第一話「恋人達の一日」
ポン太は食パンにジャムを塗るとそれにかじりついた。
半分寝ぼけた顔でかじりついているため、鼻の頭にイチゴジャムの塊がへばりつく。
それでもポン太は目を閉じたままそれをかじりつづけた。
「お兄ちゃん!目を開けて食べてよ!
ほら、鼻の頭にジャムついてるじゃない!」
そういってポン太の目の前に座る少女はティッシュを手にするとポン太の鼻の頭を拭った。
ポン太は眉をひそめながらされるがままにしていた。
「クローネ…もうちょっと優しく…。
痛い…。」
寝ぼけた顔でポン太は呟く。
それでもクローネと呼ばれた少女はごしごしとポン太の鼻を拭った。
ぺんぽーん。
間の抜けた音が家中に響く。
「あら、こんな時間にお客様かしら?」
ポン太の鼻をこする手を止めてクローネは制服の上にきたエプロンを外す。
「!」
だがポン太が突然目を開くと、テーブルの上にあった眼鏡をかけ、
隣の椅子においてあった鞄をつかんで走り出した。
「ごめん、クローネ!
先いくね!」
先ほどまでの眠気はどこへやら、ポン太は目をしっかりとあけていた。
「もう、なんなのよ!」
エプロンを手で丸めながらクローネは1人でそう悪態をついていた。
「よう!」
門柱にもたれながらポン太を待っていたドーベルマン。
学生服のズボンに半そでの白いシャツ。
胸元のボタンは大雑把にしか留められて折らず、逞しい胸板が顔を覗かせている。
「ドル先輩、おはようございます!」
同じく学生服をきたポン太が叫ぶ。
自分の身の丈よりも大きな門を開け、隙間からすり抜けるようにして外に出るとドルの元にかけよった。
「今日から一緒に登校できるんですね!」
嬉しそうにポン太がドルを見上げる。
ズボンからでている彼の尻尾はちぎれんばかりに振られていた。
「おう、じゃあ学校いくぞ!」
ドルはポン太の頭を撫でながらそう言った。
二人は並んで学校への道を歩く。
「しかしあれだな、なんだか夢みたいだな。」
ドルが照れたような顔を見せながらそう言った。
その顔は満面の笑みが浮かべられている。
「何がですか?」
ポン太は不思議そうな顔でそう聞き返した。
「いや、その…。
俺がお前に一目ぼれしてから、もう何ヶ月かたつわけだろ?
あの頃はお前とこうして付き合えるなんて思ってもなかったしな。
それにほら、こうやって一緒に登校とか…
あー、もういいだろ?恥ずかしいんだよ!」
そう言ってドルは真っ赤な笑顔でポン太の頭にヘッドロックをかけた。
ポン太はいきなりのことに慌てて抵抗する。
「せ、先輩!イタイイタイイタイ!」
それでもポン太の尻尾は、ずっと大きく振られっぱなしだった。
「アツアツだな、お前ら。」
ポン太が自分の席につくと、前に座っていた虎が振り返ってそう言った。
「あ、マキシム。おはよ。」
虎の言葉にポン太は笑顔で挨拶を返した。
虎はこれ見よがしに溜息をつく。
「朝からベタベタしてくれてよぉ…。
こっちは女日照りだっつうの。
と、お前らも男同士だから女日照りには違いないか。」
虎はジト目でポン太を見つめながら嫌味を言う。
ポン太は困ったような笑顔を浮かべながら逸れを聞いていた。
「マキシムもてないの…?」
ポン太がポツリと言った言葉に虎は大きな反応を見せた。
「ああもてないさ!
ラグビー部なんて彼女作ってる暇もないんだよ!」
ポン太の言葉が何かに触れたのか、彼は突然身を乗り出して叫んだ。
虎が叫ぶたびにツバがポン太の眼鏡と毛皮に飛んでくる。
ポン太はポケットからハンカチを取り出して眼鏡を拭う。
「…えーと。
一限目、数学だけど宿題してきた?」
その言葉に虎はきょとん、とした表情を浮かべ、続けて顎が外れるかと思うほど口を大きく開ける。
「バーツ…。見せてくれ…。」
泣きそうな表情の虎に、ポン太は溜息をついて数学のノートを差し出した。
マキシムはそれを受け取ると、その中身を自分のノートへと書き写していく。
「そういやさあ…。」
机に向かったままマキシムはバーツに話し掛けてきた。
「お前ら付き合いだしたのっていつ頃なんだ?
なんか気が付いたらいつも一緒にいるみたいだけど。」
その言葉にポン太は少し赤面しながら思い返す。
「えと…、告白されたのが一年の時のクリスマス直前。
それから色々と考えて…正式に付き合いだしたのはついこの間だよ。」
マキシムは突然振り返るとシャーペンの頭をポン太の鼻先に突きつける。
「一応きいてやるが、わかってるよな?
あのヒトがどういうヒトか。」
そう言うマキシムの目は真剣そのものだった。
「うん…。
不良だ、って言いたいんでしょ?」
「札付きの、な。」
そう言ってマキシムは再び机に向かいノートを写す。
「わかっててよく付き合う気になったよな?
色々噂のあるヒトだぜ?」
その言葉を聞いてポン太は少し悲しげな表情を浮かべる。
もちろんマキシムにその表情は見えていないが。
「うん…でも僕がやめて、って言うようになってから喧嘩とかも止めてくれるようになったし…、
それに、優しいところもあるし…。」
なかばしどろもどろでポン太はドルの弁護を始める。
「いや、お前がそのつもりで付き合うんなら俺は止めねえけどさ。
それなりの覚悟はしとけよ?
…俺だって、いつも助けてやれるわけじゃねえんだからな。」
それは裏を返せば、出来るだけ助けてやる、というマキシム特有の言い回しだった。
その言葉にポン太は「ありがとう」とだけ答えた。
「ポン太ーっ、終わったかーっ!」
4限目終了のチャイムがなると同時にドルがポン太の教室に飛び込んでそう叫んだ。
教室中の視線がドルに集中する。
「あの、ドル君…。
できれば授業が終わるまで待ってもらえませんか?」
世界史の授業をしていた獅子の教師が遠慮がちにそう言った。
「まあそう硬いこというなよ、シオン。」
ドルは獅子の言葉を笑って流した。
「先輩、ちゃんと外で待っててください!
あと先生にそんな口聞いちゃダメですよ!」
ポン太は顔を真っ赤にしながらそう叫ぶとドルを教室から追い出した。
少しすねたような表情を見せドルは退散していく。
「シオン先生、申し訳ありません…。」
「いえ、ちょうどチャイムも鳴りましたしここで終わりにしましょう。」
そういってシオンは手にしていた教科書を閉じた。
「なんだ、やっぱり終わりじゃないか。」
扉の隙間からドルが顔を覗かせてそう言った。
「もう、誰のせいだと思ってるんですか。」
ぶつぶつと文句を言いながらもポン太もまんざらではなさそうだ。
新学期が始まったばかりということで、授業時間は午前中までである。
二人は、学校が終わり次第一緒に昼を食べる約束をしていた。
「あれ…。」
鞄の中に手を入れていたポン太がそう呟く。
「どしたー?」
ポン太にもたれかかりながらドルが鞄の中を覗いた。
「お弁当、忘れてきちゃった…。
先輩の分と僕の分、作ったのに…。」
ポン太は耳を伏せ、尻尾をだらりと垂らしてそう呟いた。
今にも泣きそうな顔と声に、ドルは慌てて声をかける。
「なら学食いこうぜ、学食。
おごってやるよ!」
その言葉にポン太は落ち込んだまま頷いた。
「あの、ちょっと通していただけますか?」
ドルの後ろから女性の声がする。
ドルが扉から離れて振り向くと、ポン太と同じマラミュートの少女。
「…クローネ。」
ポン太の妹のクローネだった。
彼女は手にもった弁当箱をポン太に差し出す。
「忘れていったでしょ、お弁当。
しかも二つも。
もう、しっかりしてよ!」
そういってクローネはポン太に弁当を押し付ける。
「あ、ありがとう。」
ポン太はなんとかクローネに対して礼を言った。
ふとみれば、ドルが説明を求めるような目でこちらを見ている。
「あ、先輩紹介しますね。
妹のクローネです。
クローネ、こっちはドル先輩。」
クローネはドルにぺこり、とお辞儀をする。
「よろしくな。」
ドルは笑顔でそう言った。
右手を差し出しクローネに握手を求める。
クローネはその手を軽く握るとすぐに手を離した。
「じゃあお兄ちゃん、私友達待ってるからいくよ。」
それだけ言うと、クローネはさっさと出て行ってしまった。
「すいません、先輩。
ちょっと気が強くて…。」
「ちょっと、って感じじゃねえけどな。」
ドルは笑いながらそう言った。
ポン太の手にある手作りの弁当を、ひょいと摘み上げる。
「喰いにいくか。」
ドルの言葉にポン太は笑顔で頷いた。
二人は屋上を目指して階段を上る。
「あ、屋上ですよー。」
そういってポン太は先に階段を駆け上がる。
ドルも負けじとポン太の後を追った。
扉を開け、屋上に出る。
フェンスで囲まれたそこはさわやかな風が吹いていた。
「お、いい風だな。」
「まだ四月ですからねー。」
そんなことを言いながら二人は適当な場所に座り弁当の蓋をあけた。
ポン太が造った料理が中には大量に詰められている。
ドルはよろこんでそれを食べ始めた。
「喉に詰めますよー。」
そういいながらポン太は笑顔でゆっくりと食べる。
対照的な二人の食べ方は、ドルが先に食べ終わることで崩れた。
「超うまかった!
ごちそうさん!」
笑顔でドルはポン太にそう言った。
ポン太は箸で卵焼きをつまんだまま笑顔を見せる。
それをみてドルは何かを思いついたらしく、ポン太に向かって口をあけた。
ポン太もすぐにその意図を察する。
「先輩、あーん…。」
そう言いながらポン太はドルの口の中に卵焼きを入れてやった。
ドルは嬉しそうにそれを食べている。
それを食べ終わると、ドルはポン太の肩をそっと抱き寄せた。
ポン太も抵抗することなく、それに従う。
「で、これから予定あるのか?」
ドルの問いにポン太は少し考えて口を開いた。
「クラブに顔出して帰ろうと思ってるんですが…。」
それを聞いてドルの顔が笑顔に変わる。
「よし、じゃあ一緒に帰るか。」
「はい!」
そういってポン太はドルに抱きついた。
がっしりとした腰や厚い胸板が腕や頬を通して感じられる。
ポン太もドルも、お互いに赤面したまましばらくそのままの態勢でじっとしていた。
「こんんちは…ってあれ。」
ポン太は美術室の扉をあけて挨拶をする。
だが底には誰の姿もなかった。
扉を開け、体を中に滑り込ませる。
何の音もない部屋に、二人の足音が響いた。
「人数少ないからたまにはこういうことも…。」
突然、ドルがポン太の手をつかんだ。
ポン太が何事かと思いドルを見上げる。
ドルは真剣なまなざしでポン太を見つめていた。
その顔が、ゆっくりとポン太に近づいてくる。
そして、二人の唇が始めて重なった。
どちらからともなく二人はいったん離れる。
お互い顔を赤らめて見つめ合う。
「ポン太…。」
ドルがポン太を抱きしめた。
ポン太の首筋にドルの鼻先が埋められる。
ドルの手がポン太の体をまさぐりはじめた。
「せ、先輩…ダメ…。」
その言葉にドルは動きを止める。
「ここ、学校ですから…。」
そしてドルはポン太から体を離した。
ドルは申し訳なさそうな表情をうかべて下を向いている。
「その…悪い…。」
気まずさからかそれきり二人とも黙ってしまう。
沈黙が支配する部屋に、二人は立ち尽くした。
沈黙を破ったのはポン太だった。
「帰りましょうか。」
何時もの笑顔で、ポン太がそういった。
それを見て、ドルもなんとか笑顔をうかべる。
こうして二人は帰路についた。
「明日も弁当、作ってきてくれよ。」
「もちろんですよ!」
二人の恋物語は、ココから始まる。