は首を振り。
「なら二つ同時につぶしちゃいましょう!」
 さも当然といったように、そう言ってのけた。
時間で回復するのなら、同時につぶせば見えない時間が生まれるはずということだ。
もちろんナギにもその理屈はわかる。
だがそもそもの方法が問題なのである。
銃は一丁しかないし、虎鉄はそもそも飛び道具を持っていないのだ。
「石でも投げるか?」
「そうですねえ…。」
 とは言ったものの、周囲に投げられそうな大きさの石は見つからない。
ほとんどが石というよりは砂に近いもので、手ごろなサイズとは言いがたい。
道具袋をあさってみるが、投げられそうなものもない。
強いてあげるなら虎鉄の武器のナックルダスターくらいのものだ。
もちろんそれを投げるのは最終手段である。
「だったらよ。」
 ナギがコートのポケットに手を突っ込み、何かをつかみ出す。
「コイツ、なげられねえか。」
 そう言って手を広げて見せたのは、銃弾である。
なるほど確かに投げるには手ごろなサイズが必要な気がした。
若干小さく持ちづらいが、重さは十分ありあたったときには目をつぶすくらいのダメージになるだろう。
「たぶん、いけますね。」
 受け取り、重さを確認して虎鉄が答えた。
もちろん虎鉄に銃を撃った経験はないので、投げる側は虎鉄が担当である。
「タイミングどうやって合わせます?」
「適当に投げろよ、合わせてやる。」
 再び拳銃を構えるナギ。
彼が言うからにはそれだけの自信があるのだろう。
虎鉄は彼を信じて、握った銃弾を振りかぶる。
「行きます!」
 せめてこれくらいは、と口にしてから腕を振り下ろした。
ひゅん、と空を切る音が響き。
目にぶつかるだろうというそのとき、虎鉄の後ろで銃声が響いた。
ナギが引き金を引いたのだ。
まさにタイミングは完璧。
虎鉄が投げた銃弾が左側の目に当たるとほぼ同時に。
ナギの銃は、右の目をつぶしたのだ。
 そのままどうなるかと様子を伺う二人。
二つの目が閉じて、目蓋がぶるぶるとふるえ。
ぽん、と軽い音を立てて目が消えた。
「やった、息ぴったり!」
 嬉しくなって虎鉄は思わずナギの背中に抱きついた。
「お、おう。
当たり前じゃねえか。」
 平静を保ちつつ答えるも、ナギの尻尾はぱたぱたと嬉しそうに揺れている。
もちろん虎鉄の位置からは視界に入らないので気づいてはいないが。
「じゃあ、行きましょう!」
 そのまま虎鉄は体を少し離し、ナギの背中を押す。
予想通り、歩み寄っても橋が消えることはない。
「これでこの部屋もクリアですね。
向こうの…」
 言いかけたそのとき。
「クリアにはちょっと早いんじゃないか?」
 後ろから声がした。




足音は、しなかった。
虎鉄たち同様、きっと足音を殺していたのだろう。
だから近づいていることに気づかなかったのだ。
「にろさん…。」
 振り向いて、虎鉄は思わず呟いた。
てっきり、迷路にでも手間取っているのだと思っていた。
だからいつの間にか、ナギとの会話も小声ではなくなっていて。
それは逆に、隼人からすれば距離を図るいい目安になったことだろう。
果たしてこのタイミングを待っていたのか、それとも今追いつかれたのか。
 だがいつ追いつかれたかはどうでもいい。
この状況をどう乗り切るか、である。
正直なところ、走り出したところで逃げ切れるとも思えない。
先ほどのように利用する地形もない。
だとすればせいぜい足止めだろう。
幸いこの橋は狭いから、一人が残ればきっと足止めくらいにはなる。
問題はどちらが残るか。
「キバトラ、先に行け。」
 ナギがささやく。
でも、と言いかけて。
「この細い橋は直線だ。
足止めなら、俺の銃の方が向いてる。」
 なるほど、確かにそうかもしれない。
単純に犠牲になろうというのなら意地でも止めるところである。
だが、虎鉄のカンはこの先に打開策があると告げている。
普通のRPGとして考えるなら、おそらくこの奥にあるアイテムで形勢を逆転できるはずなのだ。
お約束どおりであれば、だが。
「…すぐに戻りますから!」
 それだけ言って虎鉄は駆け出した。
部屋を飛び出し、奥の通路へ。
後ろから隼人とナギの会話が聞こえたが、内容までは把握できない。
だが今はそれを気にしているときではなかった。
とにかく一刻も早く奥に進み、何らかの打開策を得て戻るのだ。
 通路はまっすぐ奥に続いている。
今までのパターンからてっきり下に続くものと思っていたのだが。
どうやら、ゴールは近いようだ。
走る足に力を込め、更にスピードを上げる。
通路が終わり、広がる部屋。
その部屋には小さな高台があり、その中央に大きな宝箱が置かれていた。
「これだっ!」
 きっとナギが最初に言っていた海賊の宝もこれなのだろう。
宝箱に入っているものなど、それくらいしか虎鉄には思いつかなかった。
もっともそれもどうでもいいことである。
今は中に何が入っているか、だ。
宝箱に飛びつき、その蓋を持ち上げる。
幸い鍵のようなものはかかっておらず。
「うおおおおお!」
 重いものの、なんとか開けることができた。
その中には。
「え、これ…!?」




 一瞬の隙を突いて、懐に隼人が潜り込んでくる。
ナギは剣を握っているが、さらにその内側。
至近距離まで迫られては。
間合いの内側まで入られては、剣を振るうことはできない。
「くそっ!」
 何度目だろうか。
低い姿勢のまま、にやりと笑いながらこちらを見上げてくる隼人。
その顔に向かって、剣の柄の部分を叩きつけた。
既に予測されていたのだろう、それは簡単に受け止められる。
だがこちらももちろん予測済みで。
もう片方の手で、額に狙いをつけて銃の引き金を引く。
隼人は素早く手を離し、後ろに大きく跳んだ。
 なんとか距離を離し、小さく安堵のため息をつく。
既にそんなやり取りを何度繰り返したかわからない。
橋を渡られてからこっち、間合いに飛び込まれては何とか追い返す、という繰り返しだ。
橋を渡るために金棒を投げ捨てているので、向こうが素手になっていることは幸いというべきだろう。
だがそれでも焦るナギに対して余裕を見せる隼人。
どちらが劣勢かは言うまでもない。
「ボヤボヤしている場合か?」
 隼人のからかうような声。
と同時にこちらに駆け出す赤い影。
先ほどまでは左右に振りながら走ってきていたが、今度は正面である。
これ幸いにと打ち落としにかかるナギ。
だが引き金を引くと同時に、隼人の姿が掻き消えた。
見失ったのは一瞬である。
だが隼人にとってはその一瞬で十分で。
彼を追って視線を上に上げたときには、隼人がその両足で天井を捉えるところだった。
無茶にも、程がある。
数メートル飛び上がったばかりか、そのまま天井に足をつけてそこを蹴ろうというのだ。
「この…!」
 だがナギも負けるわけにはいかない。
たとえ相手が希少種で、身体能力が優れていようとも。
こちらはプロなのだ。
視線を向けると同時に、もちろん銃も構えている。
そのまま相手が天井を蹴るのと同時に発砲し。
相手の手足を撃ち抜く、はずだった。
てっきりそのまま天井を蹴ってまっすぐにこちらに来ると思ったのだ。
だが隼人の動きは違った。
そのまま天井を蹴り、横っ飛びに飛んだのだ。
完全に重力を無視している。
いや、僅かにではあるが下方向にもベクトルは向いているようだから完全無視ではないだろう。
そのまま一気に壁へと跳び、更に隼人は壁を蹴った。
ようやくそこで意図がわかった。
先ほどまで左右に振りながら走り、銃弾をかわしていた隼人。
それを今度は壁と天井を使って。
三角跳びどころではなく。
前後左右に高さまで使って。
こちらの照準を振ろうというのだ。
それに対応する自信があるかと言えば――。
「ナギさあああああん!」
 そこに飛び込んでくる、虎鉄の叫び声。
「キバトラッ!」
 もちろん隙を見せたりはしない。
隼人から視線をそらさないまま、地面を蹴り後ろに飛ぶ。
視線だけをそらせば、すぐそばに虎鉄が立っていた。
「早かったじゃねえか。」
 本当のところは、来てくれて助かった気分である。
もちろんそんなことは口に出さない。
ナギは余裕綽々、という顔をして見せた。
「ええ、すぐに宝箱があって…でも…。」
 虎鉄は困惑した顔をしてみせる。
その中身に、どうにも納得がいっていないのだ。
「なんでこんなものが宝箱に…。」
 言いながら、それをナギに手渡した。
ただ数枚の、紙。
ナギはそれを受け取って、瞬時にその意味を理解した。
一瞬何故知っているか、と思ったが。
「オジキ、受け取れ!」
 バっと、手にしていた紙――数枚の写真を投げ捨てた。
それははらはらと宙を舞い。
隼人の視線が一瞬泳いだのを確認して、ナギは虎鉄の手を引き彼が飛び出してきた通路へと下がる。
「受け取れって、これ…?」
 例によって作戦会議を見守っていた隼人。
警戒しながらも宙を待っていた一枚を掴み、視線を落とす。
そして数秒後。
隼人がぶっと、音を立てて鼻血を噴出した。
「えええええええ、に、にろさん?!」
 その事態を予測していなかった虎鉄が思わず叫び声をあげる。
その声に押されるように、ゆっくりと倒れこむ隼人。
ナギはあわてて駆け寄り、倒れる前に隼人を抱き寄せた。
「な、なんで…そもそも、この写真なんですか?
自分こんな写真覚えにないんですけど…。」
 事情がわからない虎鉄がナギに疑問をぶつける。
落ちていた写真を一枚拾い、ナギは微笑みながらそれをみた。
そこには赤ん坊の虎と、それを抱き上げるナギの姿が映っていた。
口元に見える特徴的な、下あごの牙。
それは間違いなく、虎鉄の赤ん坊時代の写真であった。
だが普通に考えれば、今一緒にいるナギが赤ん坊の虎鉄を抱くはずもなく。
「まあ…あれだ、合成じゃねえか?」
 もちろん嘘だ。
少し前にあった、ちょっとしたトラブル。
虎鉄が赤ん坊まで若返ると言うそれは、源司と双子の協力でなんとか事なきを得たのだ。
もちろんそのときに写真を撮ったりしたわけではないが、双子はその時の事を知っている。
ならばなんらかの手段で写真を用意するくらい、あの双子には造作もないだろう。
ちなみに、隼人はその時も今と同じリアクションを取っていた。
それを覚えていたから、ナギはこの写真が切り札になると直感したのである。
「み、見事だ…。」
 隼人が半ば白目をむいたまま呟いた。
かなり怖い絵であるが、こればかりは仕方ない。
「虎鉄に…これを…。」
 そういって、隼人が手を差し出す。
どこから取り出したのか、その手の中には青いオーブがあった。
四つ目、である。
「四つ目ゲットー!」
 虎鉄は思わずそれを高々と掲げた。
「で、四つ集めてどうしたらいいんですか?」
「お前、わからないまま集めてたのかよ…。」
 思わずナギが突っ込んだ。
だがまともに会話できる…というか設定を把握しているボスキャラが少なかったのだ。
情報がなかったのだからこれはしょうがない。
「この遺跡から出たところ…地上に、オーブをはめる台座がある。
そこに行けば、魔界への道が開かれるはずだ。」
 なんとも都合がいい…とは思ったが口には出さなかった。
もともとここが魔物が湧く島だという話はあったし、なによりその方が手っ取り早いのは事実である。
どうせゲームなのだ、それくらいのご都合主義はいいだろう。
「もっとも、それで通れるのは一人分だがな。」
「あ、やっぱりそうなんですね。」
 おおよそ予想していたことではある。
今までの流れから、担当エリアが終了すれば仲間は外れるものだと予測できていたのだ。
「キバトラ、どうすんだ。
一度戻るか?」
 ナギに聞かれて虎鉄は考える。
一度戻って態勢を整えるというのは鉄板実際のところ、ここまでまともに戦闘もなければアイテムを使うこともなかった。
ならばこのまま飛び込んでも変わらないだろう。
今までに出会ったみんなも、きっとクリアを待っていることだろう。
「いえ、このまま行っちゃいますよ。」
「そうか。
気をつけていけよ。」
 少しだけ寂しそうな顔でナギは微笑んで。
ちくり、と虎鉄の胸が痛んだ。
だがそうも言っていられない。
ここで暮らすわけにもいかないのだから。
二人はまだふらつく隼人を抱え、三人で地上への道を歩き始めた。




「ここでいいんですか?」
 隼人の案内で三人は魔界につながると言う台座へとやってきていた。
確かに周囲とは違い、円形にぽっかりと木がない広場が広がっている。
その中に立つ、1メートル程の高さの台座が四本。
おそらくこの台座に集めたオーブを設置するのだろう。
「ああ、台座に色指定があるだろ?」
 隼人が台座の側面を指差す。
ナギが屈みこんで石の台座を確認する。
基本は薄い土の色だが、確かにうっすらと赤いラインが入っている。
ここには赤のオーブを、ということだろう。
「こいつは赤みたいだぜ。」
 言われて虎鉄は手の中のオーブを見る。
先ほど手に入れた青に、愁哉と手に入れた黄、源司と手に入れた緑、そして幸四郎と手に入れた赤。
その中から赤を手に取り、虎鉄は石の台座へと歩み寄る。
台座の中央にはいかにもここに嵌め込め、というような小さな窪みがあった。
オーブをもう一度確認するも、向きなどは特にない球状のようだ。
ならば気にする必要もないだろうと、割れないようにだけ注意してそっと窪みへと落とし込む。
 しばらく待ってみたが特に反応はない。
すべて嵌め込まなければ駄目なのだろう。
とりあえず自分が今いた、赤の台座から時計回りに進むことにする。
左前方に見える台座へと歩み寄り、屈みこんで確認する。
ここは、黄色のようだ。
立ち上がり、黄色のオーブを取り出して台座へ。
「キバトラ、こっちは緑みたいだぜ。」
 反対周りに進んだのだろう。
ナギは虎鉄と離れた側の台座にいる。
となると残る一箇所は青。
時計回りに進もうと思ったが、ナギがわざわざ調べてくれたことを考えてそちらを先に嵌め込むこととする。
四本の台座の中央を横切って、ナギがいる緑の台座へと近づく。
黄色を選ぶ際に、緑も出してある。
今回は迷うことなく台座に嵌め込んだ。
最後の一つは先ほど手に入れたばかりの青である。
なんとなくその色を見て、虎鉄は傍に立つナギを見た。
ナギは不思議そうにこちらを見返している。
早くしろ、ということだろうか。
 最後の台座へと向かう。
念のため屈み込んで確認するが、間違いなく青である。
台座を回り込み、それぞれの台座が見える位置へと移動。
そして、ゆっくりとオーブを嵌め込んだ。
「わ…。」
 虎鉄は思わず声を漏らした。
たった今嵌め込んだオーブから。
手を引っ込める間もなく、光があふれた。
まるで自分の手の中から発行しているようにも見えて、少しわくわくしてしまう。
視線をあげれば、他の台座も光を放っていた。
それぞれ嵌め込んだオーブと同じ色の光を放ち。
やがてそれは、一筋の線となり、天を貫いた。
そのままゆっくりと台座の中心へと光は傾き。
四本の台座の中心、それぞれの台座から放たれた光が交わる点に。
白い、大きな光の塊を作り上げた。
「すごい、ファンタジーみたい!」
「ファンタジーだろ。」
 虎鉄の言葉にナギが冷静につっこんだ。
だがそんなことぐらいで虎鉄のテンションは下がらない。
そっと光に手をかざし、遮ってみる。
だが青い光は虎鉄の手を貫き、真っ直ぐに進んだ箇所で相変わらず交わっている。
通常の光とは違うもののようだ。
「虎鉄。」
 そうやって遊んでいると、隼人が口を開いた。
まじめな顔で、ふざけている場合ではないと感じさせる表情。
思わず虎鉄は姿勢を正し、隼人へと向き直る。
少しだけ顔が赤くなっているのは、さすがにごまかせないだろう。
「ここをくぐれるのはお前一人だ。
俺もナギ君も付いていくことはできない。」
 覚悟はしていたが、改めて言われると少し緊張が走った。
だがここで怖気づくわけにも行かない。
ラストダンジョン手前でやる気をなくすような、コンシューマーゲームとは違うのだから。
「大丈夫、いけますよ。」
 そう言って虎鉄は笑って見せた。
隼人もそれを見て笑顔を返す。
「あとはラスボスだけだ、気を抜くなよ。」
「キバトラ、負けんじゃえねぞ?」
 隼人の隣に立ち、ナギも笑って見せた。
彼も見送る立場であることを判っている。
それでも、不安そうな顔をしていてもどうしようもないとわかっているのだ。
だからせめて虎鉄を安心させようと、彼は笑って見せている。
「はい、行ってきます!」
 決意が鈍らないように。
虎鉄はそう言って、光の中へと飛び込んだ。




 何がどうなるか、まったく予想はつかなかった。
こんなワープなんかしたことなかったから。
もちろんそんな経験普通はあるはずがないのだけれど。
だから、正直足元がなくなった時には落ちるかと思ったのだ。
「わあっ…。」
 思わず声を出したものの落下するような感覚はなく、むしろ浮遊感に包まれて。
不安感よりも、安心感に包まれた。
すぐに周りを見る余裕も生まれ、周囲に視線をめぐらせる。
だが回りはただただ白いだけで、触れるものも見れるものもない。
 いや。
真っ直ぐ正面に、小さい何かが存在した。
手を伸ばしてみるも、まったく触れることはできない。
だがすぐに間違いに気づく。
触れられないのではない。
届いていないのだ。
比較物がないから、てっきり近くに小さいものがあると思っていた。
だが手を伸ばして気づく。
あれは非常に遠いのだと。
 そう気づいた瞬間から、それは加速した。
はるか遠くにあったそれは色の違う光だと判り。
それが一気に広がっていく。
まるで窓から見るように凝縮された景色。
暗く染まった空、不安定な大地の色、そして鬱蒼と茂る木々。
妙に暗さを感じさせる光景だった。
なんとなく不安を掻き立てる風景で。
あれが魔界なのだろうと、思い当たったのだ。
「わっ!」
 急激にその光景が広がり、虎鉄を包む。
白い光から急に色のついた光が広がって。
虎鉄はその眩しさから思わず目をかばう。
しばらく経って目も慣れた頃。
虎鉄が腕を下ろすと、見たこともない暗い森の中に立っていた。
「ここが魔界かあ…。」
 先ほど見た風景そのままである。
暗雲垂れ込める空には日の光が乏しく、草木が生い茂るはずの大地もなんだかしんなりとしていて元気がない。
木々は空を隠し、さらに虎鉄の周囲を暗くさせる。
本当に、不安定な感情を掻き立てる場所だった。
だがここを乗り越えれば最後のボス。
いわゆるラスボス戦。
気合も入ろうというものである。
「えーと、進む方向は…こっちかな?」
 森の中に放り出された虎鉄であるが、露骨に道が開けている方向があった。
おそらくこちらに進めということだろうと、虎鉄は歩き始める。
今まで歩いてきて、その辺りは素直であることを知っているのだ。
 ひとまず見方は見当たらないし、特に情報収集できそうなところもない。
歩きながら虎鉄は少し考えることにした。
まずラスボスの正体である。
今まででNPCではなかったのは8人。
味方として登場した愁哉、源司、幸四郎、ナギ。
ボスとして登場した文彦、大輔、新郷、隼人。
すべて虎鉄と親しい人物である。
ならばラスボスといえば。
 真っ先に思いつくのは虎鉄の父親。
鬼頭鉄志である。
有名俳優、石蔵鉄志として世に知られている彼であるが、意外と子煩悩なところがある。
虎鉄のために、といわれればそれこそ悪役でもなんでも引き受けるのではないだろうか。
 他に思いつくのは、彼の祖父。
鬼頭虎伯である。
ちょっとした事情があり、虎鉄は虎伯のことをきちんと覚えていられない。
だが自分の祖父がそういった名前であること、覚えていられないことを彼は認識している。
だから、ラスボスとしては彼は適任な気がした。
 そしてもう一人。
虎伯の部下であり角のない鬼種。
石動鷹継である。
もっとも彼は虎伯の部下としての印象が非常に強い。
なのでどちらかと言うとラスボスというよりは幹部としての登場が濃厚な気がした。
 もう一つ気になるのは、以前入手した情報。
以前旅立った勇者の話である。
半分忘れかけていたが、ラスボスに関して思いを巡らせるうちに思い出したのだ。
旅立って、負けたかどうか詳細は不明だが居なくなった勇者。
ここまでにその足跡らしきものは見当たらなかった。
ならばこの先にそれがあるのだろうか?
だが王道RPGならば、敵として出現してもおかしくない気がする。
そう考えると先ほどの三人は全員敵でもおかしくないのだろう。
だがここに来てボス格三人を一人で倒すのも厳しい話だ。
ここまでのボスキャラはすべて仲間たちと倒してきたのだから。
そう考えると勇者は味方だろうか。
「うーん…わかんなくなってきたな。」
 せめてボスキャラが誰なのかわかれば、今までのように対策の練り様もある気がしたが。
冷静に考えれば、彼らの弱点などあまり思い浮かばない。
ならもう、誰かが出てくるまで歩けばいい気がした。
 ふと顔を上げれば、既に森の切れ目まで来ていたようで。
視線の先には、大きな城が見えていた。
「わー、魔王城!」
 おどろおどろしい雰囲気はいかにもといった風情である。
だが気分的にはアトラクションを見に来たようなものだ。
お化け屋敷ほど不気味な雰囲気があるわけでもない。
しかも出てくるのが知り合いであると、半ば確信を得ているのだ。
いまさら怯えることもないだろう。
虎鉄はむしろ少し足取りを軽くしながら、崖の上にある城へと走り出した。




 それから数十分後。
虎鉄は大きな城の、大きな扉の前に立っていた。
見上げるほどに大きな門には、これでもかというほど蔦が絡み付いている。
いかにも古城、という雰囲気を演出したいのだろう。
 だがいつまでも見上げていても話は始まらない。
ともかく中に入ろうと、大きな扉に手をかけた。
重いのかと思い気合を入れていたが、どうもそれほど重いわけではなかったらしく。
あっさりと扉は開いた。
音だけ妙に重厚な音を立てていたりするあたり、これも演出なのだろう。
「お邪魔しま〜す…。」
 中を覗き込み、誰も居ないことを確認してからそっと足を踏み入れる。
石造りの床に、くすんだ色の長い絨毯。
太い柱と高い天井。
なるほど、暴れるには最適である。
だが周囲を見渡しても誰かがいる気配はない。
とにかく先に進むべきだろう。
幸い左右に道らしきものもない。
正面に進んでいけばいいだろう。
「誰もいないのかなあ…?」
 ラストダンジョンのつもりで乗り込んできた虎鉄。
てっきり魔王の部下となる雑魚敵が大量にいると思っていたのだが。
確かに全体のつくりとしては、雰囲気を優先しておりレベルなどの要素もほぼカットされている。
実際これでレベル上げなどを求められていてはさらに数日要していただろうから、その辺りのバランスはさすがというべきかも知れないが。
 そんなことを考えながら、一つの扉にたどり着く。
入り口から伸びていた絨毯どおりに真っ直ぐ進んだ先にあった、唯一の扉だ。
虎鉄はそれも迷わずにあける。
もう不意打ちなどはないと判断してのことである。
 部屋の中は、礼拝堂のようだった。
大量に並ぶ備え付けの椅子。
天井近くにはしっかりとステンドグラスがあり、正面には十字架まで飾られている。
少々荒れていることを除けば、そこは紛れもなく礼拝堂だった。
ただ、そんなことは正直どうでもよかった。
 中央にある十字架に、磔のように縛り上げられている自分の父親が。
長いグレーの頭髪を持つ、裸の虎獣人が。
虎鉄の冷静さを奪っていた。
「父さん!」
 言いながら駆け出す。
地面を強く蹴り、体勢を低くして一気に距離を詰める。
もちろんその間も、父である鉄志から目を離すことはない。
僅か十数メートルの距離である。
本気を出した虎鉄にとっては一瞬だった。
あわてて下着一枚の父親の足に飛びつく。
その段階で、どうやら磔というよりはそこに「居る」だけであるらしいことに気が付いた。
てっきり縛られているのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
怪我をしないようにという配慮なのだろう。
それに気が付いて、虎鉄は少しだけ冷静さを取り戻す。
だが父親が意識を失っていることには変わりないのだ。
ともかく何とかして下ろそうと、父親と磔にされている十字架を探り出す。
「ふっふっふ…。」
 突然、どこからか笑い声が聞こえた。
だがこのシチュエーションである。
虎鉄は迷わず振り向いた。
「虎鉄様、飛んで火に入る夏の虫、でございます。」
 恭しくお辞儀して見せたのは。
角のない鬼種。
長身で、がっしりとした体つき。
笑っていたはずなのに、何を考えているかわからないレベルの無表情。
石動鷹継、その人である。
「鷹継さん!」
「申し訳ありません虎鉄様、そろそろこちらでゲームオーバーになって頂きたく存じます。」
 おそらくは敵幹部なのだろう。
妙に露出の高いビキニアーマーに、マントだけという出たちで。
彼はそんなことを宣言した。
 ゲームオーバー。
そういえば、そういったシステムがあるのだろうか?
今までは誰にも説明されてこなかったし、誰もそれを狙ってこなかった。
具体的な話を持ち出したのは鷹継が始めてである。
「ゲームオーバー…ですか?」
 探るように呟いてみる。
「はい。
ここから先、虎鉄様が勝負事において負けますと、ゲームオーバーになるシステムでございます。」
 予想通り、鷹継は淡々と説明をしてくれた。
だがそれは厳しい話でもあった。
今、鉄志を後ろに背負った状態で逃げ出すわけにも行かない。
だが鷹継の頭が切れることも、運動能力が高いことも知っている。
まともに正面からぶつかって、勝てる自信などなかった。
「さあ、武器をお取り下さい。
でなければ、前代勇者であるお父上のようになってしまいますが?」
 言いながら鷹継は歩み寄ってきた。
マントをはためかせながら歩く姿は様になっている、と言うべきだろう。
たとえその下がほぼ下着姿であったとしても。
 虎鉄は歯噛みしながらも、腰に下げたナックルダスターを装着する。
鷹継を殴りたくはないが、そもそも殴れるかどうかが問題である。
「それでは参ります。」
 数メートルの距離で足を止めた鷹継。
そのまま片手をあげ。
彼の周囲に、いくつかの光の玉が現れた。
一瞬困惑するものの、魔術を使ったのだろうと予想が付く。
普段なら横にでも跳びかわすところであるが、今は後ろに守るべき父親がいる。
(打ち落とす…!)
 鷹継を直接、という話でなければ気も楽だ。
虎鉄に向かって飛び来る光弾を正面から殴る。
どん、と思い音とともに光は消えた。
幸い武器もあるから、こちらにはダメージは通らないようだ。
安心して、ニ発目、三発目と殴り落としていく。
「さすが、でございますね。」
 言って少しだけ口角を持ち上げる鷹継。
おそらく、笑ったのだろう。
あげていた右手をそのままに、左手も同様に虎鉄に向かって突き出して。
それと同時に、彼を取り巻く光が倍に増えた。
「んな…!」
 思わず焦るが、失敗は許されない。
数が倍になっても、虎鉄は焦らず向かってくる光弾を一つずつ殴っていった。
だが少しずつ、反応が遅れていく。
どん、どん、と鈍く響く音が少しずつ近づいていて。
それは虎鉄を少しずつ追い詰めていた。
 殴りながら、虎鉄は考える。
相手はほぼ無限に打ち込んでくる。
ならばどこかに隙を見つけて、大本である鷹継に挑むべきだろうか?
勝てる勝てないは置いておいても、やはり難しい。
この光弾を避けて前にいくことはたやすい。
だがその場合、後ろにいる鉄志に当たることとなる。
とはいえ、すべてを打ち落としながら前に行くことも困難である。
ただ立っているだけでじわじわと押されているのだから。
 今までのボスキャラのように、動揺を誘うことはできないだろうか。
それも考えてみたが、やはり思いつかない。
たとえばここで虎鉄が脱いだところで、鉄志は反応があって微笑む程度だろう。
正直彼にその辺りで勝てる気はしないのだ。
 ならば彼が弱い部分といえば。
やはり主である虎鉄の祖父、虎伯である。
鷹継は、彼に忠義を誓う、というレベルだ。
ならば祖父の命令といえば引くだろうか?
それもNOである。
彼が祖父の命令を知らないなど考えられないからだ。
「そろそろ、とどめ、でございます!」
 鷹継が印を切るように手を動かし。
それと同時に、彼を取り巻く光の玉が数十倍に数を増やす。
「…!」
 打ち落とせるわけが、ない。
そもそもこれでは避けることもできまい。
最後の手段を使うしか、なかった。
(ごめんなさい…!)
 心の中でしっかりと謝って。
「お…」
 目を強く閉じ。
意を決して。
「おじいちゃんなんか、大嫌いだあああああああああっ!」
 虎鉄は、叫んだ。
まるで時間が止まったように。
空間が凍りついたように。
全てが固まっていた。
 ゆっくり目を開けると、珍しく驚いた表情の鷹継。
彼の周りに、先ほどまで輝いていた光の玉も消え。
「…失礼いたします。」
 鷹継は踵を返すと、全力で走り去った。
おそらく判っているのだろう。
孫にあんなことを叫ばれて。
彼の主が、どれだけ落ち込んでいるかを。
 半ば賭けだった。
彼の上司、つまり魔王が虎鉄の祖父であること。
そして虎鉄たちの様子を伺っていることが前提での言葉であったのだ。
だがその条件を満たしていれば。
おそらく落ち込んだ虎伯の元に、鷹継が駆けつけることは明白だった。
 だが正直、罪悪感が半端なかった。
そもそもただのゲームなのである。
たとえゲームオーバーになっても、言うべきではなかったのではないかという思いが強かった。
「おじいちゃん、ごめんなさい…。」
 思わずうなだれてそう呟いた。
顔を合わせたら、もう一度きちんと謝ろう。
そう固く決意して。
ほぼ同時に、突然後ろからのしかかられた。
「うわっ!」
 あわててそれを受け止める。
振り向くまでもなく、判っている。
父、鉄志が落ちてきたのだ。
なんとか落とさないように彼を受け止め、ゆっくりと床に横たえる。
白ブリーフ一枚なので、あまりさまにはならないが。
 さて、どうするべきかと悩む。
ひとまず、息があることを確かめて。
そのまま額をこすりつけてみた。
いつもの親子コミュニケーションである。
鼻を舐め、額を頬をこすりつけ、口元を舐め…。
気が付けば、鉄志からもコミュニケーションが返ってきていた。
「父さん、気が付きました?」
「ああ…うむ…。」
 まるで朝起きたときのように、反応が鈍い。
彼、鬼頭鉄志は朝に相当弱いのだ。
休みの日など、放っておけばいつまでも寝ているのである。
起こしても布団に包まり、洗面所に連れて行けば洗面台にもたれかかり、朝食を並べれば椅子に座ったまま。
とにかく意地汚く眠り続けようとする。
さすがに今回もそうされてはたまらない。
「父さん、起きてください!
仕事ですよ!」
 無理やり起こしながら、耳元で叫んだ。
さすがに責任感からだろう、鉄志は目をこすりながら立ち上がる。
「む…そうだったか…。
着替え、着替え…。」
 完全に寝ぼけながら立ち上がり、周囲を探っている。
そういえば鉄志の服はないのだろうか?
そう考えて十字架の根元の辺りを探ってみる。
案の定、鉄志用の着物と、愛刀である「天橋立」が隠されていた。
「さ、これ着てください。」
「うむ…。」
 ようやく少しずつ覚醒してきたようで、着物を渡せば自ら袖を通した。
帯を締め、腰に刀を帯びる。
「…ここはどこだ?」
 ようやく、自分の置かれた立場に気づいたらしい。
それでもここが何処か判ってないあたり、まだぼんやりとはしている様で。
「魔王の城ですよ。
覚えてません?」
 聞きなれない単語に鉄志は首をひねり。
しばらく悩んだ後、ぽんと手を打った。
ようやく思い出したようである。
「そういえばなんとかいうゲームに参加してくれ、という話だったか。」
 言って腰の刀に手をかける。
右手で柄を握るのではなく、左手の肘を乗せ手のひらで柄尻を押さえる形である。
「私は、虎鉄と共に戦えばいいのだな?」
 鉄志の目が鋭く光る。
今目の前に立つのは、いつものだらしない日常をおくる父、鬼頭虎鉄ではない。
世界的に有名な大物俳優、石蔵鉄志である。
「はい、お願いします!」
 虎鉄は嬉しくなって力を入れて答えた。
父と二人、並んで礼拝堂の出口へと歩く。
今なら、誰が来ても勝てる気がした。




 鷹継が、どこへ走っていったのか虎鉄は気になっていた。
彼が帰っていったのは虎鉄が礼拝堂へ入ったのと同じ扉である。
つまり、あそこから出ても虎鉄が見たままであれば、外へと通じる扉しかないはずなのだ。
では彼はどこへ消えたのか?
礼拝堂から出て、その疑問には納得がいった。
 先ほど虎鉄が通ってきた赤い絨毯。
その上に、なかったはずの階段が出現していたのだ。
おそらく鷹継を撃退すれば出現することになっていたのだろう。
 鉄志と視線を交わし、小さく頷く。
二人とも、準備OKという合図だ。
一気に階段を駆け上がり、二階へと躍り出る。
そこは一階同様、石造りの床と赤い絨毯があるだけの部屋。
違いといえば、奥に階段が見えることだろうか。
 だが何よりも。
部屋の中央に、鷹継が立っていた。
先ほど同様、何も感情を読み取れない顔で真っ直ぐに立っていた。
「あ、鷹継さん…。
その、おじいちゃん大丈夫でした?」
 思わず虎鉄は聞いてみる。
正直、心配でしょうがないのだ。
「はい、何とか立ち直っていただけました。
最初に部屋に入った時には、石の床に沈みこむかと思うほどに凹んでおられましたので。」
「そこまで!?」
 思わず声を荒げる虎鉄。
物理現象すら無視するほどに倒れこんでいるとは思わなかったのだ。
「ですが、先ほどの手はもう通用いたしません。」
 そう言って鷹継は構える。
おそらくその言葉は本当だろう。
鷹継が、同じ手に対策を打たないはずがないからだ。
虎鉄は武器を手に取り、握りこむ。
今回は父、鉄志がいる。
二人でのコンビネーションをどれだけ行えるかが重要だろう。
 だが、鉄志の考えは違ったようだ。
刀に手を置いたまま、鉄志は横目でこちらを見ている。
「鷹継君。」
 鉄志は視線を前に戻し、ゆっくりと口を開いた。
まさに貫禄十分である。
「虎鉄に、手を上げるというのか?」
 ゆっくりと、だが重みのある声で。
彼はそう問うた。
「こうしてゲームの障害となることが虎鉄様の楽しみと存じます。
ゆえに、手を抜かず戦わせて頂いております。」
 迷いなく答える鷹継。
もちろんゲームとして手を抜かれることは虎鉄も本位ではない。
鉄志がこちらに視線を送っていることに気が付いて、虎鉄は頷いた。
純粋なバトルとなると迷うのは事実ではあるが、障害としてしっかり存在してほしいこともまた確かである。
「そうか…。
それならば、私も虎鉄の仲間として全力で応じよう。」
 珍しく…、いや正確には虎鉄が知る限り初めて。
鉄志が、全力で戦うことを決めた瞬間だった。
 あふれる覇気。
いや、闘気か剣気と呼ぶべきかもしれない。
押し出されるような感覚と、体中を切り刻まれるような錯覚。
感覚が鋭いゆえに、虎鉄にはそれが手に取るように判った。
これは一歩間違えば、殺意である。
 しゃん、と小さく音がした。
鉄と鉄をこすり合わせるような音。
その意味を理解したのは数秒後。
鉄志と鷹継の足元の床を含めて、床が大きく崩れだした瞬間である。
「父さん!?」
 思わず声を上げる。
だが鉄志は振り返り、小さく笑い。
「彼は私に任せなさい。
お前は、世界の希望を担う勇者なのだろう?」
 つまり。
これは彼なりの「ここは俺に任せて先に行け」である。
格好良かった。
これが父の背中なのだと。
大切なものを守る、男の背中なのだと。
虎鉄は全身で感じて。
「はい!」
 下の階に落ちた鉄志に聞こえるよう、大きく叫んだ。




 二人は距離を変えぬまま、1階に着地する。
足元を見ぬまま、見詰め合ったまま。
二人は無言で対峙した。
互いに、一切動かない。
見詰め合ったまま数秒――数分。
先に口を開いたのは鷹継だった。
「居合い、ですか。」
 足元を見る。
二階の床だったものは、鋭利な刃物で切られた石鹸のような断面だ。
鉄志はあの瞬間で、間合い外の床を切って見せた。
それも鷹継と虎鉄を避けて、刀身を見せぬ速度で。
人間業ではない、と断言できる。
だがありえないことではない、ともいえた。
鉄志の父は、鷹継の主である虎伯なのだ。
それならばそんな無茶もやってのける気がした。
 だが鉄志は答えない。
彼は既に役に入り込んでいるのだ。
いつもの鉄志なら、知り合いと戦うなどできるはずもない。
だが今は息子のために、ここで彼を足止めしなければならないのだ。
だから彼は、演技をすることに決めた。
 彼の演技は、世界に通用すると言われている。
だがそれは正確ではない。
彼は自分を変えて、世界に受け入れられているのではなく。
世界を変えて、自分を広げるのだ。
出力を変えるのではなく、入力を変える。
入ってくる感覚刺激を可能な限り拡大解釈し、自分にとっての世界を歪ませて。
その上で、自分の望む世界を作り上げる。
求める結果から、逆算する。
歪められた情報と、それに対応する自己の感覚と感情。
結果から逆算されたその反応は、外界から見れば演技に他ならない。
だが、芯は常に変わらない。
何をしていようと、彼は鬼頭鉄志なのだ。
息子を愛する一人の父。
その父が。
息子の敵に、刀を抜くことをためらうはずがない。
そして、楽しく談笑するはずもないのだ。
 返答がない意味を理解して、鷹継は再び構える。
虎鉄にしたように、手を突き出し魔術を発動させる。
だが、それとほぼ同時。
いや、むしろそれよりも先に。
鉄志の手が動く。
しゃん、と小さくなる鉄の擦れる音。
そして突き出される鷹継の腕。
彼の周りに光の玉が生まれ。
それと同時に、一気に霧散した。
「…。」
 鷹継も、ある程度は予測していた結末である。
だが反応速度は予想よりも速かった。
対象が、目標が発生する前に鉄志は刀を振るったのである。
ともかく、飛び道具は通じないと鷹継は判断し。
纏っていたマントを脱ぎ捨てた。
ばさりと音を立てて地に落ちる。
武器は持っていない。
普段であれば銃を持っているが、今回はファンタジー世界ということで魔術を選択したのだ。
それが通用しないとなれば、素手しかない。
刀よりもリーチが短いゆえに、居合いの刃を潜り抜け至近距離に。
接触距離に、入らねばならない。
 と、そこまで鉄志は考えていた。
鷹継がそう考えて、その通りに行動してくるだろうと。
だから次に自分がすることは居合いではなく。
接触できる範囲に対する攻撃である。
二人の距離はわずか数メートル。
鷹継の足なら3歩といったところだろう。
 ぐっと鷹継の姿勢が低くなる。
これから突っ込んでくる、ということだ。
駆け出す準備。
だがもちろん鵜呑みにしたりはしない。
あらゆる方向へのフェイントが考えられるからだ。
考えうる全ての可能性を検討し、全てにおいて対策を打つ。
常人には不可能なそれも、世界が広がっている鉄志には可能である。
仮想世界の全てを見、仮想人格の全てが動く。
並行して働けば、なんてことのないシミュレーションだ。
そしてその上で。
鉄志は、鷹継が真っ直ぐに突っ込んでくると判断していた。
 爆発するような勢いで、鷹継が一歩を踏み出した。
彼の脚力なら、数メートルは一歩でつめられる距離でもある。
だがそうしないのは、多様性を持たせるためだ。
最速で距離を詰められる歩数と、可能な限り増やせるフェイントの数。
その兼ね合いで最も効率的なのが、鷹継の場合は三歩なのである。
一歩で半分の距離を詰める鷹継。
まだ姿勢は前傾のままだ。
そのままぐっと下肢に力をこめ、二歩目を踏み出す。
 それに合わせて鉄志は前に跳んだ。
鷹継の二歩目と三歩目の間を目指して。
もちろん手を愛刀「天橋立」にかけることも忘れず。
鷹継もそれは予想の内で、決して焦ることはない。
共に駆け出した二人の雄。
二人は刹那の瞬間で交錯する――はずだった。
 前に跳んだはずの鉄志が。
二歩目を踏み出した鉄志が、その途中で後退するまでは。
間違いなく踏み出したはずの二歩目は、二歩目として完成する前に強引に後ろに引き戻され。
時を巻き戻すかのようなその動きは、鷹継にとってタイミングを逃すのに十分だった。
強引な巻き戻しと、強引な早送りで鉄志の姿は前後にぶれて。
振りぬかれた鷹継の腕の上を。
一秒にも満たぬ僅かなその道を。
彼は駆け上った。
皮膚から触れた感覚を。
筋肉から乗られた重みを。
彼の脳が感じ取る前に。
鉄志は彼の首に脚を絡ませ、体を跳ね上げ。
勢いだけで、鷹継を投げ飛ばしていた。
 だが鷹継も負けるわけにはいかなかった。
ずっと勝ち続けることだけで生きていく世界の男だった。
だから脳に情報が到達する前に。
彼は直感だけで、受身を取っていた。
 どこまで予測していたのか、その頃には鉄志は既に離れ再び距離をとっている。
鷹継も一度後ろに下がり、態勢を整えた。
鉄志は再び刀に手をかけ、居合いの状態へと移っている。
 鉄志には、鷹継を殺すつもりはない。
彼の仕事は足止めなのだ。
ここで鷹継に勝利し、虎鉄を追いかけるという方法ももちろんある。
だが簡単に勝てる相手でないことは判っていた。
だからこそ。
彼は、鷹継と戦い続ける道を選んだのだ。
勝つのではなく、負けない戦い。
それこそが、息子の願う戦い方だと信じて。




 虎鉄は走っていた。
父鉄志と、鷹継のどちらが強いかなど考えたこともない。
だが先ほどの様子を見る限り、鉄志が簡単に負けることはないだろう。
それでも万が一ということもある。
逆に、鷹継が傷つくのも避けたい。
ならば。
自分が、このゲームをクリアするのが一番の方法に違いないのだ。
 どれだけの階段を駆け上がっただろうか。
彼の目の前には、一際豪奢な扉が姿を現していた。
「たぶん、この奥に…!」
 考えられるのは一人だけ。
鷹継の反応を見ていても間違いない。
この扉の向こうにいる人物は。
 ゆっくりと扉を開き。
そして中へと足を踏み入れる。
部屋の中央にある大きな玉座。
そこに座る人物こそ。
小柄な体躯に金色の髪。
青い瞳の虎獣人。
「虎伯…おじいちゃん。」
 鬼頭虎伯、その人である。
「よくきたな、虎鉄たん!」
 思わず虎鉄はずっこけた。
シリアスな魔王登場のシーンで、その呼び名を使われるとは思わなかったから。
なんとなく、話を続けづらくなって虎鉄は一瞬口ごもる。
だがすぐに言わなければいけないことを思い出した。
「あ、さっきはごめんなさい!
大嫌いなんて、嘘ですから!」
 鷹継を追い返すために、利用した形になってしまっていたことを。
虎鉄は先ほどからずっと気にしていたのだ。
びくん、と虎伯の体が怯えたように跳ね上がった。
一瞬のことだがそれを見逃す虎鉄ではない。
「い、いやいいんじゃよ。
虎鉄たんが鷹継を追い払うには確かに有効な手じゃった。」
 目を閉じ、ふるふると首を横に振る虎伯。
まるで自分に言い聞かせているようで。
虎鉄は思わず歩み寄った。
考えてのことではない。
無防備に、それこそ家族に歩み寄る動きで。
彼は琥珀を抱きしめた。
「ごめんね…。
大好きだよ。」
 小さな体を抱きしめて。
強く、強く。
自分らしくなかった言葉を悔いて。
傷つけたことを恥じて。
大切な気持ちを伝えるために。
彼は強く、強く抱きしめた。
「虎鉄たん…。」
 ぎゅっと、虎伯も力を込めてくる。
魔王の玉座という、不釣合いな場所で。
二人は、互いの絆を確かめ合った。
虎鉄に虎伯の記憶がなくても。
虎伯が、虎鉄に触れることを恐れても。
二人は正真正銘、祖父と孫なのだと。
互いを大切に思うもの同士なのだと。
肌で、感じあったのだ。
「おじいちゃん。」
 虎鉄の言葉に、琥珀は顔を上げる。
「魔王なんて、もうやめましょう。
もうゲームはおしまいです。
みんなで帰って、打ち上げでもしましょう。」
 そう言って微笑む虎鉄。
虎伯もそれに笑顔で答えて。
その瞬間に、彼は色を失ったのだ。




「え…?」
 あまりといえばあまりのことに、虎伯は言葉を失った。
目の前で、一人の獣人が突然白黒になってしまったのだ。
言葉を失いもするだろう。
一体何が起こったのかと、周囲を見回す。
そして気づいた。
その現象は決して虎伯だけに起こっているわけではないことを。
虎鉄以外の全てに、起こっているのだと。
「おじいちゃん…?」
 肩に手をかけ揺すってみるが、表情はおろか視線すら動かない。
完全に停止していた。
『無駄だ。』
 エコーがかかったような声が聞こえた。
後ろから聞こえた声に、虎鉄はあわてて振り返る。
そこに立っていたのは。
バンダナを巻き、胴着を着た鬼牙をもつ虎獣人。
見間違うはずもない。
30年以上に渡って付き合ってきた、自分の顔だ。
それが今、目の前にいる。
『今、この世界は俺とお前以外は全員止まっている。
ああ、それとこいつらもだ。』
 エコーがかかった声は、なんだか別人のように感じて。
意味を理解するのにも、一瞬の間が必要となった。
もう一人の自分が視線で示す先を見れば。
彼の足元には、見慣れた竜人が倒れていた。
このゲームを造った、双子の竜人。
波威流と弩来波である。
ゲーム製作者のはずの二人が何故こんなところに転がっているのか。
いや、考えるまでもない。
目の前の「自分」にやられたのだ。
「お前…何者だ!」
 虎鉄が叫ぶ。
本当なら直ぐにでも殴りかかりたいところであるが。
目の前の彼らは、掛け値なしに「神」なのだ。
この世界を作ったという意味でも、土地神の弟という意味でも。
その二人をこのような目に合わせた相手。
警戒しても、し足りないくらいだ。
『大河原虎鉄。
知ってるだろ?』
 そういって彼はにやりと笑って見せた。
それはまるで、少し昔の。
高校の頃の自分を見ているようで。
はらわたが煮えくり返る思いであった。
『まあ区別したいなら好きに呼べよ。
黒虎鉄でもブラックでも。』
 そう言って彼はおどけて笑って見せた。
自分の顔で、そんな表情を取って欲しくない。
「二人を放せ…!」
『おいおい、俺は別に縛り上げたりしてるわけじゃないぜ?
こいつらがいつまで経っても起きねえだけさ。』
 まるで自分は悪くない、と言わんばかりの口ぶりである。
虎鉄は腰に下げていた武器を手に、構えを取る。
『俺に勝てると思ってるのか?』
 言いながら彼も同じように構えてみせる。
それは寸分たがわず自分と同じもので。
まるで鏡を見ているようでもあった。
それがゆえに判る。
このまま殴り合っても、自分が勝てないだろうことが。
それでも。
どんな理由があっても。
目の前の友人を助けない理由には、ならない。
「うおおおおっ!」
 肉体のリミッターを外し、十メートル以上あった距離を一瞬で詰める。
常人であれば、ほぼ瞬間移動に見えたことだろう。
それでも彼は簡単に反応して見せた。
まるで、こちらの考えがわかっていたかのように。
小さく飛び上がり、体重を乗せた一撃を振り下ろす。
だが彼は虎鉄の腕に手を添えて、少し横にずらすことで攻撃を回避してみせた。
続いての蹴り上げも、軸足をとられバランスを崩される。
全て攻撃が成り立つ前に、つぶされているようで。
「くそっ!」
 苛立ちから思わず悪態をつく。
もちろん彼はそんなことお構いなしににやにやと笑っていた。
『どうした、その程度か?』
 完全に虎鉄の動きは読まれていた。
正しく言うのであれば。
思考が読まれているのだ。
 だから、虎鉄が今考えていることもきっとばれているのだろう。
『こいつらか?』
 足元に転がっていた双子の首を掴み、持ち上げてみせる。
「離せッ!」
 殴りかかる虎鉄を難なくいなし。
『ほらよ。』
 彼は、手にしていた双子。
波威流と弩来波を投げてよこしたのだ。
慌てて虎鉄は二人を抱きとめる。
二人ともを綺麗に抱きとめることは困難で、なんとか落とさないようにするのが精一杯だった。
「波威流、弩来波!」
 虎鉄の声に、一人が目を開く。
「…波威流。」
「正解…。」
 虎鉄の言葉に、波威流は弱々しくも笑って見せた。
精一杯の強がりなのだろう。
一人で起き上がることすら、できていないのだから。
「アレは…なんなんだ?」
 虎鉄の言葉に波威流の顔が少し曇る。
いたずらを咎められた時のように。
言いにくいことをしゃべる時のように。
「…バグ、なんだ。
主人公以外に、ボスと味方を設定してたんだけど…。
こてっちの枠まで造っちゃってた。
だから、空いた枠にもう一人こてっちができちゃったんだ。」
 つまりはプログラムの段階でミスしていたということだ。
双子らしくもない、単純なミス。
人数を、カウントしそこなったのだ。
いつもの面子を数えて、そのまま特殊なキャラクター枠を作って。
「じゃ、じゃあプログラムを修正して消しちゃえば…。」
 虎鉄の言葉に波威流は首を振る。
「駄目だよ…。
『大河原虎鉄』を消しちゃったら…こてっち本人まで。」
 言葉を切る波威流。
だが言いたいことはそれで十分に伝わった。
自分までもが、巻き込まれてしまうというのだ。
だからバグに気づいても、双子はどうしようもなかった。
目の前に現れても、倒すことなんてできなかった。
それはそのまま、虎鉄を倒すことに繋がるから。
「こてっち…。」
 少し離れたところから声がした。
弩来波も、目を覚ましたのだ。
「弩来波、大丈夫?!」
 振り向き、片手で波威流を抱えたまま弩来波を抱え起こす。
片手ずつという無理な姿勢ではあるが、先ほど受け止めたときに比べればなんて事はない。
 虎鉄の言葉に弩来波は頷いてから口を開く。
「こてっち、逃げて…。
たぶんアイツは、こてっちと…本物の『大河原虎鉄』と入れ替わるつもりなんだ。」
 その言葉に虎鉄は顔を上げて彼を見る。
彼は…どこか暗い色をしたもう一人の虎鉄は。
ずり下がったバンダナから、覗かせるように。
冷たい目をじっとこちらに向けていた。
口元にだけ、小さな笑みが浮かんでいる。
自分がここまで黒い表情ができるなんて、思いもしなかった。
鏡だなんて、冗談ではない。
こんなにも似ない鏡があってたまるものか。
「大丈夫、ちゃんと勝つから。」
 そう言って、虎鉄は二人をそっと地面に横たえた。
だが波威流は必死で体を起こし、虎鉄の足を掴もうとする。
だがその手は少しだけ。
指先だけが、胴着の裾に触れるのみで。
戦いへと向かう虎鉄を止めることは、できそうになかった。
「うおおおおおおっ!」
 一気に間合いをつめ、真正面から殴りかかる。
その拳に拳をぶつけ、二人の攻撃は弾かれる。
それでも迷わず、虎鉄は第二撃を。
相手も迎え撃つ拳をぶつけ合う。
 虎鉄は、何が何でも相手を倒さねばならない。
だが相手は自分だから、どうあっても自分の考えは読まれてしまう。
ならば、最初から考えない。
考える暇もない距離で、考えもなく拳を振るう。
相手もそれは判っているから。
相手もそこは自分だから。
真っ向から受けてくると思ったのだ。
後はただ。
全力を振るうだけだ。
『おい。』
 殴る手を止めぬまま、相手が口を開いた。
もちろんそんなことぐらいで、虎鉄は手を止めない。
『これで勝てばいい、なんて思ってるんじゃないだろうな?』
 耳を傾けてはならない。
相手が喋ることなんて、自分を動揺させるための発言に決まっているからだ。
『言っとくが、この勝負にお前の勝ちなんざねえよ。
俺が勝てば俺はお前になり、お前が勝てば俺たちが死ぬ。
お前はどこまで言ってもお前だが、俺の根っこは所詮空っぽだからな。』
 聞かない。
聞こえない。
相手の言葉なんか、信じない。
 虎鉄の拳が、相手の肩を捕らえた。
それと同時に、虎鉄の左肩に走る鈍痛。
鈍器で殴られたような、鈍い痛み。
「…!」
『ほら、な?』
 虎鉄の表情が一瞬歪んだのを見て、にやりと笑う。
だけど。
それでも。
「それでも、お前なんかを野放しにはできねェんだよ!」
 虎鉄が叫ぶ。
相手が自分に成り代わったら。
こんな表情を平気でするヤツが自分になったら。
自分の周囲に、一番迷惑がかかるのだ。
許さない。
許せない。
だから。
「ぶっ殺してやる!」
 たとえ死んでも。
刺し違えることになっても。
「うおおおおおおっ!!」
 相手の拳を相殺するのをやめ。
彼の拳を胸に受けながらも。
息を止め、右拳を振りぬいた。
その一撃は相手の顎を捕らえ。
同時に、虎鉄の世界が揺れた。




『はやく、虎鉄さんを助けに行かないと。』
「愁哉君…?」
 目を開ければ、鎧を着た愁哉が居た。
しっかりと旅支度を整えて、ボスキャラだったはずの文彦を連れて城の中を走っている。
そのままの姿勢で、宙に浮いたままで。
白黒になった愁哉は完全に固まっていた。
『虎鉄さん、きっと世界を救ってくださいね。』
「源司さん…。」
 彼はしっかりと帰るところを準備していた。
虎鉄を追いかけるよりも、帰ってくる場所を確保することを選んだのだ。
彼も戦ったはずの相手、大輔と共にいた。
二人がかりで家の中を片付けて、そのまま白黒になって、固まっていた。
『こてさん…、船に乗っていたのではないのですか…?』
 幸四郎は、船着場に居た。
新郷と二人で、必死で船についての情報を集めている。
そういえば、虎鉄が乗っていた船は海賊に襲われて沈んだのだ。
焦った顔で、二人は顔を白黒にしていた。
『キバトラ、負けんなよ。』
 例の無人島で、台座にもたれたままナギは紫煙を燻らせていた。
まるで任せておけば大丈夫だ、といわんばかりに余裕をもって天を仰ぐ。
その傍らでは隼人も穏やかな笑みを浮かべて座っている。
二人はまるで白黒の絵画のように、動きを止めていた。
『虎鉄、ここは任せておきなさい。』
 未だ刀に手をかけたままで。
鉄志と鷹継は向かい合っていた。
それは達人同士が、一寸も動かぬまま向かい合うように。
色の無い世界で、二人は対峙していた。
『虎鉄たん…。』
 急に消えた虎鉄を探して、虎伯は周囲を見渡していた。
ラスボスであったはずの虎伯は虎鉄と戦わない道を選んだ。
だからひょっとしたら、エンディングに向かったのかもしれない。
その考えがある故に、虎伯は強攻策にでることもできず。
ただ戸惑ったまま、縞馬のように白黒に染まっていた。



 皆に、出会った気がした。
守りたい人たち。
何よりも大切な人たち。
ずっといつまでも、手を取り合って生きていくのだと思っていた。
 でも、だけど。
それが適わないのなら。
一緒に居ることができないのなら。
たとえ自分がどうなっても。
彼らだけは、守りたかった。




 ゆっくりと頭を振り、虎鉄は立ち上がる。
目の前の黒い顔をした虎鉄も、なんとか体を起こした所だった。
虎鉄の拳が相手の顎を捉えたことは覚えている。
つまり、それで相手は脳震盪を起こしたのだ。
ダメージが帰ってくる以上、それは虎鉄自身にも起こる。
短時間ではあるが、二人そろって気を失っていたのだ。
『そろそろ、諦めたらどうだ…?』
 ふらつきながらも、相手は立ち上がる。
虎鉄も負けじと足に力を入れて。
膝が、がくんと折れた。
先ほど殴られたダメージがまだ残っているのだ。
「うるさい…。」
 それでも、声を絞り出す。
負けない。
負けられない。
「うるさいッ!!!」
 可能な限りの声で虎鉄は吠えた。
足を上げ、四股を踏むように必死で踏ん張る。
ふらつく全身に力を込める。

 「虎鉄さん。」
 「虎鉄さん。」
 「こてさん。」
 「キバトラ。」
 かけがえのない、仲間がいるのだ。

 「虎鉄。」
 「虎鉄。」
 「虎鉄たん。」
 「こてっちゃん。」
 大切な、家族がいるのだ。

 「こてっち。」
 「虎鉄さん。」
 「大河原。」
 「虎鉄様。」
 守りたい、友達がいるのだ。

 だから。
「お前なんかに、『俺』はやれねえッ!!!!」
 渾身の力を込めて。
虎鉄は、目の前の偽者を思い切り殴り飛ばした。
 同時に虎鉄の胸を突き抜ける衝撃。
口の中に熱い液体が溢れる。
 からん、と乾いた音を立てて何かが落ちた。
おそらく偽者が落としたものだろう。
地面に崩れ落ちた虎鉄の目の前に。
無色透明のオーブが落ちていた。
 愁哉と手に入れた黄色。
源司と手に入れた緑色。
幸四郎と手に入れた赤色。
ナギと手に入れた青色。
そして、五つ目の。
本来あるはずの無い無色透明。
 これを持つことが、ボスの条件だったのだろうか。
わざわざ必要のない透明を作った辺り、その可能性は十分に考えられた。

 だから。

虎鉄は震える手を伸ばす。

 最後の賭けを。

口から溢れる血がゆっくりと広がっていて。

 分の悪い賭けを。

それでも最後の力を振り絞って、手を伸ばす。

 虎鉄は、やってみたくなったのだ。





『ごめんなさいっ!!』
 波威流と弩来波の声が重なった。
二人の視線の先には。
当然のように、不機嫌な顔で佇む虎の顔をした男。
バンダナを巻いた、鬼牙の生えている男。
大河原虎鉄が、立っていた。
「…もうとりあえず、ワザとじゃないからこれくらいでいいけど。
今後はゲームを作ること禁止!」
 これくらい、とはいうものの。
実際は二人に対する説教は、既に三十分に及んでいた。
無事にゲームの世界から戻って、全員をとりあえず幸四郎の道場に集めて。
打ち上げと称した宴会が始まってすぐに、虎鉄は二人を呼び出したのだ。
「はあ〜い。」
 波威流がしょんぼりとした顔をする。
二人とも、虎鉄を喜ばせるためにしたことである。
さすがにこれ以上の説教は可哀想だろう。
「それじゃ、行ってよし!」
「わーい!
兄ちゃ〜ん!」
 虎鉄のOKをもらい、二人は道場へと駆け込んだ。
言葉から察するに、兄である源司の下へと走ったのだろう。
 二人を見送りながら、虎鉄は考える。
今回のゲーム、RPGはあの二人が作ったものだ。
最後の最後に現れたもう一人の虎鉄を、二人はバグと言っていたけれど。
あれは本当にバグだったのだろうか?
 虎鉄が勝った最後の賭け。
それは「バグでできてしまったボス枠に、もう一人の『大河原虎鉄』を設定する」というものである。
虎鉄が足りなくて生まれてしまったのなら、改めて虎鉄を入れてやればいい。
無色透明のオーブという、ボスを設定するためのアイテムと。
幸四郎に渡されていた「大河原虎鉄」の人形を使って。
つまり、幸四郎から預かったぬいぐるみを、ボスとして再設定したのだ。
「虎鉄が足りない」という状況がそれで解決されるのであれば。
ひょっとしたら、あの黒い表情をする虎鉄は消えるのではないかと考えたのだ。
そして、虎鉄は賭けに勝った。
 だがやはり疑問は残る。
おあつらえ向きに渡されていた虎鉄のぬいぐるみ。
そしてボスの設定に使える無色透明のオーブ。
まるで、ハッピーエンドのための伏線ではないか。
そしてあの二人がそんな単純なミスをするかどうか、ということもある。
ひょっとしたら。
全て、計算尽くでの結末だったのでは、ないだろうか。
「…こてさん?」
 考え事をしていた虎鉄に声がかけられる。
道場から心配そうに顔を覗かせているのは、鉢巻を巻いた獅子。
「幸四郎さん。
すいません、少し考え事を。」
 思わず照れ笑いを浮かべてごまかす。
考えても仕方の無いことだと、片付けた。
 幸四郎はそっと廊下に出ると、後ろ手に扉を閉める。
中から聞こえてくる楽しそうな声が、少し遠ざかった。
「そうだ、幸四郎さん。
このぬいぐるみ、ありがとうございました。
すっごく助かりました!」
 腰のベルトにひっかけていたぬいぐるみを手に取り、幸四郎に渡す。
ボスの設定に使った、幸四郎の作った虎鉄人形。
いうなれば虎鉄を救った人形である。
「あ、いえ…。
こんなもので、虎鉄さんのお役に立てたのでしたら。」
 幸四郎は顔を赤らめ、視線を下ろしながらぬいぐるみを受け取る。
指先が少しだけ触れ合って。
二人の視線が絡む。
「あ…。」
 恥ずかしさから虎鉄は思わず手を引いた。
驚いた顔で幸四郎は顔を上げる。
「あ、いえ、そうじゃなくて…。
その…。」
 言葉が出ない。
普段ならなんでもないはずなのに、なぜか妙に意識してしまって。
「キバトラ、何してんだ?」
 がらりと音を立てて、道場の扉が開いた。
そこにはいつもどおり、スーツを着たナギが立っている。
「あ、いえ、なんでもないですよ!」
「ほう、虎鉄。
タンくんと愛の告白かね?」
 ナギの後ろから隼人も顔を出してきた。
「ちちちち違いますよ!何言ってんですか!意味わかんない!」
 思わず顔を真っ赤にして虎鉄は否定する。
「だったら誰にするのか、話してもらわんとなあ。」
 隼人は嬉しそうな顔で虎鉄の首を捕まえて。
引きずるように道場へと連れ込んでいく。
 道場の中ではナギが、幸四郎が、愁哉が、源司が。
他の皆が歓迎するように笑っていた。
その笑顔を見て。
守れてよかったと。
今までどおりなのだと。
ようやく肌で感じ取れた。
思わず虎鉄の目に涙が滲んで。
「さあ吐け!
もしくは呑め!」
「ちょっと、にろさん!
日本酒ラッパ呑みとか無理ですって!」




 本当に良かったなあと、思ったのだ。




                                              
おしまい