「夢は叶えるためにある」という言説を聞いたことくらいはあるだろうか。
「目標は達成するためにある」という風に言われることもある。
だが必ずしもそれが正しいわけでもない。
今作品は一人のロスガルが英雄と呼ばれる冒険者と出会い、自ら運命を選び取る話だ。

海の都リムサ・ロミンサには調理師ギルドがある。
そこの姉妹店に当たる店での会話からストーリーは始まる。
冒頭の世界観の説明から順にカメラがクローズアップしていく様は、
映画の冒頭で宇宙空間から一気に街中までカメラが下りていくかのような演出だ。

そして突然始まる会話と、二人の間にある料理。
エオルゼアには様々な食材があるが、その中でも匂いや温度など我々の五感に訴えるような描写で一気に読者の注意を引いてくれる。
ポポトという名のイモを食べるシーンでは思わず口の中によだれがあふれてくるほどだ。
そんな料理シーンから始まり、ようやくここに至る経緯が回想として説明される。

チョコボキャリッジに乗ってリムサ・ロミンサに来たという主人公はまさにFFXIVの標準的なPCの代表だろう。
現在のOPではチョコボキャリッジに揺られるところから話がはじまるのだ。
(ちなみに旧版では船にのってやってくるのである)
彼はボズヤと言われる地方の出身。
ゲーム内で戦う相手である帝国の、属州になってしまった土地である。
2020年現在、最新の追加ディスクで選択できるようになった新種族「ロスガル」はこのボズヤに多く住んでいるという設定なのである。

そして彼はそのボズヤからイエロージャケットという治安維持部隊――いうなれば警察入るためにリムサ・ロミンサへとやってきた。
彼は言う。
「英雄、なんて無理だろう」と。
彼にとってはイエロージャケットに入ることこそが「身の丈に合った夢」なのだ。
自分のできる範囲のことで目標を立て、未だ帝国の支配から抜け出せないボズヤの村に送金する。
それが自分を育ててくれた者たちに対する恩返しなのか、あるいは守りたい誰かのためなのか。
確かに堅実な手段ではある。
たとえ才能がなくても、努力があればある程度の収入が見込める堅実な道だろう。

だがそうすんなりと、彼の運命は定まらない。
食事中、唐突にイエロージャケットの捕り物のシーンを見てしまう。
逃げる男とそれを追うイエロージャケットたち。
ここでのイエロージャケットたちは、ずいぶんと粗野に描かれている。
逃げるだけの相手に抜身の剣を持ち、屋台の売り物であるリンゴを投げて男を抑え込む。
確かに効果的なのかもしれないが、少なくとも上品な印象は受けない。
これは読者に対する印象の操作が大きいだろう。
仮に法を犯した相手であっても、やり方というものがあるだろう。
そう思わせて、イエロージャケットが間違っているのではないかという疑念を持たせるのだ。

そして唐突に差し込まれる違う時系列。
プレイヤーであればこれが過去視であることはすぐにわかる。
超える力といわれる、PCが持つ能力のひとつだ。
追われていた彼の過去を見て、彼が殺人事件の目撃者であることを知る。
だがイエロージャケットたちはどうやら追われていた男が犯人だと思っているようで。
ここで不意にミステリー要素が顔をのぞかせてくる。

果たして犯人は誰なのか。
一緒に食事をしていた老人とともに、主人公はこの事件に巻き込まれることとなる。
もっともこの話は本格ミステリーではない。
そもそも「過去視」というミステリーにしてみれば反則のような能力があるのだ。
そこに話を向けたところで盛り上がりも何もあったものではないだろう。

だからここから先は、犯人が誰かというよりも、どうやって解決まで導くのかが重要だ。
犯人は過去を見ていれば自然とわかる。
その能力を、彼がどのように扱い、どのように受け止めるのかという部分にこそ着目するべきなのである。

犯行現場はプレイヤーにはおなじみ、宿屋「ミズンマスト」。
その宿の一室の中である。
そこに向かう間に、彼は冒険者の姿をみる。
ギルドに集まっている若者たち、あるいは目の前でギルドリーダーとやりあう老人の背中。
自分の知らなかった世界、あるいはあきらめた夢がそこにある。

ギルドリーダーと軽口を叩きながら現場検証を始める老人と主人公。
だがこういった本筋とは関係ない掛け合いにこそ目を止めてほしい。
こういった軽い会話の中にこそこの作者の意図が潜んでいるといっても過言ではないだろう。
「今更冒険者ギルドに用ってわけでもないだろう?」
「小便たれのチビ助も偉くなったもんで」
「ネコなのか犬なのか」
こういった会話の端々に、彼らの関係性が見て取れる。
今更と言われれば、昔は来ていたことがうかがえるし、小便たれと呼ぶからにはその時代を知っているのだろう。
そしてネコなのか〜の下りではいつもこうやって首を突っ込んでくる様子が想像できる。
特に説明せずとも、この会話を聞いているだけで読者は自然と彼らの関係性がわかるのだ。
そしてそれと同時に、うっすらとこの老人の正体も見えてくる。
だが主人公である彼は他の冒険者や事件現場に気を取られて気づかない。

やがて老人と主人公は、現場検証から第三の人物がいたことを突き止める。
だがここで過去視をしていた主人公、そしてその話を聞いていた老人も気づいている。
ここにあった死体、逃げた男。
犯人はどこに消えたのか?
イエロージャケットの視点で言えば、逃げた男が犯人だった。
だが最初の印象通りそれは間違い。
ここで、死体が消える瞬間を過去視で見ていたことが示される。

万物はいずれエーテルに還る世界観ではあるが、死体のようなしっかりとした固形物はそんなすぐには消えるものではないのだ。
であれば死体こそが本当の犯人である、というのが彼らの結論である。
ゲーム中でも死体も残さずに死亡したNPCの例はある。
共通して魔力をエーテルとして絞り出したとき、だ。
いわゆる「命を燃やし尽くした」ときには肉体のエーテルすら一瞬で分解される描写がなされる。
今回の殺人事件のネタは、つまりそういうことだ。
プレイヤーであればすんなりと理解できる話だが、NPCたち登場人物にしてみれば理解できない現象だろう。
彼らに「超える力」はないのだから。

こうして主人公である彼の特異性が示される。
彼当人にしてみればこうやって巻き込まれるのは決して望んでいることではなかったろうけれど。
それでも悪くない、と思える未来だった。

そして犯人であった死体を追うことで、彼は戦いにも巻き込まれる。
冒険者としては避けては通れない道だろう。
犯人――おそらくアシエンと呼ばれる存在は、異世界から魔物を呼び放つ。
混乱の中、見知った顔をみつけてとっさに守ろうとする主人公。
彼の手には、巨大な剣。
それをつかむことは、新たな運命をつかむようなものだったろう。
考える余裕もなく、抗うために彼は剣をふるう。
だが心はあっても力は追い付かない。
最後まで「命を燃やし尽くそう」とする彼を、老人が助けてくれた。

ここで読者は安心と納得を得る。
導くように声をかけてくれていた彼こそが英雄だったのだと。
そして主人公は知る。
英雄とははるか遠い先にあるのではなく、自分の道の先にあるものだと。
言われる前に「英雄なんて」と否定していた彼の、本当の夢。

封じ込めていた思い。
目を逸らしていた未来。
それを体現するものが目の前に立っている。
そしてその場所は地続きの道の先。

冒険者になりたい、と彼は言う。
そんな彼に渡される暗黒騎士のソウルクリスタル。

こうして彼は運命をその手で選び取ったのだ。
超える力という彼の特異性。
守りたい人のために飛び出していく意思。
戦うための剣。
目標とする背中。
それらを象徴するソウルクリスタルを手に、彼は自分の未来を選んだ。

一度はあきらめた夢、果たされなかった目標を胸に新たな未来へ。
夢を諦めることは悪いことではない。
再び夢を持つことができる。
目標は達成されなくても構わない。
新たな目標を立てることができる。
大切なのは、自分がどう生きたいのかをはっきりとさせること。
この物語は、彼がそれを自覚するまでの物語。

さて、この話はここで終わっているのだが、もちろん冒険者としての旅はここから始まるのである。
彼が今後どのように旅していくのか、我々がそれを知ることができるかどうかは作者しだいだ。

瓶太