「メッセージ」

 

 

 それは唐突だった。
突然で、誰も予測していなかった。
だから構えてる余裕なんて、なかった。

 

 

「ふがあああぁぁぁ……。」
 声を出しながら俺は大きなあくびをした。
あくびは、脳に新鮮な空気を送り込むためにする行動…のはずだ。
だがどれだけ大きなあくびをしても、俺の頭からは一向に眠気が消えてくれない。
もともと朝に弱い俺は、友人と週末に遊ぶ計画を立てながらも眉間にしわを寄せまくっていた。
目の前に座っている友達も心なしか言葉数が少ない。
別に友人と仲が悪いわけではないが、朝の俺の機嫌の悪さを知っていて積極的に話かけてくるような
頭の悪い奴はいない。
と、思っていたのだが。
「おい、トライチぃ〜!」
 突然俺の後頭部が殴られた。
殴られた勢いで俺は思い切り鼻を机にぶつけてしまう。
「ニュースだぞ、ニュース。」
 バカ面でそう叫ぶ牛を俺は思い切りにらみつけた。
鼻をぶつけた怒りと眠さから今の俺は相当凶悪な顔になっているだろう。
だがこのバカ牛はそんなことを気にするようなタマじゃなかった。
「ん、どうしたトライチ。鼻にしわがよってるぞ。」
 俺の顔を見てそんなことを呟いた。
バカ牛…。
毒気を抜かれた俺は大きくため息をついた。
虎の俺を怖がらない牛ってのは相当バカだと思っていたが…。
「そんなことよりニュースだって!」
 俺の感情を無視したまま相変わらずバカが騒ぎ立てる。
いい加減聞いてやらないといつまでも騒ぎ続けそうな気もするし。
「なんだよ…。」
 俺はしぶしぶバカ牛に尋ねてやった。
なんだって朝からこんなことをしないといけないんだ。
俺の気分はますます陰鬱になっていく。
「うちのアイドルが結婚するんだぜ!」
 うちの…アイドル?
そういわれても一瞬何を言っているのか理解できなかった。
そもそも俺はゲイなんだからそういったものには興味がないのだ。
それでもかろうじて知っていたのは、このバカ牛が毎日のように騒いでいたからだ。
「あー、助教授のガモウ先生?」
 俺の言葉にバカが大きく頷いた。
まあ俺にとっては、ノンケからみたらカワイイ系のひとなんだろーなー…
程度の認識しかない。
もともと授業もとってないのに名前と顔が一致する時点で奇跡に近いのだから。
「しかも、しかもだ!
その相手が――――」
 その先は、さすがの俺も驚いた。

 

 

 噂はあっという間に広まった。
センセーショナルな話題はやはり広がりやすいようだ。
学校のアイドルと、学校一人気がない偏屈教授。
特にまったく女ッケがないと思われていた教授の結婚の方がみんな興味があるらしい。
バカ牛が教授の名前を出したとたんに、教室中の人間が食いついてきた。
「そうかー…あの教授が結婚かあ…。」
 俺は思わず感慨深げに呟いた。
ゲイの俺から見れば結構タイプだっただけに…
いや、まあだから残念だってほどでもないんだけど。
むしろ俺が気にしているのは…
「お、イワタ!
ニュースだぞ、ニュース!」
 俺が考えているときに、バカ牛が大きく叫んだ。
振り向けば教室の入り口にはずんぐりとした熊の姿があった。
有間岩太。
俺の……クラスメイト。
「あ、いや…」
「学校のアイドルと、偏屈教授が結婚だってよ!」
 俺が止める暇もなくバカ牛は叫んだ。
だからバカだって言うんだ。
「え……?
八田教授が結婚、ですか?」
 バカ牛の言葉を聞いて有間が呟いた。
俺がなんと言えばいいのかわからずにうろたえている間に、
バカ牛はことの詳細を説明してしまった。
「そ、そうなんですか……。」
 明らかに落ち込んだ顔で有間が呟いた。
「うんうん、わかるぜ。
アイドルが結婚すると聞いて俺も落ち込んだもんさ。」
 有間の肩をバシバシとたたきながらバカがわかったようなことを言っている。
有間のことを、何もわかっていないくせに。
「そうですか……。」
 そういって有間は席についた。
やべえ、めっちゃ落ち込んでる。
なんて声かけたらいいんだ…。
小さく丸まった有間の背中を見つめながら俺は一人で悩んでいた。
「ほら、授業始めるぞー。」
 教室に入ってきた教授の言葉も、俺の耳には届かなかった。

 

 

「あ、有間ァ。」
 結局、その日一日分の授業が終わるまで俺は声をかけられなかった。
授業が終わって帰る準備をしている有間に、俺は勇気を出して声をかける。
「はい……?」
 明らかに元気のない顔で有間は振り向いた。
「あ、えーと…元気出せよ。」
 結局俺が考え付いた言葉はその程度だった。
まともに人なんか慰めたこともない俺には元気付ける言葉なんか思いつかない。
それでも、有間の落ち込んだ背中を見つめているだけなんて俺にはできなかった。
「その…また新しい人が見つかるさ。
な?」
 しかしというべきか、やはりというべきか。
俺の言葉程度では、有間はうつむいたままだった。
「その……今日は、もう失礼しますね。」
 そういって有間は立ち上がって再び俺に背中を見せた。
いつもは大きいと思っていた背中が、とても小さく見えた。
「あ、有間!」
 教室から出る大きくて、小さい背中を思わず呼び止めた。
そのまま、いなくなりそうな気がした。
「明日も、ちゃんと来いよ!」
 俺の言葉に、有間は一瞬足を止めただけで立ち去った。

次の日、有間は学校を休んだ。

 

 


「なあ、トライチぃ。」
「黙れバカ。」
 俺に話しかけてくるバカ牛を俺は一喝した。
とりあえず今はバカの相手をしている場合ではない。
有間に、会いに行かないと。
俺は残る授業をすべてサボるつもりで、カバンを抱える。
「トライチぃ、授業は?」
「黙れバカ。」
 さっきとまったく同じ言葉で一喝すると、俺はバカ牛を放置してさっさと教室を出た。
道、覚えてるかなあ…。
そう思っている俺に、声がかかった。
「トライチ、これもってけ!」
 そういってバカ牛が投げてきたのは、丸められた紙。
咄嗟にキャッチして開いてみると、その中には簡単な地図が書かれていた。
目的のところには『イワタ!』と汚い字で書かれている。
「代返はまかせとけー!」
 そういうと牛はさっさと教室にひっこんだ。
まったく、なんでこういうときだけ鋭いんだあの馬鹿。
俺は手の中の紙を握り締めた。
くしゃり、と小さな音がする。
覚悟は、できた。

 

 


 コン、コンと軽く二度ノックしてみる。
お世辞にも綺麗とは言えないアパートの一室に、有間は住んでいた。
これだけ古いアパートだ、ノックの音もよく響いているだろう。
中にいないのか、それともわかってて居留守を使っているのか。
俺はもう一度ノックして、すこし大きな声で中に呼びかけてみた。
「有間ぁ、いないのか?」
 しばらく待ってみるが、返事はない。
やはり…留守なのだろうか。
俺が出直すべきかと考えていると、目の前の古い扉がそっと開いた。
「有間…。」
 扉の間から顔をのぞかせる熊は、泣きはらしたように目が真っ赤だった。
思わず言葉に詰まる。
「坂東さん……なにか、御用ですか?」
 弱弱しい、蚊の鳴くような小さな声で有間はつぶやいた。
おれは改めて腹をくくると、ゆっくりと口をひらいた。
「今日、休んだんだな。」
 俺の言葉に有馬は頷く。
「こんな顔じゃ、学校に行けません。」
 なるほど、それは確かにそうかもしれない。
一目で普通じゃない顔をしている有間は、すぐにみんなの注目の的になるだろう。
でも、それだけじゃないはずだ。
「今日は、教授の授業があるからじゃないのか?」
 俺の言葉に有間は何も言わない。
無理に話を続ければ辛い思いをさせるかもしれない。
でも、覚悟してきたことだ。
「好きだったんだろ、教授のコト。」
 有間はなんの反応も返さない。
でもそれこそが、俺の確信を強める行動だ。
「失恋、辛いよな。
俺も経験したことある。
だからといって、気持ちがわかるなんていわねえけど…。」
 俺の言葉に有間はそっと扉を閉じようとした。
あわてて俺は手を突っ込んでそれを阻む。
「待ってくれ!」
 だが有馬は無言で俺を押し返し、扉を閉めようとする。
俺は必死で抵抗しながら叫んだ。
「辛いならいくらでも愚痴は聞く、
苦しいならいくらでも気晴らしに付き合う!
俺にできることなら、なんだってする!」
 恥も外聞もなく。
ただ、俺は有間に伝えたいことを必死で叫んだ。
「今すぐ立ち直れなんて言わない、
すぐに忘れろなんていわない!
ただ…ただ、俺の前からいなくならないでくれ!」
 涙があふれそうだった。
でも、まだなくわけにはいかない。
まだ伝えなきゃいけないことがあるんだ。
「勝手なこと言ってるのはわかってる、
でも、でも……!」
 俺の手が、扉から外れた。
目の前で、ゆっくりと扉は閉じられる。
無常に響く、カチリという鍵の音。
「好きなんだ、岩太……!」
 俺はその場に崩れ落ち、ぼろぼろと涙を流した。

 

 


 流れる涙をこらえることもできずに、俺は一人で歩いていた。
こんなに苦しいなら、恋なんてしたくなかった。
こんなに悲しいなら、知り合わなければ良かった。
それでも。
それでも狂おしいほどに好きなんだ。
俺は、おまえのことが好きなんだ。
別の誰を見ていたって、
俺のことを考えてくれなくたって。
この気持ちは、俺にとって、
一番の宝なんだ。

 

 


「トライチぃ!」
 朝からハイテンションなバカ牛が話しかけてきた。
「あー…?」
 相変わらず朝に弱い俺は、機嫌が悪いこともあいまってバカ牛は思い切りにらみつける。
昨日有間に告白して、そのまま玉砕した俺に話しかけるとはまさにバカ以外の何者でもない。
俺は本能のままにバカ牛の頭をつかむと、思い切り力を込めた。
「いてててててててて!」
 力の限りアイアンクローを決める俺。
しばらくバカ牛の悲鳴を聞いた後に、手を離す。
少し、すっきりした。
「なんだ、バカ。」
 うずくまるバカ牛に俺は声をかけた。
これで大した用事じゃなかったらもっとひどいコトしてやる。
「あー…。
ほら、おとといの朝におまえタチ今週末遊びに行く計画立ててたんだろ。」
 顔を抑えながらバカ牛がいう。
あー、そういえばそんなこともあったような気がする。
「参加者、決まったぜ。」
 そういってバカ牛は俺に一枚のメモ用紙を見せた。
えーと、参加者は…。
主催者の土居、バカ牛の千倉、俺こと坂東そして最後に―――――
「有間…。」
 メモ書きから視線をあげれば、教室の入り口付近に有間がたっていた。
まだどこか元気のない顔で、有間は俺をじっと見つめた。
思わず俺たちは見詰め合う。
「今聞いたら、イワタも参加するってさ。
珍しいよなー。」
 わかっているのかわかっていないのか。
バカ牛はニコニコしながらそう呟いた。
まったく、俺の機嫌が悪かったら思い切り殴っているところだ。

 有間が小さく微笑んだ。

なあ有間。
早く立ち直ってくれよ。
お前の笑顔が、俺には必要なんだから。