第四話
走り出して数分。
道もわかっているし、速度も上げている。
10分とかからずに三人と別れたところにたどり着いた。
頼むぞ、元の場所にいてくれよ!
俺は祈りながら壁の割れ目に飛び込んだ。
「ちくしょおおおおおおおお!」
いない。
なんで奴らはじっとしてないんだよ!
俺は思わずその場に崩れ落ち、床をだんだんと殴りつけた。
あの三人で進んで無事に済むはずがないとどうしてわからないんだ。
とにかく追いかけるしかないか。
気を取り直して俺は立ち上がる。
もうこうなったら一刻も早く追いつくしかない。
俺は壁の割れ目に飛び込んだ。
あたりをざっと見渡す。
既に内部の地図はススムに返してしまっている。
ここから先は手探りで進むしかない。
俺は右手の壁にさらに亀裂があることに気がついた。
…誰が開けたんだ?
迷っている暇はない。
とにかく先に進むことだ。
俺は念のためナイフを一本、ナイフベルトから抜き取るとそのまま亀裂へと駆け込んだ。
中は先ほどと変わらない、数m四方の小さな部屋だ。
特別に変わった様子はない。
あるとすれば正面にあるもう一つの入り口だろうか。
「…おい!」
俺は思わず声を上げていた。
部屋の中央に、ミミミが一人座り込んでいたからだ。
駆け寄ってその顔をのぞきこむ。
反応はないが、息はしているようだ。
俺はそっとその肩を揺さぶってみる。
ミミミはすぐに目を覚ました。
「…ケイン、さん。」
いつもに増してその声に力がない。
息遣いは荒く、手が少し震えている。
顔色はいつも悪いが…。
「追ってください。
私も後から行きます。」
そう言ってミミミは目を伏せる。
ざっと見るが特に怪我をしているという様子はない。
となると魔力の使いすぎだろうか。
「何があったんだ?」
俺の言葉にミミミは正面にある入り口をさす。
俺が入ってきたのとは違う、もう一つの入り口だ。
こちらの入り口は先ほどまでの壁の亀裂と違い、綺麗な長方形になっている。
間違いなく入り口を目的として作られたものだ。
「魔力に反応する扉だったんです。
それを開けるために力を使いすぎて…。」
なるほど、誰かに襲われたわけではないということか。
ならば今はミミミに関しては心配することはないだろう。
しかし…ならどうしてミミミは一人でここにいるんだ?
俺が疑問を口にする前に、ミミミが答えた。
まるで俺の疑問がわかっていたかのように。
「ススムさん、です。
あの人はどこかおかしい。」
ススムか。
俺は思わず舌打ちする。
確かにあいつには時々気になる言動があった。
しかしさすがに俺やミミミを置いて行くとは。
「意識が朦朧としていたのではっきりと何を話していたかは…。
ですがまるで…もう使い終わった道具のように私を置いて行きました。
もう、目的のものは目の前みたいです。
急いでください。
嫌な予感が、ずっと…。」
ミミミはそこで言葉を切った。
長く喋るのも辛いようだ。
俺は軽くミミミの肩を叩くと立ち上がった。
ともかく追いかけなければ、ひょっとしたら次は…。
「すまん、先に行く。」
その言葉にミミミは小さく頷いた。
ミミミをおぶっていくこともできるが、この先ひょっとするかもしれない。
ここに置いていったほうがおそらく安全だろう。
俺はミミミが開いたという扉をくぐった。
扉の先は通路になっていた。
隠し通路に入る前と同じ雰囲気で、これといって特徴のない普通の通路。
罠などもないように思えるが…いや、ないだろう。
あるならばおそらく犬が片っ端から踏み抜いていっている。
何も後がないのだからおそらくここに罠はないのだろう。
通路は曲がり角もなく真っ直ぐのものだ。
突き当たりには下りの階段が見える。
ここを降りていったのだろうか。
俺は階段まで一気に駆け抜けると、なるべく勢いを殺さぬよう階段を走り降りる。
いくら降りても階段が続く。
二階…いや、三階分は降りただろうか。
ようやく階段が終わり、再び通路となる。
通路の先には入り口が開いている。
ナイフを握りなおし、俺はそこに飛び込んだ。
「おい、犬!」
俺は思わず叫んでいた。
視界に飛び込んできたのは、たたずむススムと地面に突っ伏すように倒れている犬の姿。
俺の言葉に犬が起き上がることはなく、ススムだけがゆっくりと振り返った。
その顔には驚いたような、それでいて不満そうな表情が浮かんでいる。
「もう、来ちゃったんですか。
もう終わるところだったんですけどねえ。」
そう言ってため息をつく。
終わる?
俺にはススムの言葉がわからない。
何を終わらせようとしているんだ。
ススムが再び正面を向き直る。
その視線を追うように俺は視線を上げた。
そこでようやく気付く。
この場に、四人目がいたことに。
「で…。」
でかい。
俺が正面の壁だと思っていたのはどうやらヒトであったらしい。
この部屋は天井が妙に高く、10メートル以上はある。
正面の男は座っているのにその天井にまで届くほどにでかかった。
『話、すすめてもかまわんのか。』
男の声が大きすぎて辺りに響く。
俺は思わず耳を塞いだ。
ススムは平気そうに男を見上げている。
我慢しているだけなのか、獣人であるがゆえに俺の耳が鋭すぎるのか。
「ああ、頼むよ。」
その言葉に男はどこからか花瓶のようなものを取り出してくる。
片手で持っているが、座っている姿勢で10メートルに届きそうな大男だ。
おそらくあの瓶も1メートル近くはあるのだろう。
『永遠の命ならこれだな。
「原始の水」だ。』
そう言って大男は花瓶を振ってみせる。
今コイツはなんて言った。
永遠の…命?
「まて。」
俺は思わず口を挟んでいた。
確かにススムは病気を治すためのものを探していた。
それがなぜそういう胡散臭いものになるんだ。
「もう、いいところなんだから割り込まないでくださいよ。」
ススムが迷惑そうな顔で振り向く。
その視線は決して仲間に向けるものではない。
言うなれば…顔の周りを飛び回る虫を見るような目だ。
「もう貴方は用済みなんですから…」
そこまで言ってススムは言葉を切る。
用済み、か。
やはりミミミの言うとおりということだったんだろうか。
「そうですね、最後ですし教えといてあげますよ。
ねえ、偽者さん。」
俺の心臓が跳ね上がる。
コイツは今、何て言った?
俺は自分をずっと受け入れられないでいる。
自分自身の種族である虎がどうしてもしっくりこないのだ。
自分が自分でないと感じる感覚。
俺はそれを捨てるためにこの遺跡に潜っている。
そうやって誤魔化せているのだから、誰にも話したことなどない。
なのにどうしてコイツが知っている。
「不思議そうな顔してますね。
いいですよ、そういう強張った顔。」
そう言ってススムは笑う。
なんて趣味の悪い男だ。
「なるほど、1から10まで解説する悪役の気持ちってこういうのなんですかね。
おしゃべりになるの、すごくわかります。」
屈託のない笑顔。
そこに悪意はない。
「僕が貴方達のことを知ってるのは当然なんですよ。
僕は貴方達だけじゃなく、この世界すべての生みの親ですから。」
そう言ってススムは一本の筆を取り出した。
それ自体は何の変哲もない絵筆だ。
俺は何も言わずにその筆を見る。
ススムの言葉は続いていた。
「僕は病気で、小さいころからずっと絵ばかり描いていたんです。
見たこともない広い世界を、見たこともないほどのたくさんのヒトが歩き回る。
そんな世界を夢見てました。」
寂しそうな声だった。
本当に寂しかったのだろう。
子供なんてものは自分の体で世界を感じていくものだ。
ずっと病院や自宅で療養していたススムには世界を感じることが出来なかったのかもしれない。
「欲しかったんです、元気な体が。
世界をどこまでも見れる永い命が。
だから、この世界を造りました。
一枚のキャンバスに世界を造って、僕はこの世界に来たんです。」
眩暈がした。
確かに先ほども生みの親だなんて言っていた。
だが本当に…この世界のすべてがコイツの描いた絵だというのか。
「この遺跡を一人で潜る自信はありませんでしたから。
護衛に貴方を、いざというときの回復用にミミミさんを頼んだんです。」
最初から予定してたっていうのか。
俺の人生もミミミの人生も、今この時のために。
「でも最後に変な気を起こして横取りされても面倒ですから。
貴方とミミミさんを足止めするための仕掛けも作っといたんですけど。」
あの罠や扉のことだろうか。
最初からあそこで俺たち二人を切り捨てるつもりだったのか。
だが、だとしたら犬はどうなる。
こいつは何のためにいる?
俺は倒れたままの犬に視線をやる。
それに気付いたのだろう、ススムが口を開いた。
「ああ、彼は純粋に足手まとい役です。
貴方達の動きを程よくセーブできるようにと思いまして。
だから本当に役立たずなんですよ。」
そう言ってススムは犬を足で蹴る。
決して強いものではないが、それは明らかにヒトに対する態度ではない。
「自分に対する説得力のためにわざわざこんな地下まで潜って…。
ようやく、目的が果たせるんです。
すこし黙っていてもらえませんか、偽者さん。」
そう言ってススムは微笑んだ。
だがそこに俺に対する優しさは微塵も感じられない。
ただほかの表情を浮かべるのが面倒だから。
だから微笑を浮かべているにすぎない。
「一つ、聞かせろ。」
俺は胸を押さえながら聞いた。
動悸が激しい。
息を吐くのがやっとだ。
「この世界、どうするつもりだ。」
「塗りつぶします。
ほかにも行って見たい世界があるんですよ。」
面倒そうにススムがつぶやいた。
もはやこちらを振り返ろうともしない。
俺はその場に膝をついた。
どこまで本気なのかわからない。
それでも俺にはコイツがいってることが本当だと思えた。
そう肌で感じていた。
「やめろ…。」
俺の声はもはや呟きにしかならず。
そしてそれは誰にも届かなかった。
「さあ魔人。
その『原始の水』を僕に。」
ススムの呼びかけに魔人が頷いた。
『だがこの水は一人にしか効果がない。
最初に浴びたモノだけだ。』
魔人の言葉にススムは頷く。
俺は全身に力を込めた。
動け。
動け。
動け!
必死で立ち上がる。
膝が振るえてまともに歩くことも出来ない。
それでも俺はススムに向かって駆け出した。
魔人の持つ花瓶がゆっくりと傾けられた。
中に入っていた水が流れ出してくる。
「『我が声に込められし…
怒りを聞け、悲しみを聞け。』」
犬の声が聞こえた。
俺は必死でススムへと足を進める。
間に合わないのか。
思わずその場に倒れこんだ。
「『大地よ…』」
犬の声が弱くなる。
くそ、だめだ。
「犬、気張れ!
アイツを止めろ!」
俺は最後の力を振り絞って叫んだ。
ミミミが言うには、この魔法は蔦や根を使って相手を攻撃する魔法。
これに成功して、ススムを思い切り打ちつけることが出来れば。
あの場所から動かすだけでいいんだ。
頼む。
「がんばれ、テツッ!!」
「『大地よ、その心を持ちて我に応えよ!
その力は形を変え、思いを超え、かの敵を打ち滅ぼさん!』」
テツの呪文が完成した。
俺に魔法は使えない。
魔術が読めない俺には魔力の流れすら感じることが出来ない。
そんな俺にでも、力が見えた気がした。
ススムに向かって伸ばされた手へと、力が集まるのがわかった。
「いけえっ!」
俺は叫ぶ。
その力、ススムにぶつけてやれ!
ポン。
…やっぱりタンポポだった。
ススムの体が「原始の水」で濡れていく。
水に濡れ、その体に命が溢れていくように見えた。
役割を果たしたからなのか、魔人は何も言わずに消えていく。
「遅かったのですね…。」
振り返るとミミミが壁にもたれるようにして立っていた。
いつからいたのだろう。
どこから話を聞いていたのか。
「この世界、消すのですか。」
ミミミの問いにススムが振り返った。
さりげなく頭に咲いていたタンポポを引きちぎる。
その顔は先ほどまでと違い自信に満ち溢れていた。
「もういらないからね。
大丈夫、キャンバスはリサイクルするよ。」
そういってススムは笑う。
悠然と俺たちの間をぬけて出口へと向かう。
「待てッ…!」
俺は必死で体を起こし、ナイフを構えた。
まだ投げる程力は出ない。
それでも、コイツを放っておくことは出来なかった。
「もう、偽者のくせにうるさいなあ。」
言葉が俺を縛る。
やめろ、偽者なんて呼ぶな。
俺は俺のはずなんだ。
でなければ今まで生きてきた俺の人生はなんだ?
まるでコイツに作られた、偽者の…。
ススムが手にしていた筆を振るった。
どうしたのかはわからない。
ただ俺の手からナイフが忽然と消えていた。
視線をおろせば袈裟懸けにかけていたナイフベルトそのものも消えている。
「塗りつぶしたんですよ、邪魔だから。」
不思議そうにしている俺にススムが笑って言った。
本当に絵なのか。
この世界そのものが。
「ああ、じゃあこれあげますよ。
最後まで遊んどいてください。」
そう言ってさらりと手近な壁に絵を描いて見せた。
まるで生きているかのような大サソリ。
いや…生きているのだ。
それはゆっくりと壁から這い出してきた。
犬はまだ起き上がらないし、俺も立ち上がることすら出来ない。
ミミミの呪術がこいつに通じるかどうか…。
仮に通じたとしてもミミミの術は一人相手をすれば次が続かない。
「さよなら。」
ススムが振り返りもせず部屋をでた。
サソリはゆっくりと、こちらを狙うように歩いてくる。
「何を…。」
ミミミが呟いた。
俺は目をそちらに向ける。
「何を迷っているんですか?」
ミミミはうっすらと笑みを浮かべ、目を見開いた。
呪術が発動したのだろう。
サソリに変化はないが、ミミミの笑みを見ればわかる。
視線で発動するミミミの呪術を避ける術はない。
「たとえ偽者でも。」
ミミミがどこからか小さなナイフを取り出した。
普段から護身用に持ち歩いていると言っていたものだ。
その刃を自らの手につきたてる。
「たとえ借り物でも。」
ミミミの手から血が溢れる。
それに伴って、サソリのハサミが割れた。
中からダラダラと体液を垂れ流している。
「こんなにも、こんなにも。」
ナイフが抜かれ、腹につきたてられる。
サソリの外骨格が割れて内臓がむき出しになった。
これは…明らかにミミミよりもサソリの方がダメージが大きい。
サソリにとって外傷はそのまま致命傷になるのだ。
「こんなにも、こんなにも、こんなにも!
痛いし、気持ちいい!!」
ミミミのナイフが全身を襲った。
そのたびにサソリの殻が割れていく。
もはやサソリは自らの姿勢を維持することも出来ない。
どさり、と音を立てて倒れこんだ。
尻尾だけがビクビクと震えている。
「今感じるこの感覚。
これが、全てです。」
そう言ってミミミが振り返った。
その全身は血にまみれている。
それでも、その怪しげな微笑を。
紅い、鮮やかに輝く血にまみれた微笑を。
俺は美しいと思った。
「…ああ。」
俺は強く手を握る。
食い込んだ爪が掌に突き刺さった。
痛い。
だが、これは間違いなく俺が感じていることだ。
たとえ過去に自信がなくとも、自分が自分に思えなくても。
今俺はここに生きている。
「行ってください。
おそらく私に彼は止められない。
私はここでテツさんを見ています。」
全身に巻かれた包帯に、じわりと血がにじんでいる。
あまり傷は深くなさそうだと判断し、俺は立ち上がった。
行こう。
正直こういうのはガラじゃあないが。
世界の危機は、とめなければならない。
「せっかく、テツさんも頑張ったんですから。」
そう言ってミミミが一瞬だけ犬を見る。
ああ、そうだ。
コイツはコイツなりに頑張った。
それを「ただの足手まとい」と言い放ったススム。
犬に義理だてるつもりはないが、何でも思い通りになると思ったら大間違いだ。
俺はミミミに小さく微笑むと、そのまま入り口に向かって走り出した。
役立たずだから役に立つってこと、思い知らせてやる。
入り口を抜け階段を駆け上がり、俺は叫んだ。
「待ちやがれ!」
俺の言葉にススムが足を止めた。
階段に続く通路を抜けた先の小部屋で、俺たちは対峙する。
俺の顔をみてススムが大きくため息をついた。
「いい加減にしてくださいよ…。
なんなら貴方ごと塗りつぶしたっていいんですよ?」
そういいながらススムは筆をこちらに向けた。
俺は咄嗟に横に走る。
ミミミは視線で相手を捕らえる。
言うなれば攻撃は一瞬だ。
それでも「止められない」と言ったのは、相手の攻撃を避けられないから。
ススムはこの世界を二次元として捉えているようだ。
だから距離に関係なく俺のナイフを「塗りつぶした」し、離れた壁にサソリを「描いた」。
だがそれでも万能じゃあない。
アイツの視界から外れてしまえばそもそも描くことすら出来ないのだから。
「世界がどうとか、そういう大層なことはガラじゃねえよ!」
俺は走りながら叫ぶ。
壁を蹴り、天井を蹴り、床を蹴り。
止まらない様に、読まれない様に。
あちこちをとにかく駆け巡りながらゆっくりと距離を詰めていく。
「でもな、胸糞悪いんだよ!」
壁を蹴る瞬間に靴に手を伸ばした。
底にはナイフが仕込んである。
ススムの見えないところで俺はそれを抜き取り、逆手に構えた。
「偽者だとか、足手まといだとか!」
俺が蹴るたびに壁が、天井が小さな欠片を生み出した。
ススムは少しずつ後ずさりしながら必死で俺を捕まえようと視線をめぐらせている。
無駄だ、俺とお前とでは鍛え方が違う。
「お前が決めることじゃねえ!」
俺は思い切り床を蹴った。
真っ直ぐにススムに向かって走り抜ける。
すれ違いざまに、俺はナイフを埋め込んだ。
両手に持ったナイフが奴の首に、胸に埋め込まれる。
俺とススムは、背中を向け合う形で動きを止めた。
「こんな…もの…。」
ススムが呟いてそれを抜き取る。
血が溢れた。
毒々しい赤い血。
ススムが崩れ落ちる。
「永遠の…命が…。」
弱い声だけが聞こえる。
俺は振り返り、見下ろしながら口を開いた。
「確かにお前は水を浴びたよ。
頭から、な。」
その言葉にススムの目が見開かれた。
ススムだって知っていたはずだ。
一度見ていたのだから。
それでも無視したのは「役立たず」と決めてかかっていたからか。
「いいぜ、その間抜けな死に様。」
それだけ言い放って俺は踵を返した。
ミミミと犬を迎えに行かなければ。
血だまりで倒れるススムの頭に、一輪のタンポポが咲いていた。
「もう御免だからな、お前が持ってきた仕事は。」
いつもの宿のいつもの食堂。
俺はエビフライを思い切りかじりながら目の前に座る犬に言い放った。
「うう…アニキに喜んで欲しかったんスよぉ…。」
そういいながら犬はハンバーグをフォークでつつく。
そういう犬の顔は安堵に満ちていた。
結局あれからは何事もなく、俺が犬をおぶって遺跡を脱出した。
もちろん報酬なんかあるわけもなく。
ナイフなくすわミミミは怪我だらけだわ。
損害しかでていない。
これだから犬がもってきた仕事は。
…まあ、ミミミの傷は自業自得な面が大きいが。
なんとなく俺は辺りを見回した。
時間は夜。
潜る前に食事したときと違い辺りはトレジャーハンター達でにぎわっている。
向こうでは酒を飲みながら明日の計画を立て、向こうでは男同士で野球拳などしていたりする。
せまい店ではあるが味は悪くないため、この店は客がいつも溢れている。
おばちゃん一人では大変そうだ。
だがどこを見ても平和そのもの。
あまり世界を救った実感はない。
それでも、俺は今かじっているエビフライの旨さだけで満足できた。
ああ、明日も旨いメシが食えるといいなあ。
「結局、ススムさんは…」
「言わんでいい。」
犬の言葉を俺が遮る。
ススムが何を考えていたのか。
推測したりすることはできるかもしれない。
それでももう俺には終わったことだ。
もう奴の事を考える必要もない。
強いて考えるなら…。
「必要経費は誰に請求すればいいんだ?ん?」
俺の言葉に犬がさっと視線をそらす。
そもそもコイツここでメシ食ってるけど。
…金、持ってるのか?
俺がそう口を開きかけたとき。
「こんばんは…。」
突然後ろから声がした。
俺の尻尾がびくんと跳ね上がる。
「ミミミ…、気配を消して近寄るな。」
俺は引きつった顔で振り返る。
そこには予想通り、薄ら笑いを浮かべたミミミが立っていた。
あれ、服装がさっきまでと違うな。
「その服どうしたんだ?」
俺の問いにミミミはスカートのすそをつまんでくるりと回って見せた。
初めて会ったときはすでに擦り切れ、色あせた純白のドレスだった。
今回はおとなしめの若草色のドレスだ。
というか冒険に向く服装じゃねえ…。
「ススムさんにもらった前金で買ってしまいました。
包帯も新しくしたんですよ。」
言われてみれば無造作に巻かれた包帯も新しくなっている。
いや傷がないんだからイラナイだろ、今。
って、前金?
「なんだよ、前金って。」
少なくとも俺はもらってない。
そういう話もまったく聞いていない。
「あれ…。
テツさんが話を持ってきてくれたときに一緒にもらいましたけど…?」
俺とミミミの視線がゆっくりと犬に向けられる。
犬は耳を伏せ、思い切りあさっての方向を向いていた。
「お前…まさか…。」
俺の言葉にびくっと犬が飛び上がった。
「その…別に落としたりとかは…してないッスよ…?」
俺はゆっくりとミミミを振り返る。
上等なドレスだ。
あまりわからないが、相当な値段がしたことだろう。
「てめえ、ぶち殺す!」
俺はテーブルを乗り越えて犬に殴りかかった。
犬は椅子からずり落ちるようにして俺の手をかわす。
「すんません、すんませんっすううううう!」
犬が逃げ回り俺が必死で追いかける。
周りの客達は面白そうにはやし立てた。
「あ、そうそう。」
ミミミの言葉が遠くで聞こえる。
「改めて三人でのパーティ申請、出しておきましたから。」
俺はその場に倒れた。
もう…嫌だ。
こんな世界…こんな世界…。
「止めるんじゃなかった…。」
俺の呟きは誰にも聞こえずに。
「いいじゃないですか、楽しければ。」
いや、ミミミにだけ届いて。
受け止めてもらえずに、消えた。
終