クリスと里帰り



「え、父さんが…?」
 思わず口から言葉が漏れた。
近くにいた友人が振り返る。
「クリス、どうかした?」
 不思議そうな顔で、彼は覗き込んでくる。
空色の毛皮、ピンと立った耳、くりくりとよく動く大きな目。
そして狼らしい大きな口も、騎士らしい袖から覗く太い腕も。
全てが僕を動揺させてくれる。
 ボルシチ・ビーツ。
僕の大切な大切な。
親友、だ。
「あ、うん…。
なんか、父さんが病気で倒れたらしくて…。」
 思わず視線をそらしながら僕は呟く。
…私は、呟く。
「マジかよ、大変じゃねえか!」
 まるで自分の事のように、彼は目を白黒させて驚いた。
彼にとって、友人のピンチを自分のピンチに置き換えるなど、朝飯前なのだ。
「ほら、こんなことしてる場合じゃないだろ。
早く帰る準備しないと!」
 そういうや否や、彼は私の手を取って部屋に向かって走り出す。
思わず引っ張られ、そのまま走り出しそうになるのを必死で堪えた。
「ちょっとボル…ボルシチ!」
 なんとか声をかけ、彼を制止する。
「なんだよ、急ぐんだろ?」
 心底不思議そうな顔で彼は尋ねる。
確かに急いだ方がいいのだろう。
何ができるのかを検討し、実家に帰るのか手紙を送るのか、あるいはお金を送るのか。
そういった対応を決めなければならない。
だが、今ここで走り出すわけにもいかないのだ。
「廊下を走っちゃダメだよ。
ただでさえ…先輩方には睨まれてるんだから。」
 声を落とし、小さな声で私は呟く。
 私たちは、とある師団に入隊したばかりなのである。
タルンだけが集まってできた師団『臥薪嘗胆』。
そこに新兵として私たちは配属されたばかりなのだ。
 加えて、ボルシチは配属初日にある先輩とトラブルを起こしてしまった。
それが故に、私たちは先輩達からしっかりと顔を覚えられてしまったのである。
だから僕は…私は。
たとえどんな時でも、出来得る限り品行方正に努めようと決めたのだ。
どんな場面でも…、それが私の頭の中であってもだ。
少しでも早く、慣れるために。
「確かに規則じゃそうかもしれねーけどさ。
そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」
 ボルシチにとっては、僕の父の病気はそれだけ大事らしい。
確かにそう取ってくれるのは有難い事だけれど。
そのせいで、またボルシチが先輩たちに睨まれるようなことは避けたいのだ。
「とりあえず荷造りをして…。
あ、そうだ!
俺先輩捕まえて、お前が休みもらえるかどうか聞いてきてやるよ!」
 気持ちは有難いが、正直本当にやめて欲しい。
空気読んで欲しい。
入隊してまだ一月と経っていない時期である。
一般の仕事であってもそう易々と休みなんか取れないだろう。
ましてや、私たちは平和のために戦う師団である。
わざわざ砦に住み、敵国の動きやモンスターとの戦闘など、24時間必要とされる仕事だ。
ちょっと都合が悪いので休みます、が通じるはずがない。
「大丈夫大丈夫、任せとけって!」
 私の考えを読んだかのように、彼は笑う。
全く大丈夫な気がしない…。
「…お前ら何やってる?」
 近くの扉が開き、知った顔がそこから覗いた。
「あ、五月蝿くしてしまって申し訳ありません!」
 思わず姿勢をただし、深く頭を下げる。
顔を出したのは、熊の顔をした大柄な騎士。
クロス先輩である。
ちなみに、初日にボルシチに迷惑をかけられた張本人でもあったりする。
「新人か。
何かあったか?」
 じろり、と音がしそうな勢いで睨まれる。
きっと私たちの心象は悪いことだろう。
「先輩、丁度良かった!」
 だが私の心配などどこ吹く風。
ボルシチは笑顔で彼に話しかける。
「親父さんが病気らしくて…ちょっと休みもらいたいんだけど、ダメかな?」
 相変わらず、ボルシチは説明が下手だ。
その流れでは因果関係が綺麗に繋がっていないだろうに。
まあ推測することは可能なレベルではあるけれど…。
 いざ先輩の方を見ればやはり怪訝な顔をしている。
果たしてそれは、ボルシチの説明がわかりにくかったからか。
あるいは入隊したばかりの若造が、とでも思っているのだろうか。
「お前…通ると本気で思ってるのか?」
 呆れたように先輩は呟く。
どうやら先ほどの表情は、後者の意味合いを持っていたようだ。
まあそれが私でも、やはり呆れただろう。
「ほら、ボルシチ…。
いいって、手紙でも出しとくから。」
 まだ何か反論しようとしている彼の服を掴み、必死でその台詞を遮る。
これ以上ケンカになったりしたらたまったものではないからだ。
 だがその言葉に、先輩は不思議そうな顔をする。
「いい…って、親父さんが倒れたのはお前の方か?」
 そう言いながら彼は振り向く。
ああ、確かにボルシチの言い方なら彼の父親が倒れたようにしか聞こえないだろう。
もっとも私の記憶が確かならば、彼の両親は既に他界しているけれど。
「そーだよ、だからコイツに休み取らせたいんだって。」
 思わずボルシチの尻尾を引っ張る。
どう考えても先輩に対する言葉遣いではない。
「お前…。」
 同じことを思ったのだろう。
先輩のコメカミがぴくりと動く。
「…お前、いつも人のために動くのな。」
 だが彼は大きくため息をついて、そういった。
「いつも」というのが、何をもっての判断か私にはわからない。
だが、先輩が言うことは事実である。
 ボルシチの行動原理は、いつも他人を助けることが根底にある。
私が知る中で例外的なのは、「テンプラーになりたい」という思いくらいだ。
それにしたって、亡くなった両親に立派なところを見せたいから、だとか、
他の困っている人を助けたい、という部分が強く影響していると私は考えている。
「何か変?」
 当のボルシチは何を言われているのかよく判っていない風でもあった。
まあ、自覚してやっているわけではないのだろう。
だから私は彼が。
「…基本的には新兵は希望して休みなんか取れないんだがな。
事情があるってんなら、隊長にかけあって…」
「わかった、隊長に聞けばいいんだな!」
 先輩の言葉が終わる前に。
そして私が止める間もなく。
ボルシチは全力で駆け出してしまった。




 思わず呆然とすること数秒。
俺達は漸く動き出した。
「アイツって、いつもああ…なんだよな。」
 確認するまでもなく。
あの青毛の後輩が、走り回ってることはよく知っている。
「本当に申し訳ありません。
いつも、ご迷惑ばかりおかけして。」
 ふわふわとした、白い毛のタルン。
ピンとたった耳だけが、彼の意思の強さをよく表していて。
毛並みも、優しげな目も、その体躯も。
彼の穏やかさを表現して余りある可愛さだった。
「あ、いやお前が悪いわけじゃねえよ…。」
 思わず視線をそらす。
なんとなく、彼とはやりづらい。
もちろん、嫌いと言う意味ではなく。
「とりあえず、追いかけるか。
あの調子じゃあ、隊長の所に押しかけて暴れてるだろうし。」
「あ、大丈夫です。
私が行ってまいりますので。」
 そう言って駆け出そうとする彼を押し留める。
「まあ気にすんなよ。
アイツに関してはともかく、それだけじゃ不味いだろう。」
 俺の言葉に彼は首を捻る。
まあ細かい説明は今はいいだろう。
ともかくボルシチの奴を追いかけることが先決だ。
目の前の彼、クリスにそう説明してからひとまず執務室へと向かう。
この時間なら隊長は執務室で仕事をしているだろうし、ボルシチもそこに向かったことだろう。
 道中、クリスは何度か何かを聞きたそうにしていた。
が、細かい説明は正直したくない。
彼と向き合って話すのは、どうにもやりづらいのだ。
なんというか、こちらの弱い部分をやんわりと刺激されている気分になるのだ。
 気まずい雰囲気のまま歩き、やがて隊長の執務室へと到着する。
扉が開けっ放しなのはきっとボルシチが飛び込んだからだろう。
「だからさ、いいじゃん!
ちょっとだけ!」
「ええい、ダメやと言うとろうが!」
 中から言い争う声が聞こえる。
考えるまでもない、ボルシチと隊長が言い争っているのだ。
「ボルシチ!」
 クリスが慌てた様子で部屋の中に駆け込んでいく。
俺も思わずため息をついてから、その後に続いた。
 そこでは予想通り、ボルシチと隊長が机をはさんでにらみ合っていた。
「隊長。」
 思わず俺は声をかける。
その言葉にようやく俺の存在に気づいたように、ボサボサの鬣を振り乱しながらこちらに視線を向けた。
赤い色をした頬毛と鬣と、濃い茶色にそまった全身の毛。
額に刻まれた大きなバツ印の傷が特徴的だ。
「クロスか、お前からもなんか言うたってくれ…。」
 疲れた顔で隊長が言う。
きっとボルシチは全くといっていいほど話をきかなかったのだろう。
 ちなみに当のボルシチはクリスにしがみつかれて押さえ込まれていたりする。
なんとも羨ましい話である。
「ええ、まあボルシチはひとまず置いておくとして…。」
 少しだけ考えて、口を開く。
きっとボルシチのことだろうから隊長にはほとんど伝わっていないだろう。
「以前言っていた、視察の件ですが。」
「ほ?」
 もちろんそんな話はしていない。
もっとも、隊長なら話の流れで理解してくれるだろう。
「もうすぐ俺非番があったと思うんですが、そのタイミングにあわせて行って来ようかと思います。
できればクリスに補佐として付いてきてもらいたいのですが。」
 俺の言葉にクリスが驚いた顔をする。
その好きに、とばかりにボルシチはクリスの手から逃れ。
「そんなことより、休み取らせてやれよ!
クリスの親父さんが…」
 ボルシチがそこまで言って、隊長は得心いったという表情で頷いた。
どうやらクリスの休みということも伝えていなかったようだ。
「ああ、そういう事やったら申し訳ないけど行ってきてくれるか。
場所は…コーヒーバレー、やったか?」
 確かコーヒー豆の産地として有名なところである。
そこがクリスの故郷なのだろう。
「あ、あの…。
ありがとう、ございます。」
 クリスが涙を浮かべながらふかぶかとお辞儀した。
彼には俺達の会話がどういうことかよく判ったのだろう。
もっとも。
「えー…休み、いいじゃん…。」
 ボルシチはよくわかっていないようだったが。




 それからとんとん拍子で話は進み。
というかクロス先輩の休暇に合わせたのだから当然といえば当然なのだけれど。
手紙をもらってから五日後には、私の故郷行きの馬車に乗る事が出来た。
「あの、クロス先輩。」
 馬車の中で落ち着いてから、私はゆっくりと声をかける。
幸い、乗り合い馬車にも関わらず他のお客はいなかった。
「ん?」
「わざわざ、ありがとうございました。
休暇まで潰して付き合って頂いて…。」
 頭を下げる私に、クロス先輩は慌てたように手を振って答える。
「いやいや、どうせ暇してたしいいんだよ。
それに、こうでもして向かわないとボルシチが何時までも騒ぎそうだったしな。」
 視線をそらし、照れくさそうな顔をして答える。
確かに、下手をしたら夜逃げでもさせられそうな勢いではあった。
まあ流石に学生時代とは違ってそんな無茶もそうはできないだろうけれど。
「でも、よかったんですか?
新人が休みまで…。」
「いや、一応建前は視察だからな。
どっちかというとお前が休んだんじゃなくて、俺が休み潰したって形になってるんだよ。」
 その言葉に、私は再び恐縮してしまう。
そもそも私たちの師団は、説明で聞いている範囲では決して休みは多くない。
特に立場が上になるほど、まともに休みも取れないと聞く。
そんな貴重な休みを潰させるほどのことでもなかったはずなのだ。
「あー、その…親父さん、大事ないといいな。」
 私が恐縮していることに気づいたのだろう。
こちらが口を開く前に、慌てたようにして話題を変える。
「ええ、とりあえずは姉もいますし、大事ではなさそうなんですが。
何時までもまかせっきりと言うわけにもいきませんし…。」
 その言葉に、先輩は驚いたように振り向く。
何かおかしな場所があっただろうか。
「なんだ、お前もアネキいるのか。」
 その言葉に、私は理由を察した。
恐らく先輩にもお姉さんが居られるのだろう。
その家族構成が近いことによる驚きと、親近感といったところか。
「ええ、先輩も居られるんですね。」
 私の言葉に先輩は複雑な表情で頷いた。
てっきり喜ぶと思っていたのだが、何か地雷でも踏んだだろうか。
「私のところは母の体が弱くて…。
姉のおかげで、学校に入れた面ありますね。」
 とりあえず先輩の家族には言及しないようにする。
だが先輩は今度は感心したように頷く。
「俺もなあ…アネキのおかげで、実戦にでる勇気がついたみたいなところあるしな。」
 どうもよくわからない。
いつでも優しく、怪我の手当てをしてくれたということだろうか?
なんとなく踏み込むのが危険な気がして、私は曖昧に頷くに留めた。
 そうこうしているうちに、私の故郷が近づいてくる。
海を渡ったとはいえ、高速船を利用して来たのだ。
時間的なことを考えれば、昔に比べて随分と近くなったと思う。
もっとも、本当はあまり戻りたくなかったのだけれど。
「お、ついたな。
おっちゃん、お疲れさん!」
 御者に声をかけながら、クロス先輩は荷物を肩に担ぐ。
恐らく着替えだけを持ってきたのだろう。
先輩の荷物は驚くほど少ない。
愛用のハンマーは当然の様に大きいが、それを除けば荷物はずだ袋一つだけだ。
もちろん私も荷物は出来る限り減らしては来たが。
それでも一抱えほどにはなってしまっている。
「ほら、行くぞ。」
 私の手から荷物を取り上げ、クロス先輩は馬車を降りた。
慌てて私も後に続く。
「あ、大丈夫ですよ。
ありがとうございます。」
 荷物を取り返そうとするが、先輩は返してはくれない。
もちろん持たれることが嫌なわけではない。
先輩に荷物を持たせているという状況がまずいと思っているだけだ。
「ほら、それより案内してくれよ。
家はどこなんだ。」
 私の後ろに回り、背中を押すようにして先を促す。
しょうがなく、私は家に向かって歩き出す。
比較的大きな町ではあるが、あまり活気があるとは言いがたい。
特に今の時間は、大半の人が農作業に精を出している時間帯であろう。
私としてはその方が有難いけれど。
「あ、あれです。
あの青い屋根の。」
 少し歩くだけで、町外れにある私の家が見えた。
先輩は感心したように頷きながら後に続いてくれる。
 家自体は決して大きくはないが、敷地はそれなりの広さを保持している。
きっと裏庭では今も姉が家庭農園で色々な野菜を育てていることだろう。
流石にここまで戻ってくると、懐かしい思いが色々と脳裏をよぎる。
門の前で小さく深呼吸をし。
「ただいまー…。」
 玄関の扉を開けて、中に呼びかけた。
恐らく返事はないだろう、と考えていたのだが。
「クリス!?
あんた、帰ってきたの!?」
 少し高い位置から声がした。
玄関近くにある階段に目をやれば。
「姉さん…ただいま。」
 そういえば、連絡している暇もなかったんだっけ。
思わず苦笑いを浮かべながら私は姉に手を振って見せた。
私と同じ、白いふわふわとした質の毛皮。
この町では異質な、犬顔のタルンだ。
「確かに手紙は出したけど…そんな、帰ってくることもなかったのに。」
 困ったような、それでいて嬉しそうな顔をしながら姉は階段を下りてくる。
そこでようやく、後ろにいた先輩に気づいた様子で。
「あら、こちらの方は…。」
「始めまして、ロフアイル東部方面派遣軍タルン師団『臥薪嘗胆』に属しております。
クロスと申します。」
 姉が先輩を見たことに気づいたようで。
私が紹介する前に、先輩は姿勢を整え、敬礼をしながら自分から名乗った。
「これはご丁寧に…。
クリスがお世話になっております。
姉のマーサと申します。」
 そう言って姉も頭を下げる。
「ちょっとこっちに仕事があって…。
先輩がついでに、ってことで寄ってくれたんだ。」
 あくまで建前上は、である。
本当のことを説明しても、姉に気を回させるだけだろう。
「わざわざ申し訳ありません。」
「いえいえ、それよりもお父さんの容態は…?」
 先輩の言葉に、姉は少しだけ困ったような顔をして見せた。
状態が良くないのだろうか…?
「クリスも、こっちへ。」
 言って、姉は歩き出す。
階段を昇り、以前から父が寝室に使っていた部屋へと案内された。
全く変わらない部屋の様子。
そこで、父は眠っていた。
幾分痩せたようにも見える。
「病院は?」
 私の問いに、姉は小さく首を振った。
連れて行けなかったのだろう。
ある意味、何時ものことである。
「いやいや、見せなきゃだめだろう?」
 クロス先輩が不思議そうに言ってくる。
まあ普通の感覚であればそうだろう。
私だって昔はそう思っていた。
だが、今は事情が違うのだ。
「クロス先輩…。」
 困った顔をしている先輩を、私は見上げる。
「私がログウェル人だ、って言ったら…先輩はどうしますか?」




「え…?」
 俺は耳を疑った。
クリスが、ログウェル人?
ということは…スパイ、ということだろうか。
まさか、入隊前にそんなところはしっかりと調査されるはずだ。
もちろん完全にト言うわけには行かないのだろうけれど…。
「もちろん、昔の話ですよ。」
 言葉に詰まる俺を見て、クリスは小さく笑う。
言われてみれば、クリスは犬の獣性を持つタルンだ。
そして犬の獣性をもつタルンは、本来ログウェルにしかいないのである。
狼の獣性を持つボルシチにしても同じだろう。
もっとも行動の方にばかり目が行っていたので、そういうところはあまり問題になった事がなかったが。
いや、うちの師団にそもそも気にするようなヒトがいるのかという問題もある。
「臥薪嘗胆」のメンツは一癖も二癖もあるメンツばかりだからだ。
「それでも、この町の人たちにとってはそうではないみたいです。
だから…私たちはこの町に住んでいても、この町の住人じゃないんです。」
 少し考える。
住んでいれば住人、と普通は呼べるだろう。
なのにクリスはそれを否定する。
それはつまり。
受け入れられていない、ということだ。
医者に行っても診療してもらえず、ひょっとしたら買い物もままならないのかもしれない。
 ふと。
クリスの父親に目をやって、俺は思わず眉根を寄せる。
「悪い…。」
 クリスの話を遮り、親父さんへと歩み寄る。
未だ意識はないようで、俺が近寄っても反応が無い。
「失礼します。」
 それでも一応断っておいて、俺は親父さんへと手を伸ばす。
そっと目を開かせ、粘膜を確認。
脈を取り、口を開けさせて口腔を覗き込む。
「先輩…?」
 クリスが不思議そうに後ろから声をかけてきた。
それでも構わず俺は確認を続け。
「お姉さん、お父さんは病気になる前に山に入ったりは?」
 俺に言われ、彼女は少し考えた顔をする。
「ええ、母のための薬草を取りに…。
それが?」
 答える前に、この周囲の地図を頭の中に描く。
恐らく、間違いないだろう。
「これは、病気じゃなさそうです。
恐らくモンスターの毒ですよ。」
 その言葉に、お姉さんとクリスの目が見開かれる。
確かに素人目にはわからないだろうし、クリスにしたって見慣れたものではないだろう。
たまたま、俺が気づいただけの話だ。
「薬さえあればすぐ楽になります。
幸い俺が持ってる中に確か対応した薬が…。」
 部屋の隅に放り出していたずだ袋を引き寄せ、中を漁る。
着替えに紛れて、簡単な治療薬を纏めた袋が出てきた。
中を覗けば、探していた薬もしっかり入っている。
「この薬を、お父さんに飲ませてあげてください。」
 丸薬を二粒、お姉さんに手渡す。
彼女は礼を言いながら、階下へと降りていった。
恐らく水を用意しに行ったのだろう。
「先輩、ありがとうございます。
私一人では、気づけたかどうか…。」
 クリスも頭をさげ、礼を言ってくる。
だが、まだ早い。
「その前に。
元凶を何とかしねえとな。」
 その言葉に、クリスは虚をつかれたような表情を見せる。
まったく、考えが甘い。
「毒をもったモンスターがいるなら、俺達が何とかしなきゃなんねえだろ。
名目上は視察なんだしな。」
 そう言って。
俺は愛用にしているハンマーを抱えた。




 森の中。
私と先輩は、二人して地面に屈みこんでいた。
モンスターの足跡を探しているのだ。
 木々の生え方や落ち葉の量、日当たりや風通し…。
様々な条件から、モンスターが生息する位置を推測する。
これに関しては、ある程度知識があれば誰でもできるだろう。
本からの知識に関しては私の方が、先輩よりも多く蓄えているようだった。
だがそこは実地での経験を持つ先輩のことである。
様々な面での判断は彼の方が優れている。
だから私たちは互いに情報を出し合い、モンスターがいるであろう範囲を狭めていった。
「たぶん、この辺りですね。」
 私の言葉に、先輩は無言でハンマーを構える。
この木が多い中、先輩の武器は普通に考えて不利だろう。
ならば、私が中心になるしかないだろう。
そう考え、私は剣を抜いた。
「それ。」
 先輩が不意に口を開いた。
私は振り返り、視線を送る。
「普通、魔戦士は槍だろう?
別に普通じゃなくてもいいだろうが…剣にこだわる理由があったのか?」
 先輩の疑問はもっともだろう。
普通じゃ無くてもいい、と先輩は言ってくれるが。
魔戦士は本来、槍を扱い槍のための技術を習得する。
そういったスキルがあることが前提、必要とされる。
だからこそ私やボルシチは、「臥薪嘗胆」に拾われるまで、どこにも士官先が決まらなかったのだ。
「別に、剣がどうしても必要だったわけではありません。
ただ…。」
 がさり、と音がした。
正面の茂みが小さく動いている。
モンスター、だろうか。
 先輩は無言で少しだけ歩みを進め、私の隣に立つ。
「上だ!」
 先輩の叫びと同時に、私たちは左右に跳んだ。
数匹の蜘蛛が一気に落ちてくる。
その姿を確認するとほぼ同時に、私は再び正面へと跳び。
「はああっ!」
 気合とともに、そこに落ちてきた蜘蛛を切り裂く。
「僕は、ただ!
ただ…ボルシチみたいに!」
 気合とともに剣を振りぬき。
「クリスッ!」
 先輩が叫ぶ。
彼の視線は、僕よりも上。
視線をやれば、そこには十匹以上はいる蜘蛛の――。
「うおおおおおおっ!」
 先輩の叫びが、響いた。




 無我夢中だった。
出来るとは感じていた。
だがするまいとも思っていたはずだった。
それでもとっさに。
周囲の木だとか岩だとか、そんなもの関係なく。
俺はクリスを守るために。
ハンマーを持って、思い切り振り回していた。
そのまま止まらず、遠心力を利用してもう一回転。
周囲の木が、岩が、そして狙ったモンスターが。
その残滓を飛び散らせ、宙を舞う。
 数秒後には。
ただ呆然としたクリスが、小さな広場の真ん中でへたり込んでいた。
もちろん最初からあった場所なんかじゃない。
俺の振り回したハンマーが、クリス以外のあらゆるものを吹き飛ばしたのだ。
見ればモンスターだったものも、向こうの方で体液を撒き散らして死んでいる。
あとは巣を探して燃やしておけばいいだろう。
 俺はハンマーを背負い、へたり込んでいるクリスに手を差し伸べた。
呆然としていたクリスもようやく立ち直り、俺の手を掴む。
「あ、僕…いえ、私は…」
「いいよ、そのままで。」
 遮って、笑いかけてやる。
「うちの師団に、敬語だなんだで怒るようなバカいるもんか。
お前はお前らしく振舞えばいいよ。」
 自分で言って臭かったか、とも思う。
なので思わず俺は顔を赤らめてしまった。
「それより、巣を探そうぜ。
あとはそれを焼けば、とりあえず大丈夫だろう。」
「はい…。」
 巣を探しながら、クリスは剣を握る理由を語ってくれた。
「ずっと…自分が何者なのか、わかりませんでした。」
 その言葉は、とても弱々しかったのが、印象的で。
「移民としてこちらの国に移ってきて…。
もちろん、友達なんか出来ませんでした。
学校に通うのも辛くて、姉が色々と教えてくれたんです。
それでもなんとかしたかった…姉や家族を守りたかったんです。」
 今にも泣き出しそうだった。
「だから学校に入って…、そこでボルシチと出会いました。
初めて出来た友達で、初めて家族以外で僕を守ってくれたヒトでした。
あんなふうに強くなりたくて…僕も何かに、こだわりたくて。
一番手に馴染んだ、剣を選んだんです。」
 つまり。
ボルシチが、好きなんだろう。
彼のようになりたいと、憧れて。
恋焦がれて。
そして彼は剣を手にした。
「クリス。」
 つないだままだった手をそっと握りなおし。
「大丈夫、お前は強いよ。
お前もボルシチも、他人を守る強さを知ってるよ。
だから大丈夫。
そんなに気を張らなくても、大丈夫だ。」
 俺の手の先が、小さく震えた。
今は見ないのが、男としての優しさだろう。
だから俺は振り返らずに、俺達は森の中を歩いた。




 それから僕達は家に戻って、ゆっくりと過ごした。
幸い父の病状は、先輩から頂いた薬で快方に向かっているようだ。
モンスターもあれから出現することもなく。
念のためにとそれから数日駐留したけれど、特に何事もなく時間は過ぎた。
「先輩、そろそろ帰りません?」
 その言葉に先輩は笑って手を振った。
「いやあ、もう少しゆっくりしていこうぜ。
折角の休みだしな!」
 まあ確かにあの砦よりはうちのほうが居心地はいいんだろうし…。
苦手な先輩もいるって話だから戻りたくないのかもしれないけど。
「仕事、溜まってるんじゃないんですか?」
「なに、こっちにモンスターがわいてる事がわかって、報告書もあげたからな。
まあもう数日は視察のいいわけが経つだろ。」
 …そんなに帰りたくないのだろうか?
別に以前仕事を嫌がっていた覚えはない。
どちらかというと…帰りたくない、というよりはここにいたい、といった様子だけれど。
「クリス、お手紙よ。」
 考えながらお茶を飲んでいると、姉さんが手紙を持ってきてくれた。
手にしていたカップを置いて、それを受け取る。
先輩はといえば、鼻の下を伸ばしながらお茶のおかわりを入れてもらっていたりする。
なんとなく、ムッとしてしまう。
姉さんに手を出して欲しくは…ない…んだよな?
 どうにも最近自分のことがよくわからない。
ボルシチの時といい、先輩のことといい…。
 だめだ、ちょっと気を取り直そう。
とりあえず手紙は…。
「えええええええ!」
 僕の叫びに、先輩が椅子からずり落ちる。
「先輩、お茶飲んでる場合じゃないですよ!
帰りますよ!
荷物用意して!」
「え、うぉ、え?」
 何が何かわからないまま、先輩は慌てて立ち上がる。
「な、何?
なんかあったのか?」
「いいから!
早くしてください!」
 もう遠慮なんかしてる場合じゃなかった。
父さんが助かったと思ったら。
今度は、ボルシチが。