クガネから移動すること数十分。シロガネ島にある異人居留地「シロガネ」に、一艘の船が到着した。そこから降りたのは、紫の着流しを紺色の帯で結ぶ白髪のルガディンだ。厳めしい顔つきにをしたその大男は、紙袋を一つ手にして桟橋に降り立った。
 「ずいぶん少ないんだな。もう、今日なのか」
 降り際に船頭からそう問われ、彼は無言で首肯した。
 「・・・・・・そうか。まぁまだ時間はある。あまり気を落とさないようにな」
 その言葉に再度首肯すると、船頭は再び船を出してクガネに戻っていった。大男はそれを見送ると、桟橋を去った。
 
 
 桟橋に隣接した商店街を抜け、憩いの場である好文園を進んだ先。イースタンチェリーツリーが植えられた一軒家。そこが大男の職場である。彼は、この家の持ち主である冒険者に仕える、奉公人であった。
 奉公人は敷地に入る。すると、お疲れさんと言葉が彼に投げかけられた。
 声の主は玄関先に居た男性のヒューラン族だった。彼は上半身裸で袴のみを履き、スクワットを繰り返している。
 「ただいま・・・・・・まだトレーニングしていたのか」
 彼は同じ主に仕えるリテイナーだった。たしか自分が買い出しに出る前からずっとしていなかっただろうか。疑問に思った奉公人が思わず問うと、暇だったからなと答えが返ってきた。
 リテイナーはリテイナー協会から派遣され、契約を交わした冒険者を支援する人を指す。その仕事は倉庫管理、マーケットの出品管理、財産管理などの管理業務と、冒険者の代わりに資材を工面する調達業務の2種類がある。特に調達業務に関しては文字通り「世界中を飛び回る」こととなるため、体力がないと話にならない。とはいえど、彼の体力は群を抜いていると感じている。英雄と呼ばれるほどの冒険者に仕えるだけのリテイナーともなると、こういうものなのだろうかと彼は思った。
 「夕飯を作るから、適当なところで切り上げてくれ」
 「おー。楽しみにしてるわ」

 家の中に入った奉公人は、まっすぐ台所に向かった。カウンターに紙袋を置き、台所で手を洗う。そうして清潔にしたあと、紙袋の中身を取り出した。
 アンテロープのスネ肉、食塩、ガーリック、スピナッチ、ボタンマッシュルーム、バター、ミネラルウォーター、。それにブレッド。次々と取り出し、カウンターに並べた。
 買い逃しがないことを確認すると、調理器具の準備を開始する。
 次に包丁にまな板、鍋、それとフライパンを2つ取り出し、それぞれを調理台に設置する。調理の準備が整った。
 まずアンテロープのスネ肉から丁寧にスジを取り除き、脂肪と赤身の間に切れ目を入れる。その後フライパンにバターを引き、十分に温める。ぱちぱちと音を立て始めたら、スネ肉を丸ごと投入。片面に焼き色をつけたら裏返し、もう片面をじっくり焼いていく。焼き色のついた面に食塩をふりかける。
 肉を焼く前でなく、焼いた後に塩を振るのは、塩が熱で焦げ付かないようにするため。調理師のマイスターである彼の主に教わった通り、忠実に作った。両面に焼き色がついたらフライパンの火を落とし、蓋をして肉を休ませる。余熱で調理を進める間に、次の料理にうつる。
 鍋で湯を沸かし、食塩を少量投入する。熱湯ができたらスピナッチをさっと湯通しし、絞るようにしてよく水気を切る。その後
もう1つのフライパンにバターをひき、湯通ししたスピナッチと適当な大きさにカットしたボタンマッシュルームを軽く炒める。しんなりしたところで火を止め、平皿に移した。
 これで大体の準備は完了した。
 まだトレーニングをしているはずのリテイナーを呼びに、奉公人は玄関に向かった。

 「お、今日は豪華だな」
 食卓に着いたリテイナーの前に置かれたのは、アンテロープステーキとスピナッチのソテー。食卓の中央にはブレッドバスケット。それにボトルワインとワイングラス。それらが綺麗に、配膳されていた。
 「今日くらいは、よいだろう」
 グラスにワインを注ぎながら、淡々と奉公人は答えた。グラスをリテイナーに渡し、自身の席に着く。
 「では、いただこう」
 「おう」
 両名はグラスを持ち、杯を合わせずに軽く掲げる動作をした。そのまま静かに杯を飲み干し、食事にうつった。ナイフでアンテロープステーキを切り分けると、ややピンクの肉色が残った断面が覗いた。食欲をそそるその肉を頬張り咀嚼すると、絶妙なミディアムレアで焼かれた肉の味と、適切にまぶされた塩っけが、口を満たした。
 「・・・・・・こんなうまいものを喰い逃すなんて、主は馬鹿に違いない」
 「まったくだ」
 奉公人は憮然とした表情で答え、問い返した。
 「今日も、特に何も連絡はなしか」
 「まぁ、なかったな」
 「夢は」
 「それも特にねえな」
 淡々としたやり取りだった。もう何十回も行われた確認事項で、お互い答えは分かりきっていた
 奉公人はポツリと零した。
 「・・・・・・とうとう明日で45日か」



 冒険者居住区は、一国の主となることを夢見た冒険者のたどり着く土地だ。クガネを始めとした4つの国が設けている土地には、共通のルールが存在する。

 45日間主が不在である土地は、居住区に返還すること。

 年々増える冒険者の数に対し、土地には限りがある。これは土地の購入を希望する冒険者の数と土地の数が合わないため制定されたルールだ。そしてこれが適用されることは、こういう意味であるともとれる。
 
 45日も家を空けるというのは、世界を去ったということだと。



 「お前はこれからどうするんだ?」
 食事を終えた後、リテイナーは奉公人に問いかけた。
 「俺はリテイナー協会から給金が出てるし、主との契約は残せるからまだ待つつもりだ」
 それに、とリテイナーは付け足した。
 「あの野郎がくたばってる気はしないしな」
 何らかの危機に巻き込まれて、長期不在になっているのだろう。そう彼は信じているようだった。
 「私も、そう思う。できることなら待ちたい。だが・・・・・・」
 苦悩の表情を浮かべ、奉公人は答えた。
 「おそらく、別の契約を結びに行くだろう。これまで通り」
 奉公人はリテイナーと違い協会を持たず、冒険者と直接契約を結ぶ。そのため、主の不在は賃金の不発生を意味する。
 労働を行うためには、別の冒険者に仕える必要があった。
 そして体は一つしかないため、契約を複数結ぶわけにもいかなかった。
 「そうか・・・・・・あの馬鹿が帰ってきたら、お前にも知らせようか?」
 「そうだな。お願いしよう」
 
 
 「そんじゃ手筈通り、返還手続きは俺がやる。朝一にまたこっちに来るから、家具の撤去の手伝いよろしくな」
 身支度を整えたリテイナーが玄関口でそう告げた。
 「ああ、承知した」
 台所の片づけの手を止めず、奉公人が応答する。
 特別変わったことはない、普通のやり取りであるよう、意識して。
 「じゃあな」
 リテイナーはテレポを唱えて帰っていった。行先はおそらくリテイナーの寄宿舎だろう。彼がこの家で寝ることは一度もなかったなと、奉公人は思った。
 一人になった奉公人は仕事の続きを行う。
 いつも通り片づけをして、いつも通りごみの始末をする。
 いつもと違って食糧庫が空になっていることを確認し、いつも通り入浴をする。
 そして浴槽の湯を捨て、清掃を行う。
 昼間行った大掃除もあり、これでもう、この家で掃除をしていない箇所は、なくなった。
 これなら明日の片づけはスムーズに行えるだろう。
 
 全ての部屋の照明を消した奉公人は、月明りの照らす居間の椅子で、しばしぼおっとしていた。
 撤去作業はかなりの重労働のため早く寝るべきなのだが、すぐに寝れる気がしなかった。
 すぐそばにある玄関から、すぐにでも主が帰ってこないかと、期待している自分がいた。
 どうにも、未練があるようだ。
 ならば思う存分思い返してみるかと、一つ一つ思い出を振り返ってみることにした。
 
 
 
 奉公を始めたころに、英雄を前に緊張した自分に、「お前らしくやってもらえればよい」と声をかけてくれたこと。
 掃除、洗濯の手並みをほめてくれたこと。
 家を守ってくれてありがとうと言われたこと。
 料理について、より美味しくするにはどういう作り方をすればよいかを議論したこと。
 多種多様なサブリガを製作し、それを着用してはどれが一番よいか意見を求めてきたこと。
 主が突然バニースーツを着用し、事件屋のダンスという珍妙な踊りをしたこと。
 リテイナーと筋トレ耐久勝負をして、決着がつかずに二人とも筋肉痛で動けなくなったこと。
 動けない人体がいかに重たいかを学んだこと。
 雨の日は自室で静かに書物を読んでいたこと。
 晴れの日は庭で木人を叩いていたこと。
 月の綺麗な夜は、空を眺めながら団子を食べたこと。
 酒を飲みすぎてふわふわとした主に甘えられ、宥めてたこと。
 喉をなでるとゴロゴロと音を鳴らす剽軽な一面があったこと
 入浴が好きで、彼が帰ってすぐに風呂に入れるよう、湯を沸かして待っていたこと。
 たまに湯あみに付き合い、背中を流しあったこと。
 眠れない夜は、寝落ちするまでお喋りに興じたこと。
 翌日隈が取れずに苦笑しあったこと。
 毎日帰宅の挨拶でハグを行っていたこと。
 どんなに疲れていても、帰宅時にはただいまと言ってくれていたこと。
 その身にまとった汗の匂いが嫌いでなかったこと。
 おかえりなさいと返したときに、安心した表情をしていたこと。
 彼にとっての癒しがこの家にあると言ってくれたこと。
 そして、ちょっと世界を救ってくると言って出ていき、それから音沙汰がないこと。
 
 
 
 胸の奥から浮かぶ思い出を一つ一つ救いあげ、丁寧に眺めていく。
 こんなにも思い出があったのだなとどこか他人事のように感じていたが、俯瞰したことでどうしようもなく気づいた。
 そうか、自分は彼をこんなにも気に入っていたのだな、と。
 今後別の主に仕えたとしても、おそらく忘れられないだろうな、と。
 どうか無事でいますようにと、切に願っている、と。
 
 
 奉公人がハタハタと涙を流していると、青く淡い、魔力を帯びた光が外から届いた。
 庭に設置したエーテライトが反応した色。
 リテイナーも帰宅し、このエーテライトを使う権限がある人は一人しかいない。


 急いで外に出た奉公人が目にしたのは、見るからに疲労困憊の状態の主。
 
 ただいま
 
 バツが悪そうな、でも安心したような表情で帰宅を告げた主に、奉公人は駆け寄り、その身をしかと抱きしめたのだった。


 45日目の奇跡