感想_レインキャッチャーに踊る影



 実は、私は三木瓶太さんの作品をあまり読んだことがない。
読んだことがあるのは『ノッキン・オン・フレンズ・ドア』の作品群からで、
サイト〈左手に告げるなかれ〉は名前を聞いたことがある、というくらいの知識しかもっておらず、
今回、ファイナルファンタジーXIVのお話を一緒に書かせていただくにあたって、
私の無知が失礼に当たらないかという点が、とても心配だった。
 しかし、何も知らない、という特性は読者の一人として充分ありえるものだと考えなおし、
ここに感想を書かせていだたこうと思う。

 今回の作品、『レインキャッチャーに踊る影』は、言ってみれば様々な文章の性質が
組み合わさった、ジャンルの複層構造物だと表現できるものと考える。

 まず、一番大切なFFXIVファンとして書いた二次創作という性質。
話の舞台はバイルブランド島にある東ラノシアという地域だ。
FFXIVプレイヤー達はこの場所にゲーム内のレベルでいうところのレベル三十強で訪れる。
レベル三十という数字はFFXIVでは職業がクラスからジョブに切り替わる、言わば「序盤の到達点」の一つで
FFXIVをプレイしはじめた方も東ラノシアにはそれほど時間もかからずに到達できる。
 ただし、『レインキャッチャーに踊る影』に登場する主人公はFFXIVの最新パッチ相当のレベルまで辿りついているだろう、
俗にいう「カンスト」した登場人物だろうことが内容からくみとれる。
 東ラノシアというゲーム内序盤の地域に、ゲームを楽しみつくしてきた登場人物がやってくる。
そのギャップが物語の展開を支えるベースとして機能している。
 地域や登場人物の名前、魚やモンスターなど、魅力あふれる固有名詞が効果的に配置されているのは、
二次創作としてもちろん大切だが、MMORPGという長大な物語のギャップが作用している部分も注目されたい。

 次に紀行文としての性質。紀行文とは著者の旅行の流れをたどるように、内容を記した文のことだ。
 『レインキャッチャーに踊る影』は果たして紀行文といえるのだろうか。
細かいことを言えば、紀行文ではなく、紀行文風の物語である。
しかし、それは物語に出てくる帝国兵に関する出来事が創作だから紀行文「風」なのであって、
著者の旅行という意味に関して言えば、紀行文としての要件は整っているのではないだろうか。
 なぜなら、今回の物語においての登場人物はプレイヤーキャラクターであり、プレイヤー自身だということもできる。
つまりゲームのシステム上、プレイヤーキャラクターが二重の存在だということが紀行文として重要な点になっていると考える。
 私はFFXIVで三木瓶太さんと数年にわたって交流させていただいているが、
私が瓶太さんのプレイを見てきて、一番大変そうにしていたのが、今回のテーマの一つでもある「釣り」だった。
FFXIVでの釣りは大まかに言って「時間」と「天候」の要素を加味して遊ぶコンテンツである。
例えば、「晴れた」日の「夜」しか釣れない魚などが存在する。
この時間と天候の組み合わさった釣りコンテンツはおそらく未プレイの読者が想像できないほど、ときに過酷なもので、
瓶太さんのリアルな悲鳴もよく聞こえてきた。
 そして、その釣りコンテンツの経験があったからこそ、今回の物語が生まれたのではないかと、私は思う。
まさに思い出(この言葉は美化しすぎかもしれないが)を原動力とした作品だと言える。
東ラノシアを魚を求めて転々とする姿は、登場人物の移動という以上に瓶太さん、
及び瓶太さんのプレイヤーキャラクターの旅行と言って差し支えないと思う。
 補足として述べておくが、物語の中に出てくる「エビス」は現行釣りコンテンツの中でも最も取得難易度が高い称号の一つだ。

 そして、外せないのが推理モノとしての性質。
 今作では虹色に輝く魚を主人公が求めて東ラノシア内を探し回る。
つまり、虹色に輝く魚とは何か、それはどこに存在しているのか、あるいは存在しないのかという疑問が主軸になっている。
主人公が出会う登場人物たちから少しずつ得られる情報をもとに、
その魚の情報の出所や情報がでてきた理由を考察する。
 未プレイの方は物語に沿って考え、最後になるほど、と納得する読み方になると思うが、
既プレイの方は是非東ラノシアのマップを開きながら読んでみてほしい。
この物語は位置関係が重要な話である。
そして、東ラノシア内の各所に精通されている方は、虹色に輝く、という点を加味すると、もしかしたらあそこに、
という推理がなりたつかもしれない。
 読者に考えさせる側面があり、物語の終盤には解答編たる箇所も存在する。
推理モノを思わせる今作は、独特の雰囲気があり楽しませてくれる。

 以上の性質を兼ね備えている今作は、短編でありながら様々な思いを喚起させてくれる作品になっている。
もちろん、その複層構造を支えているのは、三木瓶太さんの落ち着いた場面の描写力であったり、構成力のたまもの。
そして、忘れてはいけないファイナルファンタジーXIVへの想いだろう。

虎造