HAPPY BIRTHDAY 2


 俺は荷物を振り乱しながら、全速力で家へと走った。
手首の時計に目をやると、21時を15分ほど過ぎている。
「やべえ…!」
 俺はさらに走るスピードを上げた。
スピードをギリギリまで落とさないように気をつけながら角を曲がる。
ボロいアパートが視界に飛び込んできた。
よし、ゴールだ!
俺はアパートの一階の扉に飛びつくと、思い切り開け放った。
「ただいまー!
ごめん、遅くなったっ!」
 俺はカバンを床に放り投げると、手に持ったスーパーの袋からほうれん草を引っ張り出す。
台所に立ち、コンロの上に水を張った鍋を乗せると、つまみをひねって火をつける。
とたん、もわっとした熱気が俺の顔を襲った。
俺は少しのけぞると、蛇口をひねり急いでほうれん草を洗い始める。
「ん…。」
 後ろから弱々しい呟きが聞こえた。
後ろを振り返ればでかいヌイグルミのような熊がのっそりと横たわっていた。
しばらく様子を見ていても全くといっていいほど動かない。
「あー、シンイチ死なないでね!
すぐご飯作るから!」
 そういって俺はさらに手を動かすスピードを速める。
ほうれん草に包丁をいれ、鍋の中に放り込むとゴマをすり鉢に流し込んだ。
「ん…。
マサキ…メシ…。」
「分かってるからーっ!」
 シンイチの呟きに俺は大きな声で返事をした。
つけっぱなしのテレビでは、21時のニュースが始まったところだった。

 

 

 

「んー…死ぬかと思った…。」
 口いっぱいにご飯をほおばりながらシンイチが目を細めて呟いた。
普段から無表情な彼だが、こうやって見てると幸せそうな雰囲気が伝わってくる。
箸を持つ手を休めて、俺はしばらく彼を眺めていた。
表に出ていない表情を眺めながら、俺はふと『あること』が気にかかった。
シンイチに気取られないように、俺はざっとあたりを見回してみた。
部屋の中にも、さっきのぞいた冷蔵庫の中にもそれらしい形跡はない。
まさか…なあ。
俺は不安になって再びシンイチに目をやった。
相変わらず大きな口をあけてご飯をかきこんでいる。
「ん?
俺の顔になんかついてるか?」
 そういいながらシンイチは自分で自分の顔を撫で回した。
こういうしぐさ見てりゃあ、可愛いんだけどなあ…。
「なんにもねえよ。」
 俺は苦笑しながらそう言った。
犬族独特の長いマズルの先端を指先でゴリゴリと掻いてみせる。
「んー…。」
 何か言いたそうな顔をしながらも、シンイチはそれで黙った。
…朴念仁。
そんな俺の呟きを知ってか知らずか、シンイチは少し怪訝そうな表情を浮かべたまま
それでもなお凄い勢いで晩飯を食べ続けた。
バカ…。
いや、馬鹿は俺か。
俺は小さく笑うと、自分の目の前にある晩飯を片付けにかかった。
シンイチはもう食い終わったのか、自分の分の食器を持つと台所へと向かう。
ズボンの切れ目からのぞく、小さな尻尾がご機嫌にぴこぴこと動いていた。
カワイイよな…。

 

 

 

「んっ…!」
 シンイチが小さくうめいた。
暗い部屋の中で、俺は仰向けになったシンイチの上にゆっくりと腰を下ろす。
ゆっくりとシンイチの熱が俺に伝わってきた。
漏れそうになる声を抑えながら、俺はシンイチに密着する。
いつもしていることなのに、いつまでたっても慣れることができない。
「はぁぁ…。」
 俺はゆっくり息を吐いて呼吸を整える。
それをみたシンイチは俺をしっかりと抱きしめると、ゆっくりと動き始めた。
「あっ…はああっ!」
 押さえきれない想いが口からあふれ出す。
「シンイチ、シンイチぃ…。
好き、好きだよ。」
 俺は必死でシンイチにしがみつく。
シンイチは俺がずり落ちないように、しっかりと俺を抱きとめながら
さらに動きを激しくしていく。
興奮した目で、シンイチはまっすぐに俺を見つめていた。
シンイチ。
どうしようもないほどに。
狂おしいほどに。
俺はこんなにも、お前のことを…。
「んっ!
マサキ、そろそろ…。」
 シンイチの限界を感じて、俺は彼に強く抱きついた。
彼のアツイ体に手を回し、その背中をしっかりと捉える。
強く、強く。
ただ思いのたけを伝えるために。
俺は全力で彼にしがみついた。
「マサキっ!」
 俺の耳元でシンイチが小さくうめいた。
それとほぼ同時に、シンイチの動きが止まる。
シンイチの熱が、俺の中に撒き散らされた。
俺はシンイチを身体に受けることが嬉しくて、
ただその事実だけで同時に絶頂に達していた。

 

 


 情事が終わって。
俺は後始末を終えると、そっとシンイチの横に身体を滑り込ませた。
彼は何も言わず、そっと身体をずらし俺が入るスペースを空けてくれた。
無言の優しさが嬉しくて、俺は彼にそっと抱きついた。
まさに至福の時。
ふとベッドサイドにある俺の腕時計が視界に入った。
23時50分。
もうすぐ日付が変わる。
俺の胸が、小さく痛んだ。
やっぱり気づいていないんだろうか。
確かめるのが怖い。
でも、いつまでも目をそらせない。
もう終わる。
年に一度の、俺の誕生日。
俺はシンイチの胸に手を這わせた。
さわ、手を這わせた部分の毛皮が逆立つ。
俺はそれを撫でて直すと、もう一度胸に手を這わせた。
何度かそんなことを繰り返す。
シンイチはそんな俺を黙って見つめている。
どうして何も言ってくれないんだ?
彼の顔に手を伸ばし、顔を引いてこちらを向かせる。
いつものように、薄く開いた目で彼はこちらを見ていた。
俺は彼に優しく口付ける。
触れるか触れないか、とても軽い刹那的な口付け。
口を離し、俺はそっと身体を起こした。
「ん…?マサキ…?」
 突然身体を離した俺に、シンイチが不思議そうに尋ねる。
彼の顔を見ることができない。
俺はベッドを降りると、枕元においていた腕時計に手を伸ばした。
「シンイチ、覚えてる?
昨日…。」
 そういいながら俺は腕時計を見た。
時間は既に0時1分。
遅かった。
「昨日、誕生日だったんだよ。」
 そういって俺は脱ぎ散らかしていた服を拾い上げた。
「ん…。」
 シンイチの呟きが聞こえたが、それを最後まで聞くこともなく。
俺は手早く服を着ると、そのまま家を出た。
行く当てもない。
とにかく俺は動いていたかった。
どこかに行きたかった。

 

 


 気がついたら、俺は公園にいた。
家の近くにある小さな公園のベンチに俺は腰を下ろした。
「マサキ…。」
 シンイチが呟く。
そこでようやく俺はシンイチがついてきていたことを知った。
シンイチが隣に腰掛けて俺の肩を抱く。
「ごめん。知らなかったんだ。」
 そういってシンイチは俺を強く抱き寄せる。
違う。
そうじゃない。
俺は彼の胸に手を置いて、軽く彼を押しやった。
「それはいいんだよ。
知らないならしょうがない。
そうじゃなくて…そうじゃなくて…。」
 こぼれそうになる涙を必死でこらえる。
「聞いて欲しかったんだよ。
俺に興味もって欲しかったんだ。
『いつなんだ』って言葉が欲しかった。」
 そういった俺を、彼は再び抱きしめた。
先ほどよりも強く、強く抱きしめた。
彼の背に手を回し俺も強く抱きつく。
「んー…。」
 シンイチの声が聞こえた。
いつも聞いている彼の口癖、何か迷ったような呟き。
「恥ずかしいから、一回しか言わないぞ。」
 彼の手がしっかりと俺の頭を押さえた。
身動き一つ取れない俺はさらに強く彼にしがみつく。
「いつもそばにいてくれて…
いつも俺を大切にしてくれて。
本当にありがとう。
マサキ、愛してるぞ。」
 俺の目から涙がこぼれた。
限界を超えた涙は、後から後からあふれてくる。
俺はシンイチにしがみついて、嗚咽を漏らして泣いた。
「マサキ…。
まだ、時間あるよな。」
 シンイチが呟く。
俺は首を横に振った。
もう時間は過ぎてしまった。
「もう日付変わっちゃったよ。」
 そういって顔を上げる俺を、マサキは不思議そうな顔で見つめていた。
マサキが無言で俺の背後を指差す。
街灯に照らされて暗闇に浮かび上がる時計は、23時55分を指していた。
あわてて俺は腕時計を見る。
時計は0時10分。
「進んでたんだ…。」
 そう呟いて、俺は腕時計を外しポケットへ入れた。
再び俺は強く抱きしめられる。
顔を見るな、ということだろう。

 

 

「ん…。」
 シンイチの声。
いつも聞いている口癖、何か照れたような呟き。
「誕生日、おめでとう。」
 俺は、再び彼に強く抱きついた。

 

 

 

 

 

                                             終