「さあ、準備はいいか。」
翌日、遺跡の入り口を前にして俺は三人を振り向いた。
犬が青ざめた顔で遺跡の入り口をにらんでいる。
以前連れて入った時にゾンビに追い掛け回されたことでも思い出しているんだろうか。
正直そう不安がられるとこちらまで不安になってくるんだが。
対照的にススムとミミミはまっすぐに入り口を見つめている。
ミミミは呪術師だからある程度自分の身は守れるだろうし、今までに色々な経験があったんだろう。
そういうことを考えればミミミが平気そうなのはわかるんだが。
自称異世界人でなんの自衛もできないススムが平気そうなのはどういうわけだ。
よっぽど自分の運を信じきっているのか、それとも単に危機感がないのか。
まあどちらかというと後者だろうな…。
かくいう俺自身は既に何度ももぐっている遺跡である。
今更感慨も何もない。
まあ後ろの三人を考えると多少気が重いがその程度だ。
なるべくさくっと終わらせてしまいたい。
「じゃあいくぞー。」
そういって俺は半分崩れかかった遺跡の入り口をくぐった。
元々は立派な建物だったのだろうが、今や残っているのは滑らかな床や大きな柱。
それに比較的しっかりと作られた階段くらいだろうか。
とはいえそれも既に半分崩れかけている。
組合や有志によって修復も行われているようだが、大きな地震なんかがあれば崩れてふさがってしまうかもしれない。
一儲けするなら早いうちだな…。
そんなことを考えながら俺は階段をゆっくりと下っていった。
とたん湿っぽい臭いが鼻をつく。
地下独特の水分を含んだ空気と、ひんやりとした肌触り。
これから冒険が始まるのだと俺の感覚を刺激する。
俺が遺跡にもぐるのも、戦いに身を投じるのもこの瞬間のためかもしれない。
自分を捨て、ただ目的のために邁進する。
それはたとえ自分に違和感を抱く俺でも、間違いなく自身を感じていられる瞬間。
自分自身が本物だと思える、この時間のために生きる。
そう、俺は本物なんだ。
「まずは三階を目指せばいいんだな?」
俺は振り返ってススムを確認する。
昨日の夜確認した、占い師の地図とやらは三階から始まっていた。
どうやらそこに人に知られていない隠し通路があるらしい。
…マユツバな話だ。
大きな遺跡とはいえ、慣れた人間なら3階くらい一時間ほどでたどり着く。
そんな手近なところに知られていない隠し通路があるとでも?
「知られていないからこそ隠し通路なのですよ。」
ミミミは言う。
まあそりゃそうなんだけどさ。
じゃあ組合が発行してる地図とか見てれば思い切り「隠し通路」って書いてるのはなんなんだ。
わざわざ言い返すこともないと、俺は地図も見ずに歩き始めた。
一階の道順くらいなら頭の中に入っている。
腰にさげたカンテラに火を入れ、足元を確保する。
ふと、俺はいやな臭いを感じた。
後ろを振り返れば犬も顔をしかめている。
人間である二人にはまだわからないかもしれないが、俺たち獣人族にはすぐにわかった。
腐臭が漂っているのだ。
もともとこの遺跡自体がいい臭いをしているわけではないが、これだけの臭いだ。
おそらく臭いを発してるモノ自体が近づいてきているのだろう。
俺は腰に下げているククリを手に取り、そのまま歩き続けた。
傭兵をやめてトレジャーハンターになってから使い始めたもの。
リーチはないが小回りがきき、ただのナイフよりは威力が高い。
やはり近づいてきているらしい。
後ろの人間二人も気づき始めたようだ。
「これ…なんの臭いですか?
ものすごい臭いんですけど…。」
そういってススムは鼻をつまむ。
対してミミミは何も言わない。
こういう臭いに慣れているのか、それともただ我慢しているだけなのか。
「うひゃあああああ!」
犬の情けない声が俺の思考を断ち切った。
目をやれば少し先の曲がり角からゆっくりとゾンビが歩いてきている。
まったく芸のない奴らだ。
俺は一歩前に飛ぶと、ゾンビがこちらを向く前に思い切り右腕のククリを振るった。
あっさりとゾンビの首がその場に落ちる。
いくら不死とはいえ、命令系統の中心である頭を落とされてはゾンビも動けない。
腐った死体はその場にばたりと倒れ伏した。
ゾンビが倒れるよりも早く、俺はその場を飛びのいた。
角の先に視線をやれば、予想通り二匹目と三匹目がこちらに気づき視線を向けている。
一匹目が倒されたのを見て、俺を敵として認識したらしい。
まあ敵でなくとも奴らは生きてるモノにならなんでも襲い掛かるのだが。
「下がってろ!」
念のため下手な手出しをしないようにミミミ達の方向に向かって叫ぶ。
まあ何も言わなくとも犬とススムは何もできないだろうが。
俺は腰の後ろに手を回し、左手でナイフを抜き取るとそのままの勢いでゾンビに向かって投げつける。
ナイフは吸い込まれるように二匹目の額を貫く。
勢いにまけ、ゾンビはそのまま後ろに倒れた。
三匹目はその間に落ちていた一匹目の頭を拾い上げ、こちらに向かって振りかぶる。
ゾンビにしてはなかなか賢いヤツだ。
だが、いかんせん動作が遅すぎる。
二匹目に向かってなげたナイフを追いかけるようにして走っていた俺は、
ククリで三匹目の腕を叩ききり、ナイフベルトから外したナイフを持って左手でその首を切り落とす。
倒れた二匹目の頭からナイフを回収して、俺はその場を離れた。
念のため振り返るが既に三匹とも動きを停止している。
俺は近くの壁でナイフについた腐肉を落とすと、再びベルトに刺した。
「ほれ、終わりだ。」
そういって振り返る。
ミミミは満足そうな顔で頷き、ススムは鼻をつまむのも忘れて呆然としている。
犬は…ススムの後ろに隠れて一人でぶるぶると震えていた。
いや、犬よ。
それ依頼者だから。
こいつ連れてくる意味がどうしても理解できん。
今更だが、こいつは置いてきた方がよかったんじゃなかろうか。
「ま、いいか。」
依頼者が連れてきてるんだ。
俺はただこいつらを守ってやればいい。
念のためあたりを見渡し、何事もないのを確認して再び足を進めた。
まあこの程度の敵ならさっきみたいに何かされる前に殲滅もできる。
さすがに十匹くらいの大群でこられると話は違うが、奴らにそんな知恵はない。
とりあえず一階・二階あたりは心配しなくてもいいだろう。
そう思いながら歩いていくと、壁に小さな出っ張りが見えた。
ああ、忘れていた。
こいつらにも注意しなくちゃなあ。
そう思い、俺は出っ張りを横目に見ながら歩き続ける。
「これなんですかね?」
犬の声が聞こえた。
それは、と口を開こうとして俺は振り返り。
そして固まった。
「え?」
犬が不思議そうな顔をしてこっちを見ている。
出っ張りをしっかりと壁に押し込んだ姿勢のままで。
「…それはだ。」
俺はゆっくりと口を開く。
「落とし穴の、スイッチ。」
俺が地面を指差す。
それにつられるように全員の視線がゆっくりと降りた。
がたん、と音がして床が開く。
遅いのは古いからか、それともスイッチから手を離したときに作動するからなのか。
『ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……』
ススムと犬がまったく同じ顔で驚いたまま、まっ逆さまに落ちていく。
「ちっ!」
ここではぐれるのはまずい。
特に、向こう二人はなんの戦闘力もない。
俺はとっさにミミミの腰をつかんで抱きかかえ、ナイフを逆手に構えると落とし穴へと飛び込んだ。
そのまま壁にナイフを衝き立て、勢いを殺しながら下へと向かう。
これで下に槍でも立ってようもんならもう二人は助かってないだろうが、
ここは確か二階の特定の場所に落ちるだけのはず。
なら打ち所が悪くない限りは二人とも生きてるはずだ。
すぐに壁は途切れ、俺は二階へとたどり着く。
床の上に二人の姿はない。
くそ、どこだ?
「アニキぃ〜。」
情けない声がすぐ近くから聞こえた。
顔を上げれば、鉄格子にさえぎられたすぐ向こうに犬とススムがいる。
この鉄格子ってまさか…。
「お前…また別の罠作動させたのかっ!」
コイツは…。
とにかくこの罠を解除しないと、合流もできやしない。
「ちょ、ちょっと!
テツさんあれ!」
俺がスイッチをさがして地面を触りだしたとたん、ススムが声をあげた。
あわてて顔を上げれば、二人の向こうにさらに人影が見える。
あれは・・・バーサーカーか。
人間にそっくりだがやや小柄で、何よりも運動能力が人間と段違い。
とはいえそれは資質の話で、ある程度鍛えていれば相手をするのはそれほど難しくもないのだが…。
この二人では無理だろう。
「二人ともしゃがめ!」
俺の言葉にワンテンポ遅れて二人がしゃがむ。
俺はナイフベルトからナイフを抜き取り、鉄格子ごしにナイフをバーサーカーに向かって投げつける。
だが鉄格子が邪魔で正面からしか投げることもできず、犬とススムがいることも投げにくさを助長している。
俺が投げたナイフはあっさりとバーサーカーにかわされる。
くそ、これじゃなんともならねえ。
ナイフを投げて足止めくらいはできるがいずれたどり着くだろう。
ならさっさとこの鉄格子を解除するしかない。
俺は諦めて罠のスイッチを探し始める。
猶予はせいぜい十数秒だろう。
くそ、時間がない。
「テツさん、アレを…。」
「え?え?」
ミミミの呟きに犬があわててこちらを振り向く。
アレって言われると…たしかミミミが昨日渡してた…。
「昨日お渡しした魔術書、試してみてください。」
そういわれてようやくわかったのか、犬は胸元を探り薄っぺらい羊皮紙を引っ張り出した。
なんでも入門中の入門レベルの魔術書らしい。
旅の道中で手に入れたが呪術師であるミミミには必要ないとのことで昨日の夜のうちに犬に手渡していたのだ。
犬があわててそれを読む。
「えっと…え?」
「馬鹿野郎、逆だ逆!」
あわてすぎだ。
俺は手探りであたりを探しながらも犬につっこむ。
「あ、こうか。
えっと…
『我が声に込められし怒りを聞け、悲しみを聞け。
大地よ、その心を持ちて我に応えよ。
その力は形を変え、思いを超え、かの敵を打ち滅ぼさん』!」
長い呪文詠唱はそれだけ必要とされている手順だ。
つまり犬自身の力のなさを表す。
まあこの場合は呪文書に書いてあるものを読んだだけなのだが。
皆の視線がバーサーカーに集まる。
きちんと魔術が扱えたのならば、それは魔法として結果を出すはずだ。
ポン。
小さな音がした。
皆の視線がバーサーカーに、もといその頭上に集まる。
そこにはタンポポが咲いていた。
「…なあ、ミミミ。」
「あれが、テツさんの魔法ですね。」
そういってミミミは小さく笑った。
いやいやいや。
いやいやいやいやいやいやいや!
「なんの役に立つんだよ!」
俺は思わずミミミに詰め寄った。
ただ手に入れたものだから、本来ミミミに非はないのだが。
「違いますよ…あれは本来蔦や根などの植物で敵に攻撃する魔法です。」
えーと。
つまり。
犬はまともに魔法も使えない、と。
「ああああ!」
俺は再び地面に這いつくばりスイッチを探し始めた。
いや、もしかして壁か!?
壁にあるのか!?
俺は大慌てで探し始める。
そんな俺を見てか、それともただのクセか。
ミミミが小さく笑った。
「しょうがない、ですね…。」
言葉はしぶしぶと言った様子だが、妙に嬉しそうな響きをにおわせる。
まさか…あの魔法、使うのか。
昨日のうちに聞いている。
ミミミが唯一使える呪術の内容を。
できれば使ってほしくないから「なるべく使うな」と言ってあったのだが…。
まさかいきなり使うことになるなんて。
しかし他に解決方法が思いつかないのも事実。
「うふ、うふふふふ…。」
ミミミが笑う。
空気が変わった気がした。
張り詰めた空気が辺りを包む。
ミミミの目が見開かれる。
真っ直ぐにバーサーカーを見つめ、決して微動だにしない。
それだけでミミミの魔法が発動した。
呪術は精霊魔法とは違う。
魔力をそのまま操り、相手の精神を侵す。
それゆえに発動に呪文は必要なく、ただ意志があればそれでいい。
その分コントロールが難しいのが欠点だと聞くが、ミミミに関してそれはあるまい。
「あはははは、あははははははははは!!」
ミミミのテンションがどんどん上がっていく。
というか怖い。
ミミミは自らを強く抱きしめ、そのまま二の腕に爪をつき立てる。
血が噴出した。
それに呼応するように、バーサーカーの腕から血が流れ出る。
「痛い、痛い、痛い。」
ミミミが呟く。
それでも手は止まらず自らを傷つけていく。
腕を引っ掻き、次々と創傷を作っていった。
「ガアアアア!」
バーサーカーが叫ぶ。
なぜ自分にどんどん傷が出来ているのかわからないのだろう。
わかるはずもない。
まさかミミミと傷を共有しているなんて思いもしないだろうから。
「痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛いいたい痛いイタイイタイ痛い!」
ミミミの手が俺の方に伸び、ナイフベルトから一本ナイフを取り出す。
それはまずい!
慌ててそのナイフを取り返そうとするが既に遅かった。
ナイフが深々とミミミの腹に突き刺さる。
「気持ち、イイ…。」
ジワリ、と赤いシミがミミミの服に広がる。
どくどくとあふれ出してくる血液はそれだけにとどまらず足元に血だまりを造り始めた。
「アアアアアア!」
バーサーカーの腹に穴が開く。
痛みも相当なものだろう。
のた打ち回るようにしてその場で暴れている様子は、もはや正視に堪えない。
ミミミが腹からナイフを抜き取り自分の顔にむける。
突然ミミミの頭から血が流れ出た。
慌てて目をやればバーサーカーが耐え切れず、自らの頭を壁に打ち付けている。
頭から血を流し、バーサーカーは倒れた。
痛みに耐え切れずに気を失ったのか、血を流しすぎて死に至ろうとしているのか。
「…つまんない。」
ミミミの小さな呟きが聞こえた。
構えていたナイフは既に下ろされている。
ミミミの呪術は、相手と自分の痛覚をリンクさせること。
痛覚をリンクした二人は、以降の傷も共有する。
ミミミが自らを傷つければバーサーカーにもその痛みが届き、
痛みがあるのならばそこに傷があるはずだ、という理屈らしい。
俺には詳しいところはよくわからないが。
問題はミミミが痛みを快感として捉えることだ。
痛みを感じないわけではない。
ようは「痛みを感じる」ということが快感なのだ。
「もう少し、粘って欲しかった。」
ミミミは生来の無痛症らしい。
つまり誰ともリンクしていいない時は痛みを感じることが出来ない。
だから普段は大人しく、自らを傷つける真似もしない。
だがリンクしてしまった時は違う。
自らを傷つけ痛みを味わい、快感として受け取る。
…術を掛けられたほうはたまったものではないが。
「傷、大丈夫か。」
俺の問いにミミミが頷く。
ミミミは回復魔法も扱えるらしい。
実際手の添えられた腹からぼんやりとした光が漏れており、既に腹からの出血はとまっているようだ。
自殺願望があるわけではないから、放っておけば自分で傷を治すだろう。
そう判断して俺は再び罠のスイッチを探し始めた。
いざ落ち着いて探せば意外と簡単に見つかるものである。
少しでっぱった岩をはがしてみればそこには罠を作動させるスイッチがあった。
すこしそれをいじり、俺は罠を解除する。
がちゃん、と音がして鉄格子がさがった。
「アニキぃ〜、怖かったっすよぉ〜!」
泣きながら犬が飛びついてきた。
思わず俺はそれを叩き落す。
「ええい、うっとうしいから飛びつくな!」
それでも犬は地面に這い蹲りながら必死で俺の脚に絡み付いてきた。
こいつはっ。
俺は脚を振りながら腰に下げたカンテラの明かりを消した。
どういう仕組みかは知らないが、二階はこの遺跡に仕掛けられた照明装置が生きているため歩くのに遜色がないほどの明るさが維持されている。
階によって仕掛けが生きているかどうかは違うが、幸い2階・3階は浅いところにしてはしっかりしているほうだ。
隠し通路の先はどうかわからないが、とりあえずしばらくカンテラなしで大丈夫だろう。
「ミミミ、大丈夫か?」
俺の問いにミミミは頷く。
見れば腕の傷はもちろん、腹の傷もふさがっているようだ。
ドレスや足元はまだ血に濡れているが、新しく出血している様子はない。
「ありがとう、ございます。」
そう言ってミミミはナイフを差し出した。
先ほど俺のナイフベルトから抜き出した一本だ。
なんか…使いにくいな、これ。
俺は思わず苦笑しながらそれを受け取る。
「あ、そういえばススムは。」
すっかり依頼者を忘れていた。
…そういえば犬より騒いでないよな。
ああ見えて肝据わってるのか。
俺は目でススムを探す。
「固まってますよ。」
犬の言葉に振り向けば、恐怖からか完全に固まりきっているススムがいた。
全身の筋肉をこわばらせ目をむき、よく見れば小さく震えている。
ああ、騒ぐこともできなかったほうか…。
せめて歩けるようになるまで待つしかないか。
「なるべく犬と一緒に行動しないほうがいいんじゃないか。
また罠かかりそうだぞ、コイツ。」
俺の言葉にススムは壊れた人形のように何度も頷いた。
まあこうして犬は孤立していくんだよな。
「まあ少し休憩していくか。」
俺はその場に腰を下ろし壁にもたれかかると、大きく伸びをした。
しばしの休憩、ってやつだ。
続