Happy Birthday 3





「ただいまぁ。」
 やる気のない声でオレは家の奥に声をかけた。
そのまま返事も待たずに靴を脱ぎ、目の前の階段を上る。
「おかえりー。」
 階段を上るリズムに割り込むように、母親の声が聞こえた。
階段を上りきり、そのままオレは足を引きずるようにして自分の部屋へと入る。
荷物を投げ出し上着を脱いで、オレはベッドに倒れこんだ。
狼特有の太い尻尾が下敷きにならないように体勢を整える。
仕事で疲れた体を、柔らかい布団が優しく包んでくれる。
ひんやりとした肌触りが、帰宅直後の火照った体を冷ましていく。
そのままぼんやりと時間をすごし、しばらくたった後にようやくオレは体を起こした。
ベッドから立ち上がり、窓の横にある大きな水槽に近づく。
俺の存在に気づいたのか、水槽の中の大きなナマズが体をくねらせた。
ゆったりとしたナマズの動きを目で追いながら、俺は大きくため息をつく。
ナマズ自身の可愛さに加えて、今はその優雅さが羨ましく思えた。
「転職するかなあ…。」
 バシャッと音を立て、水面がはねる。
その音にひかれるように、オレは目線をあげた。
すぐ近くの壁に貼られたカレンダーが目に付く。
今日、6月23日。
「あれ?」
 思わず呟いた。
明日、24日になぜか丸印がしてある。
軽く考えてみるが心当たりはない。
「ま、いいか。」
 思い出せないならたいしたことでもないだろう。
そう判断して、俺は早々に思考を放棄した。






「ごはんよー。」
 母親に呼ばれ、部屋着に着替えたオレは居間へと向かう。
入り口に下げられた暖簾をくぐると、母親が鼻歌を歌いながら晩飯の用意をしていた。
「えらくゴキゲンだなあ。」
 座布団の上に腰を下ろし、茶碗を受け取る。
「うふふふふ。」
 オレの言葉を待っていたように母親の顔がにやけていく。
妙な迫力を感じて、思わずオレは体を反らした。
「今日はね、ケーキ買ってきたの。
しかもラ・ケブラダの限定品っ!」
 しゃもじを振り回しながら母親はキャーキャー叫んでいる。
ラ・ケブラダはうちの近くにある個人経営の洋菓子店だ。
店自体は小さいが、その味には定評があり県外からの客も珍しくないと聞く。
しかも限定品ともなれば売り切れ必至の人気商品だ。
母親がおかしくなるほど喜ぶのも無理はない。
「ダイエットはやめたのか?」
「今日は休日よ!」
 俺の言葉に母親は間髪いれずに返してきた。
オレの記憶が確かなら、もう半月以上休日が続いているように思うのだが。
とはいえ指摘したところで変わるような性格でもないので、そっとしておくことにする。
「そういえば、あんた明日覚えてる?」
「明日?」
 突然の話題の変化にオレは思わず聞き返した。
言われて俺はカレンダーについていた謎の印を思い出す。
なんだっけ…。
「薄情な子ね。
ヒロくん戻ってくるんでしょ。」
 悩んでいる俺を見ながら、呆れたように母親が行った。
そういわれてようやくオレの頭の中で一人の男の顔が思い浮かんだ。
「あー!」
 中学・高校と同じ学校に通い、大学入学を機に遠方へと引っ越した俺の友人ヒロキ。
就職も向こうでしているが、休暇が取れたとかで一度こちらに遊びに来るらしい。
「そういやそんな事言ってたなあ。」
 ヒロキの顔を思い出したことで、オレの脳裏に懐かしい思い出がよみがえる。
なんとなく恥ずかしくて、オレはその気持ちを隠すように箸を進めた。
「学生の頃は毎日一緒にいたくせに、もう忘れてるんだから…。
わが息子とは思えない頭の悪さだわ。」
 そういって母親は大げさに嘆いて見せた。
オレはそれをスルーしながら明日の予定に思いを馳せる。
あ、お気に入りのあの服洗濯終わってたかな…。





 翌日。
散々悩んだが、妙に気合が入った格好も恥ずかしい。
というわけで結局適当なTシャツと、ショートパンツというラフな格好になった。
駅のベンチに座り、暴れそうになる尻尾を押さえ込む。
狼のオレは感情が尻尾に出やすいのだ。
尻尾と格闘しながら、到着を待つこと数分。
改札の向こうに、見覚えのある顔を見つけた。
眠そうな顔をしている巨漢のクマ。
多少大人びた顔になっているものの、間違えるはずもない。
「ヒロー!」
 改札を下りたクマに向かって叫ぶ。
こちらを振り返ったクマは、オレを見つけてとても嬉しそうな顔ををした。
「タクミー!」
 ヒロはオレを見つけると、一直線にオレのところまで走りより
「ぐぇえぇぇぇ!」
 そのままオレに抱きついてきた。
「久しぶりだな、タクミー!」
 そういいながらヒロはオレの体をギリギリと締め上げる。
巨漢のヒロは見た目どおり力が強い。
しかも、頭に馬鹿がつくくらい。
その上徐々に力が強くなってきているらしく、オレの骨がギシギシと鳴り出した。
「し、死ぬッ!」
 必死でタップして、何とかヒロにオレの危機を伝えた。
浮かれていたヒロもようやくオレの状態に気づき、あわてて手を離す。
「悪い悪い、つい。」
 そういってヒロは照れ笑いを浮かべた。
「つい、で殺されてたまるかッ!」
 気がつけばパタパタとゆれている自分の尻尾を掴み、俺は抗議の声を上げた。
悪びれた様子もなく、ヒロは鞄をがさがさとあさる。
「まあそういうな。ほら、土産やるから。」
 そういって取り出した紙の包みをオレは不振に思いながら受け取った。
A4サイズの紙と同じくらいの大きさのその包みは、受け取ると微妙に柔らかかった。
「なんだこれ?」
「しいたけこんぶ。」
 ヒロの言葉にオレは思わず顔をしかめた。
いや、たしかに美味いけれども。
「なんだよ、うちの名物だぞ。」
 俺の顔を見てヒロが不満そうな表情を浮かべた。
「もうちょっと名物らしい選択はできないのかよ…。」
 ヒロは昔から考えがどこか親父臭いんだよな。
オレはぶつぶつといいながらも、その土産を鞄にしまいこんだ。
「で、どこいくんだよ?」
 鞄を改めて肩にかけ、俺はヒロを見上げる。
俺の視線を受け止めて、待っていたかのようにヒロはニヤリと笑って見せた。
「そりゃもう、俺たち二人ならあそこしかないだろう?」
 そう言われて俺はある場所を思い浮かべた。
俺たち二人が学生だった頃。
つまり金なんか持ってなかった頃。
暇さえあれば行っていた場所。





「やっぱここだな!」
 そういってヒロは大きく伸びをした。
俺の家から歩いて五分程度。
海の中央公園、通称海公園に俺たちは来ていた。
別に海の中央だからって海のど真ん中にあるわけじゃない。
ただ入り江の中に人工的に埋め立てて作った小さな島があるだけだ。
だがその島を中心に広がる、数キロにも及ぶ巨大な公園は子供やカップルを始め、
リストラサラリーマンや家を追い出された亭主たちにも大人気だそうだ。
…改めて考えると微妙じゃないか、それ?
「さ、いこうぜ!」
 そういってヒロは無意味に肩など組んでくる。
いい大人なんだしいい加減そういうことをされると恥ずかしいのだが。
それでもヒロの豪快な笑いを見ていると、なんだが学生時代に戻った気がした。
つられて俺も笑い出す。
「よーし!」
 俺はヒロの手をすり抜けるようにして走り出した。
突然のことにヒロは俺の後ろで前のめりになっている。
「あ、ずるいぞ!
待ちやがれ、タクミ!」
 そういいながらヒロは俺の後を走って追いかけてくる。
ここからのダッシュはいつものきまりごと。
俺とヒロが二人でここに着いたら、どちらからともなく走り出す。
そしてどちらが先に目的地につけるかを競うのだ。
 柵も植え込みも飛び越えて、俺はどんどんと前へ進む。
それとは対照的に、後ろから「うわっ」だの「ぐおっ」だの妙なうめき声が聞こえた。
障害物があるたびに徐々に遠ざかるその声は、間違いなくヒロのものだ。
走りながら後ろを振り向くと、丁度ヒロが植え込みに足を取られて倒れる瞬間だった。
大丈夫かな…。
 俺は目的の場所に着き、足を止めた。
公園に造られた道から少し外れた芝生の中。
ちょうど植え込みに囲まれて、座っていれば道の方からこの場所は見えない。
俺とヒロは学生の頃からこの場所がお気に入りだった。
「うーっ…。」
 俺はその場に横になり、大きく伸びをした。
木の枝の向こうに、青い空が広がっているのが見える。
海の方から潮のにおいがする風が吹いてきた。
俺の毛皮が風にあおられる。
「お、おいついたぁっ…。」
 ようやくヒロが現れた。
植え込みを掻き分けこちらに歩み寄る。
「ちょッ・・・!」
 俺が止める暇もなく。
ヒロは俺の上に倒れこんだ。
とっさに地面に手を着いたのか、衝撃はたいしたことはなかったが、
代わりに物凄い重圧が俺を襲う。
おまけに、走ってきたためかとても熱い。
「し、死ぬッ!」
 必死でヒロの背中を叩く。
さっきもこんなことしなかったか、俺。
「死ね。」
 無常にもヒロはそう言い放ち、俺の上で体を伸ばした。
熱い重い熱い。
必死で俺はヒロの下からはいずるようにして脱出を試みる。
「逃がすかッ!」
 ヒロはそういいながら俺にのしかかるようにして、しがみつく。
ほとんど抱きつかれるような姿勢で俺はヒロに押さえ込まれていた。
もはやもがいてもどうしようもないと俺はあきらめ、全身から力を抜いた。
青空の下で、抱き合うようにして俺は旧友と寝そべっていた。
「まあ…熱いな…。」
 俺のつぶやきにようやくヒロが離れる。
改めてヒロは俺の隣に横たわった。
隣を向けば、真っ赤になったヒロの顔がある。
そんなに熱いなら最初からやめとけばいいのに。
俺がそういっても、ヒロは「うるせえ。」とつぶやいただけだった。
大の字になっているヒロの手に、何気なく手を重ねる。
手と手が触れ合った瞬間、ヒロははじかれたように飛び上がった。
「な、な、なんだよ!」
 慌てたヒロが大きな声を上げた。
心なしか先ほどより顔が赤くなっている気がする。
何を慌てているのか分からずに、俺は驚いた顔でヒロを見た。
「いや、その…」
 俺の顔をみたヒロが慌てて言いよどむ。
なんか、悪いことしたかな…?
「どうしたんだよ?」
 そういいながら俺はヒロの太ももに頭を乗せる。
いわゆる膝枕状態である。
「ッ!」
 なぜかヒロは俺から視線をそらしそのまま黙ってしまった。
まあ、照れているのは分かるんだけれど。
前からこんな照れ屋だったかなあ。
そう思いながら下から顎や鼻をいじってやる。
くすぐったいのか恥ずかしいのか俺と視線を合わせようとしないまま、ヒロは必死で俺の手から逃げる。
これはこれで面白い。
無言のままのじゃれあいを楽しみながら、俺はニヤニヤと笑う。
「…?」
 ふと、頭の下にふくらみがあることに気がついて俺は頭を上げた。
とりあえずヒロのチンコをつかんでみる。
「ふぁっ…。」
 情けない声が出た。
だが弾力はあるものの硬さはない。
つうか相変わらずでかいな。
「こっちか?」
 勝手にヒロのポケットに手を突っ込んで中身をさぐる。
指に触れたのは小さな箱と、ヒラヒラとした紐のようなもの。
とりあえず紐を指に絡ませかるく引いてみる。
しゅるりと音がして、紐が伸びた。
指を見れば鮮やかな色のリボンが絡まっている。
「な、何してるんだよ!」
 そういいながらヒロはポケットから箱を取り出し、俺の指に絡んでいたリボンも奪い去る。
大きな手で丁寧に結びなおしたそれは、どうみてもプレゼントだった。
「せっかく綺麗に結んであったのに…。」
 ぶつぶつと呟きながらリボンの形を整える。
こちらに背を向けているヒロの肩に、俺は顎を乗せてその手元を覗き込む。
どうみても似合わないその動作が、妙におかしくて俺はしばらくその様子をみていた。
ようやく形が整って、ヒロは俺から逃げるように距離を置く。
「それなんだよ?」
 俺の言葉に、ヒロはしばらく迷ったあとにそれを突き出してきた。
目の前に差し出されたそれを、俺は思わず手に取る。
手に収まるような小さな包み。
「…俺に?」
 ヒロは顔を赤くしたまま頷いた。
しいたけこんぶだけじゃなかったのか…。
そう思いながら包装を解こうとする俺を、ヒロはそっと手をつかんで止めた。
「その、あけるのは夜にしてくれ。」
 そういうヒロの顔は、今までと違う…
真剣な顔つきになっていた。
思わず俺は手を止めてその包みを見る。
サイズとしては…指輪がちょうど入るくらいだが。
「わかった。」
 そういって俺はそれをポケットへとしまう。
「そういや、今日は泊まっていくのか?
また一緒に寝ようぜー。」
「そ、そんなことできるかっ!」
 場を和ませようと軽くいった俺の言葉にヒロが再び照れながら叫び声をあげる。
なんだってそんなに照れるんだ…?
「なんか…えらく照れてるな…。」
 俺の言葉にヒロは慌てたように視線をさまよわせる。
まるで言い訳でも探しているかのように。
「ほら、その。
明日も仕事だから…。」
 ヒロがしどろもどろに言い訳する。
まあそれなら帰らなきゃいけないってのは分かるんだが。
「…。」
 なんとなく気まずくて、俺はそのまま後ろに倒れこんだ。
結局、時間がたったってことなんだろうか。
青い空に、白い雲が浮かんでいた。







 あれから、なんとなくぎこちないままヒロは帰っていった。
ヒロと会えたのは楽しかったけれど、なんだか昔と違うことを突きつけられた気がして、
家へと向かう俺の足取りは決して軽くはなかった。
ポケットに入っていた包みを取り出してみる。
手に収まる程度の小さなプレゼント。
なんとなくあけるのも気が引けた。
だが好奇心もある。
あれだけヒロが必死になっていたプレゼント。
ヒロにとって、それだけ重要な意味があったのだろうか。
足を止めて包みを解き、中の箱を開けてみる。
「なんだ、コレ…?」
 中に入っていたのは、カギだった。
銀色の、キラキラと輝くおそらく新しいカギ。
なんだこれ。
これでどうしろっていう…。
 携帯が鳴る。
ポケットから慌てて取り出し開いてみる。
メールの着信だったらしい。
ボタンを操作し、メールを開いてみた。
メールはヒロからだ。

 …。

 それを何度か読み返し。
俺はようやく理解した。
ヒロが顔を赤らめていた理由も、このカギを大切にしていた意味も。
「はっきり言えばいいのにな。」
 そう呟いて俺は笑い出す。
まったく、回りくどい奴だ。
おかげで一日無駄になった。
「金ためよう…。」
 しっかり仕事して。
で、金がたまったら仕事やめてやろう。
引越し資金だ。
「よーし!」
 俺は気合を入れると、家に向かって走り出した。
なくさないように、しっかりと鍵を握り締めて。
雲ひとつない空を、夕日が真っ赤に染め上げていた。












































『タクミへ。
今日はごめんな。ほんとは言いたいこと色々あったんだけど照れくさくて。
プレゼントは、二ヶ月遅れの誕生日プレゼントだ。
ちゃんと説明してから渡そうと思ったんだけど…。
俺、恋人ができたら自宅の合鍵渡すのが夢だったんだよ。
もしいらなかったら送り返してくれ。』

                                              終