花火
「おにいちゃーん。」
窓の外から俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺はノートに文字を記す手をとめて、部屋の反対側にある窓をあける。
いつの間にか夜になっていたらしい。
窓の外に見える小さな空には数少ない星が瞬いていた。
窓から身を乗り出し下を覗き込むと、Tシャツに短パン姿の犬の少年がこちらを見上げていた。
薄暗い夜の空気に彼のクリーム色の毛並みが浮かび上がるように見える。
月の光を浴びて、全身を光らせるその少年は胸にたくさんの花火を抱えていた。
「おにいちゃん、はやくぅー。」
花火を大切に抱え、尻尾を大きく振りながら少年は叫んだ。
よっぽど花火が楽しみだったのだろう、まだ約束の時間には10分ばかり早かった。
生き急いでいるかのような彼の行動をほほえましく思いながら俺は軽く手を振ると階下へと降りる。
俺の家は築50年を越える庭付き一戸建て。
もちろん俺が買った家なんかじゃない。
昨年死んだ両親が残してくれた遺産の一部だ。
社会人一年生の自分としてはかなり分不相応な家に住んでいるとは思うが、親の残してくれたものには違いない。
売ることもせず、俺はできればずっとここで暮らすつもりだった。
「おにいちゃん、早くしようよ!」
バケツに水を汲み縁側にでてくると、すでに花火を広げろうそくも立ててある。
その準備のよさに俺は思わず苦笑した。
「ちゃんと家のヒトには断ってきたのか?」
「うん!」
俺は庭の端にある植木の向こうに覗く家をちらりと見やる。
そこが少年の家。
最近越してきたばかりのその家族は、両親と息子が一人のごくありふれた一般家庭。
ただ、両親が共働きしていることもあり少年はよく庭で一人で遊んでいた。
そんな少年が俺になつくのに時間はかからなかった。
少年とは種族が違う虎、しかも白と黒という特殊な毛皮を持った虎を少年は兄のように慕った。
俺も、一人っ子だったこともありなついてくる少年を実の弟のようにかわいがってきた。
「早くっ、早くっ。」
少年は俺がマッチを擦る時間も待ち遠しいらしい。
俺はポケットからマッチ箱を取り出し、ろうそくに火をつけた。
月明かりだけに照らされた様子を伺うことも難しい庭が、一部だけはっきりと姿を現す。
「じゃ、はじめるか。」
俺の言葉が終わらないうちに少年は手近にあった花火を手に取りすでにろうそくに向かってかざしていた。
しゅっという小さな音を立てて花火の先端に火が移る。
そして、火薬にまで火がうつると一気に光と音を放出し始めた。
「わはー・・・。」
少年は尻尾を振り、この上ない笑顔でそれを見つめている。
そんな少年に続くように俺は花火を一本手に取ると、少年が作り出す火花の中にその先端をさらした。
あっという間に花火は辺りを照らす明かりとなる。
俺と少年の間にある小さな昼は、交互に花火を持ち帰ることでいつまでも続いた。
「よし、次はこれ行くぞ。ドラゴン花火!」
俺は大きな筒状のものを地面に置くと、マッチで導火線に火をつける。
俺の手元を覗き込んでいた少年と、火をつけ終わった俺は小さく歓声をあげながら一目散にその場から逃げ出した。
一定距離をとり振り返ると、まさにその瞬間目の前に火の滝が生まれていた。
少年はそれをみてさらに大きく声を上げる。
俺はそんな少年を見ながら知らず微笑みを浮かべていた。
「もうこれで最後かぁ・・・。」
少年は寂しそうにつぶやいた。
その手には線香花火の束が握られている。
俺はその手から一本線香花火を引き抜くと俺はろうそくから火をもらいその場にかがみこむ。
「俺はこれが一番好きでなあ・・・。」
少年は俺の言葉に耳を傾けながら、俺と同じようにすぐ隣にしゃがみこんだ。
二人の手の中ではぱちぱちと小さな音を立てて線香花火がその存在を主張している。
ともすれば消えてしまいそうなその儚さを俺はじっと見つめていた。
そうすることで、いつまでも続くのではないかと思いながら。
「まあ、さっきまでしてたような派手な花火もいいけどな。
ゆっくりと、その存在を俺たちに押し付けないような。
そんなやさしい炎を俺は感じるんだよ。」
俺の言葉を聴き、隣で少年はほうけた表情を浮かべている。
「わかんないよな・・・。
俺もよくわかんねえ。」
そういって俺は笑った。
少年もつられる様に笑い声を上げる。
俺たちの声におびえたかのように、二人の花火は同時に終わりを告げた。
俺達は二本目の花火に火をつける。
「そういや、スイカが安かったから買ってあるんだ。
食っていくか?」
今度の俺の言葉に、少年は目を輝かせた。
「食っていく!」
元気よくそう叫ぶ。
その拍子に少年の花火は地へと吸い寄せられていく。
三本目を手にする少年。
「あ、でもスイカは体が冷えるからなあ。
おねしょするような子供は食べちゃ駄目だなあ。」
そういって俺は少年の方を向きながらにやりと笑う。
その言葉を聞いた少年は耳をぴんと立てて抗議した。
「おねしょなんてもうしないよっ!
10年・・・は経ってないけど。
そんな子供じゃないんだからっ!」
そういいながら線香花火を放り投げ俺の頭をぽかぽかと殴る。
「ああ、冗談だ冗談。
わかったからそんなにたたくな。」
俺たちの笑いは花火がなくなるまで続いた。
しゃこん。
軽快な音とともにまな板の上でスイカが二つに割れる。
といっても1/4サイズのものだったので大きさはそれほどでもない。
さらにいくつかに切り分けると俺はそれをさらに乗せ、居間からこちらを覗こうとしている少年のもとへと運んだ。
少年は「いただきます!」と元気よく叫ぶと目の前のスイカを手に取り勢いよくかぶりつく。
俺も少年に習うように口をあけてかぶりつく。
口の中にたくさんの水分と、ほのかな甘みが広がる。
「そういや、リュウはもう進路決めたのか?」
俺の言葉に少年は大きく頷いた。
「うん、もう決めたよ。
看護学校に入るんだー。」
笑顔で少年は話してくれた。
男が看護学校、と言うのに多少違和感を覚えたが俺の感覚が古いのだろう。
実際、たくさんの看護士がいることは俺も知っている。
目の前でスイカを食べている少年は、心優しい少年であると短い付き合いでもよくわかる。
実際、向いているだろうと俺にも思えた。
「看護士か。
ドジなことして患者さんを酷い目に合わせるんじゃないか?」
俺の言葉に少年はぷうっと頬を膨らました。
「そんなことしないもん。」
そういってぷいっとそっぽを向く。
そんなしぐさの一つ一つがとてもほほえましかった。
スイカを食べ終えた少年は縁側に座り涼を取っている。
珍しいことだが、何か考え事があるらしい。
「おにいちゃん、今日泊まって言っちゃ駄目?」
少年は振り向き、真剣な顔でそう言った。
彼が俺の家に泊まるのはよくあることだ。
そうそう緊張するようなこともないだろうに・・・。
「ちゃんとご両親に許可貰ってきたらな。」
俺はいつものように答えた。
その言葉を聞いて少年は電話の置いてある場所へと走っていった。
数分後、少年は満面の笑みを浮かべて戻ってきた。
まあ垣根を越えれば数十秒で戻れるような距離だ。
俺自身も彼のご両親ともよく話しをするし、いまさら駄目だと言われるような要素はないだろう。
「じゃあさっさとシャワー浴びてこいよ。
布団の用意してやるから。」
そういって立ち去ろうとする俺の尻尾を少年がつかんだ。
思わず全身がびくり、とはねる。
「その・・・」
今まで見たこともないほど顔を赤くしている。
「一緒に・・・寝たい・・・。」
一緒の布団に寝たい?
何かよっぽどの悩み事でもあるのだろうか。
いつもはそんなことを言い出すような性格ではないのだが・・・。
ともかく、断る理由もない俺は戸惑いながらもOKを出した。
少年は安心したように息を吐くと、恥ずかしさを隠すように浴室へと走っていった。
少年と入れ替わりに俺は風呂へと入った。
風呂から上がり、戸締りを確認して寝室のある二階へとあがる。
少年は俺が用意した俺のTシャツとトランクスを穿いて布団の上に転がっている。
俺のシャツもトランクスも少年には大きく、トランクスなど気を抜けば落ちてしまいそうなほどゆるい。
「さ、電気消すぞー。」
現在の時刻は23時を回るか回らないか、といったところ。
普段ならこんな時間に寝ることはないのだが、少年にあまり夜更かしをさせるわけにもいかない。
それにどうも何か俺に話したいことがあるらしい。
暗くして、お互いの顔がよくみえない状態であれば少しは話しやすいだろうという思いもあった。
豆電球の明かりの中で、俺と少年は同じ布団にもぐりこむ。
少年の華奢な肩が俺の体に触れた。
改めて横顔を見ればどこか幼さを残しているようにも感じられる。
俺は少年が口を開くまで無言で待ち続けた。
「おにいちゃん・・・。」
意を決したように少年は口を開く。
非常に言いにくいことを言おうとしているらしい。
「その・・・・・・・・・・」
長い沈黙の後。
「お、おちんちんが・・・大きくなるの。」
彼はそういって、腹にかけていたタオルケットで顔を覆った。
俺はそれを聞いて一瞬呆然とする。
何だそんなことかと、安堵の気持ちが俺の心を覆った。
「あー・・・それは勃起って言ってだなあ・・・昔ならっただろ?」
俺の言葉に少年は顔を隠したまま頷く。
「でも・・・大きくなったときにどうしたらいいかわかんなくて・・・。
学校でも大きくなっちゃったりしたらしばらく動けないし・・・。」
吹っ切れたのか彼はすんなりとしゃべった。
もっとも、その声はどことなく鼻声であったけれど。
「お前オナニーはしてるか?」
俺の言葉にようやく少年はタオルケットから顔をだした。
初めて聞く言葉に不思議そうな表情を浮かべている。
若い盛りにオナニーもしていないんじゃあ、日中に立ったりしてもしょうがないだろう。
「えーとだな、夜とか、一人の時間にだな、あらかじめ処理をしておけば、
まあ昼間に、勃起とか、そういうことも少なくなる、と思うんだが・・・・。」
こういうことをまじめに教えるのにもどこか恥じらいを感じた。
俺はしどろもどろになりながらも少年に対して説明を続けた。
「どうするの・・・?」
少年は上目遣いで俺を見つめる。
心なしかその瞳は涙ですこし潤んでいた。
俺の心にいたずら心が芽生える。
「今からすることは、誰にも内緒だぞ。」
「んっ・・・。」
若いだけに反応は早い。
俺が少年の股間を軽くもんでやるとあっという間に俺の手の中でそれは最硬度に達した。
「おにいちゃん・・・。」
少年は不安そうな顔でこちらを見上げる。
「大丈夫だ、すぐに気持ちよくなるからな。」
そういって俺は彼に絡みつく衣服を取り去った。
俺の腕の中で少年は全裸になる。
生まれたままの姿。
だが、その股間だけは大きく張り詰め自身の成長を物語っている。
俺はそっとそれを手中に収める。
俺の手が触れた瞬間少年はびくん、と体を振るわせた。
まともに感じたことのない快感だったのだろう。
少年は先ほどよりもさらに不安そうな顔でこちらを見ていた。
俺は構わずにそっと少年を握り手を動かしてやる。
「あっ・・・ひゃ・・・。」
少年の口から喘ぎともおびえともつかない声が漏れる。
俺はそれに構わずに、ペースを変えることなく手を動かし続けた。
先走りがもれてきたのか、くちゃくちゃという音に変わってくる。
そのころには少年も明確に快感を感じ始めているようだった。
襲い来る快感に耐えるように少年は俺にしがみつく。
そんな少年を見ながら、俺はなぜか勃起していた。
少年の若さにあてられたのだろうか。
自分の股間が熱くなるのを感じながら、俺はゆっくりと少年を追い上げていった。
「おにいちゃん・・・僕、おかしくなる・・・。」
息も絶え絶えに少年は訴える。
それでも俺は小さく頷くだけで手を休めようとはしなかった。
俺は手の動きを少しずつ、少年が対応できるスピードで早めていく。
それに比例するように早くなる少年の呼吸。
「も、もれる・・・ッ!」
そして、少年は自らの頭を越すほどの勢いで射精をした。
「気持ちよかったか?」
耳元でささやく俺に、少年は小さく頷く。
少しして、呼吸が落ち着いてきたころ少年は俺の股間に手を伸ばしてきた。
「おっきい・・・。」
「してくれるのか?」
俺の言葉に少年は照れた表情のまま頷いた。
俺は自ら下着を下ろす。
そそり立つ俺の分身。
それは少年のものとは違う、完全な大人のものだった。
少年は先ほど自分がされたことを必死で思い返しながら俺に返してくれる。
稚拙な愛撫だが、それでも俺は気持ちよさを感じていた。
「リュウ、気持ち良いぞ・・・。」
その夜、俺と少年は互いに2発ずつ射精した。
あの夜の出来事があってから、少年はさらに俺になついたようだった。
ことあるごとに俺に相談にやってくる。
その内容は性的なものからちょっとした生活をしていくうえでの疑問のようなものまで。
それこそ千差万別だった。
しかし俺も仕事を抱えて忙しい身、かわいい弟分に答えてやれないこともしばしばあった。
そして、俺のそんな態度がひとつの結果を招いた。
それは夏が過ぎ、秋も終わり、次の季節である春を渇望する季節。
ある雪の日のできごとだったと記憶している。
少年の母親が血相を変えて飛び込んできたのだ。
いつも温厚な表情しか見たことのなかった俺はずいぶんと驚いた。
だが、彼女の言葉はそれ以上に俺を驚愕させた。
今でもその言葉は忘れられない。
「息子が、自殺しました。」
俺の記憶にあるのは病院に着いたときから。
どうやって病院に行ったのかは覚えていない。
気がついたら、彼のいる病室に駆け込んでいたのだ。
点滴を受け、ベッドの中で弱弱しく呼吸を繰り返す少年の姿。
どうやら眠っているらしかった。
「リュウ・・・。」
俺の言葉にも少年は反応を返さない。
しばらくの沈黙が続く。
俺は黙って少年の顔を見つめ続けた。
そうすれば少年が目覚めるかのように、俺は時間を気にせずにずっとその場にたたずんでいた。
少年が目覚めたのは俺が病室について、何時間たってからだろうか。
昼寝から覚めるように、少年はごく自然に目を覚ました。
ぼんやりとした頭で何を考えているのだろうか、しばらく病室を眺めた後そばにたたずむ俺に気がついた。
「あ、おにいちゃん。おはよう。」
自然な笑顔。
ここが病院でなければ、少年が自殺をした後でなければ、俺はいつもどおり「おはよう」と答えて彼の頭を撫でていただろう。
だが今の俺には引きつった笑顔を浮かべることしか出来なかった。
「おにいちゃん・・・。」
少年は不安げな顔でこちらを見上げる。
何かをしゃべらなければと思うが言葉が出てこない。
俺は腹のそこから声を絞り出すようにして口を開いた。
「元気、そうだな・・・。」
ようやく俺が搾り出した言葉はそれだけだった。
果たして自殺をこころみた人間に適当な言葉だったかどうかはわからない。
「うん、腕怪我しただけだから・・・。」
そういわれて俺は少年の肘の辺りに包帯が巻かれていることに気がついた。
俺の中では自殺と言えば手首だったが少年にとっては違ったようだ。
その包帯を見つめながら俺は悩んだ。
果たして今、自殺について問いただすべきだろうか。
俺としてはどうしてそんなことになったのか、理由が聞きたい。
だが自然に振舞う少年を見ると、今は触れてほしくないようにも見える。
悩んだ末に、俺は触れないことにした。
もし話を聞いてほしければ、少年から話すだろう。
「正月は、どこかに帰るのか?」
唐突な俺の言葉に少年は一瞬虚をつかれたような表情を見せる。
それが見えたのも本当に一瞬のことで、すぐに少年はいつもの笑顔を見せた。
「ううん、家で過ごそうと思ってる。」
「じゃあ一緒に初詣でも行くか。」
俺の言葉に少年は顔を顔を輝かせた。
もし彼にかかっている布団がなければ大きく横にゆれる尻尾を見ることが出来ただろう。
「それまでに、退院しとくんだぞ。」
そう言って俺は彼の頭をわしわしといつもどおりに撫でてやった。
少年は笑顔で頷く。
「じゃあ今日はもう帰るな。
また明日、顔を見に来るから。」
少年の頭をひとしきり撫でると俺はそういって病室の扉を開けた。
「おにいちゃん、ありがと・・・。」
少年から弱々しい声が聞こえる。
俺がその場で振り返ると、少年はベッドにもぐりこんで俺から表情が見えないようにしていた。
少年の意志を尊重し、俺はすぐにその場を去った。
それからというもの、俺は毎日のように病院へ通った。
少年が望みそうな手土産を持って、毎日の世間話を繰り返すために俺は少年のもとを訪れる。
そんな俺を少年はいつも笑顔で迎えてくれた。
俺もまた少年が喜んでくれるように笑顔を見せる。
根底にある「自殺」と言う問題に触れるのを恐れるかのように俺たちは以前のような日々を装っていた。
そんな日々は一週間と持たなかった。
ある日の少年は、笑顔を装うことすらしていなかった。
俺はそれを見てすぐに気づいた。
来るべき日が来たのだと。
「おにいちゃん・・・話聞いてくれる?」
俺は無言で頷くとベッドの横にある丸椅子に腰掛けた。
俺が座ったのを見て少年は小さく微笑む。
「看護士になりたいって話、したよね?」
俺は頷く。
夏の日に、少年が嬉しそうに夢を語ったのを俺は覚えていた。
「誰かを救いたかった。
ヒトの役に立つことをしたかった。
そう思ったから僕は看護士になりたいって思ったんだ。
短絡的かもしれないけど、やっぱりヒトを救うにはそれが一番わかりやすいと思ったから。」
間違ってはいない、と俺は思う。
もちろん医療関係者以外にももっと別の方法もあるだろう。
だけど看護士となって苦しむヒトの力になりたい、という少年の考えはストレートで俺にとっても正論と思えた。
「でも、でもなんだか。」
少年の声が暗くなる。
「なんだか、何をしたかったのかわからなくなっちゃった。」
そういって、少年はぽろぽろと涙を流した。
声が漏れないように歯を食いしばり、両手でシーツを握り締めるその姿はとても痛々しかった。
俺は黙って流れる涙をぬぐってやる。
「僕の友達が入院したんだ。」
涙をこらえながら少年は必死に言葉を続ける。
「難しい病気で・・・治らないって言われてた。
もちろん本人に話はしなかったけど。
でも、うすうすわかってたみたい。
今は本やなんかもいっぱいあるから自分の飲んでる薬や症状から。」
そこでいったん区切り、大きく深呼吸する。
涙はまだ止まらない。
鼻の方にも流れたのだろう、鼻水も出てきている。
俺はティッシュでそれをぬぐってやった。
「薬や治療の副作用でずっと苦しんでた。
・・・僕に死にたいって漏らして。
どうせ死ぬならもう楽にいきたい、って。」
そう言って少年は嗚咽を漏らしながら涙を流す。
それでも、話は続く。
少年は涙に負けないように必死で戦っている。
「結局苦しんで死んでいった。
・・・わかんなくなった。
医療ってヒトを救うものだとずっと思ってた。
でも彼は、逆に治療するから苦しんで・・・泣きながら毎日過ごして。
それで。
自分のしたいことがわからなくなって。
何を目指して生きていたのかわからなくなって。」
「・・・自殺、したのか。」
少年の最後の言葉は涙に侵されほとんど聞き取ることが出来なかった。
俺が改めて聞き返すと少年はゆっくりと頷いた。
・・・相当のショックだったろう。
自分の信じてるものが裏切られ、それどころか正反対の面をいきなり見せられたのだ。
この年頃ではそれを受け止めることが難しかったのだろう。
「なあリュウ・・・。
俺は医療のこととかよくわからないし、お前が抱えた悩みに答えを教えてやれるほどえらくもないけどさ。
・・・お前がいなくなると寂しいんだ。
俺のエゴかもしれないけどさ。
やっぱお前には死んでほしくないんだ。」
少年は俺にしがみつき、胸に顔をよせ泣いた。
俺はそっと彼を抱きとめると頭をゆっくりと撫でてやる。
少年が泣き止むまで俺たちはそうしていた。
「なあリュウ・・・。」
俺の言葉に少年は顔を上げる。
「死ぬのだけはやめてくれないか。
・・・せめて、俺に話してくれ。
お前が今つらいのと同じで、お前がいなくなったら俺もつらいから。」
おそらく今の俺はかなり赤面しているだろう。
頭に血が上ってぼんやりとしている。
「・・・うん。」
少年は小さくそう答えると、俺にキスをした。
「・・・!」
突然のことに俺は動きが止まる。
確かに俺たちはしごきあいのようなことをしていたが、キスは初めてだった。
「疲れたから、もう寝るね。」
涙をぬぐい少年はそう言った。
ごそごそと布団の中にもぐりこむ。
俺はしばらく固まったまま現在の状態を把握することで精一杯だった。
新年。
俺と退院した少年は約束どおり初詣に来ていた。
あれ以来少年は以前に戻ったかのような笑顔を俺に見せてくれた。
以前と変わったのは少年が深刻な相談をする時はそれとわかるようにあらかじめ言うようになったこと。
これのおかげで俺はあらかじめ時間をとって少年の話を聞くことが出来るようになった。
それともうひとつ。
時々少年が熱っぽい視線で俺を見つめるようになったこと。
たまに俺が彼を見つめ返すと顔を赤らめて視線をそらすようになった。
・・・どういえばいいのやら・・・。
「おにいちゃん何をお願いしたの?」
「お前が言ったら教えてやる。」
俺の言葉に少年は不満そうに頬を膨らませた。
「両思いになれますように、ってお願いしたんだよ。」
少年は不満そうな顔のまま、顔を赤くしてそういった。
両思い・・・、その対象はあえて聞くまい。
たぶんその答えがでるにはもう少し時間が必要だ。
「で、おにいちゃんは?」
少年は歩く俺の前にすばやく回りこむと、興味津々といった瞳でこちらを見上げた。
「んー・・・、いつもどおりの一年でありますように、かな。」
「えー?」
不思議そうな少年の顔を尻目に、俺は彼の横をすり抜け再び歩き出した。
少年は慌てて俺の後に続く。
「いつもどおりがいいの?」
「日常ってのはな、いつもどおりだからいいんだよ。」
世の中、何もかもが同じではない。
変わっていくこともあるし、変わらなければならないこともたくさんある。
それでも。
「いつもどおりなら、お前とずっと一緒にいられるからな。」
いつもどおりに、俺は少年の頭を撫でた。
終